蜘蛛
「麗紅お姉ちゃん……怖いよ……」
「大丈夫だって。ほらこれは貴女が創り出してる世界だって、言ったでしょ?」
「うん……」
「だから思い浮かべて?あの化物を倒すにはあたし達はどうしたらいいと思う?」
そう問い掛けると、そっと目を閉じ考え出す目の前の女の子。握った手が微かに震えている。
目を閉じたこの子は気づかないんだろうけど、今目の前に銃や剣、縄、何故か水鉄砲や石ころまで、次々とその姿を表しては消えていく。
「火炎放射とかどうかな……?」
「うん、いいね。虫っぽい姿をしたあいつにはピッタリかも。じゃぁ、あたし達でも使えて、物凄く強い火炎放射器を想像してみて?創造してみて?」
目の前の12歳ぐらいの女の子は一生懸命に創造しているらしく、顔が歪んでいる。そして時間が経つにつれて目の前の物体が形を成していく。どうやらこの子はサブマシンガンの様な火炎放射器を創造しているらしい。
だけどあと少しで形を保てるというところでその形は霧散する。
あたし達が隠れている建物の陰のすぐ後ろで化物の鳴き声がしたからだ。全長5m、高さ3mってぐらいの大きな蜘蛛。
「ひっ」
恐怖で叫び声を上げそうになる少女の口を手で塞ぐ。
「大丈夫。大丈夫だから。ほらもう一度造ってみて」
「ゔぅ……りかには無理だよぉ……」
しくしくと泣き始める少女。あぁもう、だめだ。この手の女の子は1度この状態に入ると戦えない。
「じゃぁここにいて。あたしが倒してくる」
「本当に?」
「うん。だからりかちゃんはここで隠れてて。何か幸せな事を考えててね。こいつはもういないんだと思って」
そっちの方が倒しやすいから。そう内心で呟きながら私は立ち上がる。そして片手に大振りの剣を創造する。多分自分の夢の中ならもっと簡単に創造できるのだろうけれど、何せここはあの少女の夢の中だ。
額に汗を浮かべながら剣を創造する。やっぱり他人の夢の中で武器を創造するのは難しいなぁ。かと言ってあたしは自分の夢を見ないのだからこれ以上簡単に作れた事はないのだけど。
なるべく機能性に優れてそうな、大振りの剣を思い浮かべる。そして出来上がったのはいつか見たような大剣。ついでにナイフもいくつか造っておく。
「じゃぁ行くから。必ず戻ってくるから安心して待っていてね」
「うん……」
そっと剣を握りしめて立ち上がる。そして想像する。自分の姿が相手からは見えないストーリーを。この戦いが成功するビジョンを。
辺りの建物と建物を繋ぐように張り巡らされている糸に当たらないように背後にまわる。あーこれは細身の剣にしとけば良かったかな。今更ながらに図体のデカイ相手に対して大剣にしたのを後悔する。
「じゃ、いっちょやりますか!」
夢の中だから重さなんて感じない。感じないけど重たそうだなぁとは思う。結果重たさはある事になる。
ゔ~重っ!!
のしのしと歩く8本あしの化物は、まだあたしに気づかずに少女を探し、歩き続けている。その後ろをそろりと追いかける。
辺りに張り巡らされた糸から少し離れた所。大剣を振り回しても大丈夫なくらい距離をとって構える。そして大きく振りかぶろうとしたその時。
パキッ
しまっ……!!!
ギャァァァァァァァァ!!!
甲高く響き渡る鳴き声。それが周りの建物に反射して鋭く耳を貫く。
「あぁもう!小枝を踏んで気づかれるとか、どんだけ初歩的なミスよ!!」
あたしは急いで踵を返す。こうなったら少女から少しでも遠くに行くしかない。どのみちここは建物が多すぎる。あたしには不利な地形だ。
辺りに建物がない所まで走りに走り、小さな瓦礫の陰に隠れる。あんな小さな女の子が夢見る世界観としては随分殺伐とした荒廃した世界だ。
遠くから重量感のある物体が近づいてくる。多分さっきの大蜘蛛が糸を周りに張れず、仕方がなく地面に降り立ったのだろう。
さーて、ここからが本番、正念場だ。
あたしはまず思い描く。あの化物に見つからない自分の姿を。痕跡、匂い、気配、全てを消して無となるあたしを。
そして走ってみて思った。やっぱ今回の敵にこの大剣は扱いづらいわ。うん。
あたしはさっきの火炎放射器を思い出す。うーん。あれはあの少女サイズだったからね、あれを二回りくらい大きく…………
出来上がった銃はちょっと重たかったけどそこは仕方がない。
辺りに響き渡る重低音。小さく揺れる地面はあいつのデカさを知らしめてるようだった。あたしは息を止め、通り過ぎるのを静かに待つ。息をしないでも平気とはわかってはいるけれど、やっぱり辛い。
そして背後を取り、一気にその背中を駆け上がる。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
そして一気に火を放つ。引き金を引くと同時に勢いよく出てきた炎は、大蜘蛛の顔を中心に広がっていく。
もはや叫ぶ口もなく、ただのたうち回るその背中から飛び降り、その最期を見届ける。
―――気づかれた時は焦ったけど、ざっとこんなもんかな。よし、りかちゃんのところに戻ろう。山になった灰を横目に歩き出す。
今回の敵は大きかった。存在感もあった。でも今回は助けられた、そう思っていたからかもしれない。だからあたしは可能性を見落としていた。この世界のルール。『夢が勝手に進み出す』というルールを。
地面が、空が、建物が、世界が、ぐにゃりと歪み出す。
「っ!!嘘でしょ?!」
あたしは駆け出す。ぐにゃぐにゃに歪む世界を転びかけながらも懸命に足を動かし前へ進む。時々瓦礫と化し落ちてくる建物の残骸を避けながら、あたしはどこか間に合わなかった事を理解しつつも諦めきれない思いで最後の角を曲がった。
「りかちゃん!!」
「麗紅……おねえ…………ちゃん……」
「っ!!」
そこにいたのは身体のあちこちを咬まれ、辺りに血を撒き散らし、辛うじて息を保っている小さな女の子と、そこに群がる小さな蜘蛛だった。
『蜘蛛の1回の出産は数百、時には数千に及ぶ』
どこで手にしたかわからない知識が頭を過ぎる。もう間に合わなかったのはブラックアウトし始めた世界と、あたしに向かって伸ばされた手を掴み損ねた時点で気づいた。
叫ぶあたしの声が耳を大きく刺激する。
また助けられなかった―――………