8話~子供な佳人と大人な狸王子~
第八話
出国後五日目。暗殺者の襲来から二日が経ち、ソヴァージュまで後残り二日となった。
カーティスはメレスがソヴァージュの出だとはっきりとわかるとメレスへの質問がぐんと増えた。どこの国からきたのか、ヴィーグリーズではどんな資源があるのか、各国の国の体制はどんなものなのか、魔物はこことどう違うのか、間隔を多少あけて聞いてきた。会話の回数は確かに増えたが答えるメレスも全てを話す訳にもいかないため、考えながら話す必要があった。そうでなくてもカーティスは聡明だ。ちょっとしたことで何かを悟るかもしれない。正直メレスは気疲れしていた。
「どうしていつも争っていた国々が突如として平和条約を結んだのはどうしてなんですか?
いくつか質問をメレスに投げかけたが本命はこれだろう。メレスが疲れた表情を見せた途端これだ。疲れた状態ならぼろを出すかもしれない。本当に抜け目のない王子だ。しかしメレスはそこまであほではない。思考に疲れたとしても重要な事をぽろりと言うようなまねはしない。
「申し訳ございませんが私は何も存じて居りません」
「そうですか。神々の降臨という噂や、強国全てが団結しなければならない魔物の勢力の登場や魔王の復活という噂も全く知らないのですね?海を挟んだ私すらもヴィーグリーズから確かに伝え聞いているのに?」
前言撤回。メレスは考えて喋るどころか思考停止からの一言でカーティスに確かな確信を与えた。メレスが何か知っているという事を。メレスがその噂を知らないはずがない。異大陸の人間ですら知っている事をその大陸の出身者が知らないはずがなかった。しかも海を渡ることのできる者が知らないというのは不自然だ。
「…そ、それらは噂にすぎません。信憑性のない噂程度を話して嘘を伝えてしまうわけにもいかないではないですか」
メレスは動揺を隠しきれなかった。普段なら綺麗に作れる笑顔も今回ばかりはひきつったものになった。まさかあんな風に返されるとは思わなかった。メレスはカーティスに苦手意識を覚え始めた。
「それもそうですね。すみません。バカなことを聞いてしまいまして」
「ははは、いいんですよ。気にしないで下さい」
互いに笑うが中身の感情はまるで違うだろう。メレスはこの狸やろう。カーティスは、こいつ脳筋かな?あたりだろうか。カーティスの方はどうかわからないが、メレスは分かりやすかった。いまだひきつった顔はいつの間にか目立たない程度の青筋が立っていた。とてもわかりやすい表情だ。
目の前には狸が、横には目を吊り上げた狐が。メレスの周りは人を化かす動物ばかりになってしまった。実際にこの狸は本当に化かしてきそうな気さえした。
「私としては神々の降臨を推したいですね」
「…どうして一番突拍子の無いものを?」
普通神々の降臨など妄想だと切って捨てられる。噂を聞いた者達すらほとんどの者がそれを眉唾物だと思う。宗教の布教だと考えるものも中にはいる。事実、神の存在など誰も見た事がないし、神そのものを信じない者もいる。そんな噂相手にされないのが当たり前だった。
「神の存在は確かに不確かですが、神々に仕えると自称する種族が実際に居るではないですか」
「天使…ですか」
神の存在は確かではない。しかしそれに仕えるという種族は確かにいた。それが天上の大陸に住む天使と呼ばれる者たちだ。
その姿は皆一様に美しく、神々しいと聞く。普段は下界に姿を現さず、雲の上にある大陸に住んでいる。こちらも一部の者同士しか交流はない状態だ。ちなみに天空の大陸には天使の他に翼人種と呼ばれる亜人も住んでいる。
「彼らの言う通り神が存在するのならありそうな話でもあるし、もしかしたら彼らが介入したのかも知れない。そして彼らの姿は神々しい、それを神だと思う人間もいてもおかしくはないのではないでしょうか?」
それなら魔物の大軍や魔王などと言ったものよりありそうな話ではあった。
しかし、天使程度の力であの大陸の戦争を止めるのは無理があるが、そこは力でなくてもいい。何らかの手段を講じて戦争を止めさせたとも考えられるが、天使がそれをするメリットもメレスでは皆目検討がつかなかった。カーティスだってこの持論が穴だらけなのは承知だ。ただ他の噂に比べて自分なりにありそうなのをあげただけだ。戦争を止める天使の姿を神と勘違いしたという話なら他の噂より納得はいった。
「それにあの大陸の国主やそれに近いものは神の因子を持っている、なんて馬鹿げた噂まであるんです。天使が降りてきてもおかしくないでしょう」
「神子の話ですか?」
「えぇ、人間ではありえない、神のような力を使うと。信じられませんが、確かにその噂はあるんです。しかもある国では現人神《あらひとがみ》すらいるとされる。その国は神治国家とよばれているらしいです。噂では信仰の神とは違うらしいですが、あまりの桁外れの力に畏怖を込めてそう呼ばれるらしいですね」
ヴィーグリーズは猛者が多いことで有名だ。それは戦争ばかりのせいなのか、魔物の強さが高いからなのか、もしくはその両方か、とにかく戦士一人一人の強さが非常に高い。その中でも常軌を逸する者が複数存在しそれらを神子と呼び、さらにその上位に居る者を現人神と呼んだ。つまり神子は開闢者程度の強さ、現人神は臨界者程度の強さだとカーティスは考えた。つまりヴィーグリーズ大陸での真の強者の呼び名となるわけだ。
そのような呼び名がついたのも戦争の絶えないヴィーグリーズならではだろう。英雄を神格化することで士気をあげるのはありがちなものだ。
カーティスはヴィーグリーズを恐ろしいと感じた。一国で開闢者レベルの戦士を何十人と抱え、人類最強の臨界者も、もしかすると複数存在するかも知れないのだ。アルフォードは開闢者レベルを九人、臨界者は一人だ。これでも周りの大国と比べても多少多いくらいだ。それを軽く上回るかもしれないのだからこれを恐ろしいと言わず何というのか。戦争になってしまえば敗戦はかなり濃厚だ。
「で、実際のところどうなのでしょう」
またか、とメレスは内心溜息をついた。また探りをいれているつもりなんだろう。またさっきみたいになりそうで怖いが、あたりさわりのない返事でごまかすことにした。
「そうですね。たしかに神治国家と呼ばれる国や、神子、現人神は存在しますよ。けれど本当に神なのか、強さによって神格化された結果なのかは私は存じておりません。何分戦争があった頃はまだ幼く、その方達の戦いを見た事がありませんので」
当然の回答だった。メレスの見た目は二十代前後といったところだ。戦争があったのは十年も昔だ。その頃はまだ幼いのは当たり前で、戦いを知らなくても不自然ではなかった。メレスは心の中でガッツポーズをとる。
「それもそうですね。また馬鹿な質問をしてしまいました。すみません」
これにはカーティスもなにも言えないだろう。
「いえ、とんでもございません」
メレスは勝利に震えた。その笑みは作りものではなく本物の笑みだった。
カーティスはメレスが嘘をついたのをその本物の笑みを見て気付いた。あぁうまく騙せたと思ったから出た笑みだろうと。メレスは詰めが甘かったのだ。しかしカーティスはそれを口にしない。なぜなら大人だからだ。こんな無垢な表情を浮かべるメレスの気分を落とすのはなんだか大人げない気がした。嘘をついての笑顔を無垢と呼んでいいかは疑問だが。最初にあった頃とはだいぶ印象が違うものだ。
そんなカーティスの内心を知らずにメレスは心の中でカーティスに勝ち誇っていた。
そんなことはさておき、カーティスはまた別の質問を考えていた時気づいた。
さっきまで僅かに緩んでいたメレスの表情が少し険しいものに変っていた。
「メレスさん?」
「部下を下がらせてください」
「え?」
「敵です。しかも二日前の暗殺者とは毛色が違うようだ」
それはすぐに現れた。
空に浮かぶ影。背中から生えた大きな黒翼、それと同じ色の肌、頭から横に生えた山羊のような角。
「悪魔…!?」
それは王都でも噂で耳にした悪魔そのものだった。悪魔はゆっくりと翼をはためかせながら降りてくる。地に降り立った悪魔は、大柄ぞろいの騎士達よりも頭一つ分高く、筋肉量も人のものとは違い、体はかなり大きく盛り上がっていた。
騎士達から動揺が伝わってきた。敵は今までの魔物とはわけが違った。その強さを騎士達はよく知っている。被害を出さないように一体に対して大勢で掛かるような敵だ。自分達がいくら精鋭だからといって、たったの十人で被害無く確実に倒せるかと聞かれたら十人が全員自信がないと答えるだろう。だが敵は一体だ。やりようによってはできなくはない。幸い低級に位置する悪魔のように見える。
騎士達は馬を降り、剣を構える。馬の上では細かな回避行動ができなくなるため、強敵相手では、馬上と言うのは有利にはなり得ないのだ。
カーティスの乗る馬車は悪魔から距離をとるように後ろに下がる。
十人が陣形を形成する。その形は敵が少数な時に有効な包囲型の陣形だ。
半円になるように悪魔を囲んだ。
それを戦闘の合図と受け取ったのか、悪魔は咆哮をあげた。その方咆哮は地鳴りのように響き、騎士達の体を打った。しかし騎士達は動じない。これでも悪魔の討伐経験もあるエリートの集まりなのだ。この程度で怯むような柔な修羅場は超えていない。
騎士達が悪魔に斬りかかる。騎士の剣を悪魔大きな爪で弾き、大ぶりな者は身を捻ってよける。騎士達も連携をいれて攻撃を組み立てるがなかなか当たらない。
「まずいな…まさか悪魔が現れるなんて」
騎士達は苦戦を強いられていた。いくら剣を振っても悪魔はぬらりくらいと交わしていく。その顔にはいやらしい笑顔が貼り付けられていた。幸いなのはこちらの攻撃が当たらずも機能しているため敵からの攻撃が少ない事だろうか。それにしても少なすぎる気がするが。
自分達の攻撃が機能している事を理解し始めた騎士達がより攻撃に傾倒していく。
「まずいな」
メレスはその光景をみてそう呟いた。
「どうしてですか?追いつめているように見えますが」
カーティスの眼には確かに騎士達の方が有利に見えた。悪魔は余裕が感じられるが攻撃をすることはできず、回避に専念している。それはそれだけ騎士達に隙がないからだと思っていた。
しかしメレスが呟いたその言葉の意味をすぐに理解した。
「なっ!?二体目!?」
悪魔と戦闘を繰り広げる騎士達の横合いから猛スピードで飛行してくるもう一体の悪魔が現れたのだ。
悪魔の動きに合点がいった。あの動きは騎士を攻撃に集中させるものだったのだ。自分達の攻撃のテンポが良くなれば、自然とそれは激しさを増していく。今の騎士達は目の前の悪魔しか視界に入っていないだろう。今この陣に横からもう一体の悪魔が突撃すれば騎士達は瓦解し優勢から一転してしまうだろう。
悪魔が騎士の陣に近づきかけたその瞬間、もうスピードで駆けていた悪魔が硬質な音とともに動きを止めた。
騎士達は驚きの表情を浮かべた。いつの間にか迫っていたもう一体の悪魔をメレスが食い止めていたからだ。しかし騎士達にそんな驚いている暇はない。再び攻勢移った。その表情は先程と同じ真剣そのものだ。しかし逆に悪魔の顔に余裕は消えた。奇襲策が潰されたことによってこの猛攻を自力でどうにかしなければならないからだ。攻撃をかわしながら再び怒りの咆哮をあげた。
メレスはいつの間にかカーティスのそばから消えていた。もう一体の悪魔の出現でその悪魔に気を取られていたら、その悪魔の眼の前に一瞬で移動しているのだ。距離は最低でも二十メートルはあったはずだ。それを一瞬で詰めたメレスの動きにカーティスは驚いたが、彼女が開闢者級と考えれば全く不自然な事ではなかった。ならこの戦いは安心して見ることができるという事だ。
メレスの眼の前の悪魔の顔は驚愕に染まっていた。まさか狙った標的にここまでの強敵が潜んでいるとは思わなかったからだ。
突然眼の前に現れたメレスの剣をなんとか大爪で防ぐ事が出来た事が幸運だった。少しでも遅れていたら今頃胴体が真っ二つになっていたところだろう。
「ニンゲン…!」
悪魔の口から言葉が漏れた。魔物は高ランクになれば言葉を介するものも稀にいるが、悪魔は最低ランクであっても簡単な言葉を口にする事ができた。それは人間と契約を結ぶために必要だからという説が有効だ。悪魔にとって契約は食事のように必要なもの。人間は生物の中で一番欲深い生物だ。それをメインターゲットにするのは至極道理だった。
「なぜ貴様らは二体で動いている」
そう悪魔が複数で行動する事は本来あり得ない事なのだ。酒場で耳にしたあの周りに相手にされなかった男の言った通りの事が起きたのだ。噂は正しかった。
「フン、ニンゲンニオシエルコトハナニヒトツナイ」
「そうかい」
そういってメレスは剣を横に薙ぐ。おもむろに薙がれた剣はその印象とは裏腹に風を切るような速さで振るわれた。
「グッ」
悪魔はそれをなんとか爪で防ぐ事に成功するが、剣圧に押され、体が振るわれた力の方向に飛ばされる。あまりの剣圧に悪魔は再び驚愕した。この細い体のどこにそんな力があるのか、悪魔にもわからなかった。メレスも防がれるのは分かっていたのだろう。表情になにひとつ変化はない。しかしメレスは手は抜いても、遊ぶつもりはなかった
「柊五言:剛直」
メレスがその言葉とともに再びさっきと同じ剣線で剣を振るう。
悪魔もメレスの攻撃の重さを知った。重いが受けれない程ではない。あの剣速を避けようとする方が危険だ。そう判断し、さっきよりガードを固め、迫りくる剣に構える。
一瞬だった。さっきと同じ剣速、同じ剣筋にも関わらず一瞬だ。剣は硬質化されたうでにぶつかった。しかしガードを固めたにも関わらすそこで剣は止まらなかった。硬質化された現実を無視するように腕が断たれ、そして胴体も同じ結果になった。
「ナ…」
悪魔は気づいた時には自分の下半身見ていた。その半身の断面図をしっかりと。
悪魔は完全に理解する前にその命は力尽きた。
「これは完全に黒だな」
そう呟くとメレスはまだ戦闘をしている騎士達の援護に行くことにした。
戦闘はメレスが加わると一瞬で終わった。
ものの一秒もかからなかった。
息をするように振るわれた剣はさっきの再現のように悪魔を両断した。
メレスはあまり考えたくなかったが、この悪魔の出現でこの先さらなる面倒に巻き込まれると確信した。こんな任務断ればよかったと心でごちるが状況が状況だったわけだしと嘆息をついた。
面倒だと内心で叫び、後ろ頭を掻きながらカーティスの居る馬車まで戻った。