3話~先達佳人と試練に挑戦する青二才~
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長いです
分割した方がよろしかな?
メレスを臨時に加えたシギル一行は馬車を使い、街の南に位置する森へと向かっていた。馬車でおよそ二時間の距離であるため、道中魔物に襲われる危険を回避する対策として、シーフであるデビィとレンジャーであるディスターの眼のいい二人が交代で見張りとして吹き抜けの馬車の先頭に座していた。
目的地に到着するまでまだしばらく時間がかかるため5人は少し早い昼食と雑談を交わしていた。本格的な戦闘の前であるため食事の量は皆控えている。
ここまで来る途中何度か魔物に襲われることがあったが通常のゴブリンばかりだったため、特に消耗することなくここまで来る事が出来た。
皆20歳に届かない程度の年齢ではあるがその身のこなしと武器の扱いなどは目を見張るものがあった。特に10年来の付き合いというだけあってそのコンビネーションはDランクパーティーのそれではなかった。ギルドのフロントで、もめるだけはあった。
戦闘終了後はこうして目的地に向かう途中の馬車の中で、先頭で警戒を続けているディスター以外は皆ゆっくりと休憩をしていた。本格的な戦闘の前に少し早いが、軽い腹ごしらえとして携帯食を食べていた。本格的な戦闘の前には腹いっぱい食べるのは厳禁だ。広い草原では物陰から不意打ちということが無く、見張りを一人立てれば安心のため残りのメンバーはリラックスして雑談に耽ることができた。
「皆さん素晴らしい立ち周りでしたね。相手はただのゴブリンとはいえあの数をあれだけ早く倒すなんて」
メレスの言う通り、シギル達の動きには無駄がなかった。ゴブリン達を一撃で仕留め、次につなぐ動きを周りのメンバーがフォローし隙を無くすことで相手に攻撃の余地を与えない。そのパーティーとしての動作が非常に潤滑だった。流れるように倒していく様は一種のパフォーマンスのように、見る者を沸かす事が出来るだろうとマレスは思った。
武器の扱いや立ち周りには確かに目を見張るものがあったがそれは才能という意味であって、他の同ランクパーティーと比べてずば抜けていると言えるものではなかった。このパーティーがCランク目前の実力者である理由はパーティー全体として力が他のどのパーティーよりも優れていたからだろう。マレスはこのパーティーをそう心の中で評した。
「さすがにずっと倒してきた相手だからな。そう遅れはとらないさ。それに今日はあいつらよりつえーのとやるんだから下位互換相手にそうそう苦戦してたまっかよ」
そういってシギルは大きく口を開けて笑う。
「そういってもらえるのはうれしいけど、あんたの動きのがよっぽど凄かったと思うけどね。あれがCランクの標準だって言われたらあと10年はCランクに上がれる気がしないよ」
デビィはそういうと肩をすくめた。
「確かに凄かったです。体全体が流れるように剣を振って、なんか舞いを見ているようで綺麗でした」
少し遠慮気味なミエルだがその目には確かな輝きがあった。それほどメレスの動きはシギル達とは一線を画す実力差があった。
「ありがとうございます。でも皆さんも直にCランクに昇格できますよ。それぐらいの実力があればあとは格上との経験のみです。それも今回達成できますよ。目前ですね」
自分達よりも明らかに強い人物の言葉にシギル達は頬を綻ばせる。Cランクになれば1人前の証だ。皆心を躍らせていた。
「ところで思ったんだが、黒髪ってここらへんで見ないけどもしかして東の国からきたのか?戦ってる時の剣の振り方も東の国の戦士に少し似ている気がしたんだが…聞いちゃまずかったか?」
確かにメレスの動きはこの国のものではなかった。力で叩き斬るための動きではなく、引いて斬り裂く剣筋。この動きを習得するにはこことは違う修練法が必要となるため、その修練法のある国で修業をするか、習得しているものに弟子入りするしかないが、この国にそう言ったものがいるとは聞いたことがない。
それにこの国の容姿とはまるで違う。アルフォード帝国のスタンダードな髪の色は金髪と赤髪になる。ミエルとディスターは違う国の先祖を持つためこの国の一般的な色とは違うが、顔のつくりはこの国のものと近い。そのため動きも髪色も顔立ちも違うメレスはこの国では目立つのだ。
だからこの疑問は最初から持っていたが、遠慮をしていたため今まで聞いていなかった。しかしうっかり者の赤髪がぽろっと口から疑問を漏らしてしまい、女子二人ににらまれる。ミエルでさえも強い目でシギルを責めていた。女子二人の口にしなかった言葉を代弁するなら、乙女の秘密をきくなんて!ということになる。男だが。言葉の途中で二人に睨まれて、不安になったのかシギルはこちらを恐る恐るうかがう。
「いえ、気にしないでください。別に隠しているわけではありませんので。そうですね。見ての通りこの国の生まれではありません。別の大陸から来ましたから」
「別の大陸!?」
「海の向こうじゃない!?」
「すごい…」
3人とも驚きの声をあげる。その大声にディスターの体がピクリとした。車輪の音がうるさい中も3人の大声はディスターにも十分すぎるほど聞こえた。
「別の大陸っていったいどこから…?」
「メディオ大陸?まさかヴィーグリーズじゃないわよね?」
「そのまさかのヴィーグリーズ大陸からです」
「ヴィーグリーズっていったら戦争大陸じゃない!?」
3人が驚くのも無理は無かった。十年ほど前に海を渡る手段が確立され、大陸間の交易が最近になってようやく盛んになってきたのだ。
今では昔より比較的に航行できるが、それでも海というのは陸よりも危険が多く大陸を渡ろうと思う者は少ない。そのため一般人は別大陸の人間を見る機会は滅多になかった。しかもメレスが来たという場所は戦争大陸と呼ばれるまでに年中どこかしこも戦争をしているような非常に危険で野蛮な印象で有名だった。
「いえ、いま全ての戦争は終戦し、全ての国が平和条約を結んでいますから、もう戦争大陸ではありませんよ?」
「え?そうなの?」
「あっ、それ聞いたことあります。なんでもいきなり全ての戦争がぱたりと止んで一気に平和になったって。本当なんですか?信じられなくって」
「あぁ、それなら俺も聞いたことあるぜ。戦争が終わったってのは神々が降臨したからって話だが、実際のところどうなんだ?」
「まぁ、あながち間違いではありませんが、ただそれぞれの国のトップがこのままじゃまずいと理解して手を取り合っただけですよ。神っていうのは大げさかなぁ」
メレスは苦笑いを浮かべてそう答えた。三人は腑に落ちない部分もあったがそれ以上詳しく聞くことができなかった。馬車が止まり、ディスターが目的地の森に到着したことを伝えてきたからだ。これから本番だと気を引き締めて四人は馬車から下りる。
「着いたか。確かこの森の比較的浅い所に職持ちのゴブリンがいるって話だったな」
「二次職持ちも確認はされていないが一匹居たっていう情報があったらしいから…気は抜けないぞ」
どこか余裕のあるシギルとは対照的にディスターはCランク冒険者に匹敵する二次職持ちのゴブリンに警戒を強めた。
「さてCランクでもてこずる相手ってのはどんなもんなのかね」
「情報では二次職持ちは一体のみと言ってましたので、たぶん私達でも大丈夫だと思うんですけど、ちょっと怖いです」
挑戦的なデビィにしり込みするミエルとこちらも対照的だった。
「…」
メレスはその四人の反応を見て神妙な面持ちをしたまま、しかし何も語らなかった。
五人は森へと入り背の低い草をかき分けながら少しずつ進んでいく。斥候としてシーフのデビィが先頭に立ち、その後ろにシギルとメレスが、そしてミエルとディスターが並んであとを追う。
徐々に進んでいくと奇妙な甲高い鳴き声が聞こえてきた。ゴブリンの鳴き声だ。その声を聞いた四人は表情を改める。メレスに変化は無い。
幹の太い木の後ろに隠れ声のした方を皆で確認すると緑色をした醜い小人のような魔物が六匹いた。ゴブリンだ。錆びれた剣を持ったゴブリンが一匹と小さな弓を持ったゴブリンが一匹。その他は何も持たない手ぶらのゴブリン四匹。
「職持ちのゴブリン二匹に雑魚が四匹か」
小声でつぶやくシギル。その声は余裕が満ちていた。なんて言ったって今回の依頼の内容は職付き二匹に通常種が四匹。雑魚が一匹多いが通常のゴブリン程度数には入らない。
職付きなら剣のゴブリンがゴブリンファイター、弓がゴブリンレンジャーだろう。どちらも戦ったことがあり、その時は余裕とまではいかなかったが、苦労は少なかった。今なら余裕で狩れる自信があった。
「通常種の一匹少し体が大きくないか?」
「なに。気にすることでもないだろ。雑魚には変わんねーよ二次職持ちもいねーようだし隙を見てすぐに戦闘だ」
「そうだな。そうしよう」
ディスターは通常種の一匹の肉つきが他と比べて良好な事に気づくがシギルの意見に同意しすぐに疑問を捨てた。
「よし。合図をしたらミエルは魔法をあいつらにぶち込んでくれ。そしてあいつらがこっちに向かってきたらディスターはあいつらへ牽制。そして俺とデビィで壁を作って本格的に戦闘だ。すまないがあんたは今回休んでてくれねーか?こいつらは俺達で倒したい。倒せないとCランクなんて随分先の話になっちまう。もちろん報酬はきちんと払う心配しないでくれ。どうだ?」
ミエルが魔法の準備を行う先手を不意打ちでとれるからだろう、やや大がかりな魔法を行使するようだ。
「わかりました。しかし危険だと判断したら私も戦闘に入ります。いいですね?」
「あぁもちろんだ。むしろ助かる。しかしこの程度の敵なら俺らでも十分だからあんたの手を煩わせること無いだろうがな」
そういってにやりと笑う
「くれぐれも油断だけはしないで下さいね」
言葉は心配したような感じだが声の調子はあまりよろしくない。なにか思うところがあるようだ。しかしそれがなにかはメレスは口にするつもりは無かった。
休憩をしていたゴブリン達が立ちあがり、なぜか体つきのいいゴブリンを先頭にまっすぐの方向に歩き始めた。
こちらに背を向けたタイミングでシギルが剣を抜いてミエルに大声で合図を飛ばす。するとごうっと風がうねりをあげて大きな風塊となってゴブリンへと向かう。土がえぐられ草がちぎれるとともにゴブリン達の体を押しつぶす。これだけで通常種のゴブリンは虫の息となった。
通常種に守られる形になったため職付きはダメージを抑えることができ、十分な攻撃にはならなかったが数はきちんと減らす事が出来た。しかし奥のゴブリンは無傷だが、ただのゴブリンと捨て置いた。
ゴブリンファイターが奇声をあげてこちらへと走ってくる。ゴブリンレンジャーもこちらを射るが、シギルがそれを盾で叩き落とす。走ってくるゴブリンに弓で牽制し動きを止めると、その隙にデビィが接近しナイフをその首をめがけて振るう。
しかし寸の所で剣を防がれる。シギルが追い打ちでゴブリンファイターへ肉薄するが、それを許ない者がいた。
先頭を歩いていたゴブリンだった。通常種では考えられない速度でシギルとゴブリンファイターの間に入るとその拳をシギルに振るう。自分の剣速よりも早い拳打にシギルはとっさに盾で身を守るがいくら体が他のより一回り大きいからと言っても信じられない力で、受けた盾が弾かれ胸に蹴打をもらい数メートル吹き飛ばされてしまった。
「ぐぅあ!」
苦悶の声が漏れる。奇跡的に鎧の一番熱い胸の部分であったため、深刻なまでのダメージではなかった。
「くっただのゴブリンじゃないのか…!?」
「まずいよ!このままじゃデビィが!?」
しかしシギルが吹き飛ばされたことでデビィが単独になってしまった。剣を結んでいたデビィーに拳のゴブリンが迫る。慌てて離脱しようとするが遅かった。
走るゴブリンがデビィに肉薄しシギルを吹き飛ばした剛腕が細身で軽鎧のデビィに迫った。
寸前の所で拳の軌道を変更して横に振るわれた。デビィに迫ったゴブリンの頭を射ようとしたディスターの矢を叩き落としたためだ。そして追撃と言わんばかりに、先程とは小規模の風塊が強力なゴブリンに迫るがその魔法すら拳のゴブリンは叩きつぶした。
そのゴブリンは職付きの二匹よりも明らかに強かった。自身より小さな体躯から繰り出される圧倒的な膂力。反応するのがやっとの速度。どれもが経験したことのない領域であった。
――――あとは格上との経験のみです。
――――くれぐれも油断だけはしないで下さいね。
四人の頭にメレスの言葉が脳裏に浮かんだ。そうだ。自分達はまだまだ未熟者だったんだ。いつからこんなに自分たちの力を過信していたのだろうか。
ギルドの受付嬢にも言われたではないか。実力が足りていないと。ギルドの職員の目は精確であることで有名だ。あらゆる情報から冒険者達の適性や実力を推し量る事には定評があった。
それを自分たちも知っていたにも関わらず、自分たちの実力を他人よりもわかっておらず、見くびられているなどと思いあがって怒鳴ってしまった。そして敵を目の前にしてみれば見て取れた違和感も無用なものと捨てて戦いに挑んでしまった。それがこの大苦戦の結果だ。
その上ついてきてもらったメレスに参加しないでくれとは、どの口が言えたものだろうか。四人は自身の失態を恥じた。フロントで揉めたのを恥じた。力を過信したのを恥じた。油断したのを恥じた。自分たちだけで戦えると意気込んだのを恥じた。しかし恥じただけで何かが変わるわけではない。戦いとは優しいものではないのだ。
シギルが戦線に戻るがダメージが残っている状態では動きが悪く、不利な戦況は覆らない。じりじりと戦況が悪くなっていく。
相手の動きが非常によかった。こちらの動きに合わせて三匹の役割がころころ変わり攻略の糸口がなかなか掴むことができない。シギルが拳のゴブリンを相手に奮闘するも、ディスターの援護を貰っても崩せないでいた。
デビィはゴブリンファイターと斬り結び、ミエルが発動の早い魔法で援護に回るがゴブリンレンジャーが矢をミエルに放ち、なかなか仕事をさせてくれない。レンジャーは小賢しくもこちらの目を盗んで小さな体を活かして木々に隠れた後射撃に入るため、仕留めるのが非常に困難だった。
拳のゴブリンを相手に幾重にも渡って剣を振るい続けるが一行に当たる気配がしない。ディスターの矢も同様だ。デビィも苦戦しているようだった。ゴブリンレンジャーの動きが非常に厄介でデビィもミエルも満足に動くことができない。森を自分のフィールドにしたゴブリンレンジャーの恐ろしさを四人は初めて知った。
シギルは拳のゴブリンの拳撃の猛酬を浴び、防戦一方となっていた。重い連撃で腕をしびれさせたシギルは次に大きく振りかぶられた拳をその盾に貰い大きく退いた。
自身の立ち位置をしっかり守っていればそれは問題はなかった。しかし攻防を交わす中互いの立ち位置は徐々に時計周りにずれて行き、シギルが後ろを守れる直線上からいつの間にか大きくずれ込んでしまっていた。
大きく後ろに引いた今、ゴブリンと後ろの二人の間に自分はいない。それはつまりどういう意味か。それは邪魔な壁がなくなり、今度はうざく感じていた矢や魔法の出所を叩けるということだ。シギルの顔から血の気が引いた。近接戦闘の出来ないあの二人にこのゴブリンが向かえばどうなるか。シギルはその先を考えたくは無かった。
「にげろッッ!」
男の悲痛な声が森に木霊する。
ミエルとディスターの回避は間に合わない。一直線に走るゴブリンの動きは鳥のように早く、二人は声をあげる余裕もなかった。その光景を横目に見ていたデビィの動きも明らかに鈍る。その隙を逃さなかったゴブリンファイターはにやりと口角をつりあげ、高速の一撃を空いた胴に振るう。
「きゃあ!」
なんとか防ぐが力の入らない体制で無理なガードでは力を殺しきれず、その軽い体が吹き飛ばされてしまう。拮抗を保っていたデビィも一気に形勢が傾いてしまった。
「デビィ!」
自身のミス一つでここまで戦況が変わってしまったことにシギルは絶望を感じていた。そもそも戦いを始めたのが間違いなのだ。いや、あの時このクエストを無理に受けた事が間違いだったのだ。
自分が引き起こした惨状を目の当たりにしてあらゆる事が頭に浮かぶ。シギルにはディスターとミエルに伸びる魔手と、デビィに迫る凶刃を見て視界から色が落ちた気がした。周りがスローモーションになる。ゆっくりになった世界で駆け巡るのは自身の後悔。
自分がギルドのフロントで素直にデビィの言葉を聞いて引きさがっていれば。油断せず敵を観察していれば。逃げていれば。数々の後悔が自身を責め立てる。しかし無情にも現実は変わらない。この白黒の世界になったところで、スローになったところでどうにかなることではなかった。ゆっくりと三人に死が近づいていく。―――もうだめだ。
思考が早くなったからか。その先の待ち受ける結末を理解しているからか。男の頬に涙が伝った。本来なら結末を見てから出るはずのものが男の頬に一筋の線を作っていた。大男の似合わない涙が地面に落ちる。
「立派な背中した男が泣いてんじゃねーよ」
――――ギャァァアア!!
知っている声。しかし聞きなれない声音だった。その声と同時にゴブリンの悲鳴も聞こえた。
声の方向へ顔を向けるとデビィを襲ったゴブリンファイターの胴体が半分以上がふきとんでいた。ゴブリンレンジャーも木から頭のみを落として絶命している。断末魔をあげると同時に即死だろう。ゴブリンレンジャーなど断末魔すら許されなかった。
そしてミエル達の方に顔を向けるとゴブリンの拳を片手で受け止めるメレスの姿があった。
「言ったろう。危なくなったら俺も戦闘に入ると」
はたしてその時俺とは言ってなかった気はするが、確かにそう言っていた。そのことを極限状態であったシギルは完全に忘れていた。そもそもこの四人以外に今まで誰かいたということが無いため他の誰かに頼るという考えが端から無かったのだ。
「あぁぁ、」
シギルはその光景に目を奪われていた。さっきまで絶望一色の白黒の世界に色が戻ったらそこには女神がいた。
背の高い木々の隙間から洩れでる陽光がスポットライトのようにその佳人を照らしていた。しかし美しいにも関わらずその掌の内にはゴブリンの拳がおさまり、雄々しくも感じた。まさに武の女神だと思った。自身と自身のもっとも愛す仲間を救った女神。
「なぁ、こいつは俺が殺してしまってもいいのか?」
ゴブリンは一切鳴く事もできず、ただ身を震わせていた。野生の本能だろうか。今ここに居る人よりもこの人間の異常さが肌で感じることができた
メレスはゴブリンの拳をぱっと離した。ゴブリンはよろよろと後ろに下がる。
「逃げるなよ」
メレスはそう言うとゴブリンがぶるりと一度震え上がる。何かをあてられ、背中を冷たい何かで撫ぜられたように感じた。ゴブリンはこの時自身がどうなっても生き残れないのを理解した。
「もう一度聞くが俺が殺してしまってもいいのか?」
シギルはその言葉を聞いて自身の中で何かが燃え上がるのを感じ取った。
そのゴブリンは仲間を危険に追いやった憎むべき相手か?いや違う。そいつは自身の犯した恥辱の塊だ。
一次職以上の魔物の本当の強さも知らず、目の前にしても気づけず、自身の力を過信し、一度全てを諦めて涙を流した。そうこの魔物は自身の未熟さを知らしめた存在。未熟さの証。ならそれを他人に片付けさせていいのか?シギルはもう大人だ。自分のケツをこんな人に拭かせるわけにはいかない。
「いや…それはやめてくれ。流石に恥ずかしすぎる」
周りの仲間が驚いたような顔をしたが、すぐに理解したのか皆下を向き歯を食いしばっていた。仲間も同じ考えだったが今回はリーダーに譲る気持だった。
「そいつは俺がやる。俺にやらせてくれ。こいつはけじめで、青い俺を叩き直すいいチャンスなんだ。みんなすまん。今回は俺に譲ってくれ。」
皆仕方ないと表情をしうなずく。
「えぇ、そのかわりぶっ飛ばしなさい。そいつも未熟者も」
「次は俺に譲れよ。この中で一番恥ずかしがり屋は俺なんだからよ」
「私も早く払拭したいですが、この中で一番実力が足りていないので今回は諦めます。そのかわり頑張ってください。リーダー」
それぞれのエールを胸にシギルはこのパーティーのリーダーとして、上を目指す冒険者として、そしてなにより一人の男として立ちあがった。自身の恥辱の塊を砕くため、また一つ次の段階へ進むためシギルは目の前の格上を引きづり落とすことした。
シギルは拳のゴブリンと再び対峙する。ゴブリンはメレスから逃げられないと悟ると目の前の男を殺すことだけを考えるようにした。
この男の目が気に入らなかった。
さっきまでとは違う覚悟のある輝き。追いつめている時の焦りと困惑は微塵も見て取れない。最後の絶望もない。
対して今度は自分があせり、困惑し、死を感じ取り絶望している。気に喰わなかった。実力差は覆っていないのに立場が逆転しているなどこのゴブリンは認めたくなかった。この森の中でも上位に位置するゴブリンの上位者である自分がこんな屈辱を。
ゴブリンはそう現状を呪っていた。だからこそこの息がった人間の男を叩きつぶしてやろうと心の底から思った。生存欲を上回るほどにこの男が許せなかった。
あの人間かも怪しい女はどうやらこの戦いに手を出すつもりはないようだ。ならば実力差をもって殴り殺してやろう。それがこの戦いの本来の結末だ。
ゴブリンは今まで以上に全身に殺気を込めて猛スピードでシギルに接近した。そのスピードは今まで以上だったがシギルはなんとか目で追うことができた。まるでさっきまでのスローの世界に居るようだった。
高速の戦いが繰り広げられた。今まで以上の剣速で幾重に重なる剣線。硬い拳を何度となく受けるバックラー。拳が剣の腹を叩く音。様々な音が重なるように響き渡った。
「すごい…」
「あれがシギルなのか?」
「互角…です」
三人は驚きに目を剥いていた。当然だろう、今まで足並みが同じだった仲間が突然開花するように強くなったのだ。それはまるで別人のようだった。
「君たちもすぐにあれだけできるようになるよ」
メレスの言葉に嘘偽りはまるでなかった。
「あれ…くらいですか?」
ミエルの言葉には信じられないという感情がありありと浮かんでいた。
「あぁ、君たちの才能は皆近いように感じたしね。ただシギルはその開花が早かっただけさ。君たちもすぐに追いつけるよ。」
やはり三人は信じられないというように表情を曇らせる。
今やシギルはあのゴブリンを押していた。
あのゴブリンはゴブリンモンク。ファイターから転職できる二次職だ。強さはCランクの中でも中位だがあのゴブリンは恐らく三次職に近いだけの力をためているだろう。総合的にあのゴブリンはCランク上位の強さになる。
その強敵をさっきまで青かった若造が押しているのだ。信じろと言う方がおかしな話なのだ。
シギルは今までにないほど体に力が漲っていた。相手の動きも目で追う事ができるだけでなく予測も付ける事が出来る。今までだって慣れた相手の動きを一手二手先を読むことはできていたが今はこれだけの強敵を相手にして三手先を読むことができていた。
シギルは今気持のいい気分だった。
これだけ力が湧くんだ。誰だって気分が良くなるもだ。
しかしそれは油断につながる。そんな青い者を捨てるために戦いに挑んでいるにも関わらず、その戦いの最中でうぬぼれたら本末転倒だ。だからこそ表情を引き締める。常に最悪の状況を想定し相手がどこから攻めてくるのか何パターンかを準備して相手の動きを待ち構える。
ゴブリンモンクが予想していたところに打ち込んでくる。それを待っていたと相手の弱点を突く。
ゴブリンモンクはあっけなく拳が防がれなおかつ打ち返された事でたたらを踏んだ。チャンスだとシギルはゴブリンモンクに最適な角度から剣線を引いた。その剣線がゴブリンモンクの胸を斬り裂く。しかし浅い。これにゴブリンモンクは激昂した。
「ギイイイイイイイイイイ!!!!」
耳を塞ぎたくなるような甲高い音が森中に響き渡った。
それにシギルは顔をしかめるがチャンスでもあると一気に接近した。
ゴブリンモンクは量の拳を握って待ち構える。
赤い髪の巨体と緑肌の短躯が激しくぶつかり合う、
肉を立つ音、身を打つ音が同時にいくつも鳴り響く。
そのたびにゴブリンモンクの足下は血で濡れ、シギルの皮膚の下は真っ黒に腫れあがる。
何度も何度も鳴り響くその音がこの空間を支配していく。
互いに互いしか見えず、他に景色すらも視界には存在しない。当然この音も、音の度に生じる痛みすらももはやいらないものだった。極限の集中状態での戦闘。それは一種の芸術品のようだった。
同時に聞こえていた音にもばらつきが出始めていた。叩く音が減り、斬る音が次第に多く、そして大きくなっていく。
終わりは近かった。ゴブリンモンクの顔にはほとんど生気がなかった。あるのはただの戦闘本能のみ。
一際大きな血しぶきの音があがった。袈裟に大きく斬られた胴体からは大量の血が噴き出し、シギルの身を色どった。
シギルはゴブリンモンクを、仲間を追いつめた敵でありながら感謝の気持ちを抱いていた。もしゴブリンモンクと出会わなければ恐らくこの成長はなく、シギルは青いままの未熟者のまま仲間を巻き添えにして死んでいただろう。
シギルはゴブリンモンクの死体を見た。もうその体から血がほとんど抜けたのだろう。さっきまであれだけの力を自分に叩きこんで存在を、己の誇りをかけて戦った戦士の生気のまるでない死体を見て、少し物悲しい気持ちになった。
シギルは空を見上げた。
「まだまだ青いなぁ…」
雲ひとつない青空を見上げてシギルは呟いた。
モブキャラが勝手に動いてくれやがりました。まるで主人公をさしおいて主人公でした。序章抜いてたった三話目にしてキャラクターの自動運転。
プロットって難しいよね(言い訳)