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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第二話 賢者司る灰色の街
9/41

[02-4]

 繁華街の人混みをすり抜けるのに気を取られ、建物と建物を渡る影を見失ってしまった。

 歩道で立ち止まったシナツに、市民は迷惑そうな視線を投げかけて追い越す。


 どこに消えたんだ。

 不慣れな地理に歯軋りするシナツの頭に、またもや救難信号が響く。

 テレパシーの類ではない。ナノマシンが形成する通信機能向けに発信してきたのだ。


 シナツは発信源を確かめるべく、薄暗い路地裏へと入った。

 表通りと打って変わり、人気(ひとけ)は皆無である。

 ダストシュートの異臭漂う暗闇で、その男はシナツを待っていた。

 グレーのオフィススーツは今にもはち切れそうなほど膨張している。体は高熱を帯び、もうもうと上がる白い煙に覆われていた。


「……何者だ」


 険しさを含んだ問いに、男は笑みを作った。

 耳まで裂けた口の中に、鋭い牙と放熱のための長い舌を覗かせる。

 そして――


「けひゃ、ひゃひゃひゃ!」


 耳障りな奇声がビルの合間に反響した。

 顔をしかめるシナツの腕から、さらに鬱陶しいブザー音が奏でられる。

 リストデバイスから赤いホログラム・ウィンドウが投影された。

 警告。

 フォービドゥンの存在を感知。


「これが答えか」


 シナツは条件反射的に身構えていた。

 フォービドゥンは地面に這いつくばり、手首と肘から鎌状の骨を生やす。

 その間にぴんと張られた皮膜の翼を用いて敵が選択した行動は、突進ではなく上空への逃亡だった。

 羽ばたきだけでなく、路地を挟むビルの壁を交互に蹴って上昇する。


「……なに?」


 俺を襲いに来たんじゃないのか、という動揺は一瞬で過ぎ去り、非常用の外階段を屋上まで駆け上がる。

 さすがのシナツも額に汗を浮かばせた。

 重力下での活動にはまだ適応できていないな。

 自分のコンディションを冷静に分析しつつも、一方では飢えた獣のような眼光でフォービドゥンの姿を探す。


 いた。

 腰の高さほどの落下防止柵から身を乗り出し、表通りを見下ろしている。

 パニックに陥った通行人を蔑むような目つきだった。

 荒い息遣いのシナツにも粘りつくような視線を向けると、すぐさま隣のビルへと飛び移った。


「どういうつもりだ!」


 シナツは柵に駆け寄り、フォービドゥンの背に叫ぶ。

 敵は立ち止まって、こちらの一挙一動を見つめた。『追えるものなら追ってみろ』と言わんばかりだ。

 能力を試されているだけではない。

 シナツに戦意がないと分かれば、地上の人々を襲う意志が先ほどの素振(そぶ)りから窺えた。


「……くそっ」


 自分が受け入れようが拒もうが、意味はない。

 他者は否応なしに『力を持つ自分』という現実を突きつけてくる。


「カザネ、生きるってのはこういうことなのか?」


 かの女性はもうシナツの傍にいない。

 だが、問いに対する答えは別の少女の声で再生された。


『その場に居合わせても、なす術を持たない、無力な人が大多数よ』


 目の前には敵がいる。

 それもまた、現実だ。

 シナツは柵から後ずさり、分厚い上着を脱ぎ捨てた。

 一回の深呼吸で肺内の空気を循環させる。


「よし」


 自分自身にゴー・サインを出し、力強く足を前に出した。

 衣服の下から滲み出たナノマシンが外骨格を形成し、シナツの姿を禍々しい生物兵器へとシフトさせる。

 新たなナノマシンの異常活動反応に、外骨格の内側に取り込まれたリストデバイスが警報を響かせた。

 やはりシナツとフォービドゥンを隔てる境界線は曖昧だ。

 そんな迷いも、神経を集中させた思考に入り込む隙間はない。

 瞬発的な加速を得たシナツは柵を跳び越えた。


 空気の壁を破る感覚。

 夜空にたなびく後頭部のケーブル。


 そして、再び訪れる足場の感覚に「っし!」と鋭く息を吐き出す。

 着地の際に若干崩した体勢のまま、燕のようにフォービドゥンへ迫る。

 捕まえて高圧電流を流せば、おしまいのはずだ。


 しかし、寸前でフォービドゥンの体は白煙に巻かれ、シナツの手をすり抜ける。

 視界を阻害する煙を腕で薙ぎ払ったときには、フォービドゥンはまたもや別のビルへと逃げた後だった。

 変異(シフト)状態のシナツを上回る速度で動いている。


「お前……」


 呻き声が震える。

 立ち込める白煙はオーバーヒートによるものだ。

 極限までスペックを引き出す代わりに、死へのカウントダウンを始めているのである。

 同じナノマシン体として、シナツには理解できなかった。

 いわば、命がけの偵察だ。


 リストデバイスが今までの警報とは異なる電子音を奏でた。

 通話機能が着信を知らせている。

 シナツは投影装置とモーション・センサー用の穴を外骨格に作り、通話に出た。


「誰だか知らないが、今いそが――」

『シナツさん!』

「……ルシエノか?」


 彼女は精一杯に(すご)めた声で『はい』と答えた。


『フォービドゥンの位置を補足していたら、防犯カメラにシナツさんの姿が映っていたので……』

「あれか」


 屋内へ戻る扉のところに、こちらを向いているカメラがあった。

 この街のセキュリティは全てセフィロト機関に通じているのだろうか。

 大した監視体制だ、と感心するシナツには、ルシエノがビルの所有するシステムに侵入しているなどと知る由もない。


『今すぐ武装を解除してください。さもないとシナツさんが攻撃されますよ!?』

「フォービドゥンを止めるのが先だ」

『……本気なんですか?』

「ああ。あいつは信号を使って接触してきた。俺の敵だ」


 ルシエノは僅かな沈黙の間を置いて、オペレーターとして毅然とした口調へと早変わりさせた。


『今動いている職員にシナツさんの情報を送ります。今後、エデナスでの生活は監視つきになるかもしれませんが、それでもいいんですね?』

「構わないさ」

『……もう』


 小さな溜息が、彼女の気苦労を物語っていた。


『見たところ、敵は極限までナノマシンを稼働させているようですね。できれば安全な場所で活動を停止させたいところですが』


 シナツはこの若い補佐官に心強さを覚えた。

 あれこれと説明するよりも早く、状況を把握してしまったのだ。


「避難は無理なのか?」

『不可能です。この時間帯は人が多すぎて、封鎖が精一杯――』


 彼女の思考時間は数秒にも満たない。

 話している間にも、街中の防犯カメラから得た情報を総合的に組み合わせていたのだ。


『プランがあります。指示に従っていただけますか?』

「何をすればいい」

『敵を指定ポイントまで誘導してください。端末に作戦を送ります』


 ホログラム・スクリーンに投影された地図を頭に叩き込んだシナツは、最悪の可能性を口に出した。


「着くまでに市民を襲い始めたらどうする」

『念のため、警備課の人員を回しますが――』

「……俺が偵察に飽きさせなければいいというわけだ」


 指定ポイントは数ブロック先だ。そこまで一気に連れていくしかあるまい。

 今からシナツは獲物を追い立てる猟犬となる。

 バックアップがついてくれるなら、もはやセーブの必要もない。

 青白い光を放つ神経パルスが四肢に流れる。


「任務了解」


 シナツはフォービドゥンの追跡を再開した。

 間隔はかなり開いてしまったが、敵はその分、ペースを落とすことで体温の冷却を図っている。

 猛然と追いかけてくるシナツを確かめると、懲りずに加速を始めた。

 その口は愉悦の笑みで歪んでいる。

 シナツを試しているだけではない。

 敵自身が限界の突破に高揚しているのかもしれなかった。

 そんな感情があるなどと思いたくはないが――


「それを言ったら俺もそうか」


 呟きは大気にフィルタリングされ、シナツの背後に取り残された。


「ふっ……!」


 跳躍を繰り返すことで、シナツの動きは徐々にアスリートのごとく洗練されていく。

 両者の距離が縮まりつつあった。

 チーム・カザネ製ナノマシンは、この時代においても他のナノマシン体より優れたエネルギー効率を誇っているようだ。


 見ているか、カザネ。

 お前の作った技術は最高に危険だ。

 人類にとっても、連中にとっても!


 シナツは二車線プラス歩道の幅がある通りすらも跳び越えてみせる。

 脚力が生み出す衝撃に耐え切れず、屋上の床が陥没した。

 通りを逃げ惑う人々は、星が見えなくなって久しい空を横切る閃光に気づかない。


「ルシエノ! もうすぐ着くぞ!」

『はい! こちらは準備万端です!』


 次の通りでは、赤い光の明滅がビルを照らしていた。

 そこが作戦の指定ポイントだった。

 前を行くフォービドゥンがぐらりとよろめいて見えたのは、熱が周囲の景色を揺らめかせているからではない。

 体の組織に綻びが生じつつあるのだ。

 それでも、決死の飛翔を試みる怪物だった。


「逃がすかよッ!」


 シナツは落下防止策を力任せに捩じ切り、鉄パイプの槍に変えた。

 狙いは皮膜の翼が広がる瞬間だ。

 回避行動には移れまい。

 投擲された槍は、宙へ身を躍らせたフォービドゥンの胸に突き刺さる。心臓からは逸れてしまったが、それでも十分だった。

 フォービドゥンは痛覚をも快感に変え、恍惚とした表情で地上に落下する。


 役割は果たし終えたが、通りには大勢の人間が蠢いている。

 本当に大丈夫なのか?

 脇道に面した非常用階段の支柱を滑り降りたシナツは、外骨格のまま表通りに飛び出した。


 標的を照らし出すスポットライトの強烈な白光を向けられ、目が眩む。

 思わず顔をそむけた先で、フォービドゥンは再生を始めていた。

 引き抜かれた鉄パイプがアスファルトを跳ねる。

 再形成を終えた足で向かう先は、乗用車に寄りかかって立つ人影だった。


「危険だ、逃げろ!」

「あら、こっちは待っていたのよ」


 自信に満ち溢れた少女の声だ。

 彼女に飛びかかろうとしたフォービドゥンの足が、突如として融解を始める。

 熱暴走による発火ではない。

 フォービドゥンの動きを的確に封じた炎は、まるで意志を持って少女を守っているようだった。

 業火の向こうに立っていたのは――


「作戦通りね、シナツ」

「……ディゼ!」


 赤熱の魔女、ディゼ・エンジその人だった。

 通りを遮るホログラムの壁には『キープ・アウト』の文字と樹鏃(じゅぞく)の紋章。

 包囲網を形成しているのは武装した兵士たちである。

 心配するまでもなかったか、とシナツは胸を撫で下ろした。


「そいつを殺すのは待ってくれ」

「何をするつもり?」

「訊きたいことがある」


 そう言って、乱暴にフォービドゥンの胸を踏みつける。


「なぜ、救難信号で俺を呼んだ」


 関節の外れた顎が、がご、と異音を奏でた。

 潰れかけた眼球がぐるんとシナツに向けられる。


「ポッ……ド……」


 シナツの乗っていた脱出ポッドが発したビーコンを、そのまま返しただけらしい。

 ただそれだけか、とスモークフィルムに隠された目が細められる。


「誘い出したのはお前じゃなく、俺のほうだったようだな」


 シナツの語気から熱が失われる。

 次の瞬間には、慈悲のない生体電流がフォービドゥンを襲った。

 完全に破壊されたナノマシンは細胞間の連結を失い、砂となって風に吹かれる。

 後には細切れとなったオフィススーツだけが残された。




 繁華街に佇む黒い戦鬼の姿を、遠くから肉眼で観察する者がいた。

 風に長髪をなびかせる女だ。

 ショーが満足のいくものだったか、理知的な笑みを湛え、ビルの谷間に身を投じる。

 ネオン光の届かない暗闇の底には、地面に激突した女の亡骸は見当たらない。

 空に昇る月だけが忽然と消えてしまった女の行方を知っている。




 外骨格を解除したシナツに兵士たちからどよめきが起きる。

 涼しい顔で歩み寄るディゼの行動は、混乱する彼らに青年が味方であることを示した。


「あたし、勘は鋭いほうなのよね」

「……何が言いたい」

「あなたとはまた別の現場で『居合わせる』と思ってた」


 肩を竦める彼女に、シナツは無言で抗議の意を示した。

 好き好んで狙われているわけではない――というのは、もはや空しい言い訳だろう。

 ディゼはくすりと表情を崩し、乗用車に目配せをする。


「ルーシーがかんかんだわ。何せ、移民規則の違反、特異能力(シンギュラリティ)によって警報を鳴らす行為、おまけに――」


 転がる鉄パイプを爪先で蹴飛ばす。


「器物損壊。問答無用で撃たれなかったのはあの子のおかげよ」

「感謝している」

「そう思うなら、ちゃんと本人に言いなさい」


 運転席から降りたフェアリアンの少女は無傷のシナツに胸を撫で下ろすと、一転して膨れ面を作った。


「シナツさん。衝動的な行動は控えるように、と勧告したはずです」

「フォービドゥンを放っておくわけにはいかなかった」

「それが衝動的なんです! いいですか、シナツさんの立場は権限を持たない民間人……ああ、もう! ダアトに睨まれても知りませんからね!」

「拘束命令は出ているのか?」

「出ていないから、私が怒るだけで済んでいるんです!」


 と、ルシエノは頬を膨らませた。

 ケテルから、行動を起こしたからには自分の足で来い、というメッセージを遠回しに突きつけられたようでもあった。

 思う壺だな。

 シナツは深々と嘆息をついてしまった。


 しかし、後ろめたさはない。

 亜空間に消え去った変異体だけが敵ではない。

 生物兵器としての本分を、そして、カザネの命令を全うすることが、シナツに残された義務である。

 ザトウ号も地上も、すべきことは何一つ変わらない。

 敵性存在の殲滅による人命救助。

 そして、少女の安全確保。

 いつか来るその日まで――


 シナツは自然体の笑みを浮かべ、ルシエノの両肩を掴んで向き直らせた。

 少女はぎょっとして翠玉色の瞳を瞬かせる。

 二人の距離が近い。


「し、シナツさん?」

「……すまなかった、ルシエノ。お前の作戦に助けられた。よくあの短時間で迎撃態勢を固めたな。見事な手腕だ」

「い、いえ、私はただ、指示系統に割り込んだだけで――」


 しどろもどろになって俯くルシエノに、同僚の少女が露骨に溜息をついてみせた。


「優等生っていざとなると怖いわ。あなたのためって規則をすっ飛ばすんだもの。人のこと言えないわよね、ルーシー」

「でぃ、ディゼさん!」

「あたしたちは始末書を書かなきゃいけないけど、あなたはなんのお咎めなし。これって、不公平だと思わないかしら?」


 ディゼの視線に、シナツは小さく頷いた。


「償いはそのうちするさ」

「……『そのうち』、ね」


 大仰に肩を竦めた彼女は、はっとするような満面の笑みでシナツの背中を叩いた。


「いいわ、期待しときましょ。後始末はあたしたちに任せて、帰ってもいいわよ」

「悪いな」

「仕事だもの」


 そう言って、ディゼは額に右手を当てた。

 ルシエノも一拍遅れて背筋を伸ばし、突然畏まる同僚に(なら)った。

 敬礼である。


「だから、あなたに敬意と感謝を。被害を食い止めることができたわ」

「……一人は助けられなかった」


 機関員に吸引機で片づけられる砂の山をシナツたちは見届ける。

 処理を見届けたシナツは、雑居ビルの非常階段へと向かった。

 その背中に、ディゼが「ああ、それと」と呼び止める。

 彼女は呆れ顔で道路を指差すのだった。


「ちゃんと歩いて帰るのよ」

「……すまん、道を教えてくれ」


 やっぱりね、と彼女は額を押さえた。


   ○


 そして、夜は明けた。

 セントラル・タワーに特務課第七班のオフィスはある。

 いつもと変わらぬ調子のディゼ・エンジはID認証を済ませ、二人だけの仕事場に入室した。


「おはよ、ルーシー」


 ソファに放り投げたバッグは、しかし、ルシエノの平坦な胸で受け止められた。

 彼女は青ざめた顔で、ディゼに縋るような目を向ける。


「緊急任務です」

「……朝から大忙しね。場所はどこ?」

「ここです」


 バッグをソファに置くルシエノの表情は、至って真剣そのものである。


「お掃除を、しましょう」


 凄惨な状況だった。

 徹夜も珍しくないため、オフィスには衣服や私物が持ち込まれている。

 即ち、下着や雑誌や軽食がその辺に放り出されているのだ。

 先に出勤したルシエノが片づけを試みたようだが、全く進んでいない。

 ディゼはというと、未だ事の大きさを理解していない様子だ。


「ああ、なんだ……監査の日はまだ先でしょ?」

「監査なんてどうとでもなります。非常にまずいんです。急な通達なんですが、この第七班に――」


 ぽん、と軽い電子音が室内に響いた。

 アクセス権限を持たない者のID認証が行われた、という知らせである。

 それを聞いて、ルシエノは「あわわ……」と右往左往を始めた。


「こんな朝っぱらから誰かしら」

「じ、時間稼ぎを要請します!」

「……相手が帰っちゃうわよ」


 と、ディゼは不用心にドアを開けてしまった。

 そこに立っていたのは、真新しいファーフードつきのダウンジャケットを着込んだ、背の高い青年だ。

 知らない人間ではない。

 昨夜に別れたばかりの、黒髪、東洋人系の顔だ。

 硬直するディゼをよそに、彼は不慣れな敬礼を行うのだ。


「本日付で特務課第七班に配属された、シナツ・ミカナギだ」


 そう名乗った彼は、ディゼの向こう側に広がる混沌に眉を顰める。

 ルシエノが両腕をぶんぶんと振ったところで、もはや無駄な努力であった。


「……なんというか、無重力状態なら前進するにも苦労しそうなオフィスだな」


 遠慮がちな感想に、ディゼは「あは」と笑うのが精一杯だった。


「これ、やり直しきかない?」

「残念なことに――」


 シナツは、にい、と笑みを浮かべた。

 気さくな船員から覚えた表情を思い出したのである。


「時間を止めることはできても、巻き戻しは利かないんだ」


   ○


 だが、過去を振り返ることはできる。


「機関に組み込まれてもいいが、あんたらの管理下には入らない」


 ほんの数十分前、シナツは白い法衣の賢者、ケテルにそう宣言した。

 賢者たちの議会室には、相変わらずケテルとマルクトの二人しかいなかった。

 青年の表情には挑戦的な笑みが浮かんでいる。

 前日とは対照的な態度で、賢者と対峙しているのだ。


「意志を持つ兵器として、自分を使う相手くらいは選ばせてもらう。あんたらが使い手として相応しいかどうか、こっちも見ていることを忘れるなよ」

「我らを監視しつつ、我らが命に従うか。ダアトの在り方のごとく、だな」


 仮面の下から吐息が洩れた。

 僅かな睨み合いの末、白手袋を嵌めた大きな手が扉を指差す。


「よかろう。これより汝はエデナスの守護者だ。『変わりゆく物(シフター)』、シナツ・ミカナギに命ず。己が使命を存分に果たすがよい」


 ミカナギという名に反応を示しつつも、シナツは背筋を伸ばして答えた。


「了解。失礼する」


 悠然と議会室を後にしたシナツを、マルクトが追いかけてきた。

 振り向く彼の手を細い両手が包み込み、布越しに彼女の温もりを伝える。


「あなたの決断を嬉しく思う」


 走ってきたからだろうか。

 心なしか声が弾んでいる。

 しかしながら、肉と骨の感触を確かめているのかと思うほどの長い握手に、シナツは警戒心を抱いた。

 ケテルとマルクトは二度も行動を共にしている。『飴と鞭』戦略の可能性は否めない。

 そうは思いつつも、シナツは彼女に尋ねていた。


「俺にカザネの名をつけたのはケテルの考えか?」

「ええ」


 マルクトはようやく手を放し、小さく頷いた。

 仮面の下に隠した顔は今、どんな表情を浮かべているのだろうか。


「重荷?」

「いや、これからこの星で生きるにはちょうどいい」


 うそぶいてみせたシナツは彼女の前から立ち去った。

 後に残されたマルクトの白装束が、外縁通路を照らす陽光に溶け込む。

 青年の背中が見えなくなるまで、影は床にか細く伸びていた。

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