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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第一話 来し方より訪れし者
5/41

[01-4]

 起きて、シナツ――と誰かが囁いた。

 黒髪の青年、シナツは物を叩く仕草をした右腕が空を切ったことで、はたと気づく。

 ポッドの座席ではない。

 広すぎる部屋には、自分の乗った寝台だけが置かれている。

 体を起こそうとして、軋むようなこめかみの疼痛とうつうに目を細めた。

 全身にかかる遠心重力の負荷が強い。見えない手で押さえつけられているようだ。


「どうなって……」


 はっきりと思い出せるのは、彼の故郷、ザトウ号での出来事だけだ。

 船内に溢れ返る『実験体』。

『彼女』の死。

 腕に抱えた幼い『少女』。

 宇宙の深海に潜航する『船』。

 そして、暗闇に引きずり込まれる二機の『ポッド』。


 その後に見た光景ははっきりと覚えていない。

 頭上に広がる紺碧と真紅のグラデーション、巨大な灰色の箱、自分を取り囲む兵士たちと少女、そして剥離する外骨格――

 思い出せるのはそこまでだ。


 自分がどうしてポッド以外の場所にいるのか、不思議でならない。

 生きているのかも曖昧だ。


「カザネが出迎えないってことは――あの世、ではなさそうだな」


 喉元へ手を運んだ彼は「ん?」と自分の胸をさすった。

 襟に挟んでおいたはずの黒縁眼鏡が消えている。

 落としたのか? いや、外骨格で覆っていたのだから、そんなわけがない。


 シナツは寝台から降り、その周囲を素足で歩き回る。

 床の冷たさが、彼の思考を落ち着かせた。

 ブーツも履いていない。誰かが脱がしたのだ。なら、そいつに訊けば経緯を教えてもらえるだろう。


 通りすがりの船に救出され、治療を受けたに違いない。

 無理のある推測だが、そうでもないとこの状況が説明できなかった。

 そうだ、と強く握り締めた拳を緩める。

 共に脱出した少女も無事だといいが――


 シナツはささやかな希望に(すが)り、改めて部屋を見渡した。

 視覚を研ぎ澄ませば、壁にカモフラージュされた扉を見つけることなど、造作もない。

 開閉パネルが存在しないことから考えるに、外界から隔離されているらしかった。


 目が覚めて動き回る様子を別室から観察する者がいるのだろう。

 隠し扉が音もなく沈む。壁を模した合金板がスライドして収納されると、その奥から両開きの扉が現れた。厳重な二重構造である。

 治療を受けた時点で、体のことは知られてしまったに違いない。

 軍事機密の漏洩――早速、まずいことになったな。

 困り果てて外の様子を窺おうとした耳が、少女の詰問を拾った。


「どうして!?」


 幼さを残した声が緊張で上擦っている。

 扉が勢いよくレールを滑って開くと、身を縮こまらせた金髪の少女が倒れ込んできた。

 反射的に受け止めた彼女を、腕を剣状に尖らせた男が襲いかかろうとしている。

 ――実験体か!

 シナツは少女の腕を掴み、後方へ下がらせた。


「あ、やっ!」


 悲鳴に注意を取られることなく、迫り来る敵の胸へ足底蹴りを叩き込む。

 武術の訓練こそ受けていないが、ナノマシン体は筋力を増幅できる。

 実験体は床に剣をバウンドさせながら吹っ飛ぶ。甲高い音が三度鳴ったところで、後ろに立っていた巨人に体を受け止められた。


 敵は二体。

 きっと、この船はザトウ号にも接触し、実験体を招き入れてしまったのだ。

 今度は見ず知らずの人間を手にかけなければならないのか。

 果てしなく広がる事故の余波に、怖気おぞけが走る。


 少女は無事なのだろうか。

 もしも『オーバーライト・セル』が体内に侵入してれば、遅かれ早かれ、全身がナノマシンに書き換えられ、実験体の眷属と化してしまう。


「大丈夫か?」


 尻餅をついた少女は、返事をせずにシナツを見上げている。

 長く尖った耳が特徴的で、無重力下では困りそうな服を着ていた。

 ザトウ号はもちろん、カザネから見せてもらった写真でも、彼女のような人種を見たことはない。

 見たところ、傷は負っていないようだが――


 シナツは実験体へと意識を戻した。

 二体の敵は首を傾げ、こちらを観察している。


「俺が生きているとは思わなかったか? それは……こっちも同じだ!」


 明るい通路の中、シナツの姿だけが影に呑み込まれる。

 インナーの下から滲み出た黒い粘液が、手足や頭を覆い尽くしたのだ。

 液体はあっという間に固まり、外骨格を形成。

 側頭部から二本の角が生え、後頭部からは太いケーブルがずるりと伸びた。

 青年はわずか数秒で跡形もなく消え、代わりに漆黒の異形が光の中に浮かび上がる。


 シナツのナノマシン体は、増殖する前はたった注射器一本分の、非常にミクロな万能細胞によって構築されている。

 この細胞群は、ある程度なら自分の意志に応じて変異させることが可能だ。

 制御変異シフト――文字通り体の一部を削り出して、外骨格を形成したのである。


 臨戦態勢に入った細胞が稼働するにつれ、光の紋様が体表面に浮かび上がる。

 その青白い燐光は、チェレンコフ放射光の鮮やかさを思わせる。

 体を駆け巡る神経パルスが最高潮に達した瞬間、シナツは床を蹴って飛び出した。


 ただの突進だが、常人には瞬間移動をしたように見えるだろう。

 剣状右腕の実験体は、かろうじて動き出しを捕捉できたようだが、迎撃しようと突き出した刃は虚空を切り裂くのみに終わった。

 伸びる剣とすれ違いに懐へと密着した、シナツの手によって心臓を抉られたのである。


 そこへ、巨人型実験体の腕から振るわれた裏拳が襲いかかる。

 天井すれすれに跳び上がったシナツは、巻き添えを食らって壁に潰れる敵を尻目に、掴んだ巨人の頭を支点にして背後へと回り込む。

 振り返る間も与えはしない。

 膝裏を蹴って叩き追っただけではなく、鷲掴みにした後頭部を床へ叩きつけた。

 砕けた頭蓋骨が皮膚を突き破り、血と脳漿がぶちまけられる。


 こうまでしても、ナノマシンはまだ生きている。

 心臓も脳もすぐに複製し、元の機能を取り戻すだろう。

 このままでは少女を外に連れ出すこともできない。


「……なら!」


 シナツは巨人の頭を押さえつけた手に意識を集中させる。


(ディス)(チャージ)ッ!」


 外骨格の発声器官が咆哮で震えると同時に、手のひらから高圧電流が迸った。

 痙攣けいれんして暴れる巨人の手足が砂のように崩れ、肉片一つ残すことなく塵の山となる。

 細胞単位で破壊された、ナノマシン体の成れの果てである。


 シナツの放電は、デンキウナギと同じく、細胞の活動によって発生した生体電流を利用した攻撃である。

 エネルギーを外部に向けて放出するのだ。ATPの消耗は尋常ではない。


 壁からずり落ちるもう一体の頭も足で踏みつけ、丁寧にナノマシンを処理する。 生きている細胞が人間の体内に侵入すれば、また爆発的な増殖が始まる。それを恐れてのとどめだった。


「ふん」


 始末を終えたシナツは、まだ隔離室でへたり込んでいる少女を見遣みやった。


「あ、う……」


 外骨格の仮面越しでも視線は伝わったようだ。

 慌てて立ち上がった少女は、怯えた様子でこちらを見つめ返す。

 彼女からすれば、二体の実験体もシナツも、何一つ変わらない化け物だと認識しているのかもしれない。


「安心してくれ。俺は敵じゃない」


 外骨格の解除を意識すると、鎧を形成していたナノマシン群は再び黒い粘液となってシナツの体内に溶け込んだ。

 人間の姿に戻るのにも一瞬である。


「この船はどうなっている」

「ふ、船?」


 引き攣り声の返事だった。

 よかった、言葉は通じるようだ。

 シナツは彼女の微妙な反応に「ああ、ステーションか?」と尋ねる。


「ここがどこにせよ、実験体は船員を皆殺しにするつもりだ。脱出を手伝うから教えてくれ。俺の他に小さい女の子が救助されていないか、分かるか?」

「ま、待ってください!」


 両手を突き出した少女は、一歩ずつ確かめながらシナツに近づく。

 実験体の焼け焦げる異臭に「う」と顔をしかめたものの、すぐに平静を装って頭を下げる。その動作に、サイドテールが追従して揺れた。


「……えっと、危ないところを助けていただいて、ありがとうございました。私、ルシエノ・アルファと申します」

「俺はシナツだ。救助してもらった恩がある。お互い様だ」


 右手を差し出して握手を求めると、ルシエノと名乗った少女はおっかなびっくりと応じた。

 温もりは生きている人間の感触である。

 ところが、ルシエノの表情に浮かぶ不安はますます強まっているようだ。彼女はすぐ手を離し、慎重に言葉を紡いだ。


「シナツさん。落ち着いて、聞いてくださいね?」


 ああ、俺は落ち着いている、と肩を竦めて促す。

 むしろルシエノのほうが視線を一点に定めず、恐れを露わにしている様子だ。

 彼女は白い肌の喉を震わせて告げた。


「ここ、宇宙ではありません」

「……何?」

「地球なんです」


 すぐには理解できず、よろめいて足元に積もった塵の山を蹴飛ばした。

 地球――それはカザネたち、ザトウ号の船員から何度も話に聞いた世界だ。

 俺がいるのは、その地球だって?

 ぴんと来るはずがなかった。


 二人の間に流れる沈黙を破ったのは、必死な少女の叫び声である。


「ルーシー!」


 中途半端に開いた隔壁を潜って現れたのは、長髪の少女だ。

 やはり、奇妙な服――ベージュ色のトレンチコート――を着ていた。

 シナツの姿を認めて身構えたところから、戦闘の訓練を受けていると分かる。

 琥珀色の瞳がまっすぐにシナツを射抜く。


「その子から離れなさい! ゆっくりと!」


 素手でも強気に警告する少女とシナツの間に、ルシエノが慌てて割って入った。


「大丈夫です、ディゼさん。彼――シナツさんがフォービドゥンを排除してくれたんです」

「……え?」


 ディゼと呼ばれた少女は怪訝そうシナツを見つめる。

 友人が背を向けているので、敵ではないと判断したようだ。

 警戒が解けると、ルシエノに駆け寄ってひしりと抱き締める。


「でぃ、ディゼさん?」

「怪我はないわね」

「は、はい。私は大丈夫です」


 そう、とディゼは友人を解放し、凝視するシナツに気づいて申し訳なさそうに微笑んだ。

 耳はルシエノと異なり、特に長くも尖ってもいない。ザトウ号の人間と同じ形だ。


「ごめんなさい。悪気はなかったのよ」

「いや、いい。それより説明してくれ。ここが地上って……どういうことだ」


 シナツは眩暈めまいを覚えて、壁に手を突く。

 ザトウ号は地球圏を離れて遊泳していたはずだ。どうやって地上に辿り着いたのだろうか。そもそも、確かに自分の乗ったポッドは亜空間・・・に呑み込まれたはずで――


「待て。どうして実験体が地球にいる。あいつらはザトウ号ごと、亜空間に閉じ込められたはずだ。俺もあいつらも、通常空間に存在しているのはおかしいだろ!」


 混乱して喚くシナツを見て、ディゼがぽつりと呟く。


「あなたが言う実験体っていうのは、多分、あたしたちがフォービドゥンと呼ぶ化け物のことだと思うけど……来て。外に出て話しましょ」


 ディゼは隔壁の向こうに続く通路へと手招きした。

 その後を、誘われるがままついていく。

 階段を上がるのも初めての体験だ。手すりに掴まり、一段一段、慎重に上る。

 一階の通路には、血の臭いが充満していた。

 死傷者が大勢床に寝かされていたのだ。実験体と交戦したのだろう。それでも、生存者の多さにシナツは目を見開く。


 やがて、嗅覚を刺激する臭いが血のそれから、土の埃臭さへと変わる。

 エントランスから空気の流れを感じたシナツは、その冷たさに体を震わせた。

 風だ。

 屋根の下から出ると、頭上遥か高くに淡い青色がどこまでも広がっていた。

 この眩しさは照明などではない。太陽光が降り注いでいるのだ。


「こんなことって、あるのか……?」


 本当に、地上だ。

 あのポッドでどうやって辿り着いたのかは定かではないが――五感の刺激が、お前は生きているのだと教えてくれる。決して夢などではない。

 だったら、自分一人がここにいるのはおかしい。


「もう一機、俺のすぐ近くを飛んでいたポッドはどうした! 中に女の子が乗っているんだ。五歳くらいで、銀髪――何か知らないか!?」


 力なく首を横に振ったのは、ルシエノのほうだった。


「残念ですが、生存者の乗ったポッドは確認されていません」

「まだ大気圏外を漂流しているのかもしれない! 探してくれ!」

「恐らくもう……」


 はっとして口を噤んだ彼女が何を言いかけたのか。

 よからぬものを感じたシナツは、彼女の肩を掴んで問い詰める。


「『もう』ってなんだ?」


 逃げるように俯いていたルシエノだが、やがて意を決した様子で顔を上げる。


「……シナツさんは、長い、本当に長い時間をかけて、地球に辿り着いたんです。奇跡としか思えません」

「長い時間だって?」

「地球の、今現在の時刻です」


 ルシエノが左腕を持ち上げると、手首の端末からホログラム・スクリーンが投影された。

 その画面に、時刻が表示されている。


「年のところを見てください。シナツさんの時代・・から、何年経っていますか?」

「こ、こんなバカげた話……」


 よろよろと後ずさり、もう一度だけザトウ号の事故から経過した年数を計算し直す。

 いや、彼女の提示した時間は偽物に違いない。

 現実を受け止めろ、というほうが無理だった。


「二百年だなんて!」


 それほどの時間、ポッドの揺り籠で眠っていた、などと。

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