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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第十話 そして、行く先へと向かう者たち

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[10-3]

〈ザトウ号〉の機関部は停止している。

 非常電源ももはや作動しない。船内の電力供給は断たれた状態だ。


「〈ザトウ〉」


 と、シナツは船内で使用していた通信チャンネルを用いて呼びかける。

 当然、AIの反応はない。


「『おかえりなさい』はなしか。案内役が欲しいんだけどな」


 傍らのマルクトに肩を竦めてみせる。

 彼女はぎこちなく微笑みながら、十年の歳月で培った聡明さを発揮するのだった。


「それなら、なんとかできる。私の特異能力シンギュラリティは『波』を送受信する力。あちこちに波を送って、返ってくる感覚で外までの道が分かるかも」


 驚いて少女を凝視する。

 自分の力の応用法まで身に着けているとは思いもしなかった。


「そういうのは誰かに教わったのか?」

「お父様」


 今度は困惑気味に少女へ尋ねるシナツだった。


「誰のことだ?」

「ケテル。養子として育てられたの」

「……へえ」


 シナツはフォービドゥンが取り込んでいたパイプベッドを分解し、長い鉄棒を手に入れた。

 明かりはない。

 シナツは暗視が効くので大丈夫だ。

 一方、マルクトは波の反射具合で周囲の状況を確認できるようだ。それに、シナツが放つ青白い光が助けになるだろう。


 通気口はどこに通じているか分からない。

 しかも狭いので、背後から襲われれば危険だ。

 やはり正面から脱出を図るしかないようだ。固く閉ざされた扉に屈んで、両手をぴたりと吸着させる。

 停電状態でもフォービドゥンは船内を行き来していると考えれば、自分にだって開けられるはずだ。


「まず、俺が外に出て安全を確かめる。それから、脱出路の確認だ」

「分かった」


 マルクトは緊張気味の小さな頷きを返した。

 それを確かめて、「ふっ……」と息を吐き出す。

 本来なら機構が作動してスライドする扉だ。それを力で運ぶにはやや重い。しかし、一度レールを滑り出した鉄板はスムーズに隙間を広げるのだった。


 真下には二体のフォービドゥンが立っていた。

 見張りだ。

 脱走者に気づいた化け物はそれぞれ奇声を上げて反応する。


 実験室から下りたシナツは、手にした鉄棒を右手の敵に向かって薙いだ。

 ただの打撃ではない。

 生体電流の走るスタン・ロッドだ。


 体を真っ二つにされたフォービドゥンは分裂して再生しようとする。

 その間に、もう片方の敵へ棒の先端を突き刺し、電圧をかける。瞬く間に全身を駆け巡った力はナノマシンを殺し尽くした。


 続けざまにシナツは床を這うフォービドゥンを踏み潰し、始末。

 分裂したもう一体は漆黒の戦鬼に跳びかかるも、足刀蹴りに迎撃された挙句、壁に挟まれて仲間と同じ末路を辿った。


「ちっ」


 暗闇に反響するフォービドゥンの奇声に、舌打ちを一つ。

 心配そうにこちらを覗き込むマルクトに、鉄棒を捨てて両腕を広げた。


「受け止めるから下りてこい」

「……うん!」


 と、意を決したマルクトは、事もあろうかシナツの頭に落ちてきた。

 慌てて上半身を逸らしたものの、彼女の小柄な体に押し潰されて通路に転倒した。


「……悪い、怪我はないか?」

「うん。ちょっと、びっくりしたけど」


 胸の中に抱きすくめられていると気づかずに、マルクトはぼんやりと呟いた。


「十年前より重くなったな」


 その言葉で、ようやくどんな体勢か分かったらしい。マルクトはそそくさとシナツの腕から逃れて立ち上がり、背中を向けた。


「成長したから。体重だけじゃない」

「そうだな」


 シナツは素早く起き上がって、周囲に視線を巡らせた。


「敵に気づかれたか?」

「動く反応がたくさん。このままだと囲まれる」

「ここはもうフォービドゥンの巣になっているようだな。脱出ルートの指示を頼む」

「……多分、こっち。自信が持てないけど――」

「いや、合っている」


 マルクトが指差した方向を視認して、シナツは彼女の手を引いて走り出した。

 人間が船外へ出れる場所といえば、搭乗口、物資搬入口、船外作業用出入り口、脱出艇発着場、それから脱出ポッドの発射口だ。


 実験区画が最も近いのは、隣の区画に移ったところの脱出ポッド発射口。

 つまり、かつてシナツたちが船を発った場所だ。

 マルクトは幼かったから、どんな道を通って逃れたのか、覚えていないのだろう。

 だが、シナツははっきりと覚えている。

 無重力空間に漂っていた血肉は綺麗に掃除されていた。全てフォービドゥンの餌にされたのだろう。


「シナツ!」


 マルクトが後ろを振り返りながら叫んだ。

 猟犬のような姿のフォービドゥンが二人を追いかけてきたのである。

 一体一体を撃退していては、また地下トンネルの二の舞だ。

 シナツは行く手に落ちている物を見つけて、咄嗟に足で蹴り上げた。


「俺の後ろに!」


 宙に舞うそれは、電磁誘導式アサルトライフルだ。

 両手でがっちりと掴んだシナツは、銃口を追跡者に向ける。

 銃の扱いは警備課でレクチャーを受けた。超人的な動体視力をもって照準を正確に合わせる。


 しかし、引き金を引けども、銃は弾を発射しない。

 二百年もメンテナンスされなければ動作不良を起こすし、バッテリーの残量も残っていないだろう。


 シナツはがっちりとホールドされた弾倉を無理矢理引き抜き、自分の腕に突き刺す。

 猟犬たちに手を突き出したのは、『来るな』と抵抗するためではない。

 腕の紋様が光り輝く。


「これで、どうだッ!」


 手のひらに開いた穴からライフル弾が音速を越えて発射された。

 シナツは自らの腕をレールガンの銃身としたのだ。


 すでに獲物の位置を測っていたフォービドゥンに、銃撃を避ける術はない。

『ぼっ!』と眉間に穴が開くと、立て続けに心臓目がけて飛来した銃弾が体を貫通した。

 脳と心臓を撃ち抜かれた猟犬たちは床を滑って動きを止める。


 弾はまだ残っている。

 腕から抜き取った弾倉を、腰の辺りに押し当てるようにして外骨格内に取り込んだ。

 また背後から追い縋る者たちの雄叫びを耳にしたシナツはその場に片膝を突いた。


「マルクト、ここに座れ」


 イスの形を作った太腿を叩くと、マルクトは「え?」と不思議がりながらも素直に言うことを聞いた。

 信頼してくれているのだろう。

 素早くマルクトを抱き上げ、通路の先へと駆け抜ける。


「……重いんじゃなかったの?」

「大きくなったからな。仕方ない」


 軽口を叩くと、マルクトはそっと目を伏せた。


「ごめんなさい」


 何が、と尋ねる余力も走力に回していたシナツは、通信チャンネルのほうで彼女との念話を試みた。


『何故、謝る』

「私はあなたのおかげで、十年、この星で生きてきた。だから、あなたがこの星に現れたとき、今度は私があなたを守ろうと思ったの」

『だから、俺に素性を明かさなかったのか?』


 やや非難がましい情動が働いたかもしれない。

 マルクトは顔を曇らせた。


「あなたと関係のない場所でフォービドゥンに襲われたら――あなたの中で、私はいつまでも亜空間に閉じ込められてることになる」

『馬鹿なことを』


 シナツは背後の気配を窺ってからマルクトに意識を戻した。


『俺の気持ちも考えてくれ。ケテルは何か言わなかったのか?』

「視野が狭いって」

『まったくもって同感』

「シナツの気持ちって……あの人との約束?」


 出し抜けに問われて、シナツは心の動きを止めた。前方の扉が開いていて、落とし穴のようになっている。

 悠々と跳び越えてから、底に沈めてきた思いを拾い上げていく。


『それもある。だが、ずっと考えていたんだ。お前を一人で脱出ポッドに乗せるべきではなかった。……謝るのは俺のほうだ。取り返し様のない過失さ』


 マルクトはシナツの仮面をじっと見つめて、ぽつりと呟いた。


「でも、また会えた」

『そう思ってくれるなら、二度と変な気を回さないでくれ。〈ザトウ号〉の乗組員で生き残っているのはもう、俺とお前だけなんだ。〈ザトウ号〉生まれの実験体同士、家族みたいなものだろ』


 不意にマルクトがくすっと笑ったので、シナツはどきりとする。

 あのとき、この少女には感情が欠落していたように思えた。

 この星を訪れて、彼女は多くの人間に出会ったのだろう。

 何かおかしなことを言っただろうか、と待つシナツに、マルクトは恐るべきことを言ってのけるのだ。


「ケテルがシナツのお父様になるけど」

『……家族ってのは、なしだ』


 憮然としたぼやきに、マルクトは首に回した腕の力をぐっと強めた。


 外骨格の上から伝わるのは、彼女の温もりだけではない。

 彼女の『波』が何かに当たって反射する超感覚までも、そのままシナツに送られてくる。

 ただ、それで分かるのは『何かに当たった』ということまでだ。

 近くを移動するフォービドゥン、この先の通路がどうなっているかを分析するのは、シナツの分担だった。


 脱出ポッド発射口に辿り着くには、苦難が待ち受けているようだ。

 垂直に伸びる通路に行き当たったのである。

 上も下も、行き止まりは見えない。頂上に登るには果てしなく、奈落に落ちれば即死は免れないだろう。

 元々の側面にあった手すりが唯一掴める支えになりそうだ。


「しっかり掴まってろよ」

「分かった――シナツ!」


 彼女は二人に向かって突進してくるフォービドゥンの歩兵を感知したようだ。

 まるで嘔吐するかのような絶叫が音の津波となって押し寄せてくる。


 シナツは後ろを振り返らず、力の限り通路の壁へと跳躍した。

 ほとんど激突するような勢いである。

〈ザトウ号〉が宇宙を遊泳していたときはあんなにも楽だったのに、地球の重力に二人が引かれると想像を絶する労力となる。


「ぐう……ッ」


 青白い光が下半身に収束し、筋力が通常の何倍にも引き上げられる。

 足の力だけで壁に張りつく形となったシナツは、三角跳びの要領で手すりまで跳ね返った。

 両手はマルクトを抱えて塞がっている。

 だが、自分はナノマシン体だ。同胞であるフォービドゥンにだって学ぼうではないか。

 後頭部から生えた蛇の尾に似たケーブルが蠢き、手すりのポールに巻きついた。

 加えて足を壁に着け、姿勢を安定させる。


 シナツの足元では勢い余ったフォービドゥンたちが奈落へと転落して消えていく。


「ふう、なんとかなったか」

「こんなことできるなんて、報告になかった」

「今、初めてやったからな」


 マルクトはぎょっと目を大きくした。

 もしもケーブルを思ったように操れなかったら、二人とも重力に引かれて潰れていたに違いない。

 シナツは鞭を上にずらしながら壁を歩き、上下に伸びる通路を登っていく。


「考えてみれば、マルクトが九一○号だとすぐに分かったのにな。俺の『シナツ』と同じだ。九と一○で、『クト』。後は最後の○を足して、『マルクト』だろ?」


 掴まる腕を震わせながら、マルクトは呆れ顔で答えた。


「マルクトって古い言葉があるの。九一○から来た名前じゃない。ただの、〈ダアト〉の一員に割り当てられたコードネーム」


 シナツは少女の顔をしげしげと眺めて尋ねる。


「……じゃあ、なんだ? 地上ではなんて名乗っているんだ」

「ずっと、九一○号のまま」


 彼女はシナツの首筋に顔を寄せて囁いた。


「私との約束、覚えてる?」

「まさか、お前の名前を考えるって、アレか?」


 別れ際に何気なく呟いた言葉である。それを彼女は律儀に守っていたというのだ。


「……ますます分からないな。俺が亜空間から出なかったら一生『九一○号』のままだったし、来ても遠ざけようとしていたのでは約束は守れない。矛盾している」

「あ」


 今さら気づいたような声だった。

 やれやれ、とシナツは内心笑う。もちろん、通信チャンネルを通じて、マルクトにも聞こえただろう。


「賢者だかなんだか知らないが、子供みたいなやつだ」

「……お父様には未熟って言われた」

「それについても同意だな」


 つい不安定な足場を進んでいることも、くつくつと肩を揺らすシナツだった。

 マルクトはむうと眉をひそめて呟いた。


「つけて」

「あん?」

「名前。早くつけて」


 こちらはこちらで駄々っ子のようなむくれ方だ。


 シナツは「あ、ああ……そうだな……」と狼狽える。

 何かの名前など、考えたことがない。ましてや人の名だなんて――一生物ではないか。

 先ほど言った『ク』と『ト』が頭から離れない。


「く……とお……いや、違うな……カザネから教わった日本語は確か……」


 外骨格の下で浮かべる苦しげな顔は彼女にも十二分に伝わったようで、シナツの気づかない間に機嫌は直っていたのだ。

 二人とも、この状況下で、離れていた時間の分を言葉で埋めようとしているようでもある。


 だが、遥か下のほうから這い上がってくる異物の感覚に、二人は口を閉ざした。

 地鳴りに似た振動が手すりを伝達する。

 おもむろに振り返ったシナツは思わず硬直してしまう。


「なんだ!?」


 一瞬、奈落から水が溢れてきたように見えた。

 しかし、それは液体などではない。

 フォービドゥンの肉塊が凄まじい速度で追いかけてきたのである。


 踏みつけて、放電――それではマルクトが捕まって、穴の底まで連れていかれるだろう。

 シナツは全速力で逃げることに専念した。


 どのみち、ポッド発射口までは近くだ。

 ケーブルが手すりに擦れて火花が散る。

 熱で摩耗する前に駆け上がり、記憶を頼りに横穴へと飛び込んだ。


 マルクトの力によって、壁の向こうの部屋から通路までが視界に漠然と浮かび上がる。

 船自体が九十度直角に突き立っているため、記憶に一致させる作業を要した。


 フォービドゥンの塊はなおも後を追ってくる。

 立ち止まっている余裕はない。


「くそッ!」


 嫌な感じだ。

 亜空間潜航までのタイムリミットに追われる感覚を思い出す。


 ポッド搭乗口が設けられた部屋を目視。

 今度は入口と部屋の奥に軸を通し、九十度回転した空間だ。

 開いたままの扉は横に広い。シナツはスライディングで部屋に滑り込み、足場までの高い段差へと尻餅を突いた。


「ぐうっ!?」


 マルクトの小柄な体がシナツの胸に押し出され、二人は床を転がった。

 轟音がすぐそこまで迫っている。


クオン・・・!」


 咄嗟に口走ったのは、シナツが考えた少女の名である。

 自分のことだと瞬時に理解した彼女ははっきりと返事をする。


「うん、大丈夫!」


 急いで彼女を助け起こし、開放された搭乗口ハッチへと押し込んだ。

 ポッドはあの生物災害のときに全て放出されている。発射レールは外に通じる道となっているのだ。

 強風が二人を出迎える。

 振り向けば、通路の奥からは光が差し込んでいた。


「ここ! 私たちが通ったところ!」


 連行されたとき、脱出の手がかりを懸命に覚えていたのだろう。

 やはり聡明な少女だ。

 そう褒める暇もなく、シナツは腕を振った。


「走れ、走れ!」


 白装束では足を前に出しづらい。マルクト――いや、クオンは裾を持ち上げて光差すほうへと必死に走る。

 だが、シナツが足を止めているのに遅れて気づいたらしい。

 二つ結びを揺らして振り返り、念話を用いて呼びかけるのだ。


『何、やってるの!?』


 シナツは後ろ向きに外へと進みながら、腰に取り込んだ弾倉からライフル弾を直接腕に送り込んで構える。


『覚えているか? あのとき、お前は外について訊いたよな』

『そんなこといいから、早く!』

『今度は俺がお前に教わる番だ。外って、なんだ?』


 クオンは遠くで身を竦ませて考える。

 外から聞こえる音は風だけではない。

 まるで旗が激しくはためくような、空気を裂く音が運ばれてくる。

 それが何かを感知して、彼女は静かに囁いた。


『もう知ってるでしょ』


 答えは、彼女がシナツに与えたものだ。

 クオンは向かい風に負けじと外に向かって駆け出す。


 ついに追いついた巨大フォービドゥンが搭乗口に激突し、発射レールへと侵入してくる。まるでナノマシンの一つ一つが我先にと獲物を求めているようだ。

 まるでアメーバだ。

 表面には人間の顔がいくつも浮かび上がっている。

 カザネ、チャールズ、その他の助手――


「おォおおォ……」


 逃げる二人を呼び止めるような、鳴き声だ。

 シナツは咆哮で応じる。


「うるせえ! 死人の顔を使えば足を引っ張れると思うなッ!」


 ライフル弾が腕の中を走り抜け、手のひらに開いた銃口から連射される。

 全ての顔に一発ずつ撃ち込んでもなお、フォービドゥンが動きを止めることはない。


 脳はもっと別の場所にあるのだ。

 どこにあるのかなど、分かるはずがない。

 シナツにできることは、ありったけの銃弾を叩き込むだけだ。


 最後は空の弾倉を投擲し、踵を返してクオンの後を追う。

 無駄な銃撃ではない。

 ほんの少しでも修復に手間取らせれば、それでいいのだ。


 一秒でも時間を稼いだ理由は、外から聞こえるプロペラ音だった。

 通路に差し込んでいた光が何かに遮られる。

〈ザトウ号〉のすぐ外で、人工物がホバリングしている。

 キャビンの後部ハッチを開放した双回転翼機〈ケストレル〉だ。

 船内でクオンが発した『波』をキャッチして、危険を顧みずに接近してきたのである。


 突風に長髪を掻き乱されながらも、トレンチコートの少女がこちらをている。

〈セフィロト機関〉特務課第七班の通話がオープン。


『二人とも、伏せてください!』


 それは紛れもなくルシエノ・アルファの声だった。


 キャビンの縁に立つ少女の琥珀色の瞳が瞬く。

 視線は、警告に従って屈んだ二人の頭上を通過し、再び動き出そうとしていたフォービドゥンに突き刺さった。

 刹那、体表面が赤熱を帯び、融解を始める。

 ディゼ・エンジの発火能力である。


 だが、彼女の対フォービドゥン能力をもってしても、ナノマシン群を瞬時に焼き切るには至らない。

 シナツは壁際に寄って、フォービドゥンへと突進する。


『ディゼ、合図したら攻撃を止めてくれ!』

『オーケイ!』


 猛火はゆっくりとフォービドゥンの体に穴を広げていく。

 その奥、強く鼓動する心臓部へと、シナツは手を伸ばして飛び込んだ。


『切れ!』


 一瞬で赤熱が引き、傷口が驚異的な修復力で塞がっていく。

 シナツの腕は肩までフォービドゥンに呑み込まれ、一瞬のうちに押し潰される。このまま全身を取り込まれれば、何百分の一のサイズに圧縮されるだろう。


 それよりも先に、シナツの指先は心臓部に到達していた。

 血管は全身に走り、ネットワークを形成している。

 ゆえに体の一部分を損傷しても、即座に再生できるのだ。

 人外なる者の能力こそが、転じて弱点にもなる。とりわけ、シナツにかかれば。


放電ディスチャージッ!」


 灰色のナノマシン群の中で、青白い閃光が迸る。

 逃亡劇の決着は一瞬だ。


 ぶるんと震えるフォービドゥンの体表面に無数の亀裂が走る。

 その隙間から、破壊されたナノマシンの塵が勢いよく噴き出した。

 ついには風船が割れるように、巨体は呆気なく爆ぜて煙を撒き散らした。

 視界が覆われるのも束の間、船内に吹き込む風がフォービドゥンの死骸を〈ザトウ号〉の奥へと押し流す。

 まるで波が引くような光景だ。

 シナツはひしゃげた腕を再生し、軽く振って確かめた。


「そんなに異物が目につくなら、永遠に閉じこもっていればいいんだ」


 さあ、新手が現れる前に、こんな場所からはさっさと引き上げよう。

 シナツはクオンの肩を抱き寄せ、外で待つ〈ケストレル〉へと向かった。


 風の唸り声は、二人を送り出す祝福か、あるいは怨嗟か。

 ムービーアーカイブで聞いたクジラの鳴き声を、シナツに思い出させる。


 外は山岳地帯、それも酸素の薄い高さだ。

 船内は暗かったからまだいいが、発射口から足を滑らせようものなら、自分が激突する地表を見ることができるだろう。

〈ケストレル〉は発射口から数メートルの、かなり危うい位置を滞空している。

 ルシエノの補助AI、バスケトの制御がなければ、強風に煽られて船体に激突していたに違いない。


 マルクトをしっかり抱きかかえたシナツは、大胆に〈ザトウ号〉から〈ケストレル〉へと飛び移った。


 海抜千メートル前後の空。

 一瞬の無重力感覚。

 そして直後の着地の衝撃に、シナツとクオンは二人して床を寝転がった。


 後部ハッチを閉じた〈ケストレル〉は、巨大漂着物から優雅に離れる。

〈ケストレル〉の外部カメラが山間に聳え立つ〈ザトウ号〉を捉えた。

 大質量が起こした漂着災害はクレーターを地上に穿ち、広大な湖を新たに作り出している。

 そこはもう、生まれ故郷と呼んでいいのか、シナツには分からない。

 

 映像を消すと、二人の少女が自分を見下ろすのに気づいた。


「助かったよ、ディゼ、ルシエノ」

「危ないところだったわね」


 ディゼが意地悪く笑って、シナツの手をぐっと握った。


「どう危ないかって、慌てたルーシーがミサイルを発射する寸前だったのよ?」

「そ、そんなことありません!」


 顔を真っ赤にして慌てるところを見るに、ルシエノは本気で搭載された火器の使用準備を済ませていたに違いない。

 優秀なバスケトから止められたことだろう。

 シナツはようやく緊張から解けて、安堵の吐息をついた。


「感謝する」


 クオンはキャビンの床にぺたんと尻をつけてへたり込んでいた。

 銀髪はほつれ、本来の美しさを失っている。可憐な顔も疲労で翳っていた。


 彼女が〈ダアト〉の一人、マルクトだと言うのは何かと不都合だろう。

 アイコンタクトで説明を求める同僚たちに、シナツは精一杯の知恵を総動員して答える。


「あ、あー……〈ダアト〉の付き人のクオンだ」

「あら、変ね」


 ディゼは片目を瞑ってみせた。

 死地から帰還したばかりの仲間をからかうのが楽しくて仕方ないらしい。


「ケテルから、あなたとマルクトが拉致されたって聞いたけど」

「なんだって?」

「ふうん……、本名はクオンっていうのね。紹介ありがと」


 シナツとクオンは思わず目を合わせ、どちらからともなく肩の力を抜いた。

 養父が何もかもを明かしたのなら、隠し立てすることはない。

 クオンは可愛らしく小首を傾げるのだった。


「ねえ、シナツ。どうして、『クオン』って?」

「カザネの故郷、日本の文字で、『久しく遠い』と書くんだ。遠い未来とか永遠とかいう意味らしい。ふっと思い浮かんだのさ」


 カザネ――彼女のことを想起してかぶりを振る。

 自分がカザネ・ミカナギに抱いていた感情をなんと表現するか、ようやく今になって理解できたような気がしたのだ。

 外骨格を解除し、キャビンの座席にどっと腰を下ろす。


 隣のルシエノがシナツの顔にある物を見て、「あ」と声を上げた。


「その眼鏡……」

「ああ、返せなかった。カザネは二百年前に死んでいるから、当たり前だよな」


 シナツはずっと掛けていた形見を取ると、弦を折り畳んでインナーの襟に挟んだ。

 ナノマシン体に、レンズは度が強すぎる。

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