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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第一話 来し方より訪れし者
4/41

[01-3]

 ロビーホールと接続した通路には死傷者で溢れ返っている。

 医療の心得を持つ研究者たちが懸命に救命処置を施している中、すでに息絶えている者もいた。

 早足に通路を抜けると、今度は息苦しい火薬の臭いと怒号がディゼを出迎える。


「やつらを侵入させるな!」

「ありったけの手榴弾を投げてやれ!」


 爆発の衝撃でロビーが揺れる。

 壁には無数の弾痕が刻まれていた。


 警備兵の頭からは、ここが機関の敷地内であることも忘れ去られているようだ。

 自分の命を守るだけで精一杯なのである。

 彼らはエントランスに並べた合金製の盾で銃弾を防ぎ、その隙間からアサルトライフルを乱射していた。

 迂闊に頭を出そうものなら、外に群がる二十体ほどのフォービドゥン兵から恰好の的にされるだろう。


 しかし、亀のように固まったところで侵攻を防げるはずがない。

 敵の一体が盾のバリケードへ駆け寄る。

 銃弾を受けてぼつぼつと異音を立てる白コートからは、血の一滴も流れない。

 尋常ではない再生力を活かした強行突破だ。


 柱の陰から戦況を見極めていたディゼは、敵の気を引くように姿を晒した。

 琥珀の瞳から放たれた不可視の矢がフォービドゥンを射抜く。

 ルキフェル因子といえど、ナノマシンそのものを破壊する高熱と高圧電流までは防げない。

 穴だらけの白コートが業火に包まれた、露出した胸があぶくを立てて融解する。火山口で煮えたぎる溶岩のようだ。

 伝播した熱は全身を瞬時にオーバーヒートさせ、ナノマシン群の機能を完全に停止させた。


 仲間を襲った発火現象に、フォービドゥンたちが原因を把握すべく動きを止める。

 その隙を見計らって、ディゼは警備兵たちの元へと駆け込んだ。


「特務課第七班、ディゼ・エンジよ」

「女神の到着だな。警備主任のレングラムだ。お嬢ちゃんの噂はかねがね聞いとるよ」


 応じたのは、白髪交じりの中年兵士だ。

 レングラムは僅かに目を伏せて、暗い声で尋ねた。


「変異しちまった部下はもう助けられんのかね」


 ディゼは無言で首を横に振った。

 まだ人間の部分があったとしても、手足のような末端しか残らないだろう。

 フォービドゥンに堕ちてしまった生物は一思いに殺すしかない。


「そうか……」


 主任の切り替えは早かった。


「作戦はそちらのオペレーターから受け取った。援護は?」

「お願い、全員相手にするのは無理。連中の武器を無力化するから、足を狙ってくれるかしら。そしたら、だいぶ楽だわ」

「了解した、ディゼ・エンジ殿」


 能力の行使には、生体のエネルギー通貨、アデノシン三リン酸(ATP)を消耗する。

 無暗に火をつけて回れば、衰弱死は必至だ。

 強力な銃火器を持つ警備課との連携が肝要である。


 レングラムの手合図による『銃撃やめ』の命令で、警備兵たちは消費した弾倉を再装填した。

 発火現象の正体を知らない兵士の数人は、その身一つでフォービドゥンへと歩き出す少女に向かって叫ぶ。


「危険だ! きみも隠れろ!」


 ディゼは声の主へ微笑を返した。

 人類の敵と渡り合える力への自信と、人間だった者を殺さなければならない悲哀の両方が入り混じった表情である。


 敵兵が一斉にディゼへ銃口を向けた。

 しかし、マズルフラッシュよりも先に、赤熱を帯びた弾倉がフォービドゥンたちの腕を巻き込んで爆発する。

 宙に舞う灰と火の粉の中で、魔女のトレンチコートがはためく。


 フォービドゥンに怯む様子はない。

 銃火器と腕を失ったのなら、蹴り殺そうと接近してくるだろう。

 そうはさせまいと、レングラムが自らアサルトライフルを構え、ディゼの隣に立った。


「落ち着いて狙え!」


 号令に、兵士たちが反撃に転じる。

 フォービドゥンは次々と足を吹き飛ばされ、玄関前の舗装に突っ伏した。

 その頭と心臓をディゼの炎が破壊し、とどめを刺していく。


 ここはもう大丈夫だろう。

 だけど――

 自ら生み出した地獄絵図を眺めながら、ディゼは疑問に思うのだった。

 何故、施設の警報が鳴る前に変異が広がったのか。

 何故、正面玄関だけを執拗に狙ったのか。

 その答えは、耳の通信機から入ったルシエノの震え声によってもたらされた。


『ディゼさん』

「ルーシー、こっちはなんとかなりそうだわ」


 ルシエノの通信に、バスケトの声が割って入った。


『フォービドゥンの侵入を確認』

「……え、侵入?」


 ここは一体たりとも通していない。

 別の出入り口は今も警備課の別動隊が守っているはずだ。

 言葉を失うディゼを察し、レングラムも険しい表情で耳をそばだてる。


「いつの間に……位置はどこ!?」

『このフロアに下りて――そんな、まさか!』


 彼女の悲鳴に、ディゼは背筋をぶるりと震わせた。


「る、ルーシー?」

『……隔壁をこじ開けられました。敵は因子の増殖を抑え、センサーをかい潜ったようです』


 聞いているこちらが気を失ってしまいそうな、ルシエノの冷静な報告だった。

 可能なら今すぐ同僚の元へ駆けつけたいが、敵はまだ残っている。この場を離れるわけにはいかない。

 迷うディゼの肩を警備主任が掴んで引き寄せた。


「部下が放電器を取って戻ってきた。こっちは任せて、お嬢ちゃんは地下に行け」

「……恩に着るわ!」


 疲労で重い体を翻し、建物内へと戻る。

 戦力を正面へ引きつけておいて、本命を内部へ忍び込ませる。陽動作戦だ。

 しかも、敵は地下に現れた。

 青年が目的か。同じナノマシン体に接触しようとしているのかもしれない。


「間に合って……!」


 ルシエノが気がかりで、今のディゼには何も考えられない。

 地下までの道のりが狂おしいほど遠かった。


   ○


 二人の警備兵が地下三階を目指し、階段を下りてくる。

 この非常時だ。普段なら足を踏み入れられないエリアでも、避難誘導の名目で立ち入りが許される。

 それにしても、違和感は払拭できない。

 施設内の監視カメラを自分の目に変えていたルシエノは、不審人物たちに意識を集中した。

 ここには隔離室と観察室しかない。常勤の研究員は一人としていないし、まさか特務課の自分に避難を呼びかけようとしているのか。


 フォービドゥン特有の熱源反応を感知するセンサーは反応していないが――

 思い過ごしならそれでいい。

 ルシエノは自ら構築した人工知能を呼び出して命じる。


「バスケト、隔壁を下ろして」

『了解』


 隔離室の生物が脱走したときに作動する装置だが、今は自分を守る要塞として機能してくれる、はずだった。


 スクリーンの中で疲弊した顔を見せる同僚に、ルシエノは両手を握り締めた。

 時折、思うのである。

 自分も戦う力を持って生まれたら――

 ないものねだりをしても仕方あるまい。

 今は現実と向き合うべきだ、とルシエノは通信を入れた。


「ディゼさん」

『ルーシー、こっちはなんとかなりそうだわ』


 彼女が答えるのと同時に、警備兵の片割れが隔壁の作動に気がついた。

 階段の踊り場からフロアまで一気に跳び下りる音が観察室にまで伝わる。

 急激に身体能力を向上させた肉体変異に、バスケトも感知した。


『フォービドゥンの侵入を確認』


 AIの報告はディゼの通信機にも伝えられた。


『……え、侵入? いつの間に……いえ、位置は!?』

「このフロアに下りて――」


 正体を現した片割れは閉じかけた隔壁へ駆け寄り、隙間に手を差し入れた。

 あまりに無謀な行為でも、フォービドゥンにとってはそうではない。

 白コートが風船のように膨らみ、前を留めるボタンが弾け跳ぶ。

 全身の筋肉が膨張したのだ。


 想定されている以上の抵抗に通路の機構が悲鳴を上げ、隔壁の下降が止まってしまう。

 どころか、徐々に持ち上がっているではないか。

 ルシエノは通信していることを忘れて悲鳴を上げた。


「そんな、まさか!」


 後から来た警備兵が悠々と隔壁を通った。

 その後から潜り抜けたもう一体の背後が熱で揺らめいている。

 驚異的な力を生み出すのにオーバーヒート寸前まで発熱したのだ。


『る、ルーシー?』


 ディゼの呼び声が遠い。

 救援は間に合わないかもしれない。

 悲観的な未来予想がルシエノの脳裡を駆け巡る。


「……隔壁をこじ開けられました。敵は因子の増殖を抑え、センサーをかい潜ったようです」


 ありのままに起きたことを告げたルシエノは、覚悟を決めていた。

 このフロアに何かが運び込まれたという情報だけは、不運な犠牲者の脳にも刻まれていたはずだ。

 それを読み取ったルキフェル因子が、彼らを差し向けたのだろう。


 しかし、隔離室を開放するには観察室のコンソールを操作しなければならない。

 すぐそこの薄いドアを破りに現れるだろう。


 私が、迎撃するんだ。

 ルシエノは席から立ち、ハンドガンを両手で握り締めた。

 心臓や脳に銃弾を撃ち込めれば、再生に要する時間を稼げるはずだ。

 後はもう、救援を祈るしかない。


 問題はルシエノにその腕があるかどうかだ。

 射撃訓練の成績はあまりよろしくない。ターゲットは認識できても、鍛えていない体では銃を制御できないのだ。

 それでもやるしかなかった。

 戦闘能力が皆無でも、ルシエノとてセフィロト機関の一員だ。

 座して死を待つほど臆病ではない。


 ドアの横に背をつけて、深く息を吸い込む。

 心臓の動悸まではコントロールできないが、その苛立ちを感じられるのも今のうちかもしれない。


「バスケト。私が死んだら、ディゼさんが新しいマスターよ」

『了解』


 我ながらあっさりした人格で作ってしまったものだ。

 もう少し語彙を増やしてやればよかった。

 いや、本部に帰ったら、コミュニケーション機能を拡張してやろう。

 一瞬の苦笑と決意。

 行くぞ、という心の呟きで自分の背中を押し、通路へと飛び出した。


 ハンドガンの照準を前に立つ警備兵に合わせ、引き金を絞る。

 乾いた破裂音が鼓膜をつんざいた。

 初段は肩に命中。

 立て続けにありったけの銃弾を撃ち込む。

 銀色のスライドが銃身を往復するたび、排莢口から薬莢が宙を舞った。

 細い腕には余りある反動すら実感が伴わないほど、無我夢中で撃ち続ける。


 計十五発。

 弾が切れてもなお引き金を引き続けたルシエノは、肩で息をしながら男を窺った。


「あ……」


 白コートには数発の銃痕が穿たれている。

 こめかみにも掠ったか、裂傷を負わせていた。

 しかし、眉間には一発たりとも命中していない。

 男は心理的追い打ちに、全ての傷を瞬時に再生してみせたのだった。


『二体目のフォービドゥンを確認』


 そんなことはもう分かってるの、バスケト。

 自分を観察する警備兵の不気味な眼光に、ルシエノはハンドガンを取り落とした。


「い、いや……」


 ルシエノはじりじりと後ずさってから、弾かれたように通路の奥へ逃げた。

 半ば体当たりするように隔離室の扉へ背を預けて叫ぶ。


「バスケト! この扉だけは絶対に守って!」


 せめて任務だけは全うしようという思いから口を突いて出た、最後の命令である。

 にもかかわらず、絶対に主人の命を聞く忠実なAIは思ってもみない返事をしたのだった。


『その命令は、拒否』

「どうして!?」


 それ以上は何も答えてくれない。

 フォービドゥンは冷酷に獲物を見定め、足早に歩み寄ってくる。

 右腕の肘から先が変異し、剣のように鋭く尖った。

 わざわざ床を擦るほどの長い刃で、薄い胸を串刺しにするつもりらしい。


 何もかも、おしまいだ。

 ルシエノは強く目を閉じた。

 享年十六歳。

 任務ばかりの毎日で、未練ばかりが残る人生だった。

 あまりにも『あんまり』である。

 恋愛だってまともにしたことがないというのに――


 と、そのときだった。

 ルシエノは一瞬の無重力状態を体験する。

 隔離室の扉が開いたせいで体の支えを失った、と理解したのはもう少し後だ。


 小柄な体を受け止めてくれたクッションに驚いて、まぶたをぱっと開けてしまう。

 まなこが迫る剣の切っ先をまともに認めた。

 どうして目を背けられないの!?

 全身を固まらせ、呼吸を止める。

 生まれて初めて経験する、思考の空白状態だ。

 何者かに肩を掴まれても、ルシエノは抵抗できずに隔離室へと引きずり込まれた。


「あ、やっ!」


 尻餅をついて転んだ痛みで、再び時間が動き出した。

 彼女と入れ替わりに、黒インナー姿の青年が前に出る。

 体を横向きにして刺突を避けながら、足底蹴りをフォービドゥンの胸に鋭く捩じり込む。

 生身の体から繰り出された、ただの一撃だ。

 その、ただの一撃の威力が、とてつもない。

 見事に吹っ飛んだ変異体は後ろの仲間に抱き留められ、恨めしげに青年を睨む。


 ルシエノは口を半開きにしたまま、命の恩人を見上げる。

 分からないことだらけだ。

 バスケトは彼の覚醒を知っていて、咄嗟に隔離室を開放したのかもしれない。しかし、彼が敵味方を識別することは不可能なはずである。

 自分だって、まだ信じられないのに。


「大丈夫か?」


 漂着者の青年がこちらに振り向く。

 彼のダークブラウンの瞳には、虚無感と憎悪がない交ぜとなった光が宿っていた。

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