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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第八話 距離を縮める電光石火
32/41

[08-3]

 銃声鳴り響く繁華街の上空を、双回転翼機〈ケストレル〉が横切る。

 セフィロト機関の特務課と警備課はビルの周囲に包囲網を敷き、何十という数のフォービドゥンと交戦している。

 敵、あるいは寄生先を求めてビル内部に侵入した化け物も含めれば、敵は百を超える勢力となるだろう。

 戦況をカメラ越しに捉えたシナツは、苦々しげに呻いた。


「まずいな。下の連中は救助に間に合わない」


 ビルに突入したときには、恐らくフォービドゥンの巣と化しているだろう。

 現実的な分析に、ディゼが肩をびくりと震わせる。

 その様子を横目で認めたシナツは、強い語気で話しかける。


「ディゼ。まだ通話は繋がっているんだろ」

「え、ええ……サバテ、今いる場所を教えて。それから、友達と一緒にいるのね?」


 彼女のリストデバイスから、怯えきった少女の声が響く。


『い、今、十五階。私たちは四人――』


 突如、男の絶叫と少女たちの押し殺した悲鳴が迸る。

 ディゼは卒倒しそうになりながらも、「サバテ?」と呼びかける。

 気が遠くなるような静寂の後で、上擦った囁き声が応じた。


『ど、どこかで叫び声が聞こえて……同じ階にいた人が襲われたのかも……』


 時間がない。

 間に合うかどうか――

 ぐっと息を呑み込んだディゼは、それでも毅然とした声で言う。


「今、ビルに突入するわ」

『……うん』

「リストデバイスはルーシーに預けるから。お願い」


 端末をしかと受け取ったルシエノが自らの端末と有線で繋ぎ、懸命に平静を装った声で話しかける。


「サバテさん、よく聞いてください。その場から逃げるよりも、じっとしていたほうが安全です。怖いかもしれませんが、どうか、私たちの到着を待ってください」

『は、はい――ルーシーさん』


 サバテはルシエノの名前も知らないのだ。だが、姉の同僚であり、穏やかな声のオペレーターに、一定の信頼感を得たようだ。

 小さく頷いたルシエノがこちらに振り向き、口を開かずに人工知能〈バスケト〉を介した無線通信を始める。


『〈ケストレル〉、屋上に着陸します』

『いや、その時間も惜しい。可能な限り寄せたら、キャビン・ハッチを開けてくれ。ディゼを抱えて飛び降りる』

『了解しました』


 建物の真上にホバリングする輸送機は、風の影響を考慮しながら徐々に高度を下げていく。

 シナツは機体の姿勢が安定しないうちから立ち上がり、後部ハッチの前に立つ。


 黒いインナーの下から、さらなる漆黒の液状細胞群が滲み出て、シナツの体、手の指先、靴の爪先、そしてカザネのメガネ、頭部を覆う。

 目や口のない顔に、二本角や後頭部から生えたケーブル。知らない者が見れば、フォービドゥンと見分けのつかない異形と化す。

 ただ、体表面に浮かび上がる青白い光の紋様は、穏やかに明滅を繰り返すのだった。


 金具の外れる重々しい音がハッチから響く。ややして、ハッチがゆっくりと倒れ、空から降り注ぐ陽光にキャビン内が明るくなる。

 屋上庭園には人工樹と芝生が植えられていて、ベンチから絶景の見晴らしを楽しめる憩いの空間である。

 高さは、五メートル以上。


「ディゼ、来い」


 手のひらを上にして、彼女に差し伸べる。

 揺れる機体におぼつかない足取りのディゼが掴まると、謝って落ちないようにしっかりと体を抱きかかえた。

 ディゼが変異状態のシナツに触れたのは初めてだっただろう。目を丸くして、呻く。

 外骨格の表面は滑らかで、人間の体温よりやや高い熱を帯びている。ナノマシンが稼働する際に発する、機械熱だ。


「舌を噛まないように気をつけろ」

「オーケイ」

『シナツ・ミカナギ、ディゼ・エンジ。出撃する』

『ご武運を』


 ルシエノの返答を受けて、大きく開かれたハッチから宙に身を投じる。

 直後、重力の手がシナツたちの肩を掴んで押さえつける。

 降下時間はほぼ一瞬だ。

 着地の衝撃は芝生でも吸収しきれず、二人分の体重で陥没する。

 シナツのほうは下半身をばねにしてものともせず、ディゼを下ろす。


『ルシエノ。階段よりも近い道はあるか?』

『エレベータはずっと下のフロアで破壊されて、動きません。でも、シャフト内は――』

『ワイヤーが垂れている』

『シナツさんなら降りられますよね』

『ああ』


 二人がエレベータ・ホールに入ると同時に、ルシエノの遠隔操作でドアが開かれる。中は暗い、奈落の穴だ。その中に、カゴを吊るす太い鋼糸がきりきりと揺れていた。

 再び、ディゼが両手を広げてシナツに抱きつく。


「慣れないわね。こういうの」

「降下訓練を受けていないのか?」

「……違うけど、まあ、そうね。落とさないでよ、シナツ」

「もちろんだ」


 先ほどと同じように彼女を抱き留め、ワイヤーに跳び移る。数百キロの重さに耐えられる丈夫な材質だ。二人の体重ではびくともしない。


『ルシエノ。念のために――』

『動力は停止させてあります』

『さすが。気が利く』


 と、フルフェイスの下で笑ったシナツが、握力を緩めた。

 二人は暗闇の奥へと吸い込まれる。


 侵入者の気配を察知したフォービドゥンが、ゆっくりと開くドアをこじ開け、シャフトに顔を覗かせる。無造作に増殖したナノマシンは肉体を膨張させ、人間の原型を留めていない。

 百八十度に捻じ曲げられた顔が、二つの影を認めて咆哮する。その口腔に、シナツの爪先が突き刺さった。

 刹那、フォービドゥンの体がびくんと痙攣し、砂状に崩れながら転落する。

 ベンティスとの交戦時に得た反省から、敵の体内だけに高圧電流を流し込む方法を考えたのである。


 シナツはワイヤーを蹴って、フロアに滑り込む。

 まだ変異していない死体があちらこちらに転がっている。

 店舗に飾られた商品はどれも返り血で汚れていた。

 徘徊する異形どもが一斉に振り向いて、二人のエージェントに牙やかぎ爪、各々の武器を見せて威嚇する。


 床に下りたディゼが素早く周囲に視線を走らせる。


「サバテ! どこ!?」

『ディゼさん!』


 答えたのはルシエノだ。


『スポーツ用品店です。右手の、奥! 急いでください!』

「ディゼ、いいな!?」

「あたしは大丈夫よ、行って!」


 進路を遮るフォービドゥンの上半身が赤熱を帯びて、爆ぜる。

 シナツは勇猛果敢に肉塊の群れへと突っ込む。

 その耳に、少女たちの切り裂くような悲鳴が届いた。


「……くそッ!」


 間に合わなかったのか?

 それでもシナツは全細胞をフル稼働し、前方の障害のことごとくを弾き飛ばす――




 レジ台の下に、サバテたち四人の少女は身を寄せて隠れていた。

 誰もが歯をかちかちと鳴らして震えている中、サバテだけはきゅっと唇を引き結んでいる。

 その横顔を窺った犬耳の少女、アーキタがか細い声で尋ねる。


「こ、怖くないの?」


 サバテは強張った頬に無理矢理笑みを作って、答えた。


「怖いよ。でも、お姉ちゃんは来るって言った。だから、待つの」


 あのときも、はぐれてしまった姉が駆けつけた。

 フォービドゥンの前に立った父親が胸を斬りつけられ、今度は父親が母親を襲った。あるいは、自分を喰うつもりだったのかもしれない。寸前で母親が突き飛ばしたのだ。

 だから、どうした。

 次は自分の番だ。

 絶望に心を支配され、逃げる気力も起きずにへたり込んでしまう。

 目の前で怪物に変わった両親が、こちらに手を伸ばす。

 その指が突然、紅蓮に染まって飛び散る。


『サバテ!』


 その声は紛れもなく、姉、ディゼだったのだ。

 自分の間に滑り込んだ姉がさらに眼光を輝かせようとして、両親の面影に怯んだ。


『パパと、ママなの?』


 そして化け物は苦しげな声を絞り出す。


『ディゼ――』


 それでも姉は、両親を燃やし尽くし、灰の山に変えた。

 やると決めたら意志の固い人だ。

 必ず来る。

 だが、時は非情だ。


『みなさん』


 ルシエノの声は緊張で張り詰めていた。しかも、レジ台に隠れている者しか聞こえないほどの音量である。


『絶対に、動かないでください。声も出さないで』


 間近で聞いているはずの彼女の声を掻き消すほど、べたんべたんとヒレを叩きつけるような足音がすぐそばでした。

 ルシエノの注意があったにもかかわらず、友人たちは嗚咽を洩らす。もうだめだ、と諦めているのかもしれない。

 足音がレジ台の前で止まる。


 早く通り過ぎて。ここには誰もいないから、早く!

 そんなサバテの祈りも通じず、妙に平べったい手が台の縁を掴んで引き倒した。


「いっ……」


 照明が縮こまった四人の姿を照らし出す。

 鳥のくちばしのような頭に、八つ目のフォービドゥンがそこにいた。

 今度こそ耐え切れずに、友人たちは悲鳴を上げる。


 このままじゃ、みんな殺されるだけだ。

 逃げ場なんてない。周りを見渡しても、化け物ばかり。


 サバテの脳裡に、フォービドゥンと対峙する姉の姿がよぎる。そして、自分を守ろうとして犠牲になった、父親と母親の最期も。

 跳ねるように立ち上がったサバテは、壁に掛けてあったクロスを手に取って、がむしゃらに振り回した。


「こ、このっ!」


 当然、化け物が動じるはずもない。

 獲物はこの勇敢な少女からだと見定めたフォービドゥンは口を大きく開け、鋭い牙を柔肌に突き立て――


 ることはできなかった。


 サバテが風を感じた瞬間、化け物の姿も消えたような錯覚に襲われる。

 視界にちらりと映ったのは、黒い塊だ。

 人型の異形が、体当たりと同時に化け物を床に押し倒したのである。


 馬乗りになった異形は、躊躇いもなく口腔内に片腕を突っ込んだ。と、同時に体表面を走る青白い光が一際強く輝いた。

 べたん! と床と叩く化け物の手足が、ぼろぼろと崩れて塵と化す。


 何をしたのか、とサバテはクロスを構えたまま瞠目する。

 塵の山からゆっくりと立ち上がった異形は、他のフォービドゥンよりもずっと洗練された肉体に思えた。


 どうして仲間同士なのに、自分を守ったのだろう。

 強い輝きを放った光は静かに落ち着いて、少女たちに敵意を感じさせない。

 異形はこちらに振り向いて、首を傾げた。


「全員、怪我はないか?」


 この声――

 サバテはぐっと心臓を締めつけられる思いだった。

 聞き間違えようがない。

 あの頼りなさげな青年。


「シナツさん!?」

「もう大丈夫だ。後は俺たちが片づける」


 彼が通ってきた道には、体の一部位を分解されたフォービドゥンたちがひしめき合っている。

 そんな恐ろしい光景も忘れて、サバテは尋ねた。


「……『たち』?」


 その質問に答えるかのごとく、化け物の群れが赤熱に覆われ、ついには限界を迎えて破裂した。

 焦げた床から煙が立つ中を、一人の人影がロングコートをはためかせて歩いてくる。

 ブルネットの長髪。琥珀の瞳。

 自分とよく似ながら、ずっと大人びた少女が微笑を浮かべる。


「間に合ってよかったわ」

「……お姉ちゃん!」


 サバテはクロスを放り棄てて、姉の胸に飛び込んだ。

 そしてすぐ、今まで邪険にしてきた自分の態度を恥じて離れようとする。

 その頭を、ディゼはさして気にした風でもなく優しく撫でた。


「もう少し待っててね、サバテ。そしたら、もう怖くないから」

「あ……う、うん」


 ディゼは踵を返し、シナツの隣に立つ。

 内緒話のつもりなのだろうが、姉の潤んだ声はサバテにも聞こえた。


「ありがと、シナツ」

「次は連中の殲滅だ。民間人の退路を切り拓く」

「オーケイ。迅速にやりましょ」


 頷き合った二人は、臆することなくフォービドゥンへと向かう。

 片や、雷光。片や、赤熱。

 持たざる者のサバテは、彼らの戦いを、姉が身を置く日常を、初めて目の当たりにしたのだった。

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