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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第八話 距離を縮める電光石火
30/41

[08-1]

 セントラルタワー最上階、回廊。

 白外套を着込んだ人影が、ガラス壁に寄り添って街を見下ろしている。

 午後三時頃の、晴天だ。〈デブリ雲〉もなく、日差しが明るい。

 体のラインから、小柄な体型の女性と分かる。

 素顔を仮面で隠し、エデナスにおける最高決定権の一端をなす者。それでいて、権力の発動は人類の保護とシステムの維持のみに限定する、隠遁者。

〈ダアト〉が一人、マルクトだ。


 彼女が何を考えているのか、誰にも分からない。

 そもそも、日頃接する人間といえば、賢者筆頭のケテルしかいなかった。

 彼がマルクトの後ろに立つと、ガラスに大男体型の白ずくめが映り込む。

 マルクトは影に驚く様子もなく、静かに振り返った。


「お父様」

「……む」


 マルクトが彼をそう呼ぶのは、この場に誰の『目』も『耳』もないときに限る。

 ケテルの威圧感がいささか和らぐ。しかし、彼も仮面で素顔を隠している。それを外せば、決して娘に対する愛情深い表情だけを浮かべてはいない、と分かっただろう。


「何を案じておるのだ、マルクトよ」

「街から悪い感じがするの。ずっと、霧に覆われているみたい」


 ケテルはマルクトの隣に立って街を見下ろす。

 当然ながら、霧は出ていない。朝靄は昼までに晴れてしまうのだ。

 マルクトは霊感めいた認識能力を持っている。〈セフィロト機関〉は旧世界の宗教から名を借りた組織だが、彼女はもっと異なる、シャーマン的な知覚者と呼んでいい。

 ケテルは娘へ顔を向けずに尋ねる。


「あやつの警告通り、警護の者をつけるか? やはり、あやつ自身に――」

「警護は、彼以外の誰かで。何度もそう言ってる」


 思いのほか、決意の硬さを感じさせる声色に、ケテルは仮面の下で眉を上げた。


「何ゆえ、今さらあやつを遠ざける。シナツ・ミカナギこそ適任であり、特務課第九班の者たちも優秀だ。〈ダアト〉たる者が私情に任せ、判断を欠くかね」

「じゃあ」


 マルクトが仰いで尋ねる。


「お父様は私情で行動したことなんて一度たりともない?」

「…………」


 沈黙は、己の論理に欠陥を認めた証だ。

 ケテルは彼女に背を向け、議会室の扉を開ける。しかし、すぐには入らず、肩越しに言いつけるのだった。


「緊急時に備え、第九班に待機させる。過酷な環境下での調査任務に伴う、身体調査のためだ。他の者は疑問を思うまい」


 反論を差し挟む余地も与えずに、ケテルは扉の奥へと姿を隠した。

 まだマルクトの視線を感じるような錯覚に陥って、早々と円卓に着く。


「私情、か」


 広い肩が大きく揺れる。声もなく笑ったのだ。


お前・・の死に報いねばな」


   ○


 エデナスは通信教育が主で、学校という場は存在しない。

 だが、スポーツクラブは多数存在し、少年少女は競技を通じて交流を深めているのである。


 道行く少女たちは、みな紺のポロシャツとミニスカート姿で、右手に長柄の道具、左肩にスポーツバッグを担いでいる。

 練習を終えた後だというのに、彼女たちは屈託のない談笑を交わすのだった。


 その中に、肩で切り揃えたブルネットの髪の少女、サバテ・エンジがいた。

 犬の立ち耳が特徴の友人、アーキタとお喋りをする合間、ふと視線を前へ向けると、見覚えのある青年がこちらに歩いてくるのに気づいた。


 ファーフードつきのダウンジャケットに、デニムジーンズ。

 黒髪の短髪は、確か、そうだ。

 すれ違う直前、相手も気づいて立ち止まる。


「ああ、サバテ……だよな」

「み、ミカナギさん……」


 両親の眠るフィレンツィ霊廟で出会った青年、シナツ・ミカナギだ。

 サバテは挨拶も忘れ、咄嗟に頭を下げてしまう。


「あのときはすみませんでしたっ! わ、私、すごく失礼なことを言っちゃって……」


 他の少女たちが何事かと驚いて、シナツを敵視する。

 青年は『参った』という顔でサバテの肩を軽く叩いた。


「いや、気にしないでくれ。悪く思ってなんかいないさ」

「でも――」

「頼む。包囲されて、逃げようにも逃げられない状況だ」


 サバテが驚いて周囲を見渡すと、少女数人で不審者を取り囲む図ができあがっていた。

 アーキタが怪訝そうな顔で囁く。


「誰、この人」

「えっと、お姉ちゃんの同僚の人」


 サバテが姉をそう呼ぶと、シナツは僅かに目を見開いた。その微妙な表情の変化は、サバテにすら気取られることはない。

 アーキタは耳をぴくりと震わせると、恐る恐る長身の青年を見上げる。


「じゃ、〈セフィロト機関〉の人なの?」

「特務課第七班所属、シナツ・ミカナギだ」


 シナツが右の手のひらに『樹鏃じゅぞく』のホログラムを表示させて提示すると、それだけで少女たちは「おおぉ!」と拍手する。

 彼も肉体年齢は十分に若いはずだが、何しろ二十代前半から三十代後半までの大人しかいない環境で形成した人格だ。思いもよらぬ反応に狼狽を示す。

 特務課がどんな部署かを知っているサバテの目には、そんな青年の姿が頼りなさげに映った。

 シナツは紋章を消し、右手を後頭部に当てる。


「それで、この集まりはなんだ? 部隊の演習か何かか……じゃないよな」


 と、青年が真面目に呟いたものだから、ますます少女たちは初対面のハードルを下げて距離を縮める。

 アーキタはあっけらかんと笑いながら、一同を見渡してみせた。


「この格好で、なんの舞台・・だと思ったの!?」

「杖術の組手」

「じょ……じょーじゅちゅ?」


 舌が回っていない。ともかくも、勘違いだと分かったらしいシナツは「オーケイ、悪かった」と片手を上げ、傍観を決め込んでいたサバテに視線を向けてきた。


「私たち、ラクロス・クラブなんです」

「……すまん、ラクロスとは、なんだ?」


 サバテよりも早く、アーキタが長柄に被せられたカバーを取り外して見せた。

 棒の先に網のついている、クロスという道具だ。彼女たちが多種多様なクロスを持っているのは、ポジションによって微妙に種類が異なるためである。


「ざっくり言うと、これを使った球技なのです」

「ああ、実に分かりやすい説明、感謝する」


 サバテにはそれが皮肉だと分かったが、友人には全く通じなかったらしい。照れ臭そうにクロスカバーを戻す。


「球技ということは……これから試合か、練習か?」


 違う違う、という大合唱が起きた後で、サバテが補足する。


「練習が終わったところです。一度寮に帰ってから、みんなで遊びに出かけようって」


 人懐っこい性格のアーキタが、さらに続けた。


「イェルカに新しいお店ができたって話だから」

「……ふうん?」


 セントラル・タワーからも近い、繁華街のデパートメント・ストアの名称だが、この青年には縁遠い施設だったようだ。

 むしろシナツが気にしたのは、サバテの発言のほうだった。


「ディゼとは一緒に住んでいないのか」

「ええ……まあ……」


 サバテは気まずそうに俯いて、考え込む。

 どことなくズレを感じる男性だが、少なくとも、姉は信頼を置いているらしい。両親の命日に連れてくるほどだ。


「あの……ミカナギさん」


 意を決して、彼を見つめる。姉と同じ琥珀色の瞳から放たれた視線を、シナツは真っ向から受け止めた。


「お姉ちゃんのことで、ちょっと相談したくて……」

「……俺に?」


 シナツはきょとんとして問い返したものの、すぐに笑みを浮かべて頷いた。


「力になれればいいけどな」


 修正、とサバテはほっと息をつく。

 多分、いい人だ。


   ○


「私、本当は分かっているんです」


 クラブメイトたちの後ろを、二人は並んで歩く。

 シナツはサバテの横顔を覗きながら、よく似た姉妹だ、と感想を抱く。同じ遺伝子提供者から生まれた二人だ。当たり前といえば当たり前である。

 しかし、全く同じではないのだ。


「お姉ちゃんが守ってくれなかったら、パパとママだけじゃなくて、私も死んでたって。だから、本当は『ありがとう』って言わなきゃいけないって」

「そう思うなら、何故言わない」


 むっとして睨みつけたサバテたが、シナツが大真面目に首を傾げているのを見て、逆にふっと脱力するように笑った。


「お姉ちゃんと会うと、あのときの光景がどうしても思い浮かんで……」


 一瞬の躊躇いを見せた彼女は、溜息と一緒に吐き出す。


「パパとママが最後に呼んだのは、お姉ちゃんの名前だけだった。私のことは――」


 視線の行き先が遠のいた瞬間、サバテははっとしてシナツを見た。


「ご、ごめんなさい。私って最低ですよね。そんなことばかり気にして……」

「別に、自然なことさ」


 シナツは、ザトウ号で息を引き取る間際のカザネを思い出して、唇を歪める。


「死人だって、まだまだ話し足りないことがあったはずだ。その中に、サバテ。きみのことも含まれていたかもしれない」

「でも、もう、分からない」

「そうだな」


 死人が蘇らない限り、とシナツは内心でぼやく。


「ディゼは俺によく言うよ。自分が殺したのは人間なのか、フォービドゥンなのか、と」

「パパとママは……」


 サバテはしばし考え込んだ。普通なら思い出したくもない光景だが、顔を青ざめさせるだけで表面には動揺を出さない。

 姉とは異なるアプローチで、両親の死を乗り越えようとしている最中なのかもしれなかった。


「もしもミカナギさんだったら――」


 無意識に口をついて出たのだろう。彼女は慌てて手を振り、大気中に残る言葉の余韻を掻き消そうとする。


「やっぱり、なんでもないです」

「相談相手になる、と言ったはずだ。どうした」


 促されたサバテは、途切れ途切れ尋ねる。


「ミカナギさんだったら……どっちのほうが……楽になれますか?」

「さあ」


 シナツは笑みを保ったままで、続きをつけ加えるのだ。


「以前だったら、迷いなんてなかった。フォービドゥンは敵だ。敵性存在は即殲滅。それが俺の任務だったはずなんだ」


 シナツは迷いを自覚して、「ふっ」と息を洩らした。


「まだまだ話し足りないことがあった、か。たとえ人間でない別の何かに変わったとしても、あいつはあいつのままなのか――」


 自分が機密漏洩すれすれまで口を滑らせかけていることに気づいて、先に寮の門を通る友人たちを視線で示す。


「送るのはここまでだ。繁華街に出かけるなら、遅くまで遊ぶなよ」

「はい」


 サバテは礼儀正しくお辞儀をして、友人を小走りに追いかけようとする。

 その背中を、


「サバテ!」


 シナツは咄嗟に呼び止めた。


「ケンカ腰になってしまっても、ディゼと会う時間を作るべきだ。なんなら、俺がディゼに話して――」


 セッティングしようか、という続きは、サバテの微笑に遮られた。

 彼女はゆっくりと首を振る。


「ありがとうございます、ミカナギさん。でも、うん、私から連絡する。来週がタイミングいいと思いますから」


 口早に言うと、彼女はお辞儀を繰り返して、立派な寮の玄関へと走っていった。

 その後ろ姿を見送ったシナツは、セントラル・タワーへと数歩。


「……来週?」


 ぼんやりと呟いてから、オフィスでの待機命令を思い出して帰還するのだった。

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