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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第七話 灰と骨と彷徨う亡霊
29/41

[07-4]

『シナツさん?』


 後ろを追従する〈ダビデ〉を介して、ルシエノが声をかけてきた。

 あまりにも長い間、黙りこくっていたのが不審に思われたのだろう。

 シナツは振り向かずに返事をする。


「動物はいないみたいだな。静かだ」

『危険はなさそうですね。この船はやはり……』

「ああ。〈ザトウ〉じゃない」


 二人の話し声は通路の奥まで遠く反響する。

 長い年月、光も風もなく淀んだ空間は、シナツの胸にさざ波を起こす。

 自分にとっての故郷はどうなっているのだろうか。

 いや、と慌てて気の迷いを断ち切る。あそこに戻って何がある。死体すらも、オーバーライト・セルの実験体、フォービドゥンどもが肉片残さず喰った後だろう。

 もはや、何もない。

 こうして船の残骸が残っているだけだ。


『あ』


 ルシエノの幼さを残した声が、シナツの注意を引く。


『見てください、シナツさん。このドア、壊れてますよ』


 微妙な隙間から中を覗くと、広い空間に積み上げられたコンテナが、漂着時の衝撃で崩れていた。

〈ザトウ〉号と同型の物資輸送船であることを考えると、倉庫に間違いない。

 念のために五感センサーを駆使するが、生物が隠れ潜んでいる気配はなかった。

 心なしか、特別、空気が濁っている気がする。不審に思ったシナツは、呼吸器フィルタを作動させた。


『もしかしたら、管理外技術が見つかるかもしれませんよ!』


 直立不動の〈ダビデ〉と、彼女の興奮がミスマッチだ。

 そのおかしさに笑ってしまいたくなるが、外骨格には表情が出せない。シナツは隙間に指を差し入れた。


「さあ、どうかな。コンテナは全部開いている」


 全身の筋細胞を活性化させ、壊れたドアをこじ開ける。体当たりで破るよりは、ずっと楽な肉体労働だ。

 ドアが軋みを上げてレールを滑り出す。すると、濁りが外に流れ出した。


「ルシエノ。空気成分をチェックしてくれ。汚染物質の濃度は?」


『ごく僅かですが、腐敗ガスが検出されました。汚染物質は、むしろ〈ダビデ〉やシナツさんの周囲に多く検出されます』

「……分かった。一度、着替える。こいつも遠くにどけてくれ」

『了解』


 シナツは、〈ダビデ〉が十分に離れたのを確認してから、外骨格を剥離する。

 体表面を覆う装甲は、まるでガラス片のように床に落ち、その過程で砂と化す。

 暗闇にシナツの黒インナー姿が浮かび上がる。

 それを眺めていたルシエノが『あれ』と声を上げた。


『それ、なんです?』

「ああ」


 シナツは襟に引っ掛けている物を人差し指で軽く叩く。


「眼鏡だよ。あいつのだ」

『……カザネさんの、ですか』

「次に会ったとき、返さないといけないからな」


 喋りながら、腰に巻いたベルトから、ペン型注射器を引き抜いて腕に突き刺す。細胞の活性化によって消耗したアデノシン三リン酸を補給する薬剤だ。


「幸い、ここにはいなそうだ」


 そう呟いて、再び外骨格を纏う。

 二本角に後頭部から生やした太いケーブル。

 初めて変異したあの日と比べると、グロテスクさは軽減し、パワードスーツに似たフォルムへと洗練されている。


「ルシエノはそこに待機してくれ。コンテナが崩れるかもしれない。そいつが下敷きになるのは困るだろ?」

『シナツさんが下敷きになっても困ります』

「俺は大丈夫だ。多分、な。万が一のときには、お前が助けてくれ」

『了解です』


 シナツは頷き返し、慎重に倉庫へと足を踏み入れた。

 どこかに物資搬入用のゲートがあるはずだが、そこは厳重に閉鎖されているだろう。

 コンテナは人の背よりも高く、部屋に改造することも可能と思われる広さだ。

 どうせ宇宙に放り出されるなら、脱出ポッドよりもこのコンテナのほうが快適そうだ、とシナツは思う。

 倉庫の床には開封された合成繊維の袋が何枚も落ちている。

 その一枚を拾い上げて、ラベルに積もった埃を払う。


「……食糧を運んでいたみたいだな」

『大破壊以前の人々がどんな物を食べていたのか、貴重な資料ですね。種子は残っていないですか?』


〈ダビデ〉からではなく、無線を使用した通信である。

 ルシエノの関心に答えようと袋の中を覗いてみるが、何も入っていない。完全な空だった。


「クローニングで復活させるのか」

『ラボで植物メインの研究者がいるんです。エデナスに植えられている木や花も、そうやって再生された物なんですよ』

「へえ。ゆっくり見たことがなかったな」


 シナツは受け答えをしながら他の袋を眺め回してみたが、どれもこれも、中身は残っていない。

 妙だな。

 これだけ大量の食糧は、どこに消えたのだろう。

 山の裏に回ったシナツは、コンテナの下敷きになっている何かを発見する。

 薄汚れた布に、白い――棒だろうか?

 その正体に気づいたのは、さらに近づいて覗いたときだった。


「ルシエノ」

『はい』

「動物の骨を発見した。多分……人骨だ」

『……きっと、船員ですね』

「ああ」


 うつ伏せになった体の下半分は、コンテナに潰されて粉々だ。頭部と左手は粉砕を免れて残っている。

 観察してすぐ、後頭部に大きな穴が開いているのが分かった。

 銃痕である。

 シナツは自分の手を銃の形に作って、じっくりと眺めた後でぽつりと呟く。


「自殺じゃない。後ろから撃たれたんだ」

『内乱、でしょうか』

「それで船を真っ二つに爆破するか? ……待て、左手に端末を着けている」


 リスト・デバイスによく似た携帯端末だが、エデナスに普及している物と比べると遥かに小型だ。


「何か記録してあるかもしれないな。回収するぞ」

『お願いします』


 オペレーターの許可を得てから、シナツは左腕を持ち上げようとした。

 だが、特別力を加えたわけでもないのに、骨は砕けて灰になってしまう。

 端末はするりと衣服を抜けて、床にかつんと転がった。

 シナツはそれを追うでもなく、呆然と自分の手のひらに残った白い灰を見つめる。


 どのくらいそうしていただろうか。

 ふっと我に返った彼は灰を床に落とし、代わりに端末を拾い上げた。

 当然ながら、バッテリーは切れている。記録があるかどうかは、持ち帰った後で確認すればいいだろう。

 シナツは腰回りの外骨格を解いて、ベルトに遺物を収納した。


「くまなく探せば、他にも死体が見つかりそうだな」

『その必要はないでしょう。私たちの任務は、この漂着物が〈ザトウ〉号かどうかを確認するだけですから』


 シナツは、さっきまで興奮していたルシエノの声が硬いことに気づく。

 彼女の指示を待って数秒。


「〈ケストレル〉に戻るか?」

『……あ、はい。すみません、そうしてください』

「了解。シナツ、帰還する」


 最後に転がる頭蓋骨に視線を向けてから、シナツは足早に立ち去った。


   ○


 漂着物調査任務の翌日。

 シナツは、ディゼと並んで大型モニターを眺めている。

 同型船の写真をもとに、エデナス周辺の漂着物一覧を確認しているのだ。

 彼らの背後、執務机に座っていたルシエノが「あ」と声を上げた。


「端末に残っていた記録、解析し終えたそうですよ」


 ディゼは小首を傾げてから、「ああ」と手を打った。


「シナツが回収したやつね」

「はい。分割された動画ファイルです。容量いっぱいに記録されていたみたいで……確認します?」


 ルシエノとディゼ、二人の少女がこちらをじっと見る。

 いつの間にやら、漂着物に関する判断はシナツに委ねることになっていたようだ。


「時間は?」

「ええと、十分くらいのが多くて……最後のファイルのみ――」


 ルシエノは珍しく言葉を失い、それから目を丸くして叫んだ。


「じゅ、十時間!?」

「さすがに全部は観てられないな」


 シナツはソファに腰かけて答える。


「最初と、最後の頭を確認してみるか」

「了解です。モニター、使いますね」


 漂着物を映していた画面が、映像プレイヤーに切り替えられる。

 ディゼがシナツの隣に座ったところで、再生は始まった。

 髪を短く刈った、三十代ほどの男性がアップで映る。背後は、明るい室内だ。


『念のため、記録を残しておくよ。船が攻撃を受けた。隔壁がすぐに閉じたおかげで、船員は百人くらい助かった。でも、残りは――』


 男性が一瞬ぐっと堪えて、無表情で先を続けた。


『とにかく、敵は一仕事終えたと思い込んで離れてくれた。僕らは救援を待つよ。幸い、食糧は無事だ。僕が管理役を命じられた。大任だ。希望を捨てずに全うするよ』


 最初の動画は、そこでぷつりと切れた。

 シナツは知らず知らず、腕を組んで歯を噛み締めていた。

 この感覚、覚えがある。

 見たらまずい。

 だが、あのときと同じように、目を逸らせない。

 四七一号のときとは異なる感情が、シナツの胸を締めつける。


「シナツさん?」


 彼の表情から緊張を悟ったか、ルシエノが囁くように尋ねた。

 シナツは動揺を押し殺して「次だ」と促す。


 最後のファイル、十時間の記録。その映像が始まると、男性の背後に開放されたコンテナが映り込んでいた。

 男性の顔はやつれ、目も疲れで窪んでいる。髪と髭はいくらか伸び、一瞬、最初の映像と異なる撮影者かと疑うほどの、人相の変貌だった。


『もうおしまいだ。助けを待って、何十日になるだろうか。食糧が持たない。武装した船員が口減らしを始めた。僕も命を狙われている。どうも派閥争いに負けたらしい』


 コンテナに、撮影者の男性とは異なる人影が音もなく伸びる。


『だから、これは遺言だ。まったく、人間ってやつは――』


 嘲笑を浮かべる途中で、じ、というノイズが入った。

 シナツは思わず立ち上がる。


「コイルガン……!」


 彼の呻きと同時に、男性の首は不自然に前へ折れ、その反動で大きく仰け反る。

 鮮血と脳漿が撒き散らされる様を、映像は鮮明に捉えていた。


 ルシエノが「あ、う……」と悲鳴を呑み込む。

 ディゼさえも、顔を背けて目をつむるほどだ。


 男性は脳という糸を断たれた人形と化して、その場に崩れ落ちる。衝撃にも頑丈な端末は、持ち主が死してなお、容量いっぱいまで記録を続けるのだ。


『食糧を探せ! まだ残って――』

「もう、いいでしょう」


 ルシエノが再生を停止し、元の漂着物一覧に表示を戻した。

 すっかり青ざめた顔を、震える両手で覆い隠す。

 彼女は悲劇などいくらでも見届けてきたであろう。

 なのにショックを受けているのは、罪悪感を抱いたのだろう。


「船は管理外技術の宝庫だと思っていました。本来は人の乗り物なのに……」


 シナツもソファに腰を落とし、額に手を当てて俯く。

 あの人骨は、そういうことだったのだ。

 シナツが死ねば、この体は塵と化す。

 男性は骸骨と化した。

 それが、彼らの死だ。


 カザネ・ミカナギは、まだ灰になっていない。

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