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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第七話 灰と骨と彷徨う亡霊

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[07-3]

 モニターに展開した動画データには、培養槽の様子が映っていた。

 容器を満たすクリアブルーの液体が排出され、人間の肉体が底につく。

 機械で固定されていた蓋が開き、中で眠っている男が数人の研究員によって抱え起こされる。


「う……!」


 男の顔は、四七二号と全く同じだった。

 クローン、という言葉を四七二号は知らない。不気味な光景を目にして、身震いしてしまう。まるで全身の細胞が恐怖しているようだった。


 見たらまずい。

 ここに記録されているのは、恐らく過去だけではない。

 こいつは今、どうしているのか。

 四七二号を待ち受ける未来でもある。


 実験の経緯を振り返れるように、レポート以外にも回顧録がつけられていた。筆者は『カザネ・ミカナギ』となっている。


七十一・・・体目の実験体が生まれた。今までの暴走の原因はまだ特定できていない。実験を中止すべきだが、上層部がそれを許さない。もっとも、人体で試せると言ったのは私自身だ。多少の犠牲は厭わない』


 四七二号は息苦しさを感じて、深い呼吸を意識した。

 自分が思っていた以上に、不穏だ。

 次の動画でも、四七一号は電源の入っていない自動人形オートマトンのごとく、ぐったりとしている。

 それをいいことに、白い首筋に機械式注入器の針が突き刺さる。

 四七二号は顔をしかめ、自分の首に手を当てた。特に傷は見つからない。


『オーバーライト・セルの注入を終えた。この段階で、暴走が確認されたことはない。プログラムは正常に機能している。それは向こうのチームでも同じだ。あっちはもう、なりふり構わないみたい。いえ、もしかしたら私も同じ穴のむじ』


 と、そのときの記録は唐突に終わる。

 それより、四七二号の頭を駆け巡っているのは『暴走』の二文字だ。

 次、と震える手で急ぐ。

 そこからは自分の記憶ともほぼ一致している。


『体調はどう? 四七一号』

『異常なし』

『そう』


 まるで、あの日の記憶を再現されているようだ。自分は別の位置から、過去の自分を見つめているのである。

 四七二号は急に眩暈を覚えて、その場に崩れ落ちる。足に力が入らない。胸が熱い。


『体に異常がを感じたら、すぐ報告するように』


 動画の中でチャールズが笑う。

 今、まさに異常を感じているところだ。腕をいっぱいに伸ばしてイスを引き寄せ、かろうじて腰を落ち着かせる。

 続きはまだある。

 鬼気迫る表情の彼は、しかし、チャールズが動画内で『そう硬くなるな』など一言も発していないことに気づかなかった。

 画面に、カードゲームを覚えさせられている四七一号の姿が映し出される。


『一つ、可能性を思いついた。ナノマシンの異常ばかりを疑っていたけど、どうして心因性ではないと言い切れるのだろう。私たちだって、精神のバランスを損なえば、身体に影響が現れる』


 そこにタブレットで書き込んだのだろうか、『精神』や『心って何』など、彼女自身の文字が残されている。

 他に意味不明な言葉の羅列が並んでいた。

 たとえば、『あの目』とか。


『向こうとは異なるアプローチを取る。私たちは、四七一号を良きパートナーとしてチームに迎え入れる。軍の意向とは異なるけど、試せることは試したい』


 そこから、知能テストや簡単なゲームを受ける四七一号の姿が続いた。

 四七二号が知らない物ばかりで、先の実験体もまた、ずっと自然に船員たちと笑っていた。

 だが、次の記録では雰囲気が一転していた。

 四七一号は隔離室のベッドに横たわり、苦しそうに汗を掻いているのだ。


『おかしい。彼が熱を訴え始めた。予期現象。いくらなんでも早すぎる。確かにここ最近の心理尺度では波が見られていたけど。薬物を投与しようにも、セルが分解してしまう。どうすればいいの?』


 彼についての記録映像は、その先で終わりになっていた。

 カメラが捉えたのは、隔離室にうずくまる漆黒の異形だった。

 体が醜く膨らんでいる。

 細胞群が人体の形を失い、異常増殖を繰り返した結果だ。


 放電器で武装した兵士たちが化け物を取り囲んでいる。

 画面端には『やめて! 彼は!』と喚くカザネの姿があった。


 放電器から青白い光が迸る寸前、化け物は彼らへと振り向いて――

 次の瞬間、肉体を構成するナノマシンが破壊され、四七一号は塵と化した。

 最終レポートと同じ日付で、回顧録も作成されている。

 が、中身は白紙のままだった。


   ○


「あの人たちは何も分かっていないわ」


 先頭に立って通路を進むカザネは、憤慨を露わにしていた。ずり落ちた眼鏡の位置を直した手を、さらに激しく振り回す。


「クローン増産して片っ端から注入すればいいですって? もうやってるじゃない!」


 引き攣った笑みのチャールズが、後ろから声を潜めて咎める。


「主任。あまり大声で叫ぶと、お偉方に聞かれるかもしれませんぜ」

「地球にいる連中に何ができるのよ! ザトウ号は向こう数年、戻らないわ!」


 カザネ・ミカナギは「ふう……」と徒労に満ちた息を吐き出した。

 後頭部に右手を置いて、虚空をじっと睨みつける。

 もしも『向こう』のようにマッド・サイエンティストになりきれるなら、資金を落としてくれる強力なスポンサーに感謝できたかもしれない。


「ったく、こんな話、カウンセラーにもできないし」


 チャールズは肩を竦めるのだ。


「主任の愚痴を一方的に聞かされるほうの身にもなってください」

「じゃあ、ロボットを要求するわ。ずっと相槌を打ってくれるようなの」

「で、今度は不満を溜め込んだロボットが反乱を起こすわけですね」

「古いSF小説じゃないんだから」


 カザネはやつれた顔に笑みを浮かべる。

 検査室に着くと、ドアの横に備えつけられたパネルにID認証を済ませる。


「四七二号の検査は終わったの?」

「後は心理検査だけですよ」

「そう……」


 ドアが開き、中に足を踏み入れる。

 だが、四七二号の姿が見当たらない。

 カザネは、倒れたイスを目にして表情を強張らせた。端末に電源が入ったままだ。開かれたファイルは四七一号の記録。彼はこれを見たのだ。


「四七二号!」


 返事はなかった。

 焦燥感を隠せない様子で、視線を忙しなく巡らせ、その後でようやく足を動かす。

 検査台の後ろに、彼は座り込んでいた。


「近づくな……!」


 苦しそうに胸を押さえる指の隙間から、黒い粘液がぶくぶくと噴出している。いや、彼の腕さえも粘液に覆われていた。

 ナノマシンの変異現象。

 人間の形を失いかけている途中だ。


「あなた……」

「俺にもあれを打ったんだな! 首に、針を刺して!」


 誤魔化しは効かない。

 カザネは観念して頷く。


「ええ、そうよ」

「人間を化け物に変える実験か!」

「私たちは人間を新たなステージに進化させようと――」

「新たなステージだって?」


 四七二号は唇を歪め、胸から右手を引き剥がす。癒着しかけていたのか、粘液状と化したナノマシン群が糸を引くように蠢いた。


「これが、進化だって言うのか?」


 カザネは何も答えられなかった。

 このまま変異が進めば、四七二号は人ならざる者に変貌する。

 それは決して、カザネの目指す『ステージ』ではない。

 今まで何度も回避しようと試みた、破滅だ。


 四七二号の目からも黒い粘液が溢れ、見る見る顔を覆っていく。

 出入り口に立ち止まっていたチャールズが堪らず叫んだ。


「主任! 処理班を呼びました!」


 それを聞いた四七二号は検査台に上半身だけ這い上がり、船員たちへ顔を向けた。目は見開かれ、酸素を求めて開いた口からは猛獣のような牙を覗かせる。


「俺も四七一号のように殺すつもりか、チャールズ!」

「ち、違う」

「そうだろうな、俺はお前たちと違う! 処理だって簡単だろう! 俺は……俺は実験体だからな! 失敗作と分かれば抹殺すればいいんだろう!?」


 迸る咆哮が、部屋に空気をびりびりと震わせる。

 カザネは反射的に彼へ手を伸ばすも、放熱に気づいて二の足を踏んだ。

 オーバーヒート。

 四七二号自身が気づいているかどうか、このまま過熱が進めば、彼は処理班を待たずに死を迎えるだろう。

 だが、それは、今までの実験体に見られなかった現象でもあった。

 異形へと変貌した四七二号が検査台を強く叩く。


「俺も四七一号のように体がなくなって――塵しか残らない。それが、お前たちにとっては有意義な実験データなんだ。……くそッ!」


 あの目だ。

 チャールズに向けられた目には、彼の恐慌が浮かんでいる。

 彼は先に複製された者の死を目撃してしまった。

 周りの人間とは違う、というアイデンティティのぶれ。

 そして、自分の未来に待ち受ける結末の予知。

 ナノマシンが狂い出すきっかけは、過度のストレスだったのだ。

 廊下から兵士たちの足音が響いてきた。


「チャールズ!」


 カザネは咄嗟に命じていた。


「外に出て、時間を稼ぎなさい! それから、外部からロックを!」

「……主任は!?」


 後ずさるように退出しながらも問い質す助手に、頷いて答える。


「彼と話をさせてちょうだい」

「危険すぎる!」

「じゃあ、何かしら。今までの研究は危険じゃなかった、とでも?」


 チャールズは言葉に詰まり、仕方なくカザネの命令に従う。

 二人きりの密室で、四七二号は熱を帯びた息を吐き出した。


「今さら、なんだ。俺が死ぬのを、間近で見届けるつもりか?」

「話をすると言ったはずよ。いい? あなたは自分を見失っているの」

「見失うだと? そもそも、俺はなんなんだ! 死ぬために生まれてきた実験体だろ!」

「ええ、そうよ」


 カザネは『だからどうした』と言わんばかりの挑戦的な目で、四七二号に対峙する。


「生きている者はみな、遠からず死ぬわ。私だって、そう」

「だが、俺は長く生きられない!」

「人間も同じだわ。病や傷で、生まれてすぐに死を迎える者もいる」


 何か言いかけようと口を蠢かす四七二号に先回って、手のひらを突きつける。


「人間が死んだらどうなるか、あなたは知らずに『違う』だなんて言っているでしょう?」


 四七二号はぐっと拳を握り締め、カザネを睨む。

 反論はなかった。

 カザネはふうと息をついて、ゆっくりと語って聞かせる。


「ザトウ号で死亡した場合、冷凍室で死体を保管されるわ。そうしないと、腐るの。腐るって分かるかしら。体はぶよぶよになって、異臭を放つようになる。とても一緒になんていられない」

「保管してどうする」


 カザネは微笑を浮かべてみせた。


「その人の望むやり方で埋葬するの。私の場合は、故郷で火葬を受けるわ」

「火葬?」

「死体を燃やして灰にするの。それを壺に納めるのよ」


 そこで、たっぷりと時間を取ってから、四七二号の赤い眼を覗き込んだ。


「あら、奇遇。あなたが死んだら塵になるように、私も灰になるわ。同じね」

「同じじゃない! この姿のどこが、同じに見える!」


 四七二号が再び検査台を殴りつけると、べこりと大きくへこんだ。

 感情の激動と同時に、額から二本の角が生える。山羊に似ていて、後ろに流れる形だ。

 検査台の鏡に、彼の背中が映り込んでいる。体内から浮き上がった脊椎が蛇のように蠢き、ナノマシンを纏ってケーブルとなる。


 ただの変異とは違う、とカザネは目を見張った。

『人ならざる者』の形を帯び始めている。問題は、先の実験体と全く異なる形態だということだ。四七二号が心に棲まわせている『人ならざる者』が具現化しているとでもいうのか。

 研究者として興味深い。

 でも、それは後回しよ、と自分の業に嫌気が差すカザネであった。


「……そうね、外見は全く違うわ」

「だろう! 俺はお前たちと違う何かだ! だから、処理されるんだ!」

「逆に訊きたいんだけど、四七二号。あなたには、私や他の船員が同じに見えるの?」

「同じだ!」


 即答である。そうでなければ、ここまでカザネたちを恐れはしないだろう。四七二号にとっては親しい者が全員敵に回ったという感覚なのだ。

 カザネは冷静に言葉を紡ぐ。


「私とチャールズが同じ顔に見える? 遺伝子情報も育った環境も考え方も、何から何まで異なるのに?」


 四七二号は歯を軋ませて押し黙る。

 カザネは彼の手が届く距離まで近づいて、さらに続けた。


「同じ者などいないのよ、四七二号。同じように見えても、人は誰一人として同一じゃない。たとえクローンだとしても、環境が異なれば別の人格を形成するわ。あなたたちのように、ね」

「お、俺は……」

「そりゃ、どこかの誰かが作った基準に当てはめれば、あなたの姿は少し怖いけれど。でも、あなたは私に攻撃せず、こうして話に応じてくれてる。その姿も見慣れてきたわ」

「この……姿……?」


 カザネはゆっくりと頷いて、検査台の鏡を指差した。

 四七二号は素直に振り返り、変異した自分の姿を認めて――


「う……!」


 咄嗟に身構える。

 その反応を見たカザネは、思わずくすくすと笑ってしまった。


「な、なんだ」

「童話を思い出したわ。犬が水面に映る自分に向かって吠えるの」


 四七二号の肩から力が抜ける。彼は自分の顔を右手で覆って毒づいた。


「俺は犬じゃない」

「よく分かっているじゃない」


 カザネは一頻り笑ってから、彼の様子を窺った。

 変異現象は収まり、放熱も弱まっている。体を覆うナノマシンの粘液は固まり、外骨格を形成していた。


「あなたは四七二号。ナノマシン体の実験体よ。あなたが死ぬのは、実験体だからじゃない。自分自身を制御できなくなったとき。でも、今は安定している。よって、死なない。……いいわね?」


 四七二号は数秒ほどカザネを見つめて、しかしながら納得しきれていないという声色で答えるのだった。


「……分かった」


 それでいい、とカザネは破顔する。

 彼が自分を再認識するたび、その形態は移り変わるだろう。

 人格の推移シフトを見守るのが、これからの自分たちの仕事だ。

 軍部が望む成果とは異なるが、人類を新たなステージに押し上げる、というカザネ・ミカナギの目指す未来には近づける。


「人を入れてもいいかしら、四七――」


 と、言葉を切って、腕を組む。


「今、ここであなたに名前をつけるわ」

「名前だと? 俺は……」

「第四プロジェクトの七十二番目だから『四七二号』、なんてのはナンセンスよ」


 カザネは「うん」と一人で頷いた。


「今日からあなたは『シナツ』よ。語呂合わせだけど、これで一つ、私との繋がりができたわ」

「繋がり?」

「そう、カザネって名前は、風の音って意味。そしてシナツは風の神様の名前。お揃いよ」


 四七二号――いや、シナツは瞬きを繰り返す。


「カザネ。質問が二つ」

「何かしら、シナツ」

「『カゼ』とか『カミサマ』とか、なんのことだか分からない」


 恐らく会心の命名だと思っていたのだろう、カザネは自分の額をぺちんと叩くのだった。


「あなたが宇宙生まれだってのを忘れてたわ」


   ○


 船内に警報が鳴り響く。

 実験体の脱走事故が起きて僅か数時間。ザトウ号は死の船と化していた。

 船員が脱出するための時間稼ぎをしていたシナツは、必死になって隔壁の手動開閉装置に力を加えていた。


「どうして開かない! 〈ザトウ〉、ここを開けろ!」

『許可できません』

「くそッ」


 迂回したほうが早そうだ。

 脱出艇の搭乗口で動かなかったカザネの反応が、実験体との戦いに集中している間に、船内へと移動していた。

 別れ際に呼び止めた他のチームの研究員と何かあったのか。

 頼むから早く脱出してくれ!


 シナツはカザネへの最短距離を疾走する。

 チャールズとも連絡が取れない。他の二人も無事かどうか、確認できていない。

 どうしてこんなことになったんだ。

 俺たち実験体が、人類を破滅へと導いているのか。


 角を曲がって飛び出したシナツは、四本腕と化した船員を視認して姿勢を低くする。

 敵の手には四丁のライフルが握られている。兵士から奪い取ったのだろう。

 遠心重力が停止した通路には、何人もの犠牲者が浮遊していた。

 あれは誰だ。

 シナツは青白い閃光を体表面に浮かび上がらせ、敵目がけて突進するのだった。

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