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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第七話 灰と骨と彷徨う亡霊
27/41

[07-2]

 培養槽から出たときのことを、彼は覚えていない。

 隔離室で目覚めた瞬間から理解していたのは、自分の名前が四七二号だということ。そして、命令に従って敵を殲滅することの二つだけだった。

 拘束台に横たえられた自分を、白い気密服姿の女性が無表情で見つめる。


「体調はどう? 四七二号」

「異常なし」

「そう」


 冷たく頷いた彼女は、思い出したかのように付け加える。


「私の名前はカザネ・ミカナギよ。あなたの管理を担当するわ」

「了解」


 あらかじめ脳に刷り込まれていた返事に、カザネの瞳が一瞬だけ揺れた。しかし、彼女はすぐに背を向け、四七二号の視界外へと姿を消す。



 体に異常を感じたら、すぐ報告するように。

 そう命じたのは、白人の青年だった。親しげな笑みを浮かべている。


「俺はチャールズ。カザネ主任の助手だ。よろしくな、四七二号」

「了解」

「……おい、そう硬くなるな」

「了解」


 チャールズは溜息交じりに両手で『待て』のサインを出した。しかめ面でしばし考えると、疲れ気味にかぶりを振る。


「命令以外は、『了解』じゃなくて『分かった』だ。『よろしくな』も『硬くなるな』も命令じゃない。いいな?」

「……分かった」

「よしよし、それでいいんだよ」


 チャールズは上機嫌で頷き、遠隔操作で拘束を全て解除する。それでもまだ台の上で寝たまま微動だにしない四七二号に「二度目だってのに慣れないな、こういうのは」とぼやくのだった。


「起き上がって、体を動かしてみな」


 四七二号は冷たい床に素足をつけて立ち上がった。自分の姿は、長身痩躯の黒インナー姿だ。生まれたばかりで、筋肉量はさほどではない。

 状態をじっくり観察した後で、チャールズに尋ねた。


「どう、動かせば?」

「ああ……ったく、じゃあ、俺の真似をしてみろ」


 チャールズが運動不足を解消するための船員体操を実演してみせる。

 それを見た四七二号はミラー・ニューロン――他者の行動を観察する際にも活動する神経細胞――を活発化させ、鏡写しに模倣する。

 そのときから、四七二号の基礎人格はチャールズをモデルに成長し始めたのだった。


   ○


 居住空間を兼ねた隔離室に、船員たちの笑い声が響く。


「へっへっへ、上がりだ、四七二号!」


 チャールズが二枚の手札をテーブルに放り投げる。

 一方、四七二号は「……むう」と唸り、手元に残されたカードを見つめる。ジョーカーが敗者を嘲笑っていた。


「何故、勝てない。いつもこうだ」


 ババ抜きに参加していたカザネ班の研究員、黒人男性と東欧人女性が、難しい顔をする四七二号の黒髪をくしゃくしゃと掻き撫でた。

 そのくすぐったさに、四七二号は目を細める。


「四七二号は分かりやすいんだ」

「そうそ、ババを睨んでるんだもん」


 どうしてそれをもっと早くに言ってくれなかったのだろうか。

 四七二号が三人を睨み回すと、彼らは「はいはい」と諦めた表情で席に着いた。


「今の目、カザネ主任にそっくり」

「まったく、『早く仕事に掛かりなさい』と聞こえてきそうだ」


 カザネの態度は相変わらず冷たい。

 四七二号も、薄々と気づいていた。他の船員たちに与えらえている権限が、自分にはない。彼女が荒んだ目で自分を見るのは、そういう立場の違いなのだろう、と。

 その点、チャールズたちは、限られた時間の中だけでも、こうしてゲームに誘ってくれる。おかげで、彼らから思考を学ぶことができるのだ。

 配られた手札を広げると、嘲笑を浮かべる道化師と目が合った。


「ははん」


 チャールズがにやりと笑みを浮かべる。


「お前、引いたな?」

「……引いていない」


 ジョーカーから視線を逸らして、他のカードを見つめる。同じ轍は踏まない。そう決意するのだが、上がり順は先ほどと同じ、東欧人女性、黒人男性、そして――

 チャールズが四七二号の手からジョーカーを摘む。

 よし!

 と、思った矢先だ。


「これがババだな」

「え」

「ぷっ、くく……今度は見ないように意識しすぎなんだよ!」

「あ?」


 唖然とする四七二号に対し、チャールズは冷酷だ。ジョーカーを引くと見せかけ、残った一枚をぱっと取ってしまう。

 またもや、愉快そうな笑い声が密室にぐわんぐわんと反響する。


「何故だ……何故勝てない……」


 四七二号が頭を抱えた、そのときだ。

 ドアが横にスライドして、音が外へと逃げていく。

 大股に踏み込んできた人物は、硬い表情のカザネだった。


「何をしているの!?」


 和やかな場の空気が、彼女の怒声であっさりと崩れる。チャールズは慌ててカードを掻き集めて隠そうとするが、もう遅い。


「実験体との接触は避けなさいと、命じたはずよ!」

「あー、いや、主任」


 チャールズがぎこちない笑みに不満を隠して、反論を試みる。


「以前はこうだったじゃないですか」

「前は前よ。いいから、早く外に出て!」

「……了解」


 ばつが悪そうに隔離室から退出する間際、チャールズが四七二号に軽く目を瞑ってみせる。

 それがどんな意図なのかは分からないが、四七二号も笑みを返す。


「あなた……いつから……」


 カザネが掠れ声で呻く。

 彼女の恐れるものを誤解した四七二号は、擁護を試みるのだった。


「彼らにゲームを教わっていた。ただそれだけだ。俺は感謝している」

「やめて」


 聞きたくない、とばかりに背を向けたカザネは、再び四七二号を孤独の檻へと閉じ込めた。

 ロックされたドアを睨みつける目には、確かな敵意が宿っていた。

 なんなんだ、あいつは。

 チャールズたちも大変だな。

 四七二号は子供同然に不貞腐れて、ベッドに身を投げ出す。


   ○


 検査室で定時の体調チェック中、室内の通信システムが呼び出された。

 四七二号の心電図を測定していたカザネは、不審顔でメガネのずり落ちを直し、通話口に立つ。

 この部屋では、何故か受話器を使う旧型が備えつけられていた。恐らく、被検者に話を聞かれないためだろう。


「はい。……ええ、経過は順調よ。……会議? 今から? 分かったわ、少し待ってもらってちょうだい」


 しかし、寝台に横たわる四七二号の耳には、相手の声が聞こえていた。


『四七二号はどうかね。それは何より。ミカナギくん、会議室に来てもらえるかね。軍部のお偉方がいらしている』


 カザネが苛立たしげに振り返り、チャールズ、他二人の研究員たちに軽く頭を下げた。


「ごめんなさい。四七二号の検査は続けてちょうだい」


 そう言い残して、部屋を足早に出ていく。

 微かに全身が強張っているような違和感が、彼女の一挙一動から伺えた。


「なあ、チャールズ」

「あん?」

「カザネ主任とは、どんな人物なんだ?」


 質問がそんなに意外だったか、チャールズは一瞬目を細める。が、すぐにいつもの親しげな調子で答えるのだ。


「輝かしい天才、ってやつだ。少なくとも、ザトウ号に来るまではな」

「どういうことだ?」

「二十歳そこらで、生物工学の世界に名前を残している。細胞サイズの機械関連での新進気鋭ってところだった。最近は――行き詰まっているみたいだが」

「細胞サイズの機械を研究しているカザネが、何故、俺の管理を?」


 チャールズは今度こそ顔をしかめて黙り込んだ。

 素早く代わりを引き継いだのは、東欧人女性だった。


「ホント、主任、気ぃ張っちゃってるよね。ま、色々プレッシャー掛かっちゃって大変だからかな」

「色々……」


 四七二号は推測する。たとえば、『軍部のお偉方』とか、か?

 それがどんなプレッシャー、圧力になっているのかまでは分からないが、カザネの表情は確かにネガティブなものだった。


「はい、おしまい。お疲れ、四七二号」


 胸に張りつけられた電極を、東欧人女性が丁寧に剥がす。


「血圧、脈拍以上なし」


 黒人男性がタブレット型端末にデータを入力した後で、膨大な量の調査項目を表示させる。一般的に用いられる心理尺度だ。


「毎度面倒だろうが、頼む」

「了解」


 四七二号が画面を軽く叩き始めて、十数分が経っただろうか。

 再び通信コールが鳴り響いて、観察報告を作成していたチャールズがイスの上で飛び跳ねた。

 黒人男性が目も合わせずに促す。


「早く出ろよ、第一助手」

「ああ、くそッ、お前のほうが近いだろ――もしもし?」


 検査台に腰かけていた四七二号は、再び耳を澄ます。

 受話器から漏れる声は、カザネのものだった。


『みんなで会議室に来てくれるかしら。ちょっと面倒なことになったわ』

「はあ。了か――っと、四七二号が移っちまった。今すぐに」

『お願い』


 通話が一方的に切れる。

 チャールズはあからさまに嫌そうな顔で、吐息をついた。


「人使いが荒いんだから、主任は……会議室に呼び出しだ」

「ホントに人使いが荒いのは、もっと上だったりして」


 東欧人女性がくすくすと笑う。

 研究員三人はぞろぞろ部屋を後にしようとして、最後にチャールズが振り返った。


「四七二号、ちょっと待っていてくれ」

「ああ、分かった」

「悪いな」


 彼は軽く右手を振って、先に出た二人の後を追う。

 一人残された四七二号は、検査台から立ち上がって部屋を見渡す。


「そういえば……」


 彼らは一体、何を検査しているのだろう。訊いたことがなかった。

 正確には、訊こうとしたところで誤魔化されるので、今まで知らされずじまいだったのである。


 四七二号はほんの好奇心から、機器や端末を見て回る。彼がそんな行動に出ると、研究員たちは思いもしなかったのだろうか。ほとんどの電源は入ったままだ。

 そして、こうも思い至らなかったのだろう。

 観察対象が、いつからかこちらを観察していた、などと。


 四七二号は見様見真似で端末を操作する。体調データの推移がまとめられていて、大きな変化が見て取れない、横ばいのグラフが表示されている。

 別のウィンドウには、レポートを格納したデータフォルダが表示されていた。


『四七二号』

 その隣に、『四七一号』というフォルダを発見する。


「……一号?」


 普通に考えれば、自分よりも先に生まれた実験体の番号だ。しかし、そんな個体とは会ったことも話に聞いたこともない。


 一体、どんなやつなんだ?

 四七二号は、無邪気に、そのフォルダを開いた。

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