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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第六話 災いの風、誘いし影
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[06-4]

 カザネ・ミカナギは確かに死んだはずだ。

 死の船と化したザトウ号の中、電磁誘導式のアサルトライフルに撃たれながらもシナツと九一○号を引き合わせ、そして息を引き取った。


 どうして地上にいる。

 どうして生きているんだ。


 その答えは、明白だ。

 考えられる可能性は一つしかない。

 息絶えたベンティスを持ち上げたままで微笑む〈潜伏者〉に、シナツは険しい顔つきで問うのだった。


「お前は……カザネなのか?」

「私は私よ、シナツ。顔を忘れちゃったのかしら」


 彼女は目を細め、眉間に指を押し当てた。メガネの位置を直すときの癖だ。だが、それはシナツを満足させる答えではなかった。


「あなたと偶然を喜び合いたいけど、それどころじゃないようね。目的は果たしたし、私は退散するわ」


 カザネの視線が、シナツと同行しているディゼ、ルシエノの二人に向けられる。その瞳には敵意の炎が宿っていた。

 横に並んだディゼが、能力の発動を一瞬躊躇う。


「カザネって、ザトウ号の――」

「いいや、こいつはフォービドゥンだ! 躊躇う必要はない!」


 その言葉で、少女は交戦状態へと思考を切り替えた。

 だが、ほんの僅かな遅れの間にも、カザネは人外の素早さで動き出していた。

 琥珀の瞳が煌めき、気密服の女を焼く――はずが、赤熱が焦がしたのは盾にされたベンティスの肉体のほうだった。


「まだまだね、お嬢さん」


 カザネは燃え盛るベンティスをディゼに向かって片手で放り投げる。

 その間に、ダウンジャケットを脱ぎ捨てたシナツが外骨格を纏って割って入る。


 ベンティスはフォービドゥンによって殺された。

 ただの盾ではない。

 体内に侵入したルキフェル因子が爆発的に増殖し、男を生ける屍に変えている。


 三人のデバイスが人類の敵を感知して、警報を鳴らした。

 さらに、服が激しく燃え上がってスプリンクラーを作動させる。

 天井から吹き出したスコールがフローリングを叩く。部屋はあっという間に水浸しだ。

 マンション中に火災警報が鳴り響き、住人たちが再び廊下に飛び出す。


 シナツの注意力は削がれていない。

 目から光を失ったベンティスがシナツに掴みかかってきたのである。


「がぁあァッ!」

「学習能力がないな、ベンティス!」


 一度目と同じように足を刈り、床へ転ばせる。

 今度は高圧の生体電流を流して――

 床に突いた膝が、水に濡れる。

 その感覚に、すんでのところで気づいた。

 シナツが放電すれば、室内にある物は全て破壊されるだろう。

 当然、電流はディゼにも襲いかかる。

 彼女はシナツが能力を封じられていることに気づいていない。


「シナツ! あの人が逃げるわ!」


 カザネは既にカーテンの向こう、ベランダへと姿を消している。

 可能ならば、男はディゼに任せるべきだ。

 しかしながら、ここで手を放せば、男はディゼに向かっていくだろう。

 因子を焼き切るには余りにも距離が近すぎる。


「くそッ」


 シナツはベンティスの首に腕を回し、強引に引き起こした。


「ディゼ! やってくれ!」

「……分かったわ!」


 全てを悟ったディゼは、暴れるベンティスに視線を這わせる。

 頭部と胸部がマグマのように融解し、ぽっかりと穴を広げていく。

 露出した器官のことごとくが破壊され、彼の手足がびくんと痙攣した。

 よし、とシナツはベンティスを解放し、体を翻す。


「後は任せた!」

「オーケイ!」


 カーテンを掻き分け、さらにガラス戸を破ってベランダへ。

 高層マンション、二十九階。

 地面を見下ろせば、重力に引き込まれる錯覚に陥る。

 カザネの姿は見えない。

 隣の部屋に移ってもいないようだ。

 なら、上か!

 身を乗り出して上階を仰ぐと、壁に細い杭を打ち込んだような跡が残っていた。カザネが這い上がった痕跡に違いない。


『シナツさん』


 廊下のルシエノから、無線で呼びかけられる。


『〈潜伏者〉の反応、ロストしました。防犯カメラの死角で、突然消えてしまったかのように……』

「分かった。追って調査する」


 吐息をついて室内に戻ると、消火器を持ったディゼと目が合った。念入りにルキフェル因子を焼却していたのである。

 表情が暗いのは、濡れた髪や衣服が肌に張りついているからではない。


「シナツ……」

「ああ。お前も聞いたよな」


 外骨格を解除したシナツは悔しげに歯軋りをした。


「あいつは『私は私』と言った。俺のように意志が残っているのか、それとも……」


 ナノマシン群が使用している人格モデルに過ぎないのか。

 足元の炭化した塊を見下ろす。


「また来るとは言ったが――」


 こんな早く会うことになろうとは。

 目を閉じて、男の死を悼む。


   ○


 セントラルタワーのエレベータが最上階に着く。

 一人で訪れたシナツは、大股に議会室へと向かった。

 通路で出迎えたのは白ずくめの若い女、ダアトが一人、マルクトだ。


「シナツ……」


 手を伸ばそうとする彼女を視線で威圧したシナツは、ノックもなしに扉を乱暴に開け放った。


「ケテル!」


 大男は円卓の向かいに座っていた。

 他にも八人、初めて見る賢者たちが同席している。

 シナツはマルクトの席の横に立ち、円卓に平手を叩きつけた。


「ああ、考えもしなかった俺が間抜けさ。亜空間に飛び込んだのは二人だけじゃない。ザトウ号もだ! だが、どうして機関のデータベースにはザトウ号の記録がない!」

「未確認がゆえ」


 以前聞いたときから変わらず、動揺を一切見せないケテルの声だった。


「我らの活動領域には限界がある。遠方に漂着していると推測できる」

「推測、だ?」


 シナツは「はん」と笑って、ホログラム投影を介して一堂に会する賢者たちを眺め回した。


「把握しているワケがないんだ。カザネは俺に『二百年ぶり』と言った。漂着物による地上の大破壊も二百年前らしいな。大した偶然だと思わないか?」

『シナツ・ミカナギ』


 ケテルの右隣の男が名を呼ぶ。コクマーだ。


『何が言いたい』

「お前も賢者の一人なら、先回りしてみせたらどうだ。通常の漂着物に混ざって、ザトウ号も二百年前に〈浮上〉していたんじゃないのか。ってことは、どういうことか、分かるよな」


 黙り込むコクマーに憎悪を滲ませた視線を向ける。

 シナツの形相は、地上を訪れたときへと逆戻りしていた。


「ルキフェル因子は類似研究なんかじゃない。オーバーライト・セル、そのものだ。どうした、何をぼさっとしている。ここにフォービドゥンが一匹、侵入しているんだぜ!?」

「違う!」


 反射的に叫んだのは、扉の前に立っていたマルクトだった。シナツが振り向くと、体を小刻みに震わせて俯いてしまった。


「違う……」

「然り。全ては汝の推測に過ぎぬ」


 こつこつと拳骨で円卓を小突くことで、ケテルはシナツの意識を引き戻した。


「ザトウ号がダアト設立以前の漂着物ならば、我らとて後手に回るしかあるまい。汝は何をすべきと考えるのだ」


 やっぱりそう来たか、とシナツは失望を表情に出した。


「それを考えるのがあんたらの仕事だろう。話を逸らすな、ケテル」

「……話とは?」

「ベンティスに会ったのは、俺が搭乗したポッドど同型の漂着物絡みで情報を持っていると踏んだからだ。ところで、九一○号の話は伝わっているだろ?」


 ケテルは微動だにしないが、他の賢者数人が軽く頷いた。

 ダアトは各人が独自の思考を持った上で、集合知を成立させている。決して一枚岩ではないのだ。


「あいつももう、地上にいるんじゃないのか」


 しかし、この質問には全員が沈黙する。

 仮面を着けていては、顔色も読めない。

 本当に人間と話しているのだろうか。

 そんな不信感が、シナツの苛立ちを加速させるのだった。


「カザネはあの男から何かしらの情報を引き出したようだ。あんたらの隠蔽したポッドにどんな機密があるかは知らないが――それが九一○号なら、俺にも関係のある話だ。もしもあいつに何かあったら……」


 そこで言葉を切り、不穏な気配を周囲に発する。

 そのときは、どうする。

 シナツもまた自身に問う。エデナスに留まっているのは、幼い九一○号を確保するのにセフィロト機関の組織力を利用できると考えたからだ。

 九一○号を失ってなお、ここにいる意味などあるのだろうか。

 ……最悪の可能性は考えるものではない。シナツはゆっくりと息を抜いた。


「九一○号は特異能力シンギュラリティを持っているはずだ。カザネなら当然知っているだろう。多分、フェアリアンのような――俺もよくは知らないが」

『実に興味深い』


 発言したのは、軽薄そうな声の男だ。


『おっと、失礼。僕はホドだ。以後、お見知りおきを』

「……顔も見せずに何がお見知りおきを、だ」


 ホドと名乗った賢者は肩を竦めた。ホログラム越しでも、笑っている気配がうっすらと感じられる。


『〈潜伏者〉がこのエデナスに潜む理由は、その子供の力を何かに利用したがっている、ときみは考えているのかな』

「フォービドゥンの目的は二つしかない。一に敵の殲滅で、二に自己保存だ。利用するなら、そのどちらかだ」

『なるほど、なるほど』


 思いがけないことを聞いたかのように頷いているのは、演技だろう。

 ホドは突然、ケテルへと向き直った。


『ケテル殿はどちらだとお考えで?』


 不意打ちを受けてなお、その男は即座に返答する。


「幼子の力を知らぬがゆえ、判断は下せぬ。我が希望を申すのであれば、自己保存にエラーが生じたと願いたい」

『だったら、どんなに都合のよいことでしょうな』


 ホドは肩を竦め、『ありがとう、シナツくん』と手を上げる。それが再び傍聴者へと戻る合図だったようだ。

 シナツは円卓から離れ、背筋を伸ばした。


「警告させてくれ、ケテル」

「許可する」

「あんたら自身も身を守るべきだ。九一○号に詳しい者は特に。それだけで、カザ――フォービドゥンの標的になる危険性がある」

「……留意しておこう」


 シナツは最後に全員を睨みつける。


「それだけだ。あんたらが仮面を取らない以上、話すことはもう何もない」


 退出の敬礼はなし。

 ザトウ号の生存者、シナツ・ミカナギは緊迫した空気を纏ったまま、議会室から立ち去った。


   ○


 マルクトが自分の席に戻ったところで、コクマーがケテルに顔を向けた。


『私は九一○号とかいう少女のことなど何も知らんぞ。どうなっている、ケテル』

「我も幼子の所在に関しては全くの無知である」


 他の者たちも互いに顔を向け合う。その仕草は、素性を知らない者同士が抱える疑念を孕んでいた。

 多くの者が、十年以内に新しく任命された賢者だ。

 先代が隠蔽したであろう漂着物の全貌を知る者は少ない。

 混乱する賢者たちの中で、ホドただ一人がくつくつと笑うのだった。


『諍いを避けるための仮面が仇になるとは。過去の賢者からお話を聞こうにも、誰がそうなのか分からない。シナツくんの言う通り、仮面を外す時が来たのかもしれませんよ』

「その時は……」


 ケテルにしては珍しい間の置き方に、全員がはっとしたように大男を注視した。


「人類が次の段階へと進む時だ」


 それきり誰もが黙り込み、そして誰もが思案するのだ。

〈潜伏者〉、九一○号、シナツ。

 三者が巡り会ったとき、何が起きるのか――

 災禍の引き金になるだろうことは、容易に想像できた。

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