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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第六話 災いの風、誘いし影

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[06-3]

 高層マンション、二十九階。

 エレベータから降りたシナツは、床の赤い廊下を目にして猛烈な眩暈に襲われる。


 カーペットの感触を楽しむルシエノが「なんだか、高級ホテルみたいですね。贅沢……」とシナツに振り返って、微笑みを凍りつかせる。


「ど、どうしました!?」

「いや、ちょっと、違う……違うんだ」


 地上に訪れてから、狭い通路を歩いたことは何度もあった。赤色を見たことも数え切れない。

 ならば、何がシナツに幻覚を見させているのだろうか。

 慌てて駆け寄る少女が、血の海を泳ぐ実験体の姿と重なる。

 シナツは心の声で強く自分に言い聞かせる。

 ここは地球だ。ザトウ号じゃない。


「大丈夫だ」


 言葉とは裏腹に、苦しげだ。


「問題ない」

「とてもそうは見えません」


 ルシエノはシナツの額に手を当て、続いて呼吸、瞳孔を確かめようとする。

 心地よいはずの手の温もりを、反射的に跳ね除けて拒絶してしまう。

 彼女は気にした風でもなく、青ざめた顔を覗いてきた。


「シナツさん。カウンセリングは受けていますか?」

「いいや。受けて、どうする」

「任務中にこうなったことは?」

「ない。病人扱いはやめてくれ……俺は平気だ」

「シナツさん」


 再びの呼びかけに、青年は肩を震わせて振り向く。ルシエノの翠玉の瞳は穏やかだ。


「今、何が見えているんですか?」


 シナツは喉を鳴らし、声を絞り出す。


「ザトウ号の通路だ。おかしいよな、血の臭いなんてしないのに」


 強がって笑おうとしたのだが、まるで犬歯を剥き出しにして威嚇する獣のような顔になってしまう。

 壁に肩を預けるように前へと足を運んだ。

 靴底がカーペットに沈む。


「ベンティスの部屋はどこだ」

「……二九○八号室です」


 よし、とシナツは頷いた。

 そこまでが果てしなく遠く感じる。だが、ここで退くのはありえない選択肢だ。隠蔽案件に関わっている人物である。行方を眩ますかもしれない。

 長い時間をかけて部屋に辿り着いたシナツの代わりに、ルシエノがインターフォンを押す。

 通話に出たのは、威圧的な男だった。


『誰だ』

「マクラプ通信会社の者です。お伺いしたいことがございまして――お時間を頂けないでしょうか」

『聞いたことない会社だな』

「はいっ! 新設したばかりのサービスなんです!」


 多種多様な人種が入り乱れるエデナスにおいて、オフィススーツという記号は弱まっている。

 その上で、リストデバイスから架空会社の社章まで投影してみせるルシエノだった。

 一見すると、意欲的な新人訪問勧誘員のようだ。


 少ししてロックが解除されると、ドアに僅かな隙間が生まれた。

 部屋に明かりは灯っていないようだ。

 警戒心を露わに顔を覗かせたのは、ウェーブがかかった長髪の、痩せた男である。

 年齢は四十代。肌は褐色。顎に無精髭を生やしていて、厳しい目つきを廊下の照明でさらに細めている。暗い場所を好むのか、あるいは眼球が光に弱いのかは定かではない。

 この男がベンティスなのだろうか。


「えっと……」


 強張った微笑を浮かべるルシエノを押し退けるように、シナツがドアを閉められないようにがっしりと掴み、爪先を隙間に押し込む。


「話を訊きたい」


 そう言って、力任せにドアをこじ開け、チェーンを引き千切る。

 一方で、ベンティスは腰の後ろに回していた手を侵入者に向けた。

 握られているのは黒いハンドガン。その銃口が、寸分違わずシナツの胸を狙っている。


「銃を所持!」


 思考を戦闘モードに切り替えたシナツは警告を発し、自らは臆さずに前進する。

 引退したとはいえ、ベンティスは元特務課だ。

 判断も行動も迅速である。

 なんの躊躇いもなく引き金を絞る。

 銃口から閃光が咲いた。

 心臓目がけて飛び出した銃弾を、しかし、シナツは突き出した左手で受け止める。その手のひらは既に外骨格を纏っていた。

 そのままの勢いで銃口を押さえ、さらに右手で掴んだベンティスの腕を壁に叩きつける。


「くっ……!」


 発砲が繰り返される。

 平和なマンションに何発もの銃声が響き渡るも、シナツの手のひらからは血の一滴も流れない。弾頭が潰れ、砕け、激しい火花を散らす。

 数秒の格闘の末、拳銃が床にごとんと落ちた。


「くっ!」


 ベンティスの歪んだ顔が、一瞬で床に叩きつけられる。

 シナツが足を払って倒したのだ。

 廊下では住人が何事かと顔を出しているらしく、ルシエノの「危険ですので室内に戻ってください!」という警告が聞こえてきた。


「貴様ら……」


 関節を極められ、身動きの取れないベンティスは憎々しげに呻く。


「消しに来るならあいつ自身だと思っていたがな!」

「……『あいつ』?」


 問い返したシナツの態度から、殺し屋ではないと悟ったか、ベンティスは僅かに目を動かして狼狽える。


「落ち着け、俺たちはあんたの命を取りに来たんじゃない。話を聞きたいだけだ」

「話だと?」

「十年前に発見された漂着物だ。亜空間から出てきた可能性がある。……ルシエノ」


 背後で玄関のドアを閉めた少女が「はい」とポッドの映像を宙に出す。


「この型をご存知ですよね、ベンティスさん」

「……知らん」

「当時の特務課の任務状況から、あなたの所属していた第三班が関与したと、私は推測しています」

「見当違いだな」


 しらを切るつもりだ。

 シナツは元職員の襟を掴むと、広い部屋に置かれたソファへと力任せに放り投げた。


「ぐっ……」


 衝撃に顔を歪めながらも、すぐ涼しげにシャツの乱れを正す。


「さては貴様ら、独断で動いているな。ダアトが知ったらただでは済まんぞ。漂着物を調べてどうする。技術を横流しして金儲けか?」

「違う。あんたの見つけた漂着物に、生存者は乗っていなかったか?」

「はっ、何をばかな。生存者だと? いるはずがない」


 薄笑いを浮かべながらも、視線は油断なくシナツに向いている。

 だから、シナツは相手の懐へと飛び込むのだった。


「俺も同じ型の脱出ポッドで地上に漂着したんだ」


 ベンティスの目が細められる。真偽を疑っている、という表情だ。

 シナツはなおも続ける。


「搭乗していた船はザトウ号。生物兵器が暴走して、船員のほとんどが死んだ。俺は隠蔽のための亜空間潜航に巻き込まれて――気づいたら、地上だったよ」

「……貴様」


 男は呻いてすぐ、視線を逸らした。


「よくできた作り話だ」

「事実は小説よりも奇なり、という格言がある」


 シナツは床に落ちていた拳銃を拾い上げ、おもむろに銃口をベンティスへ向けた。


「……シナツさん!」


 ルシエノの咎める声をも無視して、知らぬ存ぜぬを貫く男を睨みつける。


「俺はあの子を守れと命じられている。痕跡を消されて幽閉されているなら、俺が必ず救い出す。たとえダアトを敵に回すとしてもな!」


 背後で少女が息を呑むのにも気づかずに、シナツは引き金に掛けた指に力を加える。

 ベンティスは鼻から息を抜いて、答えた。


「撃ってみろ。それでなんになる。死体を一つ作っておしまいだ。それが貴様の望む結末か?」

「弾一発で迎える結末じゃない」


 シナツは銃口を逸らして発砲した。

 薬莢がフローリングを転がり、ソファに開いた穴から焦げた匂いと煙が立つ。

 それから、マガジンを引き抜いて残弾を確かめる。


「残り五発。全部食らっても、あんたは黙ってられるかな」

「さあて」


 ベンティスがにやりと笑う。


「できる死体が二つになった」

「や、やめてください、シナツさん。銃を……下ろしてください」


 肩越しに振り向くと、怯えた顔のルシエノがハンドガンを両手で構えていた。銀色のスライドが鈍く光る。


「いくらなんでも……やりすぎです」


 くくっ、とベンティスの笑い声が部屋に響く。


「だ、そうだ。彼女も殺すのか?」


 だめだ、とシナツは考える。完全にこの男のペースに乗せられている。

 緊張を孕んだ沈黙が流れることしばらく、苛立ちに任せて叫ぶ。


「俺はカザネと約束したんだ! その約束を破るわけにはいかない! そうでなきゃ、俺が生きている意味がなくなってしまう!」


 びりびりとガラス戸が震える。

 肩で息を荒げて銃の狙いを乱すシナツに、ベンティスは笑みを消して応じる。


「だが、それはその子供の生きる意味ではない」

「な、何?」

「その子供はお前に守られるために生き延びたのか?」


 まるでレールガンで頭を狙撃されたかのような衝撃が頭を揺さぶった。

 突然、カザネの最期の言葉が脳裏に蘇る。


『生きなさい』


 じりじりと後ずさりながら、呼吸を整える。


「何が……言いたい」

「そのくらい、自分の頭で考えることだ」


 そう言って、死を覚悟したかのように目を閉じる。

 いや、覚悟を決めたのは今ではない。


『消しに来るならあいつ自身だと思っていたがな!』


 それが誰を指しているのかは定かではないが――

 シナツは茫然と銃を下ろし、ワークデスクにゆっくりと置いた。

 同時に、ルシエノがへなへなと床にへたり込む。


「す、すみません、シナツさん。でも、私――」

「謝るのはこっちだ、ルシエノ」


 我に返ると、背筋が汗まみれである。シナツは少女に向き直り、そして、唖然とした。

 彼女の拳銃には安全装置が掛かったままだったのである。

 シナツとて、ベンティスを撃とうと本気で考えていたわけではない。だが、安全装置を外していたのは確かだ。


「……すまない」

「え、あ、はい?」


 わけも分からずに顔を上げる彼女の手を握って、引き起こす。


「帰ろう。この男は口を割らない。折角の手がかりをふいにしてしまったな」

「も、もしかしたら、他にも何か……!」

「いいんだ。これ以上、お前が危ない橋を渡る必要はない」


 シナツは彼女の背中を押して、部屋からの退出を促す。

 最後にベンティスへ振り返って、喉を唸らせた。


「また来る。答えを見つけてからな」


 その言葉に、男は微かに笑った。

 シナツの見間違いでなければ、敵意の欠片もない表情であった。


   ○


 マンションのロビーに下りると、見慣れた顔が二人を待ち受けていた。


「でぃ、ディゼさん!?」


 あたふたと慌てふためくルシエノだったが、もはや何もかもが手遅れだ。

 ディゼは険しい顔で二人を交互に睨む。


「住民から通報を受けたのよ。それで、休暇を楽しんでいたあたしのところに、ダアトから命令が来たってわけ。必要があれば、暴走している職員を止めるべし。どういう意味か分かる?」


 ルシエノの顔はすっかり青ざめてしまっている。

 彼女を庇うように、シナツは前へ出た。


「ルシエノは関係ない。俺が脅迫した」

「し、シナツさん!?」

「ダアトは何かを隠している。会ったときから、そんな直感があった」


 ふん、とディゼが腕を組む。


「あたしはセフィロト機関の一員よ。見逃すとでも思った? その気なら受けて立つわよ」

「いいや。お前はそうするだろうな。それができる人間だ」


 視線の交錯は一瞬。

 ディゼは重い溜息をついて、前髪を掻き上げた。


「ほんっと、あなたと会ってからというもの、気苦労ばかりだわ」

「なら、関わり合いにならないほうがいい」

「なんですって!?」


 ディゼは目尻を吊り上げて、人差し指でシナツの胸を突いた。


「もう無視できないくらい関わり合いになってるの! 大体、嘘下手すぎ。ルーシーが怪しい調べ物をしていたのは知ってたわ。ちょっとは相談してほしかったわよ!」


 マシンガンのように詰る彼女の勢いに、シナツは「あ、ああ」と両手を上げる。


「……すまない」

「『すまない』で済んだら始末書はいらないの! 今だって、あたし――二人がどうなるかって不安なのよ!? 後のことは考えているんでしょうね!」


 ぜえぜえと息を荒げるディゼだった。

 後のこと――

 シナツは力なく首を横に振る。


「……もう」


 ディゼは口を尖らせて、そっぽを向いた。


「休暇は返上。オフィスに戻って、ダアトの沙汰を待つわよ」

「了か――いッ!?」


 シナツは目を見開き、頭を押さえてうずくまった。

 ぴん、と甲高い音が鳴り響いたのだ。


「ちょっと、シナツ、どうしたの?」


 傍らに跪く彼女の声は、高周波音に掻き消されない。つまり、鼓膜とは異なる器官を刺激されているのだ。

 規則正しい音のリズム。

 それは、間違いなく。


「――救難信号だ!」


 三人は素早く周囲を見渡したが、不審人物は見当たらない。

 シナツは拳を握り締める。

 どうしてこんなところで――いいや、ヤツの目的はここなのだ。


「ああ、くそッ!」


 急いでエレベータ・ホールへと引き返し、呼び出しボタンを叩く。二人が下りてきた際に乗ったかごが、まだ一階に留まっていた。

 少女二人が、シナツの後を追って乗り込んでくる。


「説明してちょうだい」

「〈潜伏者〉がこの辺りで目撃されている」

「なんですって? そんな情報は初耳――」

「今しがた会った男は、元特務課だ。ダアトが隠蔽する漂着物に関する情報を持っている」

「つまり?」

「狙いはその男の可能性がある。俺の勘だがな」

「オーケイ」


 ちん、と間の抜けた音を立てて、エレベータが二十九階に着く。

 シナツは二九○八号室のドアノブを激しく回すが、既にロックが掛けられてびくともしない。

 それが、いきなり開錠された。


「セキュリティを外しました!」


 ルシエノの早業である。

 さすがだ、という称賛を後回しにして、薄暗い部屋に突入する。



 奥から風が吹き抜けた。



 締め切られた遮光カーテンが波打っている。

 床には割られたガラス戸の破片が散乱していた。

 室内に人影は二つ。


「ベンティス……」


 男はシナツの声に反応を示さない。

 壁に押しつけられて、手足を弛緩させている。

 その胸に、女の腕が突き刺さっていた。

 シナツと同じ黒い髪に、白い気密服。


「ど、どうして……」


 無意識に発せられた、シナツの呻き声だ。

 瓜二つだ。

 見間違えようがない。

 だが、そんなはずがない。


「あら、髪、伸びた?」


 と、女は優しく微笑んだ。

 忘れようのない、表情だった。


「二百年ぶり、ってところね、シナツ」

「どうして……お前が……生きて……」


〈潜伏者〉。

 その者の名を、掠れ声で叫ぶ。


「カザネぇッ!」

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