[06-2]
翌日、昼下がりの午後。
モノレールから降りたシナツは、ステーションの改札口付近でルシエノの姿を探した。
昨夜から様子のおかしかった彼女は――いた。カフェテラスの席で、カップに口をちびちびとつけている。
タートルネックのニットに短いスカート、黒いタイツに革靴という私服姿だ。ベージュのダッフルコートを隣の椅子に掛けている。
非番だというのに、右耳にはイヤーカフを装着していた。
「待たせたな」
声をかけられて、彼女は慌ただしく立ち上がる。
遅れてシナツの姿を認めた目の下には隈ができていた。
「あ、シナツさん……おはようございます」
「おはよう、という時間でもないけどな」
苦笑いを浮かべたシナツは、彼女の飲み物を覗き込む。
コーヒーである。
あまり眠れていないのか、カフェインを摂取していたらしい。
「……大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
微笑みすらも弱々しい。
ルシエノの向かいの席に腰を落ち着かせると、女性店員が注文を取りに歩み寄る。
シナツはコーヒーを指差した。
「彼女と同じ物を」
「ぅえっ!?」
大げさに驚いたのはルシエノだ。訝しげに青年の顔を観察して問い詰める。
「こ、こ、これ、コーヒーですよ! 苦いですよ!?」
「それくらい知っているさ」
シナツに視線で促され、店員は笑顔で「かしこまりました」と電子伝票を差し出す。コードをリストデバイスで読み取って認証すれば、口座から支払われるシステムだ。
第三者が立ち去った後もルシエノはジト目を崩さない。
「……本当に、シナツさんですよね」
「ああ?」
「覆面を被った別のどなたか、ではありませんよね?」
「俺は俺だ」
シナツは背もたれに体重をかけ、後頭部を撫でる。
「いつまでもゼリーばかり食ってもいられないからな。荒療治には、人が好んでいる物を模倣するのが手っ取り早い。それに……」
「それに?」
「格好がつく」
ルシエノは珍しくきょとんとしてシナツを見つめた。
間もなく戻ってきた女性店員が、カップをテーブルに置いた。そして、二人を交互に見てから、悪意の欠片など一つもない笑顔で言い残すのだった。
「どうぞ、ごゆっくり」
穏やかな晴れの日、二人の男女が喫茶店で待ち合わせ。
それがいわゆる、デートの形式になっていると気づいて、今さらのようにルシエノの顔が赤く染まる。
両手でマグカップを包むように持ち上げ、ちびり、と唇をつける。
それから上目遣いにシナツの顔色を窺ってから、すぐに表情を引き締める。
「シナツさん。言っておきますけど――」
「俺が研修で離れている間に、何か分かったんだな?」
コーヒーを一口、しかめ面で砂糖を少しずつ混ぜて試すシナツ。
ルシエノはぎこちなく頷き、周囲を確かめてからリストデバイスにデータ送信ケーブルを差した。
「接続、お願いします」
何者かに傍受される危険性を考慮した手段だ。
……何者か?
セフィロト機関だろう。
シナツはジャック型の端子を自分のデバイスに挿入した上に外骨格で覆う。こうすることで、スキャンした空中投影の光を視界に映すことが可能なのだ。
データの送信が完了した。
最初のレイヤーは、ザトウ号に搭載されていた脱出ポッドと、同型と思われる漂着物である。
ルシエノがイヤーカフから伸ばしたケーブルをデバイスのマイク端子に繋げた。通話も有線で行うようだ。
それを見て、シナツもマイク端子にナノマシンを侵入させる。
『九一○号……さんも、同型の脱出ポッドで亜空間に呑み込まれた、というお話を窺ってから、勝手ながら過去の漂着物データを調べていたんです』
『まさか見つかったのか!?』
『……すみません。九一○号さんに関する情報は皆無でした』
シナツは無意識に乗り出していた体を背もたれへと戻す。
『だよな。まあ……同型のポッドなんて他の船に山ほど搭載されていただろうし……』
『でも』
ルシエノは強い語気でシナツを見つめた。
『亜空間から生還した例はシナツさんのポッドと、十年前の漂着物のみです』
『……なんだって?』
コーヒーカップに伸ばした指が震えていることに気づいて隠す。
『漂着者は、俺だけじゃないのか?』
『人が乗っていたのかどうかは分かりません。もしかしたら、搭乗者は死亡していたかも』
死亡、という部分だけ消え入るような声で囁く。
シナツはごくりと喉を鳴らしてページを切り替える。ルシエノが発見したという漂着物だが、どこにも亜空間から現れたという記載はない。
それを指摘するなら、だ。
『ああ、そういうことか』
シナツが搭乗していたポッドからも、多くの記録が抹消されている。
肉体を構築するリライト・セルは、ルキフェル因子の働きとほとんど変わらない管理外技術だ。そのことを一般市民が知ったら、差別と偏見の目を向けるだろう。シナツが地上で生きるために、あえて情報を隠蔽したのだ。
……本当に、そうなのか?
『どうしてこれが亜空間を通ったと分かったんだ?』
『観測所の記録と照らし合わせたんです』
『観測所?』
『ええ。漂流物の動きを追跡している施設です。自転の関係で、正確とは言えませんが――それでも、発見の遅れは一度だってありませんでした。なかった、はずなんです』
彼女の表情は、どちらかといえば後悔の色が強い。
『十年前、確認時刻は〇四一三。観測システムが、大気圏に突入する未確認物体を検知しています』
「それって、俺が来たのと同じ――」
声に出してしまったことに気づいたシナツは、コーヒーを飲む仕草で誤魔化す。
『……同じ時刻じゃないか!』
『もちろん、偶然かもしれません。亜空間の〈門〉は定時に開かれるとか――ともかく、前例はあったんです。なのに、シナツさんはもちろん、私たちも調べられないように情報を隠蔽しているのは変でしょう?』
ルシエノは肩を落とし、重い溜息をついた。
『これってやっぱり……』
『ダアトのやつらが関わっている。あいつらは俺たちの任務を監視しているんだ。知らないはずがない』
テーブルに乗せた拳がみしみしと軋む。
十年前の漂着物が、ザトウ号から脱出したポッドかは分からない。だが、自分がこうして生きているのだ。無関係とはどうしても思えなかった。
じゃあ、なんだ?
九一○号は既に地上を訪れていたのか?
だとしたら、何故――
死亡。あるいは隔離。
シナツは頭にふっと思い浮かんだ悪い想像を振り払う。
『他に何か分からないのか?』
『残念ながら』
ルシエノ・アルファは凄腕のオペレーターだ。
任務に必要な情報を収集する能力に長けている。
そして、セフィロト機関によって生み出された人造人間、フェアリアンだ。
組織に対しては忠誠を誓っている。
だからこそ、『残念ながら』なのだ。
『当時の特務課の任務レポートから出動していた班を調べました。……ある一班だけ、非番でもないのに空白の期間があったんです。彼らが漂着物を確認した班かもしれません』
『そいつらの名前を教えてくれ』
口を動かさずに頼むシナツの顔は、鬼気迫るものがあった。
エデナス市民として、ではない。
シナツ・ミカナギとして、でもない。
四七二号として、この手がかりを追おうとしている。
そのことがルシエノにも通じただろう。彼女は目つきを険しくして、慎重に答えた。
『当時の特務課第三班は、二人だけでした。欠員が出た頃だったようで』
白い手がぴんと人差し指を立てる。
『一人目。ジヴァジーンという男性ですが、こちらはMIAとなっていました。個人に関わるデータも全て抹消されています』
MIA。作戦行動中の行方不明だ。
そして、中指がゆっくりと持ち上げられた。
『二人目。ベンティスという男性はすぐに引退して、一般人として生活しています。私と同じ、オペレーター畑の人だったようですね』
『そこまで追えるってことは――』
『ええ』
ルシエノは頷いて、勢いよくコーヒーを飲み干した。
『当人からお話を伺ってみましょう』
『あ、ああ!』
シナツもカップの中に残った黒い液体を喉に流し込もうとして――
「げほっ」
噎せた。
背中を丸めて激しく咳き込むシナツに、ルシエノが慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか?」
「問題……えほっ……ない……」
「……シナツさん、結構、我慢して飲んでいたでしょう」
バレていた。
顔には出していないと思ったのに、とシナツは笑みを浮かべる。先ほど気迫は鳴りを潜めたようだった。
「今度来たときは、ゆっくり飲みたいものだ」
「今度?」
「休日が被ったら、だ」
シナツは至って自然である。
当然、他意はない。
さすがにルシエノは照れ笑いで返すのだった。
「そうですね。また、来ましょう」
「ケーブル、抜くぞ」
「はい」
デバイスに接続していたケーブルを彼女に渡したシナツは、ソーサーを持ち上げた。
「あ、そこに置いておけば店員さんが片づけてくれますよ」
「……そうなのか」
二人は喫茶店から離れ、目的地へと向かう。
横に並んで歩くダッフルコート姿のルシエノに、シナツはふと思い出して尋ねた。
「そういえば――〈潜伏者〉の情報、どうして隠す必要があったんだ?」
「それがですね……」
しばし黙り込んでから、背の高いシナツを見上げる。
「一緒に来ていただければ、分かります」
「……ああ?」
ルシエノが連れてきたのは、高層マンションの建ち並ぶ団地だった。
そここそ、昨夜、ミケーレの言っていた『幽霊』が目撃された場所である。
「偶然にしちゃあ……」
「できすぎている、と思いませんか? 根拠はありませんけど……」
二人は互いに視線を交わして頷き合う。
〈潜伏者〉も十年前の漂着物について、何か知っているのかもしれない。
「こっちの棟です」
ルシエノの手招きに応じて、マンションへ入る。
玄関にはロックがかけられていて、来客は端末から住人を呼び出すシステムとなっている。
「どうやって入る。ハッキングするのか?」
「まさか。そんな強引なことはしませんよ」
ルシエノは微笑んで、端末から管理人を呼び出した。
「セフィロト機関です。捜査にご協力願います」
魔法の言葉ですぐにロックは開錠され、気の弱そうな男性が奥から出てきた。
シナツは「ふむ」と唸る。
「ムービーアーカイブで観たな、こういうの」
「私もです。一度でいいから、やってみたかったんです」
と、後方勤務の少女は満足げにはにかんだ。