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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第六話 災いの風、誘いし影

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[06-1]

 その日の勤務を終えたシナツは、機関付属病院を訪れていた。

 四人部屋の病室のドアをノックすると、中から「あいよ」と陽気な声が返ってくる。

 静かに入室したシナツを、アランとブルトーが手を上げて出迎える。

 アランは頸椎を痛めて、首をカラーで固定している。他も打ち所が悪かったらしく、包帯でぐるぐる巻きだ。

 一方、特別なサイズのベッドで部屋の半分を占領するブルトーは、主に腹部、それも内臓の損傷が激しかったらしい。医療用ナノマシンでの修復措置が終わるまで安静だ。


「もうすぐ退院できるって? 二人とも、丈夫だな」


 安堵の息をついたシナツは、新調したダウンジャケットを着ている。

 やはり機関の支給品で、以前と全く同じデザインである。

 アランは肩を竦めようとして、「あだっ」と首を押さえた。


「……手加減されたのさ。あの爺さん、厄介だぞ。多分、〈シュエロン〉の刺客だ」

「ジンプソン・リーに密造を指示していた組織――だったか? あの女の口振りからすると、報復という感じではなかったがな」

「じゃあ、どこかで恨みでも買ったんじゃないのか」


 しっしっし、と笑った彼は再び「うぐっ」と顔をしかめる。


「なんにせよ、〈シュエロン〉は厄介な組織だよ。間違いなく法に触れているが、ヘマして捕まるのは決まって下っ端だからな」


 アランは笑みを消し、真剣な目つきに変わった。


「警備課は〈シュエロン〉を追い続ける。ああいう手合いはシナツみたいなシンギュラーに任せたいが……そうも言ってられないか。明日からは特務課に戻るんだろ?」

「正確には明後日だ。その挨拶に来た。二人とも、世話になったな」


 シナツが胸に拳を当てると、負傷者たちもそれぞれ、安静を保った姿勢で返礼した。

 アランが軽い調子で呟く。


「特務課はフォービドゥンと漂着物絡みだろ? まだ犯罪者を相手にしたほうが気が楽ってもんだな」


 ブルトーのほうは表情が暗い。


「無事を祈っでいるぞお」

「お互いな」


 シナツは巨人の筋骨隆々とした肩に軽く手を置いた。


「市内にフォービドゥンが出れば、合同で処理に当たるかもしれない。二度と会えないわけじゃないんだ。そんな顔をするな、ブルトー」


 ブルトーはうむうむと頷き、広い手のひらで肩を叩き返した。

 さて、とシナツは病室を見渡す。


「〈シュエロン〉については俺も調べてみる。諦めてくれるとは思えないしな。それに、フォービドゥンを敵視しているのは同じらしい。次は対話を試みるさ」


 アランが呆れ顔で笑う。


「敵の敵は味方ってか? 襲われたっつうのに、余裕があるな」

「誤解なら、理解の余地はある」


 もちろん、剣と拳を交えることもあろう。

 だが、あの女暗殺者の弱点は既に把握していた。

 確かに身体能力は常人離れしている。気配を殺す技術も身に着けている。武術に至っては達人級だ。

 それでも、人間なのである。

 シナツのように全身の細胞がセンサーとして働くわけではない。一瞬で筋力を倍増できるわけでもない。


 こっちはカザネ・ミカナギ率いる科学者チームの技術の結集である。

 その技術をいかにして使いこなすか。女暗殺者に苦しんだのは技量の差だったのではないか、とシナツは分析していた。

 そういえば、ザトウ号のムービーアーカイブにカンフー映画があったな、と息をつく。


「……こっちで何か分かったら知らせる」

「頼むぜ、特務課」

 ああ、とシナツは頷き、病室を後にした。



 廊下では制服姿のクフィルと医師が立ち話を終えたところだった。

 シナツに気づいた彼女は、「ああ」と片手を上げる。


「来ていたのか。アランとブルトーは元気だったか?」

「特に問題はなさそうだ。むしろ、ベッドの上は退屈なようだぞ」

「……なら、心配することもないな」


 真顔で呟いたクフィルは、ふっと笑ってみせた。


「任務から外れていると緊張の糸が緩まってしまう。その状態で現場に出すのは危険なのだよ。それに、きみも特務課に戻るからな。戦力の計算を誤らないよう注意せねばならない」


 気苦労の多い指揮官である。シナツは口元を緩め、同情の意を表す。

 クフィルがベレー帽を取って目を細めた。


「ディゼを頼む。あの子は任務以外に背負っているものがある」

「家族のことか?」


 何も知らされていないと思っていたか、クフィルは目を丸くして驚く。


「なんだ……あの子から聞いたのか?」

「この間な。サバテにも会ったよ」

「……ふっ」


 真顔から一転、クフィルは吹き出しかけて「いや、申し訳ない」と謝った。

 その瞬間、いつもの『毅然とした隊長』風から、『面倒見のいいお姉さん』の表情を垣間見せたのである。


「あたしがあれこれ気を回すこともなかったか。とすると、シナツ。きみは随分と信頼されているようだ」

「さあ、どうかな。ディゼはまだ恐れているらしい」

「その『恐れ』を曝け出すということがどういうことか――」


 クフィルは小声で呟くと、含みのある笑みで首を横に振った。そして、シナツの肩を叩く。


「ともかく、頼んだ。また現場で会おう、シナツ」

「……ああ」


 不思議がりながらも答えるシナツの横を、クフィル・ツヴァイクが通り過ぎる。

 彼女が病室へ入ると、大げさに出迎えるアランの声とブルトーの歓喜が廊下にまで響いた。

 傍迷惑な騒ぎに、シナツは笑みを浮かべて背を向けた。


   ○


 アパートの自室に戻ったシナツは、ベランダに何者かの気配を感じて身構える。

 足音を忍ばせ、そっとカーテンを開ける。

 そこで夜空を見上げている者の正体を確かめ、ああ、なんだ、と脱力する。

 からからとガラス戸を開けると、三毛猫が耳を震わせて振り返る。その口がにやりと歪んだ。


「やあやあ、シナツのあんさん。お帰りなさいませ」

「……来ていたのか、ミケーレ」


 ミケーレは人語を操る猫だ。エデナスを渡り歩き、その日の食事を求める。代わりに情報を売っている、なんとも逞しい野良だった。

 段ボール箱からゼリー飲料を取り出すシナツに、ミケーレは「こりゃあ、ありがたい」と頭を下げた。


「今日はあんさんにいいお知らせがありますぜ」

「お知らせ?」

「あい。ほら、女の幽霊でさ」


 ……潜伏者!

 シナツは顔を引き締め、サッシに腰かけた。


「教えてくれ」

「幽霊を見たって仲間が何匹かおりまして。場所は――東地区の住宅団地ですわ」

「東地区……」


 新品のリストデバイスを起動し、地図に印をつける。


「それで?」

「みんな、決まってこうでさ。深夜、ふと月を見上げると――なんでそんな気分になるのかはあっしにも分かりませんよ。本能というやつですかね? もしかすると、あっしらの祖先は月から来たのかも。それでノスタルジーに浸って、鳴いちまうわけでさ」


 ミケーレはべらべらと喋った挙句、夜空に輝く衛星を仰ぐ。

 そのうち髭を震わせてぼうっとする猫に、シナツは苛立ちを抑えて問い質す。


「幽霊はどうなった」

「ふぎゃっ!」


 ミケーレが背中の毛を逆立てて振り返る。


「っと、こいつは失礼。どこまでお話しましたっけ」

「何も話していない。深夜、ふと月を見上げると。そこで脱線した」

「そうでしたそうでした」


 前足で目をぐしぐしと擦り、低い声で報告を続ける。


「高層マンションの屋上に人が立っているんですわ。あ、こりゃ飛び降り自殺だ、と思ったそうです。まあ、せめて自分くらいは死に顔を見届けてやるか、と近づいてみりゃ――この辺は前にお話した通りですね」


 シナツは喉を唸らせた。


「死体が見つからないんだな?」

「その通りでさ」


 ミケーレが口の端を三日月に吊り上げる。


「以前は猫どもの集会じゃないと聞かない噂話だったんですがね。最近じゃ、どうも場所が偏ってきてるようで。これはシナツのあんさんのお耳に入れておこうと思った次第ですわ」


 シナツは大きく頷いた。なんなら残りのゼリーパックを全部譲ってもいいと思ったくらいだ。


「協力感謝する」

「協力ですって?」


 ふん、とミケーレは誇らしげに鼻を鳴らした。


「取引の間違いでしょう」


 自尊心の強い猫だ。対等の関係をことさらに強調したのである。

 エデナスに住み着いた大勢の野良猫たちがミケーレの情報網となっているのだ。機関の分析官や犯罪組織のクラッカーとは異なる線から調査できる強みがある。

 シナツは「そうだな」と笑みを浮かべ、キャップを取ったパックを下に置いた。


「お前は優秀な情報屋だ」

「いやあ……そんなことは……ありますけどねえ」


 称賛の言葉よりも報酬のほうが大事らしい。ミケーレは目を輝かせて飲み口を咥え、前足でパックをぺしぺしと叩く。

 サッシに腰かけたシナツは、食事風景を眺めながら疑問に思うのだ。

 潜伏者がフォービドゥンだとしたら、何故、猫を襲わないのだろう。

 あるいは、猫たちが見た幽霊は潜伏者と全く異なる何かなのだろうか。

 それを確かめるのがシナツの任務である。


「ミケーレ」

「あい?」

「少し人と話す。言っておくが、盗聴はするなよ」


 猫は食事を中断し、にやりと口を歪めた。


「やだなあ、あんさん。そんな、信用を失うようなことはしませんぜ」

「どうだかな」


 シナツは部屋に戻り、ガラス戸をぴったりと閉じた。

 さらに十分な距離を置いて、リストデバイスの通話機能を呼び出す。

 連絡先は、特務課第七班オペレーター、ルシエノ・アルファだ。


『もしもし、ルシエノです』

「悪いな、こんな時間に」

『い、いえ! 明日のことですか?』


 明日は、第七班の非番の日だ。たまたまシナツが研修を終える翌日に重なっていたのである。よって、シナツが特務課として復帰するのは明後日からだった。


「いや、そうじゃない。潜伏者の目撃情報があった」

『……どこで、そんな?』

「まあ、ちょっとな」


 情報屋の野良猫について教えてもいいのだが、ミケーレはあくまでシナツ相手に商売をしたのだ。その義理は立てるべきだ、と思い留まったのである。


「そっちに目撃された場所を送る」


 先ほどチェックした地図データを共有する。

 その直後、ルシエノの声色が硬化した。


『……シナツさん。このマップ、機関のストレージに上げましたか?』

「いや、まだだ。そうしたほうがいいなら――」


 同僚のアップロード操作を制止すべく、ルシエノが鋭く叫んだ。


『いえ! 絶対に上げないでください! 今は、私とシナツさんだけの秘密にしてください!』


 何かを恐れるような、過剰反応だ。

 シナツは眉をひそめて尋ねる。


「ディゼにも話すな、ということか?」

『はい。ディゼさんは信頼できますが……巻き込むわけにはいきませんから』

「巻き込む? どういう意味だ」


 それこそ、明日の待ち合わせと何か関係あるのだろうか。

 ルシエノは小さな吐息の後で答えた。


『お会いしたときに話します』

「あ、ああ……分かった。じゃあ、明日会おう」


 全てはそのときに分かる。

 しかしながら、シナツは躊躇いがちに通話を切った。

 ベランダに戻ると、ミケーレが食事を終えていた。


「おや、浮かない顔ですなあ。あっしの情報は役に立たなかったんで?」

「機密だ」

「あい。無理には訊きませんぜ」


 野良猫はまだ夜の街を彷徨うつもりらしい。

 柵の細い隙間をすり抜け、塀に跳び移った。


「ご馳走になりやした、シナツのあんさん」

「……また来いよ」

「お言葉に甘えて」


 ぺろりと口の周りを舐めたミケーレは、軽い足取りで立ち去った。

 一方、シナツは溜息交じりにサッシへ腰かけ、夜風に当たる。

 不穏な気配が漂っていた。

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