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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第五話 白刃閃き黒鉄を断つ
21/41

[05-4]

 建設途中のビルへと逃げたシナツは、穴の開いたダウンジャケットを脱ぎ捨てた。

 胸の傷は完全に癒えていた。斬れ味の鋭い刃だったからこそ、却って大した消耗には至らなかったのだろう。

 応援要請を送ろうにも、リストデバイスは鉄串に貫かれて故障してしまった。

 自分一人の力で切り抜けるしかないようだ。


 剥き出しのコンクリートは冷たい。階段を上がると、外見よりも重い体が軋むような異音を立てた。

 数階ほどで、鉄骨の格子と防塵幕が張り巡らされたフロアに出る。

 この上には骨組みが組まれているだけで、空を仰げば輪郭の曖昧な月が望めた。

 制御変異したシナツの姿が暗闇にぼんやりと浮かび上がる。

 黒い外骨格の表面に走る青白い光の紋様は、全身を駆け巡る神経パルスだ。

 すっと足腰をバネにし、超人の跳躍力で骨組みによじ登る。追跡者を待ち伏せしようと考えたのだ。

 だが、背中には静寂が重くのしかかるばかりで、女暗殺者はいつまでも現れない。


 シナツは焦りを隠せずに拳を握り締める。

 焦る? 俺は……敵を恐れているのか。

 いいや、知らずに抱いている恐怖はさらに別の感情だ。

 敵は外骨格をも切断する武器を所持している。下手に隙を晒せば、手足を斬り落とされるだろう。それでも、四肢ならまだ再生可能だ。

 もしも首が胴から離れたら?


 生きるのよ、とカザネの声が再生された、ような気がした。

 シナツははっと息を呑んで後ろを振り返る。

 いつの間に回り込んでいたのか、ベルタ・メイが剣を構えていた。


「ちッ!」


 屈んだ姿勢から前転し、かろうじて白刃を避ける。

 常人の耳では聞くことのできない高音はシナツの錯覚ではない。

 勢い余った剣は鉄骨を通過するように切断し、激しい火花を散らした。


「……ふん、やるな」


 剣の切っ先を突きつけるベルタ。

 対するシナツは、ゆっくりと呼吸を整える。


「高振動ブレードか」


 高速で振動する刀身は凄まじい切れ味を発揮する。医療用や工業用の技術として普及したが、陸軍では歩兵用の装備として開発を進めていたという話だった。

 ベルタは冷酷に告げる。


「我が愛剣、〈絶陽〉がお前の血を欲しすすり泣いているのが聞こえるか?」

「感受性豊かなやつだな。単なる高周波音だろ」

「……下賤な輩め!」


 繰り出される斬撃を紙一重で回避する。

 剣技の達人を仮想した戦闘シミュレーションはザトウ号にはなかった。初めて経験する相手だが、その身体能力は逃走した際に観察済みである。


 後は武器を無効化するだけだ。

 跳び退りながら、さりげなく足から高圧電流を放出した。

 しかし、ベルタは平然としている。靴には絶縁体を仕込んでいるに違いない。

 ならば直に触れるしかないが――


 武器に振り回されるだけの敵ならどうにかなっても、ベルタ・メイは違う。洗練された剣術によって制御していた。

 付け入る隙を見出せるだろうか。


「ふッ!」


 ベルタが宙返りで位置を入れ替えつつ、高振動ブレードを薙ぎ払う。

 再び前転で躱したシナツは、女の笑い声を聞いた。

 月明かりを反射して輝く刀身がさらに閃いた。

 ベルタの狙いは足場だ。

 切断された鉄骨がシナツの体重でずるりと沈む。


「う、おっ……」


 ベルタが沈む足場を人間とは思えない脚力で踏み抜く。

 隣へ跳び移ろうとしていたシナツはバランスを崩し、鉄骨もろとも下のフロアへと転落した。

 受け身を取った横で、鉄骨の先端がフロアの床を穿つ。


「くそ……まずいな」


 このままでは建物に大損害を出してしまう。

 場所選びを誤ったかと後悔する余裕もない。

 シナツは頭上を仰いで走り出す。

 次々と分断された鉄骨がミサイルのように降ってきたのだ。


「本気か、おい!」


 逃げる先逃げる先へと鉄骨は落ち、がらんとしていたフロアは、あっという間に何十本ものオブジェに埋め尽くされる。

 行く手に合金の鎚が落ち、「う……」と後ずさるシナツの背中に、既に突き立っていた柱がぶつかる。


「しまっ――」


 脳天に新たな鉄骨が落下し、舞い上がった粉塵が彼の姿を覆い隠した。


   ○


 フロアに降り立ったベルタは、死体を確認しようと慎重に歩み寄る。

 相手は限りなくフォービドゥンに近い『何か』だ。油断はできない。

〈シュエロン〉の脅威となり得る存在は早々に始末しなければならない。ただのシンギュラーならともかく、変異者の因子が他者に感染するとしたら――


〈シュエロン〉はかつて存在した大国を故郷とする人々が結成した組織である。

 多民族国家だとしても、共通の名は繋がりを持たせる。

 ありとあらゆる人種の集う坩堝の街で、拠り所となるコミュニティだった。掟に反しない限り、構成員は家族も同然だ。


 ベルタ・メイは結社に育てられた暗殺者だ。

 一振りの剣となって災禍の芽を断つ、という使命があればこそ、青年に対する慈悲はなかった。

 だが、使命を胸に秘めているのは彼もまた同じであることを彼女は知らない。


「……ん」


 ベルタは足を止めた。

 床に血液は飛び散っていない。

 鉄骨の柱に身を隠し、奇襲を仕掛けるつもりのようだ。

 それも高振動ブレード、〈絶陽〉の前には無駄な足掻きである。


「しッ!」


 動く者の気配を感じ取り、袈裟に柱を斬る。

 ゆっくりと切断面を滑り落ちる鉄骨の向こうに、外れか、シナツ・ミカナギの姿はない。

 仮面の下で眉をひそめたベルタは、周囲の柱を片っ端から切り刻む。

 けたたましい騒音の中に、断末魔の絶叫は混じっていない。


「逃げたか!」


 ベルタは素早く視線を走らせて標的を探す。

 彼女はまだ気づいていない。

 倒れる鉄骨の上部に磁力で張りつく漆黒の異形が、青白い光の残像を残してベルタに跳びかかる。

 ベルタもすぐさま振り返ったが、そのほんの僅かな隙がシナツに決定的な機を与えてしまっていた。

 振り回した〈絶陽〉の刃は外骨格に届かない。

 一瞬で間合いを詰めたシナツが手首を掴んで押さえたからだ。


「くっ……」


 顔がないのに、自分を睨む視線をはっきりと感じた。

 体術で投げ飛ばそうとしても、どっしりと地に足をつけたシナツの体勢を崩すことはできない。

 外骨格の光の紋様が一際強く輝き、シナツの手から微弱な生体電流が放たれる。


「あぐっ!」


 微弱な、といっても、対犯罪者用のテイザーガンと同程度の出力だ。

 ベルタは背を仰け反らせて喘ぎ、〈絶陽〉を取り落した。

 ショックに思考が鈍った次の瞬間には、仮面と胸が広い壁に叩きつけられる。

 否、壁ではない。

 床だ。

 シナツに組み伏せられたのだ、気づいたのは少し後だった。


「手荒な真似はしたくなかったが、そうも言ってられなかった。どうして俺の命を狙った」


 右腕が後ろ手に回った状態でホールドされている。腰にかかる力はシナツの体重か。

 ベルタは首を精一杯に回してシナツを視界に入れる。


「お前のような輩を野放しにするわけにはいかない!」

「……なんだと?」

「変異の能力者など存在するものか! 破滅の因子がばら撒かれる前に、私がこの手で始末してやる!」


 どこかに開いた穴から、深い溜息が洩れた。

 外骨格はまるで高熱で融解するかのように黒い粘液と化し、肌の下へと溶け込む。元の人間の姿に戻るのに要した時間はほんの数秒だ。

 黒いインナーとデニムパンツ姿の現した青年の目は、辛そうに細められている。


「俺は……連中とは違う。シナツ・ミカナギという一個体だと……少なくとも俺自身は信じているんだ」

「それで己が何者かの証明になるとでも思っているのか?」


 シナツは答えられずに口を噤んだ。

 彼の瞳の揺らぎこそが、フォービドゥンに近い『何か』、もっと別の存在である証だとベルタは納得しない。

 重苦しい沈黙を破ったのは、複数人の慌ただしい足音だ。

 コートの裾をはためかせてフロアに現れたのは、ブルネットの髪の少女だった。


「シナツ!」

「……ディゼ? どうしてここに」


 少女、ディゼ・エンジは乱れた前髪を掻き上げて息をつく。

 どうやら青年の安否を案じて駆けつけてきたらしい。

 下敷きにされたベルタを見て、「ったく」と小さく呟いた。


「ルーシーが知らせたのよ。……もう片がついたって感じね」


 続いて、私服の男女が続々と現れる。褐色肌と銀髪の女、赤い肌の青年、そして巨人。手に持ったハンドガンは警備課の装備だ。

 シナツが彼女らに声をかける。


「ジンプソン・リーを殺した犯人だ。手錠を持ってないか? できれば、足も拘束したほうがいい。こいつは危険すぎる」

「それを捕まえるきみもだ。お手柄だった」


 褐色肌の女、クフィルがにやりと笑い、腰に提げていた手錠を取り出す。

 赤い肌の青年、アランが足を触ったので、ベルタはせめてもの抵抗に暴れる。


「うお! っと……ブルトー、押さえてくれ」

「わがっだ」


 たった一人を相手に、総がかりでの拘束である。

 さしものベルタも手足を封じられては無力だ。肩を掴まれて仰向けに寝転がされると、太腿に巻いた鉄串のホルダーも奪われてしまった。

 こうなってはもう、堂々と開き直るしかない。


「……ふん、ダアトの犬め」

「逆恨みもいいところだ。ジャケットを台無しにされた。それに、ここの後始末はどうしてくれる」


 彼に仮面を外されて、初めてベルタとシナツは直に視線を交わした。


「これだけの腕があれば、機関でもやっていけるだろうに。犯罪に加担することだってなかっただろ」

「犯罪だと? 小悪党どもと一緒にするな! 私にも――」


 今度はベルタが黙る番だった。

 私にも忠誠を誓う方がいる。シベルフ・ヤン。孤児だった私に名を、それどころか二文字も譲ってくれた師父。

 そのことをぺらぺらと喋るほど、迂闊ではない。

 何を察したか、シナツは追及せずにベルタを優しく抱え起こす。


「クフィル」

「ああ。ブルトー、アラン。二人で連行するのだ」


 巨人のブルトーが「りょうがい」と答え、スリムな体をひょいと肩に担ぐ。

 運ばれるがままのベルタはいつまでもシナツを睨みつけるのだった。


   ○


 警備課の車両を運転するアランは、時折ルームミラーで暗殺者の様子を窺う。

 すっかり肩を落とし、自分の足元に視線を落としている。

 その向かいに座るブルトーは有事に対処できるよう、用心深く身構えていた。

 こんな美人が凄腕の暗殺者とはねえ……。

 勝手に複雑な感情を抱いたアランは、フロントライトに浮かび上がる小さな人影に驚いて悲鳴を上げた。


「うわっ!」


 慌ててブレーキ・ペダルを踏んだが、車は慣性で滑る。アスファルトとタイヤの摩擦音が鼓膜を劈いた。

 後部座席の二人もシートベルトを装着しているが、横向きのGに呻き声を上げる。


「どうじだ、アラン!」

「道のど真ん中に人がいたんだよ!」


 アランは震え声で答え、運転席から車外に降りた。

 なんとか事故は免れたようだ。

 通行人は車と衝突寸前にもかかわらず、涼しげな顔をしている。杖らしき物を突いたアジア系の老人だ。黒い中山装姿である。


「すまなかった、爺さん。怪我はないかい?」

「よそ見とは感心せぬな、若造」


 猛禽類に似た険しい目がぎろりとアランを睨みつける。

 アランの直感が、何かおかしい、と告げる。

 そう、杖だ。もしかして剣じゃないのか?


 その危機感がはっきりと形を帯びるよりも早く、衝撃は訪れた。

 小柄な体がさらに縮んだかと思った次の瞬間、鋭い回し蹴りがアランの側頭部を捉えていたのだ。

 凄まじい威力の一撃にアランはすっ飛び、ガードレールに激突する。

 後頭部を打ちつけた彼の頭は出血がひどい。陽炎のごとく揺らめく老人を睨みながら昏倒してしまう。


「アラン!」


 後部ハッチドアを開けて飛び出したブルトーが老人と対峙した。

 拳には特殊筋繊維グローブを装着している。たとえ老人だろうと容赦しない。するような相手ではなかった。

 ぎりぎりと軋む拳に、老人は「ふむ」と頷く。


「安心せい。命までは奪わん」

「よぐもアランを!」


 ブルトーの怒りに任せた打撃は、敵を打ちのめすことなくアスファルトを粉砕する。

 素早い身のこなしで懐に潜り込んだ老人は、「ふッ!」と大地を踏み締めた。ただそれだけで、巨人のハンマー以上に広い亀裂を作り出す。

 真っ直ぐに突き出された拳が、ブルトーの鳩尾にめり込んだ。


「ごぶっ!」


 ブルトーの巨体すらも毬のごとく地面をバウンドし、車両の側面にぶつかる。

 ブレーキ痕を残して止まっていた車が、さらに道を滑った。


「ふうぅ……」


 深い呼気で力の反動を鎮めた老人は、ゆったりとした足取りで後部座席に乗り込む。

 思いがけない救援に、ベルタが目を大きく見開いた。


「師父!」

「この未熟者め」


 シベルフ・ヤンが辛辣な一言を放った。

 ベルタはシートベルトで跪くこともできず、暗い表情で答えた。


「申し訳ありません。ダアトの犬どもに捕縛された上、師父の御手を煩わせるとは……この償い、私の命をもって――」

「愚か者の極みだな。儂はお前を助けに来たのだぞ。償いなら他にあると思わぬか」


 押し黙るベルタは、孫娘と呼んでも差し支えない年齢だ。

 苦悩する弟子に、シベルフは口の端を吊り上げる。


「あの男は手強いな」

「……ご覧になられておいででしたか」

「うむ。〈絶陽〉も拾ってきてやったぞ」


 あまり上機嫌ではない老人の声に、ベルタは奥歯を噛み締めた。


「不覚を取りました。あの変異能力は我らの脅威です」

「読み違えるな、ベルタ。ゆえにお前は未熟なのだ。理性と獣性を併せ持つあやつ自身こそが脅威なのだと、何故気づかぬか!」


 シベルフは〈絶陽〉の柄に手をかけ、僅かに刃を覗かせた。

 ベルタは掠れ声で呻く。


「師父……」

「動くでない。儂も老いには勝てぬ。手元が狂うかも――」


 暗闇に閃光が走る。


「……しれぬからな」


 ちん、と音を立て、僅かにしか抜いていなかったブレードを鞘に納める。

 数秒遅れて、ベルタの手足を拘束していた枷が同時に切断された。

 シベルフがやってのけたのは、人の目では捉えることのできない神速の抜刀だ。若き剣士では到達しようのない領域の武芸である。

 知らずに背筋を冷や汗で濡らしていたベルタは、後部座席に跪いて頭を垂れる。


「お見事です」

「世辞はよい。機関の者どもが目覚める前に去るぞ」

「あの男、シナツ・ミカナギはいかが致しますか?」


 シベルフは顎を撫で、珍しく歯切れの悪い口調で呟いた。


「あやつの眼――」

「はい?」

「……監視を続けるのだ。決して手を出すでないぞ」

「承知」


 短いやり取りを交わし、二人の剣士は宵闇へと行方を眩ます。

 意識を取り戻したアランの連絡で、シナツたちが駆けつけたのはそれから十数分後のことだった――

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