[01-1]
「漂着物が観測されたのは、〇四一三、大気圏突入直前だったそうです」
双回転翼機のキャビンにて、二人の少女が向かい合っている。
吟ずるように報告したのは、長く尖った耳の少女だ。
機の振動に金髪のサイドテールが揺れ、右耳の飾りが窓から差し込む光を受けて煌めく。
白肌のうなじを刺激するダウンジャケットのファーフードを気にもせず、翠玉色の瞳は妖精を追うかのごとく小刻みに動いていた。
「落下地点は旧市街地、北西地区。辺境警備隊が漂着物と思しき人工物を発見し、現在は有事に備えつつ私たちの到着を待つ、とのことです」
宙に浮かぶ無数のウィンドウは、彼女にしか見えていない。
情報分析官ルシエノ・アルファはカフで受信した情報を脳へ伝達し、視界に映し出しているのだ。
片や、ブルネットの長髪が艶やかな少女、ディゼ・エンジは右拳を唇につけ、同僚の報告を聞いていた。
彼女は分化の影響をさほど受けていない人種で、耳も丸い。
琥珀色の瞳が静かにまばたきを繰り返している。
「異常事態ね。観測所は何をしてたの?」
「今頃、説明に追われて大忙しでしょうね。今回は比較的小さな漂着物だったからよかったものの――」
ルシエノは睫毛を大きく上下させ、表情を強張らせた。
向かいの窓に切り取られた景色が目に入ったのだ。
まだ月が残る藍色の空の下、灰色の斜塔群が荒野に取り残されている。
高層ビルの森は損壊が著しく、過去の繁栄は見る影もなかった。
自然災害による被害ではない。
破壊をもたらした者は、南に広がるクレーターの中心で万物の風化を見守っている。
およそ二百年前に建造された宇宙船の残骸である。
推進装置を失い、他の漂流物と衝突を繰り返しながら、この星の引力に導かれたのだ。
たった一隻、されど膨大な質量が生み出した衝撃波の爪痕は、地を這って生きる人々に厳しい現実を突きつける。
宇宙には未だ大量の残骸が漂っている。
この大都市の成れの果ても、地上にごまんとある景色の一つでしかなかった。
ディゼは肩越しに巨大漂着物を睨み、恐らく特殊装備もなしに活動しているであろう辺境警備隊を慮った。
「ルーシー、汚染物質の濃度は?」
「突入以前に機関部を失っていたのが幸いでした。船に近づきさえしなければ安全かと思われます」
「……そう。なら、いいんだけど」
ディゼの安堵を確かめたかのように、双回転翼機は減速した。
若い男性のアナウンスがキャビンに響く。
『目標地点に到着。これより着陸シークエンスを開始します』
左右の翼に装備されたプロペラが上向きに角度を変え、垂直着陸態勢に入った。
ティルトローター機は四車線道路へと降下し、ランディングギアで大地を踏み締める。
『シークエンス完了。後部ハッチ、開放します』
「ご苦労様、バスケト」
ルシエノに操縦を労ってもらおうとも、人間味のない機長は軽口一つ叩かずに仕事をこなす。
ゆっくりと倒れるハッチから、積もりに積もった粉塵が機内に侵入する。
外ではローターの起こした風が行き場を求めて暴れていた。
砂嵐が収まってから輸送機を降りたディゼたちに、辺境警備隊の制服を着た兵士が駆け寄る。
派遣された十代の少女に対し不安顔を隠そうともせず、左手でアサルトライフルの銃身を持ち、右拳を胸に当てた。
表情は余計だが、警備課式の敬礼だ。
「お待ちしておりました。本部からいらっしゃったお二人ですね?」
「ええ」
ディゼは手のひらを突き出し、ホログラム・エンブレムを提示した。
樹木の根元が下向きの鏃になっている、樹鏃の紋章である。
背後に控える白い双回転翼機の側面にも同じマークがあった。
「特務課第七班所属、ディゼ・エンジよ」
「同じく第七班所属、ルシエノ・アルファです」
兵士は二人の顔をしかと確かめ、「漂着物はこちらです」と先導する。
路地へ入ると、ただでさえ弱い太陽光が遮られてしまう。
彼は足を止めずに上を指差した。
「ここらの建物はいつ崩れるとも分かりません。注意してください。さ、漂着物はあそこですよ」
案内された先では、兵士たちが手で瓦礫の山を取り除いている最中だった。
彼らには異相が多い。
骨格の違い、毛深さ、目や鼻の大きさ――まるで獣のような顔つきだ。
さらに言及するならばルシエノの長い耳も珍しいが、これらは単なる外見的特徴に過ぎない。
ディゼが真っ先に注目したのは人ではなく、物である。
廃ビルにとどめを刺した漂着物を見て、コンクリートと鉄筋で作られた鳥の巣に乗っている『卵』、という感想を抱く。
卵は人間一人が中に入れる大きさだ。
掘り出すのに作業車は必要ないだろう。実際、すでに全体の八割は姿を現していた。
その頭に、赤い布が覆い被さっている。
「何、あれ」
「うちの部下が、降下時に展開する落下傘を見ている」
ディゼの隣に立ったのは、四十代の男性兵士だ。
顔の左を走る傷痕と片目の義眼が、強面を加味している。
「隊を指揮している、バートランドだ」
「ディゼ・エンジよ。……漂着物は壊れていないの?」
「だろう。あんたらがのんびり飛んでいる間に何も起こらなくてよかったよ、ったく」
明らかに毒のある物言いだった。
これを笑って流せるほど、ディゼは温厚ではない。
「一応言っておくけど、指揮権はこっちに移ってるから。これは上からの命令よ」
「いざってときに指揮できりゃァな」
言葉は交わしつつも、互いに目を合わせない。
こうしたつまらない諍いは多々あることだ、とディゼは辟易する。
彼ら辺境警備隊は都市から離れ、孤立した基地に駐屯する。
その上、汚染物質をばら撒いているかもしれない漂着物へ真っ先に駆けつけ、後から来る本部の人間のために現場を確保しなければならないのだ。
当然、不満もあるだろう。
任務は任務と割り切る者もいるが、このバートランドという男は違うようだった。
ルシエノは両者の表情を窺いつつ、慎重に口を開く。
「これは、恐らく脱出ポッドですね」
「……ポッドだァ?」
バートランドが眉間に皺を寄せた。
ルシエノは十六歳、ディゼは十七歳である。
その年齢差以上に小柄なルシエノが幼く見えたので、侮っていたのだ。
「ええ。宇宙空間での作業用なら落下傘は不要でしょう? 地上偵察ポッドの可能性も考えられますが、それならもっと早くに漂着しているはずです」
威圧的な視線に臆することなく、ルシエノは毅然と喋り通す。
物見遊山に訪れたお嬢様という印象だった少女に、バートランドは意表を突かれたようだ。
「じゃあ、中に誰かが乗ってるってェことか?」
「もちろん、生きてはいないでしょう。帰還に二百年もかかったのですから……」
「苦しんで死んだのなら結構なことじゃねェか」
バートランドの薄ら笑いには憐れみというものがない。
「俺たちの星をぶっ壊したんだからな。腐った目玉でこの景色をよォく拝みやがれ」
漂着物に対する向き合い方は二種類ある。
人類に失われた技術をもたらす遺産と考えるか、人類を破滅へ追いやった厄介な代物と考えるか。
バートランドは後者らしい。
そして、恐らくは多数派でもある。
漂着物の二面性を冷静に捉えているのは、ごく一部の人間だろう。
つまり、この場には漂着物の到来を手放しに喜ぶ人間はいないことを意味する。
今まで沈黙していたポッドからノイズが発せられた瞬間、現場に緊張が広がった。
『大気成分……確認……ハッチ……オープン……』
言語は二百年前も今も変わらない。
乱れた電子音声の単語を拾い上げたディゼは声を張る。
「漂着物から離れて!」
兵士たちの反応は遅い。
苛立たしげに睨む彼女の横で、バートランドが笑みを含んだ声で命じた。
「本部の命令だぞ。とっとと動けェ!」
そうして初めて、彼らは漂着物を包囲するのだった。
ディゼはバートランドに掴みかかる寸前でぐっと堪える。
縄張り争いに気を散らしている場合ではない。
もしもポッドがいわくつきなら、全員が命を落とす危険もあった。
脱出ポッドごときに警戒しすぎだろうか。
そんなことはない、とディゼは勘を信じる。
ただでさえ観測所の報告が遅れるというトラブルがあったのだ。
用心に越したことはない。
ディゼが見守る中、ハッチは空に向かって開放された。
「よゥし」
バートランドが二人の兵士を選んで指差す。
「お前たち、調べてこい」
その手間はすぐに省かれた。
ぽっかりと開いた穴の中から、何かが動く鈍い音が二度、三度と反響したのである。
バートランドは表情を改めて、ルシエノを睨んだ。
「生きていないんじゃァ、なかったのか?」
「普通に考えて、の話よ」
ディゼが代わりに答えた。
「つまり、これは普通じゃない漂着物だわ」
彼女の警告を証明するように、黒ずんだ人の手がハッチの縁を乱暴に掴んだ。
仄暗い穴の底から這い上がってきたのは、人型の異形だ。
長身痩躯ながらも逞しい肉体は、関節の可動域を損なうことのない装甲を纏っている。
人間を模して造られたアンドロイドか。
あるいは身体機能を補強するパワーアシストスーツか。
ポッドを踏み台にして空を仰ぐそれは、どちらでもなさそうだ。
顔は外骨格のフルフェイスに隠れ、側頭部から山羊に似た二本角、後頭部からは爬虫類の鱗に覆われた太いケーブルを生やしている。
まるで鎧を着た悪魔か鬼のようだ。
怪物の正体を素早く見極めたバートランドが、呆ける部下たちを怒鳴りつけた。
「フォービドゥンだ!」
兵士たちが一斉に銃火器を構える。
フォービドゥン。
自己増殖型ナノマシン、ルキフェル因子によって変異した生物。
全生物の敵である。
声に反応した怪物は頭を重たげに動かした。
銃を向けられているとは全く気づいていない。
その仕草が、意識の混濁している人間にそっくりだった。
怪物に疑念を抱いたディゼは、手を高々と持ち上げるバートランドに先回りして叫ぶ。
「待ちなさい!」
彼女の制止は全員の耳に届いたはずだった。
しかし、それを無視した警備隊隊長の号令が掻き消してしまう。
「撃てェ!」
兵士が従ったのは訓練によって刷り込まれた隊長の合図だった。
轟音と閃光が、ビル群の谷間に横たわる暗闇を切り裂く。
被弾した怪物は前のめりに倒れ、ポッドから瓦礫に転げ落ちる。
そこへ銃弾の嵐が襲いかかった。
たちまち立ち込める硝煙と穿たれた建築材料の粉塵が、怪物の姿を隠す。
「やつは弱ってるぞォ!」
「やめさせて!」
部下を煽る隊長の胸倉を、ディゼは今度こそ掴んだ。
それでもまだ、バートランドは無視を決めている。
弾倉に込められた三十発の銃弾が撃ち尽くされるのに、それほど長い時間はかからない。
隊長は火薬の臭いに酔って笑う。
「あんたらの仕事は回収だったな。死体が残ってんのを祈ることだ」
「指揮権はこっちにあるって言ったはずよ!」
「現場の判断ってェやつだ。部下を失うわけにはいかない」
「様子が変だった! もしかしたらフォービドゥンじゃなかったかもしれないわ!」
バートランドが少女の手を乱暴に振り払い、「はッ!」と蔑んだ。
「あれが旧人類とでも? 俺たちゃ、ずいぶんとおかしな姿に進化しちまったみたいだな、あァ!?」
「まず警告すべきだったとは――何?」
蚊帳の外で上がった兵士たちのどよめきに、ディゼは振り返る。
「でぃ、ディゼさん、あれ……」
ルシエノが震える手で土煙を指差した。
青白い燐光を中心に渦巻いた風が、粉塵の幕を引き千切る。
怪物が右腕を振るい、空を薙いだのだ。
その足元には皮膚を貫通できずに潰れた銃弾がいくつも転がっている。
体表面を走る光の紋様は、敵意のサインを灯しているかのように明滅していた。
「ば、バカな……」
辺境警備隊の有する火力に信頼を置いていたバートランドが愕然と呻く。
強情な指揮官は、手近な兵士に向かう怪物の突撃を見守ることしかできない。
だが、ディゼは違った。
崩れかかった包囲に加わり、琥珀色の瞳を瞬かせる。
「……があッ!?」
絶叫は兵士のものではない。
どこかに発声器官があるのか、怪物が振り上げた腕を押さえ、苦しみ出したのだ。
怪物を襲った激痛の正体は、右腕に纏わりついた赤熱である。
発熱部に触れた砂埃が激しく火花を散らす。
ディゼの視線は怪物に注がれていた。
「下がって! そしたら、すぐに攻撃を止めるわ!」
怪物はディゼの言葉を受け取って後ずさった。
しかも、フルフェイスの下からは確かに若い男の声が洩れる。
「カザ……ネ……すまない……」
「え?」
ディゼの戸惑いに呼応し、熱が一瞬で消える。
すでに限界を迎えていた腕の装甲がガラス片のように砕けた。
鎧だけではない。
全身の皮膚さえも微細な塵となって剥がれたのだ。
その場の全員が言葉を失った。
現れたのは、黒髪の青年である。
年齢は二十歳前後だろうか。
黒いインナースーツの襟には、血のついた黒縁眼鏡が挟まっている。
青年の目に生気はなく、糸の切れた操り人形のように倒れた。
生命維持に関わる危険な状態だ。
しかし、無警戒に駆け寄って介抱するわけにもいかず、ディゼは自制心を働かせた。
バートランドが止めていた呼吸を再開する。
「こ、こいつは一体なんなんだ……それに、今、何が起きて……」
「ありえません」
答えにならない返事をしたルシエノは、うわ言のように繰り返した。
「生きているなんて、ありえないんです。そんなの、聞いたことありません」
「考えるのは後にしなさい」
ディゼはまぶたを閉じて命じた。
目の前で人が焼ける、忌まわしい記憶が蘇りかけたのだ。
それ以上、封印の蓋を開けないように事態の収拾に専念する。
「バートランド! こっちにも強化外骨格は何着かあるでしょ? それから、衛生兵も呼んで!」
「あ、ああ……」
バートランドは少女の語気に気圧されて頷く。
彼はやっと思い出したのである。
特務課には特異能力を持つ者が集められている、という話を聞いたことがあった。
青年を襲った熱。
あれは――
「何をぼさっとしてるの?」
ディゼ・エンジの瞳が輝く。
「セフィロト機関の名において、漂着者を保護するわよ」
ひとたび目を合わせてしまえば、赤熱の魔女に逆らう気など起きるはずもなく。