[05-2]
出撃命令が下されたのは、シナツが警備課に来て二日目のことだった。
民間用のバンに偽装された人員輸送車両の後部座席で、白いヘルメットを装着した兵士たちがぎゅうぎゅう詰めになっていた。
クフィル、シナツ、巨人のブルトー。アランは運転席だ。
防弾仕様の白コートにフルフェイス・ヘルム。
携行する武器は軍用サブマシンガン、ハンドガン。どちらも実弾が装填されていた。
助手席のクフィルが「よし」と兵士全員のオンラインを確認する。
「今回の任務は銃の密造所を叩く。優先目標は密造者、それからこの男、ジンプソン・リーの逮捕だ」
ヘルム・バイザーに東洋人の顔が映し出される。蛇のような細い顔立ちの、三十代後半の男だ。
「〈プロキオン〉は表。〈ベテルギウス〉はエリアの確保。あたしたち〈シリウス〉は裏口から潜入する。指定された待機位置に着き次第、指示を待て」
機関の専用通信を介し、『了解』という返事が返ってくる。
シナツはさほど緊張した様子もなくクフィルに尋ねるのだった。
「密造?」
「連中は一般所持が認められていない銃火器を製造している。このあいだ、強盗事件に使われてな。おかげで尻尾を掴めた」
出動前にも『銃撃戦が想定される』という通達があったのは、そういうことらしい。
車がバックで狭い通りへと入っていく。
目標建築物は繁華街の奥、ビルの陰にある二階建ての料理屋だ。薄汚れた通りの奥に位置し、来客はやたらと監視カメラを気にする者以外にはいない。
表と裏に出入り口を設けているのは、いざというときの退路確保だろう。
それを警備課は完全に把握し、一網打尽にするつもりだった。
「アラン、停めろ」
「了解っと」
クフィルは軽く息を吸い、通信回線に囁いた。
「〈シリウス〉到着」
『〈プロキオン〉待機』
『〈ベテルギウス〉領域確保』
「――作戦開始」
ゴー・サインと同時にバンの後部ハッチが勢いよく開いた。
窮屈な檻から解放された猛獣たちは獲物目がけて俊敏に路地を駆け抜ける。
表では戦闘が始まったようだ。激しい銃声が轟く。
路地に突き出した排気口からは油と香辛料の匂いが漂っていた。
厨房だ。
裏口に立ったブルトーが両手を組み、強烈なスイングでドアを叩き破る。拳に嵌めた特殊筋繊維グローブが打撃の威力を倍増し、分厚い鉄扉をくの字にへし折って破った。
その後からシナツ、アラン、そしてクフィルが銃を構えて突入する。
「セフィロト機関だ! 手を頭の上に置いて床に伏せろ!」
クフィルの声は銃撃戦の中でもよく通る。
犯罪とは無関係の従業員たちは慌てて警告に従った。
しかし、一部の料理人はエプロンの下に手を入れる。銃を所持しているのだ。
シナツは一気に間合いを詰め、サブマシンガンのストックで敵を殴り倒した。
「ぐあっ!」
シナツの背後で、爽やかな青年だったアランが兵士の目で銃を発砲した。単発射撃を正確に、そして立て続けに複数人の腕へ命中させて蹲らせる。
迅速に厨房を制圧した〈シリウス〉班は上階の慌ただしい足音群に気づいた。
「隊長……!」
アランに名を呼ばれて、クフィルは「ああ」と頷いた。
「アラン、ブルトーはここで待機。表から逃げてきた者を捕まえろ。それに、この厨房のどこかに密造所の出入り口があるかもしれん」
「了解!」
「りょうがい」
女隊長の目がシナツへ向けられる。
「来い、シナツ」
「了解」
階段の踊り場に敵が隠れていないことを確認したシナツは、異変に気づいてクフィルを押し留める。
「任せてくれ」
「……研修兵士の台詞ではないな。いいだろう、頼む」
ヘルムを脱いだシナツは笑みを浮かべてみせた。
慎重に階段を上がり、そっとヘルムを通路へ覗かせる。が、襲撃はない。
ならば、残すは一室しかないフロアを確かめるだけだ。
シナツは軽く息を吐きながらドアノブを回し、ゆっくりと押し出す。
広がる隙間に、ぴん、と張る糸が見えた。
直後、天井に仕掛けられていたショットガンが火を噴く。
ブービートラップ!
室内に入ろうとしたシナツに散弾が襲いかかり、フロアの床や壁を木端微塵に破壊する。
罠の発動を合図に、待ち伏せしていた男たちが一斉に銃撃を浴びせた。
手製のサブマシンガンは猛烈な勢いで空薬莢を吐き出すが、一方で銃身に歪みが生じて照準が定まらない。
自分たちのアジトだろうと関係なしに迂闊な侵入者とその周囲の空間を蜂の巣に変える。
弾薬を撃ち切るまでは一瞬だ。
質の悪い火薬で硝煙が異常に立ち込めている。咳き込む数人の男がガラス窓を乱暴に開け放ち、室内の換気を促した。
「生きているわけがねえ」
誰かがマガジンを交換しながらも、笑いを噛み殺して呟いた。
そう、普通の人間なら生きているはずがない。
防弾装備をしていようと、何発も撃ち込まれれば重傷を負っていて当然だ。
だが、彼は普通の人間ではない。
蝶番が外れ、ドアがゆっくりと倒れる。
風圧に硝煙が掻き分けられた先に立っていたのは、異形の兵士だ。
ぼろぼろになった白コートの内部で蠢く青白い光の紋様、そして黒い外骨格に覆われた顔のない頭部。
右手にサブマシンガン、左手にはハンドガンを構えている。
「な、なんだ、こいつは!」
男の一人が叫ぶと同時に、シナツは銃口を敵に向けた。
ナノマシンの神経網が認識能力を加速させ、彼を疑似的なスローモーションの世界に突入させる。
棒立ちの男たちに容赦なく銃弾を浴びせ、無力化させる。
さらに室内へ踏み込み、銃の試作品が置かれたテーブルに跳び乗る。勢いに任せて滑り、物陰に隠れた男を踏み倒した。
目標の東洋人、ジンプソン・リーだ。
「この……ッ」
袖から隠しナイフが飛び出すよりも早く、シナツのハンドガンが額に押しつけられた。
「無駄な抵抗はやめろ。そんな物で、俺の装甲に傷はつけられない」
「く……くそッ!」
ジンプソンは歯軋りして両手を開いた。
二階フロアは呻き声に溢れ、凄惨な状態だ。誰もがみな手足に銃弾を受けてなお、逃げる隙を伺っていた。
それも階下から上がってくる三つの足音によって断念させられるのだった。
「シナツ、無事か」
壁に隠れるクフィルの声が背中にかかる。
「ああ、クリアだ」
「おーおー、こりゃ派手にやったな」
アランが呆れ口調で男たちの手足をワイヤーで拘束していく。
それをブルトーが肩に担いで、表に停まっている移送車へと連れていった。
「密造所は見つかったのか?」
クフィルが銃を一つ一つ拾い上げてテーブルに並べ、ひゅうと口笛を鳴らした。
「ああ。出入り口を冷蔵庫で偽装していた。そっちは〈プロキオン〉が押さえたから安心するといい」
それから、「まったく」とシナツに溜息をついてみせるのだった。
「きみは骨の髄まで特務課の人間だな。あたしたちのような兵隊とは違う。組織行動よりも単独行動が本分というわけだ」
「……すまない」
「叱ってはいない。評価しているのだ。きみが新人だったなら、特務課への推薦状を持たせてやるところだ。シンギュラーであろうとなかろうと、な」
ヘルムの下で、クフィルの顔が『にっ』と笑っている。そんな表情が想像できる満足げな声だった。
「ほら、さっさと立てよ」
一方でアランが男を連行しようとしたときだ。
シナツの聴覚が風切り音を捉えた。銃声は鳴っていない。
「アラン、伏せ――」
最後まで言うことはできなかった。
狙われたのはアランではない。開いた窓の前に立ったジンプソン・リーだ。
「ひぐっ……」
奇妙な呻き声と共に体をびくんと震わせると、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
咄嗟に窓の下に身を隠したアランが、銃を構えて叫んだ。
「狙撃手か、シナツ!?」
「いや――」
窓からは裏通りを見通せる。
〈シリウス〉のバンが道を塞いだままだ。
人影はない。
シナツは絶命してなお痙攣する男を見遣った。
どこからともなく飛来した鉄串が鼓膜を破り、脳を貫いている。
クフィルが通信機に向かって叫ぶ。
「〈ベテルギウス〉! 不審者の影を見ていないか!?」
『――こちらは確認していない。誰か気づいたか?』
すんなりと逃げられてしまったようだ。
クフィルは忌々しそうにグローブを握り締めた。
「口封じか」
だとしたら、と外骨格を皮下に戻したシナツは雑居ビル群の谷間を睨む。
暗殺者は今の今まで機を窺っていたのか――
警備課も追うものは多いようだ。シナツは静かに息をつき、床に転がったままのヘルムを拾い上げた。
○
その暗い一室は、剣呑とした気配に満ちていた。
会議机の席には十人ほどの幹部たちが着いている。
その中の一人が怒りを露わに、議長席の老人へ進言する。
「師父! ジンプソンが殺されたのですぞ! 同胞の仇討をすべきだ!」
「儂が天誅を命じた、としてもか」
冷酷な響きに、幹部は「ま、まさか……」と呻く。
老人が閉ざしていた目をすっと開く。
「……利に目を眩ませ、武器を物の道理も分からぬ輩に売り捌いた。これ即ち、我ら〈シュエロン〉への不義である」
しわがれた声ながら、聞く者の背を正すような気迫があった。
老人、シベルフ・ヤンは小柄な男だ。齢八十を超えるはずだが、外見は六十代の若さを保っている。
彼は銃密造組織を取り仕切る上位組織、〈シュエロン〉の長である。
繁華街の一角を牛耳る犯罪組織ではあるが、決して非道の限りを尽くす極悪人の集まりではない。
「我らが銃の密造に手を出す理由や、如何に」
抜身の刀のような鋭い視線を向けられ、激昂していた男は狼狽える。
「……変異体から家族、子を守るためであります」
「であろう。過ぎたる欲は我が身を滅ぼす。不要な争いは避けるべし。各々、肝に銘じるがよい」
短い返事が幹部たちが返ってきたものの、シベルフの表情は険しいままだ。
「だが、この男は捨て置けん」
ホログラム・ディスプレイに映る人物は、黒い外骨格を体に纏った兵士だ。
顔のない鬼、シナツ・ミカナギ。
「鎧と化す肉体は変異体と酷似しておる。賢者たちが生み出した人造変異体か、あるいは――あやつらを滅するが人の使命だったはずだ。……そうだな、ベルタ」
名を呼ばれ、シベルフの傍らに跪いていた影が顔を上げる。
「再びお前に頼るとしよう」
「承知」
ベルタ・メイは栗色の長髪の娘だ。
原人種よりも高い位置に耳がある。その形は狐に似て三角形に立ち、髪と同じ色の短い頭髪に覆われていた。
白いマンダリンドレスは体のラインを惜しげもなく浮き彫りにし、長いスリットからは黒いスパッツと艶めかしい脚線美を覗かせている。
太腿に撒いたベルトには鋭利な鉄串。腰には古めかしい意匠の剣を提げていた。
「失礼仕ります、師父」
「うむ。くれぐれも用心するのだぞ」
ベルタは颯爽と立ち上がり、老人の警告に小さく頷き返した。
そして美しい暗殺者の姿は、存在の余韻を感じさせることなく暗闇へと溶け込む。




