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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第四話 魔女は焦土を裸足で歩く
17/41

[04-4]

 アサード・ストロガノフがどこでルキフェル因子に感染したのかは不明だ。

 プラントの監視カメラには死角が多い。彼の行動履歴から襲われた場所は推測できるが、潜伏者らしき者はどこにも映っていなかった。


 調査を打ち切ったのは翌日の夕方である。

 薄い赤色の光がケストレルのキャビン内に突き刺さる。

 眩しさに目を細めたルシエノはパネルを操作し、透明な窓にスモークフィルムを展開した。


 隣に座るシナツはというと、光も気にせず思案に没頭している。

 アサード・ストロガノフが人肉嗜食に執着した理由はなんだったのか。


 ルキフェル因子が潜伏するには増殖を抑えなければならない。

 宿主はまだ意識を持っている状態だ。

 それなら事件は起きないはずなのである。宿主は自分が寄生されていることも気づかずに一生を全うし、ナノマシンは屍と共に朽ちるだけだ。


 となると、トリガーが設定されているに違いない。

 何かしらの条件を満たすことでスイッチが入る爆弾というわけである。


 因子の干渉を受けた脳細胞にストレスが蓄積した結果、アサード・ストロガノフは異常思考に陥ったのかもしれない。

 シナツは手のひらを握り締める。


「あのプラント……」


 ルシエノがぽつりと呟いた。

 重々しい静寂に耐えかねた、という顔だ。


「閉鎖するかもしれませんね」


 因子が確認された以上、家畜は全て殺処分となる。

 他のプラントから連れてくるか、あるいは人工子宮から培養をやり直さなければならない。


「植物には感染しないだろ? そっちの生産も停止するのか」

「施設への損害以上に、ギュベチ氏が……」


 ギュベチ・ストロガノフの発狂を思い出したのだろう、彼女は言葉を濁した。

 息子の死に心神を喪失したのではない。

 王国の崩壊に耐えられなかったのである。


「ダアトが適任者を見つけるまでは、動かすに動かせませんから」

「奉仕精神の有無は人選に考慮されないんだろうな」

「ええ。ギュベチ氏は、少なくとも施設を滞りなく運用していました。それが利権の追及だったとしても」


 ダアトとエデナスにとってはなんの不都合もない存在だったのだ。

 一件落着、とはほど遠い結末だが、もはや自分が口出しする領域でもない。考えるのはよそう、とシナツはかぶりを振った。

 それよりも、である。


「ゼリーも生産中止か……」


 そちらのほうがずっと切迫した問題だった。


   ○


 シナツが部屋に戻ってきたのは、それから数時間後のことだ。

 カーテンを開けてベランダに出る。


「ミケーレ」


 名を呼んでみたが、人語を操る野良猫はいないようだった。

 それほど期待していなかったシナツは室内に戻り、パイプベッドに腰かけた。


 頭に引っかかっているのは、同僚の異変だ。

 アサードに対し、らしからぬ怯え様を見せたディゼ。

 帰りの彼女は「平気よ」と答えながらも口数が少なく、時折シナツと目が合ってはなんでもないふりをするのである。


 気になる。

 もう少し踏み込んでみるべきだったか。

 ううむ、と唸って腕を組むと、リストデバイスの着信音が鳴った。当のディゼからのコールだ。

 口を半開きに驚くも、すぐ我に返って通話を開始した。


「シナツだ」

『あ、あー、ちょっと聞きたいんだけど』


 歯切れが悪い。

 報告書の内容に問題でもあっただろうか、とシナツはサウンド・オンリーであるにもかかわらず背筋を伸ばす。

 しかし、彼女が切り出したのは予想外の話だった。


『明日、暇?』


 むう、と眉をひそめる。


「俺は休暇を取っていない。オフィスに待機だ」

『じゃ、一○(ヒトマル)時に八番駅で待ち合わせしましょ』

「おい! ちゃんと聞いていたのか?」

『聞いてたわ。つまり、出動要請が回ってこない限りは暇なんでしょ?』


 彼女の涼しげな顔が思い浮かぶ。


「ルシエノはどうなんだ?」

『今回はルーシー抜き。あなたと話したいことがあるのよ、シナツ』


 彼女は口早に『一○時、八番駅。間違えないでね』と繰り返し、自分勝手に通話を切ってしまった。


 なんなんだ、一体。心配無用とばかりの強引さに、シナツは呆れてしまう。

 同時に安堵を覚えたのは何故だろうか。


   ○


 エデナスでは、懸垂式モノレールが環状線を走っている。

 ディゼの指定した八番駅は、彼女の住むマンションよりもセントラル・タワー寄りにある駅だ。

 オフィススーツ姿の利用者が多いのは、機関に勤める公務員とビジネス街のサラリーマンにとって便がよいためだろう。


「シナツ!」


 自分を呼ぶ声に振り向くと、建物を支える柱にディゼが寄りかかっていた。

 勤務時とあまり変わらない服装だが、シンプルさが却って素材を引き立てている。通行人にはディゼを横目で確かめる者も多かった。


「待たせたか?」

「そんなに。さ、行きましょ」


 どこへ連れていくつもりなのだろうか。

 彼女の表情は沈んでいる。休暇を謳歌しよう、という浮かれた雰囲気ではない。

 ディゼは改札の読み取り機にウォレットカードを当てて通過する。

 初めてモノレールに乗るシナツは、彼女の見様見真似で後を追った。

 天井に浮かぶホログラムには運行情報が表示されている。左右どちらも、次の発車時刻は数分後だ。


 エスカレータを上がった先のホームには、列がいくつもできていた。

 到着した車両に人々が慌ただしく乗り込む光景は、待機場所に戻るメンテナンス・ドローンを連想させる。

 座席は空いていない。ならば手すりや吊革に掴まって立つ、という乗り物もシナツには初めてで落ち着かなかった。

 ドアの傍に寄ったディゼに尋ねる。


「話とは、なんだ?」

「今日、命日なの」

「同僚か?」

「ううん、あたしの両親」


 車両が発車し、二人の体に軽い慣性力がかかる。

 揺れは一瞬、外の風景が流れ始める。


「あなたにも会ってほしいって、急に思いついて」

「すまない」

「謝るのはこっちよ。無理言っちゃって――」

「そうじゃない」


 シナツは沈痛な面持ちで首を横に振るのだ。


「……死者に会うことはできない」


 それを聞いたディゼは、硬くなっていた顔をくすりと綻ばせた。

 いくつかの駅を過ぎると、座席はがらんと空いた。

 外は緑の割合が増え、同じ都市とは思えないほど静かな区画に入っている。

 そこで彼女は「降りるわよ」と呟いた。

 二人は駅を出て、自然公園を並んで歩く。


「両親はまだ若かったんじゃないのか」


 何気なく尋ねるシナツに、彼女もまた軽く答えるのだった。


「フォービドゥンに襲われたのよ」

「……エデナスで、か?」

「そ。たまに辺境警備隊の監視を抜けて、都市に侵入するの。三年前の『あの日』に現れたフォービドゥンは、とにかく逃げ足の速い個体で――」


 ディゼは真っ直ぐ前を向いて当時の状況を話す。

 休日の夜、大勢の家族で賑わう百貨店。

 突如として鳴り響いた警報でパニックが起き、彼女は家族とはぐれてしまった。

 連絡を取り合うことはできたが、合流場所に駆けつけたときには――


 ディゼは足を止め、きゅっと目を閉じた。

 一呼吸分、胸を上下させてから再び歩き出した。


「このこと、ルシエノは知っているのか?」

「多分。ルーシーのことだから、あたしの経歴は調べてるはずよ。でも、気を遣ってくれてるのね。あれこれ訊かれたりはしないわ」

「……その言い方だと、俺が気を遣っていないように聞こえるな」


 軽く睨みつけると、彼女は意地悪そうな笑みを作ってみせた。

 到着したのは記念館のようなこじんまりとした建物である。


「……フェレンツィ霊廟?」


 門柱に刻まれた名だ。

 ディゼによれば、ここは共同墓地のような施設で、墓碑は装置によって投影する仕組みなのだそうだ。


「死者にシリアルナンバーが割り振られてて、受付のコンピュータに入力するのよ。個室制だから順番待ちのときもあるけど――ちゃんと予約入れといたから」


 中で来訪者を待っていた案内役の女性が、ディゼに気がついて微笑む。


「ディゼ・エンジさん。ご家族の方がいらしてますよ」

「……そう」


 わずかにディゼの頬が強張った。

 家族? と首を傾げるシナツを置き去りに、ぎこちない足取りで個室の扉を開ける。

 室内には墓碑があらかじめ投影されていた。


 その前に、少女が背を向けて立っている。

 驚いた様子で振り向いた彼女は、ディゼよりも二つ、三つほど幼い。

 紺の衣服は、二百年前よりもずっと大昔から女子学生の制服として採用されていた、伝統あるセーラー服だ。襟には純白のスカーフを巻いている。

 シナツが目を見張ったのは少女の整った顔立ちだ。

 肩で切り揃えたブルネットの髪。

 そして、琥珀の瞳。


「……サバテ。来てたのね」


 ディゼの柔和な微笑みに対するサバテ・エンジの返事は、氷のような声だった。


「お姉ちゃん。男の人、連れてきたの?」


 サバテの『男の人』という言葉には、『恋人』の意味が込められていたが、それが分からないシナツは軽く会釈する。

 一方で、ディゼは大慌てでシナツの背中を押す。


「た、ただの同僚よ! ね?」

「特務課第七班所属、シナツ・ミカナギだ」


 堂々とした態度にサバテは動揺したようで、不躾に青年の顔を観察する。

 間もなく値踏みを終え、ついと視線を外した。


「本当はどうだか知りませんけど、ミカナギさん」


 呼ばれ慣れない名にシナツは遅れて「ああ」と応じ――


「その人と付き合うなら考え直したほうがいいですよ。血の繋がった両親でさえ殺せる人ですから」


 サバテの言葉に、全身の血が一気に足へと下りていく錯覚に襲われる。

 姉に敵意を剥き出しにしているのは、そういうことなのだろうか。


 ディゼは表情を消し、妹を静かに見つめる。

 その視線に気づいたサバテは、視線を床に落とした。幼い少女の瞳がかすかに揺れている。

 シナツは両者を交互に見比べ、後頭部を掻き撫でた。


「安心した」

「え?」


 サバテが顔を上げた。唇を開いたまま、息を詰める。

 そんな彼女に、シナツは笑みを浮かべてみせた。


「むしろ、望むところだ」

「……あ、そうなんだ」


 サバテは理解できないものを枠に押し込めて、シナツに軽蔑の視線を送るのだった。


「ミカナギさんって、マゾの人なんですか? その人のお友達ってだけはありますね」

「いや、違うが――」

 と、シナツが否定するよりも先に、ディゼが鋭く叫んだ。


「サバテ!」


 今度こそ、サバテはびくりと肩を震わせた。

 いや、彼女だけではない。

 シナツも驚きを隠せずにディゼの顔を凝視してしまう。


「あたしのことはどうとでも言えばいいわ! でも、仲間を侮辱するのは許さないわよ!」

「う……」


 頬に朱が差すや否や、少女は二人の間をすり抜けるように部屋を飛び出してしまった。

 涙の滲んだ目尻を目撃したシナツも、さすがに気まずさを覚えて呟く。


「……追うべきだと思うが」

「いいのよ。三年前から、顔を合わせるたびにこうだもの」


 そうは言いながらも、前髪を掻き上げるディゼの表情には後悔の色が強かった。

 額に手を当てたまま、「はああ……」と声にして息を吐き出す。


「でも、こんな風に怒鳴ったの、初めてかも」

「事件にはサバテも居合わせたのか?」

「ええ。フォービドゥンに殺されるところだった。あたし、夢中であの子を守ろうとして、それから……血まみれのパパとママも起き上がったのよ」


 ねえ、とディゼはシナツを見上げた。


「知ってる? 後天的な特異能力者(シンギュラー)は極度の興奮状態に陥ったときに覚醒しやすいんだって」

「お前が能力に目覚めたのは、そのときか」

「初めは何が起きているか分からなかったの。あたしとサバテ以外、みんな、突然燃えて――パパとママは『なりかけ』だった。ひどい(にお)いなんてものじゃなかったわ」


 過去を鮮明に思い出したか、ディゼは肩を大きく上下させて呼吸を整える。


「それがあたしの力だって分かってからは――ご覧の通りよ。仕方ないわ、私は十三歳、あの子はまだ十歳だったんだもの。恨まれて当然ね」


 彼女は笑おうとしたようだが、失敗だ。頬がひくついて不自然だ。無理をしている、と一目で分かる。

 ディゼは消え入るような声で呟いた。


「前に、大切な人の重さに潰されないで、って言ったじゃない」

「ああ」

「あれ、クフィルの受け売りなのよね。あのとき、現場に彼女が駆けつけたの。それからずっと気にしてくれて――ほら、あたしも自分の力を呪ってたから」


 そこでシナツの視線に気づいた彼女は表情から余計な力を抜いた。


「大丈夫よ。確かにあたしはパパとママを殺したわ。代わりに、サバテは守れた。だから、別に嫌われてもいいの。あの子が生きてるなら、それで」


 そして、彼女は墓碑の前に跪いた。

 今まで意識しなかったのが不思議なほど、ディゼ・エンジの背中は小さい。


「だけど、ずっと頭から離れないことがあるの。灰になる直前、パパとママがあたしの名前を呼んだわ」


 深く息を吸う音が部屋に響く。


「あたしが殺したのはフォービドゥンだったのかしら。それとも、人間?」


 彼女の問いが自分に向けられたものではないと、シナツは悟った。

 しかし、答えを持つ者は既にこの世を去っている。


「アサードは――」


 問いを重ねようとしたディゼはその続きを心にしまい、ゆっくりと立ち上がった。

 振り返った彼女は、数多くの化け物を葬ってきた魔女と思えないほど弱々しい目をシナツに向ける。


「約束して。あたしにあなたを殺させないって」


 シナツは大きく頷いた。

 ああ、俺はお前の仲間だからな、と心の中で答える。

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