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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第四話 魔女は焦土を裸足で歩く
16/41

[04-3]

 夜が訪れると、プラントは陸の孤島と化す。

 宇宙を漂流するごみ(デブリ)群が太陽光を曇らせるため、月は輝きを失っていた。

 暗闇に耳を澄ませば、さざ波に似た音が聞こえるだろう。

 その正体は、そよ風に揺れる雑草だ。

 各所の監視塔から伸びるサーチライトが草陰に隠れる者を警戒していた。


 ケストレルの操縦席で目を閉じていたシナツは、キャビン・ドアの開く音に振り返った。

 トレンチコートを腕に抱えたディゼだ。

 口元には笑みを浮かべているが、表情全体としては物憂げである。


「ハイ、シナツ」

「どうした」

「どうってわけじゃないんだけど」


 ディゼは重いドアを静かに閉めた。

 キャビンのベンチでは、ルシエノが毛布に包まって穏やかな寝息を立てている。

 彼女が『お、男の人と同じ部屋で寝るなんて!』と恥じらったので、シナツはコクピットで休息を取ることにしたのだった。

 まだ九時前だが、被害者の死亡推定時刻である早朝に合わせて待機しようと提案したのはディゼのはずだ。

 副操縦席に座った彼女は、遠くのライトでいくらか明るい前方の空間を見つめる。


「この事件を起こしたのが人間だったら……って考えると、なんだか眠れなくて」

「猟奇殺人、というやつだな」

「……宇宙船でこういう事件が起きたことはなかったの?」


 シナツは「ない」と答えてから、じっくりと思い出す。

 外界と隔絶された環境での共同生活では、船員たちの精神摩耗が甚だしい。観察実験の多くは『続行不可能』の判断によって中止している。

 その結果から、人工衛星基地や巡航船などは人員の交代を定期的に行うように定められていた。


「共同生活によるストレスか。従業員全員に精神分析を実施したらどうだ」

「隔週でやってるみたいよ」


 だよな、とシナツはシートに背中を預けた。


「フォービドゥンの仕業にしては疑問が多すぎる。ただの補給なら食糧を盗めばいい。人間を襲えば存在を知らせてしまうからな。それでもやるなら、徹底するはずだろ」

「徹底……って?」

「ここは独立した発電設備を持った食糧生産施設だ。クローン生物は兵士にだって変えられる。連中の拠点としては最高だと思うんだが」


 淡々としたシナツと違い、ディゼは唇をきゅっと結んでいた。

 プラントからエデナスに向けて行軍するフォービドゥンの大群を想像したのかもしれなかった。


「最悪のシナリオね」

「そうなったら施設を無力化するしかない。後のことを考えるならEMP爆弾だな。ナノマシンも破壊できるはずだ」


 EMPとは、電磁パルスのことである。

 その発生装置を目標上空で作動させると、電子機器やシステムは麻痺する。地上で使えば、膨大な電磁波が不可視の爆風となって生物を襲うのだ。

 ディゼはゆっくりとかぶりを振った。


「でも、プラントが占領されてないってことは――」

「ああ。潜伏したルキフェル因子を検出する方法があれば、全てはっきりするのにな」


 そこでシナツは、ディゼの横顔を覗き見た。


「犯人が人間だと困るのか?」

「あたしの力は使えないし、何より理解したくないじゃない」

「確かに――ディゼ」


 声色を変化させ、コクピットから見て左側の空間を指差す。

 何者かが建物の陰からこちらの様子を窺っている。

 セフィロト機関の職員ならこそこそする必要はない。プラントの従業員なら近づきもしないだろう。

 捕まえるか、とシナツが腰を浮かせるよりも早く、向こうからケストレルに歩み寄ってきた。


 アサード・ストロガノフである。コクピットにいるディゼの姿に気がついて、大きく手を振る。

 二人は困惑顔を突き合わせてから、ケストレルの外に出て彼を迎えた。


「どうしたの?」


 よほど緊張していたのか、顔色の悪いアサードはディゼを見て胸を撫で下ろした。


「変な物を見つけたんだ。事件に関係あるかもしれないから、ディゼさんにも見てもらいたいんだけど……いいかな」

「オーケイ、ちょっと待って。上着取ってくるから」


 ケストレルに戻った彼女を見つめる青年の目つきは熱を帯びている。

 それを横からじっと睨むシナツに、アサードはばつの悪そうな顔をした。


「立ち入り禁止区域なんだ。人は少ないほうがいい」


 トレンチコートの袖に手を通したディゼが戻ってきた。前を開けているため、裾が空気を孕んではためく。


「仕方ないわね。シナツはここに待機して」

「……いいのか?」


 耳元で囁くシナツに、彼女も小声で返す。


「なんだか気に入られたみたいだし、仕事もやりやすいわ」

「気をつけろよ。いざというときに足手まといになるかもしれない」


 ディゼは満面の笑みでシナツの胸をノックした。分厚いダウンジャケットが『ぽす』と軽い音を立てる。

 アサードと共に施設へと向かった彼女の腰には、妙な膨らみがあった。

 油断はしていないらしい。

 シナツはいつでも応援要請に駆けつけられるよう、ケストレルに寄りかかって帰りを待つことにした。


   ○


 青年が連れてきたのは、生産した食糧を一時的に保管する倉庫区域である。

 巡回中の警備員はみな、銃床を装着したサブマシンガンを携行している。十分な対人火力を備えた銃だ。

 警戒区域に侵入した以上、いきなり発砲されても文句は言えない。

 ディゼはリストデバイスの通知設定をミュートにする。


 二人組が通り過ぎるのを確かめたアサードが倉庫へと駆け寄り、口を『こっちだよ』の形に動かす。

 ディゼは頷き返し、姿勢を低くしたまま猫のように倉庫前の道を走り抜けた。


「ここなの?」

「裏口に回ろう。表のシャッターを開けてたら目立つからね」


 彼は躊躇うことなく薄暗闇の奥へと突き進んだ。

 その背中に、ディゼは不安になって声をかける。


「ねえ。セキュリティのほうは大丈夫なの?」

「問題ないさ。こっちは鍵もかかっていないんだ」


 昔ながらの扉を慎重に開けたアサードが「ほら」と笑う。


「夕方頃かな。搬出作業の監督で入ったときに見つけたんだ。だけど、きみたちには黙っているように、って父さんから口止めされて」

「なら、どうして教えてくれるの?」

「僕は……正しいこと(・・・・・)をしようと思っただけだよ。さあ、早く」


 アサードは爽やかに答えて、暗闇へと体を滑り込ませた。


   ○


 ディゼが戻って来るよりも先に、褐色肌の女性がケストレルを訪れた。

 警備課のクフィル・ツヴァイクだ。


「月見かい、シナツ。ここでは変身はするなよ。ややこしくなるから」


 クフィルはベレー帽を取り、にやりと唇の端を吊り上げた。


「ディゼは中かな?」

「あいつなら出かけているぞ」

「……ふむ、少し話そうと思ったんだけど――仕方ない。事件のほうは全く手がかりなしだ。あたしの読みは外れかもしれないな」


 クフィルは悔しげに銀髪をぐしゃぐしゃと掻き撫でた。

 粗野な仕草であるにもかかわらず、彼女には妙な艶めかしさがある。


「やけに淡白な人間関係だよ。カルデレタの死を引きずっているのはアサードしかいない」

「あの男が、か?」


 そんな風には見えなかったな、とシナツは眉をひそめる。

 ディゼを強く意識する目つきは悲嘆に暮れた男のものではなかった。

 裏表の激しい青年を見ていないクフィルは、同情的に頷いた。


「朝から何も食べていないらしい。……婚約者のあんな姿を見たら当然だ。むしろ正常な反応だろう」

「理想の食生活だのなんだのと押しつけておいて――」


 シナツは吐き出した溜息を、はっと呑み込む。

 脳内で無秩序に記録された情報同士が突如として繋がりを持つ、そんな感覚に思考サーキットが活発化する。


 正常なのが、おかしいのだ。

 アサードが豹変したとき、その顔つきを観察したではないか。

 異常な発汗も散瞳も眼球運動も見られない――

 食事を欠いた人間が、どうしてやつれてもいないのだろう。


 被害者、カルデレタの内臓は一体どこに消えたのか。

 もしも彼女を殺害したのがフォービドゥンなら、血の滴る臓器に食らいついただろうことは想像に容易(たやす)い。

 人間の可能性が頭にないのは何故か。

 異常だからだ。

 ディゼに言わせれば、『理解したくない』行為である。

 常人には共感できない何かが、人肉嗜食(カニバリズム)に駆らせるのだ。


 何かって、なんだ。

 それはたとえば、尋常ではないこだわり、理想の女性に対する性愛。


「ああ……くそッ!」


 シナツは思わずケストレルの外装甲を殴ってしまった。

 驚いて瞠目するのはクフィルだけではない。

 キャビンから飛び出した寝ぼけ顔のルシエノが、険しい形相のシナツに身を竦ませる。


「な、何事ですか!?」

「任務だ、ルシエノ」


 シナツは言葉少なにリストデバイスの通話機能を呼び出した。

 何度コールを鳴らしても相手は出ない。

 舌打ち一つ、プラント施設のほうをきつく睨みつける。


「ディゼの位置を探してくれ!」

「は、はい!」


 戸惑い半分の返事を聞くや否や、シナツは猟犬じみた勢いで駆け出した。


   ○


 後から倉庫に入ったディゼは、目を細めて暗闇を見通そうと試みた。


「照明のスイッチはどこ?」

「明かりをつけたら、警備員に気づかれるよ」

「こんなに暗いと、探し物も見つからないわ」


 ぼやいた彼女はリストデバイスのフラッシュライト機能を呼び出した。

 腕から伸びる光が倉庫内に高く積まれたコンテナを照らす。


「あら」


 先に倉庫へ入ったはずの青年が見当たらない。


「アサード?」


 まさか逃げたんじゃないでしょうね、と背後を振り返る。

 そして彼女は息を詰めた。


 アサード・ストロガノフはすぐそばにいた。

 右腕を高く掲げている。

 その手に握られているのは鋭利なナイフだった。

 光を反射して煌めく切っ先が、真っ直ぐにディゼの胸へと振り下ろされる。


 しかし、ディゼ・エンジはセフィロト機関特務課に所属する戦闘員だ。

 上半身を逸らせながら凶器に視線を注ぐ。

 刹那、赤熱を帯びた刃は水泡のように爆ぜた。


「ひいっ!」


 溶けた金属を右手に浴びたアサードは悲鳴を上げて飛び退く。

 肉の焼け焦げる異臭が倉庫に充満した。


「い、今のは一体……」

「それはこっちの台詞よ、アサード・ストロガノフ!」


 ディゼは腰に隠し持った大型ハンドガンを両手で構えた。

 装填されているのは実弾ではなくゴム弾だ。警備課用に開発された武器だが、人間相手に能力を使えないディゼも携行する護身用装備である。

 トレンチコートを羽織りにケストレルへ戻った際、腰にホルスターを装着しておいたのだ。


 犯人と遭遇するかもしれないと思ってたけど――まさか目の前の彼だなんて!

 左手首のリストデバイスで青年を照らし、銃口の狙いを上半身につける。


「大人しく床に伏せなさい!」

「困ったなあ、ナイフがなきゃ綺麗に捌けないじゃないか」


 警告が耳に届いていないのか、アサードは笑みを絶やさずにディゼへにじり寄る。


「手で開けるけど、いいよね、ディゼさん」

「いいわけないでしょ……!」


 既に一人、それも最愛の女性を殺している男だ。

 投降する意志が見えないと悟ると、即座に引き金を絞る。

 轟音と衝撃に、両腕が跳ね上がる。

 マズルファイアの花が暗闇に咲くと、アサードは大きく仰け反った。

 骨折して当然の威力だ。

 そうでなければ犯罪者鎮圧の役には立たない。

 だが、青年は笑みを崩さない。


「無駄だよ、ディゼさああぁん」


 防弾装備か、皮膚を硬化させる特異能力者(シンギュラー)か――もしくは脳内麻薬で痛覚が麻痺しているのか。

 伸ばした両手で虚空をまさぐるアサードの姿が、ディゼの脳裡にあの光景、あの声を蘇らせた。


『ディ……ゼ……』


 そして、もう一人。


『カザ……ネ……』


 ああもう、とディゼは心の中で喚くのである。

 どうしてシナツまで思い出すのよ!?


 二発、三発とゴム弾を食らわせても、アサードは歩みを止めない。

 痩せた体には鋼の芯が入っているかのようだ。

 それどころかうっとりと、下唇を舌で舐めるのだ。


「ディゼさん、知ってるかい? ストレスの少ない家畜の肉はおいしいんだ。だからきっと、幸せな食事を摂っているきみの内臓もおいしいんだろうね。一口でいいから(・・・・・・・)味見させてくれないかな……?」

「あんたのせいで、いらいらしてるとこよ!」

「そんな冷たいことを言わない――でっ!?」


 奇声と共に、アサードがディゼの前から消えた。

 いきなり真横にすっ飛んだのである。

 ゴム弾を食らってもびくともしなかったアサードが、コンテナに激突して倒れる。


 開いたままの裏口から、冷たい夜風が吹き込んだ。

 アサードに鋭い跳び蹴りをお見舞いしたのは黒髪の青年だ。

 ディゼは思わず彼の名を叫ぶ。


「……シナツ!」

「怪我はないな」


 シナツは床に手を突いて立ち上がるアサードを見据えて、素早くダウンジャケットを脱ぎ捨てる。

 夜の寒さにもかかわらず、黒のインナーシャツしか着ていない。


「何故、やつを焼かない」

「彼は人間よ! そんなことできないわ!」

「いや、違う」


 何故、シナツが上着を脱いだのか。

 いつでも外骨格を纏えるように、である。


「肩を砕いた手応えがあった」


 なのに、アサードは平然と両腕を使っている。

 再生したのか。

 彼女が気づくのを待っていたかのように、二人のリストデバイスがフォービドゥンの存在を検知した。

 連動して、プラント中の警報がけたたましく鳴り響く。

 耳障りな大合奏の中でも、アサード・ストロガノフだった生物はディゼに執着心を燃やしていた。

 たとえどんなに歪んでいても、フォービドゥンに芽生えるはずのない心だ。


「ディゼさん……お願いだよ……」


 やめて、あたしの名前を呼ばないで!

 ディゼは頭にこびりついて離れない幻影に、声を震わせて恐れおののく。


「か、彼を焼くことなんてできないわ……まだ人間かもしれないじゃない……」


 彼女の怯えはシナツには伝わらない。

 彼の頭を駆け巡る命令は『敵の殲滅』だ。だが、その目に宿る決意はそれだけではなかった。

 黒い粘液が肉体を覆い尽くし、外骨格を形成する。

 見る者に恐怖を刻みつける禍々しい戦鬼の姿であった。


「なら、自我が残っているうちに――人間として殺してやれ。俺たちにはそれができるんじゃないのか、ディゼ!」


 彼の言葉に、ディゼは肩を跳ね上げた。

 力を持つ者の責務。

 それは自分に何度も言い聞かせた、焦土を裸足で歩くような強がりである。

 だが、この力を呪うばかりだった自分を立ち上がらせた言葉でもあった。

 今さら何を躊躇うことがあろうか。


「……シナツ、待って。あたしがやるわ」


 ディゼ・エンジは一歩前へと進み出る。

 そして、琥珀の瞳が瞬いた。

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