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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第四話 魔女は焦土を裸足で歩く
15/41

[04-2]

 従業員寮の古い建物が三棟ほど並んでいる。

 大した数の従業員だ、とシナツは歩きながらに思う。もしも人間の手による殺人だとすれば、この中から犯人を捜し出すのは困難だろう。

 一方で、管理者の家族が住むという屋敷は近代的な住居である。試しにCLDの機能で覗くと、周囲には赤外線センサーが張り巡らされていた。

 敷地内に入るには認証パネルにIDを提示しなければならない。


「対空センサーも万全なのか?」


 ルシエノはケストレルを中継地点にして、短時間だけ電脳世界に没入する。


「私たちの到着も感知していたようです」

「ということは、上空から飛び降りても引っかかるということか」

「試してみよう、なんて言わないでくださいよ」


 ルシエノに半眼で釘を刺され、「そんなことはしない」と顔を背ける。必要とあらばそうするつもりだったとは、とても言えなかった。

 深く追及される前に話題を変えよう、と尋ねる。


「死体の発見はいつなんだ?」

「早朝です。犠牲者の女性――カルデレタさんが食事の時間になっても起きてこなかったので、使用人さんが部屋を訪れて……」


 最悪のタイミングだ。それとも、空腹時で幸いだったのだろうか。

 右拳を唇につけていたディゼが顔を上げ、ID認証パネルの来客用ボタンを押した。


『……どちら様でしょう』


 警戒心を前面に押し出した、男の声だ。

 ディゼはすっと息を吸い、背筋を伸ばす。


「セフィロト機関特務課よ」

『わたくしどもの知っていることは全てお話したはずですが?』

「あなたたちの知らないことを教えに来たのよ。ここにフォービドゥンが潜んでいるかもしれないわ」


 鋭い刃のような物言いに、通話口の相手は一瞬押し黙った。

 密談の吐息が微かに洩れた後、『少々お待ちを』と許可が出る。

 ディゼは悪巧みの笑みをにっと浮かべ、二人に振り返った。


「あたしたちが注意を引いて、クフィルのアシストをするのはどう?」

「……ディゼさん、策士ですねえ」


 感心するルシエノとは対照的に、シナツは消極的だ。


「敵がいないとは限らない」

「だから、両対応で行くの。あたしたちはあくまでフォービドゥンの痕跡を探すだけ。いざってときはすぐに対処するわ。でも、もし誰かがぼろを出したら……後のことはクフィルに任せましょ」

「そういうことなら、了解だ。俺は敵のことだけを考えて行動する。人から情報を引き出すのは苦手だからな」


 簡単な打ち合わせは終わりだ。

 ディゼは涼しい顔で、シナツは無愛想顔である。

 ルシエノだけが微妙な緊張感を隠し切れない。平気でセキュリティを突破する癖に、こういった駆け引きに慣れていないようだ。

 屋敷から現れた痩せ型の中年男性は小奇麗な身なりをしていて、理知的な印象である。


「……中へどうぞ。旦那様はお仕事を中断し、あなた方とお会いになります。そのことをご理解ください」

「時間は取らせないわ」


 旦那様、という呼称からして、男は使用人だろう。疑り深く三人を観察してから屋敷に招き入れる。

 屋敷は二階建てだ。一階に食堂や居間、使用人の仕事場や警備員の待機室。二階は各住人の個室といった割り当てである。

 余計なインテリアのない、冷たさを感じる空間だ。白色のシーリングライトが眩しかった。

 続いて気になったのは、三人を出迎えた警備員だ。サブマシンガンの存在をほのめかしたところで、肝心の警護対象を守れないのでは話にならない。

 人のことは言えないか、とシナツは内心、自嘲する。


 使用人が案内したのは、二階の書斎だ。

 執務机には四十代ほどの太った男性が、ソファに気の弱そうな青年がそれぞれ座っている。

 太った男性――プラントの管理者、ギュベチ・ストロガノフは机に拳を乗せ、こちらを睨みつけた。


「フォービドゥンが私のプラントをうろついているだと?」


 ディゼは『私のプラント』という部分に眉を顰めながらも、表面上は大したことのないように振る舞った。


「可能性があるとしか言えないわね」

「カルデレタはルキフェル因子に感染していないのだろう?」

「隠れるつもりで臓器だけを抜いたのかも。エデナスから遠いここは格好の狩場よ」


 ギュベチは背中を丸めて呻き声を上げた。


「敷地の周囲にはセキュリティを張り巡らせているはずだが」

「あたしたちが追っているのは、そういうのに引っかからないフォービドゥンなの。ここ数日間で不審者は発見されなかった?」


 当然、そういった報告は管理者であるギュベチにも届くはずだ。

 彼は壁を見つめて記憶の糸を手繰り寄せるが、すぐに首を横に振った。


「深夜も警備員を巡回させているが、全く――てっきり従業員がカルデレタを殺したとばかり……そうか、フォービドゥンか……」


 シナツがずいと会話に割って入った。


「輸送トラックの運転手はいつも同じなのか?」

「いいや、あれは下請けの業者だ。こちらが発行した許可証を使い回している。……まさか、エデナスからルキフェル因子の感染者が侵入したのかね!?」

「潜伏者が一体だけならそうなるかもしれないが――」


 ギュベチが執務机を叩いて立ち上がった。

 顔を赤くし、唾を飛ばして激昂する。


「なんのためのセフィロト機関だ、役立たずめ! 貴様らのせいで私のプラントが台無しになるのかもしれないのだぞ!」


 プラントはエデナス市民に食糧を送る公的施設だ。

 しかし、都市との距離がギュベチの自尊心を増長させたのだろう。その上、殺されたカルデレタ嬢に対する哀悼の意を持っていなかった。

 ソファに座っていた青年が怒り心頭のギュベチに恐る恐る歩み寄る。


「……父さん、落ち着いてください。この人たちに怒鳴っても仕方がないですよ」

「お前は黙っていろ、アサード!」


 CLDに青年の名前が浮かび上がる。ルシエノがこちらに情報を送信したのだ。

 アサード・ストロガノフ、二十五歳。被害者カルデレタと婚約を交わしていた、ストロガノフ家の一人息子である。


 ギュベチがプレジデントチェアに座り直し、引き出しからピルケースを取り出す。

 それを見た使用人がグラスに水を注いで渡した。


「どうぞ、旦那様」


 感謝も言わずにグラスを奪い取ったギュベチは、大量の錠剤を口の中に放り込む。

 血圧か、もしくは精神か。なんらかの病を患っているのかもしれない。


 漠然と考えるシナツは、殺意にも似た異様な気配を感じて視線を移す。

 アサードがひどく荒涼とした目で父親を見下ろしていた。

 先ほどの気の弱さなど微塵もない。

 従業員に対する態度に怒りを覚えているのか?

 意外な感情の起伏を目の当たりにしたシナツは、アサードという人物にささやかながらも関心を抱いた。


 口元をハンカチで拭ったギュベチは「で」とこちらを憎々しげに見上げた。


「この始末はどうつけるつもりだね、んん?」

「始末も何も――」


 ディゼは大げさに肩を竦めてみせた。察するに、かなり頭に来ているらしい。


「初めに言ったでしょ。あたしたちはここに追跡対象がいないかどうかを確かめに来たの。第一、こんなところに逃げてくる理由も分からないし。その辺を含めて、動き回らせてもらうわ」

「……好きにしろ」


 ディゼは(うやうや)しく一礼し、部屋を後にしようとした。

 しかし、シナツは一歩も動かない。

 不審に思った彼女は「行くわよ」と囁くが、彼は首を振った。


「あんたらに頼みがある。生産工場を見学してもいいか? ここのゼリーパックにはまっているんだ。個人的に興味があってな」

「そ、それなら僕が案内するよ。立ち入り禁止区域に迷い込まれても困るしね」


 アサードが控えめに名乗り出る。

 先ほどの異変はすっかり影を潜めていた。


   ○


 ドーム内部は養殖場、あるいは農場となっている。


「ジーンバンクが発掘されてね。人類の食生活は多様性を失ってしまったけど、飢餓問題は解決できたんだ」


 来客用の観察室に三人を通したアサードは、ガラス越しに広大な面積の畑を披露する。

 ジーンバンク――遺伝子情報、動物の精子と卵子、あるいは植物の種子を保管する施設である。

 独立した発電機を配備したバンクが、大破壊後も残っていたというのだ。

 畑の中に人間の労働者はいない。

 無人機械が全ての仕事をこなしているようだった。


「漂着物からプラント技術を回収できたのも大きいね。この二つが瓦礫に埋もれていたら、今でも人類は総出で荒地を耕していたんじゃないかな」

「……確かここ、第二食糧プラントって名前だったよな。他にも同じ施設があるのか?」


 シナツの質問に対し、アサードは即座に答える。


「もしもどこかでエラーが起きたら、食糧が全部台無しになっちゃうんだ。複数のドームに分けているのは全滅を防ぐためだよ。さらに、色んな場所に施設を建てれば有事の際も安心だ」

「有事か……。まさに現在の状況だな」


 シナツはガラスぎりぎりまで顔を近づけ、プラント・ドームを見渡した。


「最初の個体はバンクから復元したのか。アダムとイヴというやつだな」

「き、きみはすごいことを言うなあ」


 室内には四人しかいないにもかかわらず、アサードは周りに人がいないかを確かめる。


「父さんが聞いたら激怒するよ、きっと」

「何かまずいのか?」

「倫理問題だよ! 生命を操作するのは神の領域を侵すも同然だからさ」


『倫理』という言葉に、ルシエノが反応を示した。彼女の長い耳はデザイナー・チャイルドであるフェアリアンの証だ。

 アサードは気づかずに笑顔で続ける。


「まあ、論争になったのは大災厄よりもずっと前のことだけど、やっぱりほら、こういう施設の運営者にとっては禁句だよ」

「悪かった。配慮が足りなかったな」

「いや、僕は気にしてない。謝らないといけないのはこっちだ。父さんの言い方は酷かったね」


 床に視線を落とした彼は、ぐっと両拳を握り締めた。


「精神安定剤を服用しているんだ。ただでさえ生活習慣病にもなっているのに……毎日すごい量の薬を飲んでいる。なのに、改めようとしない――愚か者め!」


 突如として急変した語気の激しさに、シナツの背後でルシエノが声にもならない呻きを洩らす。ディゼも驚いて目を丸くしていた。

 上下する肩を落ち着かせたアサードは、シナツに爽やかな笑顔を向けた。


「ところで……シナツさん、だったよね。ここのゼリーが気に入ってるらしいけど、どの味が好きなのかな。参考までに聞かせてよ」


 シナツは呼吸一回分の時間を用いて青年を観察する。

 異常な発汗も散瞳も眼球運動も見られない。

 不審に思われない程度に考え込んでから、慎重に答えた。


「……無味だ」

「冗談だよね」

「本当だ。味覚が合ってないんだよ。地上の食事に慣れなくてな、あのゼリーには助かっているんだ」

「じゃあ、『おいしい』と思う食事はしていないのかい?」


 いきなりシナツに詰め寄るアサードの形相は鬼気迫るものだ。


「それは不健康だよ! いいかい、『おいしい』って感覚は人を幸せにするんだ! きみはどうなんだ、ルシエノさん! 幸せかい?」


 長身痩躯に隠れていた彼女は頬を引くつかせた。


「わ、私ですか? た、多分……」

「それにしては痩せすぎじゃないか! ちゃんと食べないと不健康だよ!」


 まったくもって大きなお世話である。

 シナツは警戒レベルを一段階下げた。

 アサード・ストロガノフの健康に対する執着心は異常に強く、しかもそれを他人に押しつけるタイプなのだ。


「ディゼさんはきっと理想的な食生活を送っているに違いない!」

「もちろんよ。気を遣ってるから」


 平然と答えてから、ディゼは唖然とするルシエノに意味深な視線を送った。

 長い付き合いの同僚だけが知っている。

 彼女は特異能力(シンギュラリティ)の発動にエネルギーを使うため、かなり食べるほうなのだということを。

 そうと知らないアサードは何度も頷く。


「食事は一生の友人だよ。ディゼさんを見習うべきだ」


 称賛されている当の本人は喜ぶ素振りもない。唇に当てた拳をゆっくりと放した。


「亡くなったカルデレタさんも健康(・・)的な食生活だったの?」


 さりげなく、それでいて鋭い質問だ。

 何かに執着心を持つ人間が気に入らない相手を殺す、という犯罪は多々ある。

 同居してから判明した。あるいは、親が連れてきた婚約者だった。可能性は大いに考えられる。

 そんなディゼの憶測に反して、アサードは肩を落とした。


「ああ、彼女は完璧だった。理想の女性だったよ……」


 そもそも、そんな動機なら真っ先に親を殺害するはずである。

 ディゼは「残念ね」と肩を竦めた。

 空振りに終わったことも含む、二重の意味だった。


   ○


「忙しいところ、すまなかったな」


 見学を終えたシナツはアサードに握手を求めた。

 それに快く応える青年の表情は、やはり笑顔である。その目は、今までで最も輝いていた。


「ありがとう、シナツさん。彼女がいなくなって落ち込んでいたけど、おかげで気分が晴れたよ」

「フォービドゥンは必ず見つける。これだけの厳重な警備体制だ。まだ遠くには行っていないはずだ」

「頼もしい限りだね」


 そう言って、アサードはディゼの手を強引に握ってから一目散に走り去った。

 婚約者が殺されたばかりだというのに、節操のない青年である。


「あ、あのう……」


 ルシエノが二人の顔を交互に見ながら、情けない声を出した。彼女一人が握手を交わしていない。


「もしかして私、あの人に嫌われました?」

「気にしなくてもいいと思うぞ。アサードが偏執的なだけだ」

「で、ですよねえ!?」


 シナツの言葉一つで、彼女の顔が華やぐ。

 そんな微笑ましいやり取りを、ディゼは一歩引いた位置から眺めていた。

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