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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第三話 影追えども雲掴むがごとく

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[03-4]

 アパートの自室は冷蔵庫のような寒さで、暖房の効きが悪い。

 しかし、黒のインナーシャツにジーンズ姿でも、シナツは平気な顔である。

 段ボール箱からゼリーを拾い上げ、パイプベッドに腰かける。

 外見より重い体重に薄いマットレスが押し潰され、パイプがぎしりと軋んだ。

 取り外したキャップを指定ゴミ袋に放り投げ、ゼリー飲料の飲み口を咥える。

 うまいもまずいもない、無味の飲食料だ。

 これをいずれは『まずい』に変えないとな、と一パックをあっという間に飲み干し、キャップと同じくゴミ袋に投げ込む。


「重力補正よし、と」


 二パック目を咥えながら、外したリストデバイスを太ももの上に乗せた。

 スリープを解除し、ウェブブラウザを起動。

 おおよそのプログラムは昔ながらの言語で構築されたものだ。

 ソースコードを知らないシナツにはそれがバージョンのいくつかも分からない。

 機関が発掘したサーバーに刻まれていた、いわば古代言語のようなものである。

 ハードウェア会社の『数百年後に伝えたいデータを、ここに』という保存性を謳ったキャッチフレーズが、皮肉な形で証明されたというわけだった。

 シナツが訪れたのは、機関の報告書庫である。

 ホログラム・ディスプレイ一杯に文字が表示される。


「……あー、と」


 思わず唸ってしまったのは、どこから見ていけばいいのか、迷ったからだ。

 警備課は都市内での事件、事故。それから市民からの通報が記録されていた。

 技術課は過去の漂着物、遺跡などの調査記録。技術再現の研究論文が掲載されている。

 特務課のほうはフォービドゥンとの交戦記録が主だった。

 他にも課はあるが、シナツに関係する部署ではない。市民データの統計などは今眺めるほどの興味が湧かなかった。


 となると、だ。

 空になったゼリー飲料を全く同じ軌道でゴミ袋に投げ込む。

 シナツは感染源に繋がる記録を探そうなどとは思わなかった。

 無数の情報から任務との関連性を見出すのはルシエノにしかできないことだ。

 自分でも調べられるもの。

 よし、と技術課のデータベースをタップする。


 当然ながらシナツが乗っていた脱出ポッドは、最新ページに掲載されていた。

 基本的なスペックの他に、漂着確認日時や回収に立ち会った人間の記録まである。名簿の中には特務課第七班、ディゼ・エンジとルシエノ・アルファの名があった。

 備考欄には――搭乗者の死体を確認、とある。

 シナツが過去人であることは機密に指定されているのだ。

 力を狙う者はフォービドゥンだけではない、ということだろう。

 自分の身分は、シナツ・ミカナギ。

 ナノマシンの影響で外骨格を形成できるようになった特異能力者、『シフター』……なのである。


 つまり、このデータベースの記録はダアトの干渉を受けている。

 シナツは警戒心を引き締め、記載に張り巡らされたリンクテキストを漁る。

 母船名、ザトウ号――未確認漂着物。

 機関はザトウ号の情報を保存した記録媒体を発掘できていないのだ。

 同型ポッド――


「結構あるじゃないか」


 シナツは密かに期待を抱きつつ、新しい報告から開いた。

 表示された画像は、3Dモデルと発見現場の写真だ。

 見なければよかった、と顔をしかめる。

 二百年もの時間を経て地球に辿り着いた脱出ポッドは、しかし着陸装置を展開する燃料すら残っておらず、減速できずに地表へ激突したのだろう。

 その衝撃に耐えられず、木端微塵となった残骸が撮影されていた。

 3Dモデルは予想図だったのだ。

 どこの船に搭載されていたかも分からない。

 せめてザトウ号の船員でないといいのだが、とシナツはかぶりを振る。


 それにしても、数が多い。

 三十年以上も昔から、同型ポッドが発見されているのである。

 ザトウ号は民間輸送船を改造、偽装した船だ。

 その元となった同型船の多くが物資略奪の餌食となったのかもしれなかった。

 先にザトウ号から(さかのぼ)ったのが幸いだった。

 シナツは感情の波を荒立てずに、調査報告を一つずつ確かめていく――


 突然、かりかりと何かがガラス戸を引っ掻いた。

 これにはシナツも思わず身構えて立ち上がる。

 ジーンズから滑り落ちたリストデバイスのホログラム・ディスプレイが、床に置いた拍子に消えてしまった。

 閉め切ったカーテンへ手を伸ばす前に、パネルを操作して照明を落とす。

 街路灯の頼りない光が、ベランダに蠢く小さな影を映し出した。


「……誰だ」


 返事のつもりか、再びかりかりと軽い音が響いた。

 もうフォービドゥンが接触してきたのか。

 用心深く、カーテンを一気に開ける。

 こちらの出方に驚いたか、小さな影はぴょんと跳び退(すさ)るのだった。


「なんだ……」


 シナツは胸の奥に溜めた息を吐き出した。

 毛並みの良い三毛猫である。

 ザトウ号でも実験動物として見たことがあった。

 もっとも、オーバーライト・セルを注入される前の、だが。

 ガラス戸を開け、柵に仕切られた隣のベランダを覗く。


「どこかで飼われているのか?」

「いいえ、あっしは野良でございますよ」

「野良? 誰にも飼われていないのか――」


 何気なく尋ね返してしまったシナツは、ぎょっとして足元を見た。

 猫が瞳を細め、口をにかっと開いている。

 そして、髭と一緒に喉を震わせるのだ。


「この街じゃ見慣れないお顔ですなあ。おや、どうしました? そんな睨まずとも、引っ掻きゃしませんよ」

「いや、あのだな……」


 シナツは額に手を当て、頭の中を整理する。

 トカゲ男やら何やらがいる地上だ。

 うむ、と喋る猫の前に屈む。


「念のために聞くが、お前も人間なのか?」


 猫は瞳を大きく見開くと、背中を痙攣させた。

 挙句、大げさにベランダを転げ回るのである。


「ぶわっはっはっは! あ、あっしが……くく、人間に見えると仰る! ひいっひっひ、そんなことを訊かれたのは初めてだ!」

「だから、念のために、と前置きしただろ」


 シナツは脱力感を覚えて項垂れた。

 動物扱いをして責められるよりかはずっとましか、と自分を納得させる。


「なぜ、猫が喋れる」

「そりゃあ、あんさん。あっしが特別な猫だからでしょうよ!」


 機敏な動きで姿勢正しく座った猫は、瞳に溢れた笑い涙を前足で(ぬぐ)った。


「生まれつき、猫と人間、両方の言葉が喋れるんですわあ。つぶらな瞳で営業することしかできない猫どもや、こっちの考えを勝手に解釈する人間どもとは、頭の出来が違うんでしょうなあ」


 ふふん、と鼻を鳴らす猫は自分の特異性に誇らしげである。

 人間がナノマシンの影響で新たな形質を得るように、猫もまた個体差の揺らぎが生じているのだろう。

 シナツは「へえ」と猫を用心深く観察した。


「それで、スペシャルな猫が、俺になんの用だ」

「用ってほどのことじゃあ、ありませんけどね」


 猫が頭を地面に近づけた。


「ほら、あっしは野良なもんで、その日の食事を巡んでもらいにお得意さんを一軒一軒回っているんでさ。で、ここを通ったら、新しい住人さんがいらっしゃる。挨拶しに来たんでありますよ」

「食事?」


 部屋に戻ってゼリーパックを取り出す。


「これしかないぞ」

「……あんさん、随分と禁欲的な食生活を送っとりますなあ」

「いらないんだな」

「ああっ、いりますいります、欲しいです!」


 慌ててちょいちょいと手招きをする猫に、シナツは苦笑いを浮かべる。

 現金なものだ。

 キャップを外して床に置いてやると、猫はパックを押してゼリーを吸い出した。

 その様子をガラス戸のサッシに腰かけて眺める。


「……お前、名前は?」

「ミケーレでさ。人間どもが勝手につけて、定着してしまったんですよ。ま、好きに呼ばせてますがね」


 その語調に不満は感じられない。

 むしろ、名を与えられて喜んでいるようでもある。


「さっき、俺のことを『この街じゃ見慣れない』と言ったが――」

「野良の情報網を甘く見なさんな。さてはあんさん、移民でしょう」

「……ああ、そうだ。俺はシナツ・ミカナギ。セフィロト機関に所属している」


 嘘は言っていない、とシナツは頷く。


「お前、もしかして街の人間を全員把握しているのか?」

「全員じゃありませんよお。なんとなくの印象でさ。それに、変なやつがいれば、あっしらの間で話題になりますから」


 ミケーレは「おっと」とパックから顔を上げた。


「あっしの情報は高いですぜ」

「……金を取るのか?」

「まさか! 『猫にウォレットカード』、という言葉をご存知でない? あっしは情報の代わりに食べ物を頂くんですよ」


 俺の知っている言葉と随分違うな、とシナツは首を傾げた。二百年も経てば、言葉が変化していてもおかしくはない。

 ……ミケーレが間違えて覚えている可能性も高いのだが。

 さておき、である。


「人を探している。俺のような、見慣れないやつを知らないか」

「そりゃあ、たくさんいますよ。繁華街の裏の裏は犯罪者の巣窟みたいなもんで、あっしら野良だって近寄りゃしません。他に手がかりはないので?」


 調査中の案件についてぺらぺらと喋るのは、機密保持の違反に当たる。

 しかし、作戦行動においてありとあらゆる情報の収集は必須でもある。

 逡巡の末、シナツは情報ルートの開拓を選んだ。


「変わった靴を履いているはずだ。市販の物ではない」

「うーん、それじゃちっとも分かりませんや」

「……それもそうか。他に手がかりは――街のカメラにもセンサーにも引っかからずに動き回れるんだ。フォービドゥンかもしれない」

「そりゃまるで、最近出るってえ噂の、女の幽霊みたいですなあ」


 幽霊。

 実体を伴わずに物理世界へ干渉する何か。

 大抵は思い込み、幻覚、錯覚だ。にもかかわらず、人々に長く支持されている迷信でもあった。


「幽霊とは、どんな」

「長い髪の女で、いっつも高い場所に立ってまして。こっちと目が合うと、にっこり笑って飛び降りちまう。驚いて駆けつけても、死体はどこにねえ、って話でさ。ありゃ、いい死に方をしてませんなあ」


 シナツは真剣な顔で考え込んだ。

 無論、幽霊の実在を疑っているのではない。


「どこで見たか、分かるか?」

「さあ、そこまでは」


 ゼリーを飲み干したミケーレは口の周りを舐めて掃除し、「ご馳走になりやした」と立ち上がった。

 柵の隙間をぬるりと抜け、敷地を囲うブロック塀へと身軽に跳び移る。

 そして、振り返って答えるのだ。


「仲間に訊いてみますわ。調査料は分割払いということで、期待せずに待っといてくださいな、シナツのあんさん」

「ああ。ゼリーでよければ、いくらでも食わせてやる」


 その返事に口をにいっと歪ませたミケーレは、尻尾を優雅に揺らしながら次の得意先へと向かうのだった。

 世の中には奇妙な生物がいたものだ。

 後ろ手にガラス戸を閉め、床に落ちたままだったリストデバイスを拾い上げる。

 ベッドに寝転がったシナツは天井にディスプレイを投影し、再び機関のアーカイブを漫然と漁り始めた。

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