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坩堝のダンプサイト  作者: あたりけんぽ
第三話 影追えども雲掴むがごとく
12/41

[03-3]

 窓の外はすっかり暗く、ブラインドも落とされていた。


「シナツ、帰還した」

「はい、おかえりなさい」


 特務課第七班オフィスの執務机で視線を虚空に彷徨わせていたルシエノが、はっと我に返ったかのように振り向く。

 情報の森を散策していたのだろう。

 彼女は申し訳なさそうに肩を落とした。


「念のため、もう一度分析にかけましたが、やっぱり手がかりらしい手がかりは見つかりませんねえ。強いて言えば、市販カタログに載っていない靴でしょうか」

「オーダーメイドか。靴職人……はエデナスにもいるんだよな?」

「はい。ソールの予想画像は既に送信済みで、何人かからは返事を頂いています。扱ったことのない型、だそうです」


 シナツは機関支給のダウンジャケットを脱ぎ、ソファに放り投げた。


「漂着技術、とは考えられないか」


 漂着物が運んできたロスト・テクノロジー、あるいはそれらを用いた装備、設備のことである。

 ソファに体を沈め、深々と溜息をつく。


「これだけ厳重でも、抜け道はいくらでも作れる。熱と光学の迷彩を使えば、カメラとセンサーを無効化できるはずだ」


 ルシエノは、今度は宙を睨みつけるように表情を強張らせた。

 これは電子世界への没入ではないな、とシナツは彼女の瞳孔から察する。


「機関でもそうした隠密装備は開発されています。かなり再現できている、と技術課の定期報告で読んだ覚えがありますけど……」

「定期報告?」

「職員なら誰でも読めますよ。ほら」


 ルシエノは大型スクリーンに機関のアーカイブを表示させた。

 そのウェブサイトには今まで回収された漂着物や技術などが月間報告としてまとめられている。


「……これでも見れるのか?」


 リストデバイスを指で軽く叩いてみせると、ルシエノがこくりと頷いた。


「一通り目を通しておくといいかもしれませんね。他の班の活動も分かりますし」

「そうしよう」


 シナツは軽く手を挙げて謝意を示す。


「脱線させたな。俺が思いついたのは、各種迷彩を着込んだフォービドゥンが街を歩き回っている、ということだ」

「あるいは、『シンギュラー』かもしれません」

「……なんだ、それは」


 単語の意味は理解できる。

 非凡な、風変わりな。それを名詞として使っているのだ。


「特異能力者の総称ですよ。ディゼさんの発火や、シナツさんの制御変異と放電。私の情報並列処理なんかもそうなります。外的装置による能力ではなく――まあ、才能みたいなものですね」


 俺のは移植された能力だが、とは心の中に留めておく。


「それで、どんな……その、能力者(シンギュラー)だと考えられるんだ?」

「転移能力ですよ」


 ルシエノは胸の前で透明な球体を掴むように両手を持ち上げた。


「ある地点から遠く離れた地点へと移動するんです」

「……人間が単独で亜空間に潜航できるのか!?」


 過剰なほどの反応に、ルシエノは手をびくりと震わせた。


「あ、いえ、宇宙船の航法とはちょっと違うんです。生存している能力者もいませんし」

「どういうことだ?」

「能力に覚醒したら必ず死んでしまうんです。その、転移先で空気中の塵とかが毛細血管に詰まって……」


 その図を想像したか、ルシエノは顔を青ざめさせるのだった。

 シナツは『引き波』も知らなかったほど亜空間航法に疎い。

 しかし、恐らく通常空間への浮上時には『押し波』が起きるのだろう、という想像はできた。

 その現象が特異能力(シンギュラリティ)では起きないのである。


「だが、フォービドゥンなら平気というわけだ。異物を体外に出せばいいだけだからな」

「そうなんですよ」


 彼女は気を取り直し、前のめり気味に語る。


「そもそものナノマシンが異なるので、能力者でありながらフォービドゥンでもある個体は存在しないというのが通説です。でも、なんだかここ最近『ありえない』ことばかりで……自信ぐらぐらです」

「可能性として保留しておけばいい。どっちみち、手がかりが見つからなければ追えないんだ。もう一度、接触してくれれば助かるんだが」

「そのときは包囲網も万全の状態で、ですね」


 二人は互いに視線を交わし、頷き合った。

 敵の正体は掴めずとも、こちらのすべきことははっきりしているのである。


「とりあえず、今回の調査は報告書にまとめて提出すればいいんだよな?」

「はい。シナツさんと、私。それぞれが見聞きしたもの、感じたことを文書化して、特務課のアーカイブに保存します」

「見聞きはいいが、感じた、ねえ……」


 後頭部を撫でて考え込むシナツに、ルシエノはここぞとばかりに背筋を伸ばして教えるのだった。


「報告に書式はありませんから、なんとなくでいいんですよ。あれが気になったとか、どこかで見覚えがあるとか」

「分かった。可能な限り、記憶を復元してみるとしよう」


 デニムジーンズの太腿を叩いて立ち上がったシナツは端末席に移った。

 ひとたびキーボードに手を乗せれば、後はリズミカルなタイプ音を奏でる。

 行動履歴はリストデバイスに記録されているため、調査を時系列に振り返るのは容易だった。

 特別注意を払った物を併記した後で、先ほどルシエノと意見を交わした、感染源の正体に関する考察も書き留める。

 思いつく限りを記した後で、これでいいのだろうか、とシナツはぼんやりと眺めた。

 その背中で、ドアのスライド音がした。


「ただいまー」


 ロングコートをはためかせて入室したディゼが、気の抜けた声を発した。

 朝早くから生物隔離施設へ出向し、監査団の聴取に随行していたのだ。

 実際、彼女は疲れた顔で二人の男女を交互に見比べた。


「お邪魔したかしら」

「に、に……」


 ルシエノは勢いよく席を立ってから、見る見る頬を紅潮させるのだった。


「任務中ですよう!」

「そうだぞ」


 シナツは心外そうにディゼを見つめた。


「こっちは調査を終えて、お前の帰りを待っていたんだ」

「……反応を見る限り、特に進展はなかったみたいね」

「ああ」


 ルシエノはオペレーターシートにぺたんと腰を落とし、笑いをかみ殺すディゼを睨みつけて黙り込む。

 もちろん、シナツは調査任務のことだと思い込んで答えている。

 どうして分かったのだろう、と首を傾げるか、よくよく考えれば共有の仮想空間にアクセスすれば一目瞭然だった。


「それで、生物隔離施設のほうはどうだったんだ」

「こっちも手がかりは見つからなかったわ。実験生物は一匹だって逃げ出してない。冷凍室に保管されてたルキフェル因子を持ち出した人間もいない。あれはやっぱり、外部からの襲撃だったとしか思えないのよ」


 彼女は前髪を掻き上げ、やや投げやりにソファへ座った。

 先ほどのおどけた表情から一転、苛立たしげにソファの前に置かれたガラステーブルを睨みつける。


「でも、監査のスタンスは『疑うべきはまず身内から』よ。感染源が特定できない以上、なおさらね。おかげで解放されるのに随分と時間がかかったわ」


 監査に恨み言を言ってはいるが、彼女が苛立ちを隠せないのは正体を見せない感染源に対してである。

 彼女が口を閉ざすタイミングを見計らって、シナツは二人の先輩に尋ねるのだった。


「こういう場合、調査はどうするんだ?」

「様子見ですね」


 ルシエノは何を意識してか、上目遣いにシナツを見た。


「調査しているのは、私たちだけではありません。技術課や警備課も動いています。あちらで何かが分かれば、情報を提供してくれるはずです」

「……座して待つだけか?」

「緊急の案件が回されるかもしれません。一つの任務に集中できるほど、機関――中でも特務課の人員は多くありませんから」


 シナツとしては割り切れないところだが、組織の一員となった以上はそれも仕方のないことか、と諦める。

 書き上げた報告書のアップロードを確認して、ルシエノが立ち上がった。


「一段落、ですね。今日のところはこれで上がりましょう」

「待機していなくてもいいのか?」

「休めるうちに休んどくのも務めよ」


 シナツの問いに答えたのは、今一つ晴れやかな面持ちではないディゼだった。


「なんだか、何も考えずにお腹一杯食べたい気分。セントラルタワーの食堂もいいんだけど、外のレストランがいいわ」

「異議なし、です」


 ルシエノはぐっと背伸びをし、ハンガーにかけてあったダッフルコートを着込んだ。

 外出の支度を整える二人の少女に、シナツは一息ついた。


「なら、俺はアパートに戻るとするか」

「何言ってんのよ。シナツも一緒に――あ」


 ディゼは彼の味覚が地上の料理に順応していないことを今になって思い出したらしい。

 困り顔で「仕方ないわね」とぼやくのだった。


「早く慣れてよ。ゼリー飲料がメインディッシュの歓迎会なんてやりたくないんだから」

「……それは、俺も御免こうむる。了解した」

「まあ、追々でいいんだけどね」


 ディゼは柔らかく微笑み、軽く手を持ち上げた。


「じゃ、今日はお疲れ様。本当は一緒に調査できればよかったんだけど、心配することもなかったみたいね」

「多分、ディゼさん、置いてけぼりにされていたと思います。シナツさんったら、すぐ無茶するんですよ」

「優秀で何よりだわ」


 ディゼはウィンクを投げかけ、オフィスを後にした。

 ルシエノも深々と頭を下げ、サイドテールを揺らす。


「お疲れ様でした、シナツさん」

「ああ、お疲れさん」


 シナツの返事に満面の笑顔を浮かべ、小走りにディゼを追いかける彼女だった。

 一人残ったシナツは、端末の電源を落としてオフィスを見渡す。


「……さて、と」


 やり残したことは、ないな。

 ダウンジャケットを腕に抱えた彼は、ルシエノの座っていた執務机を軽く小突いた。


「バスケト。お前もご苦労だった」

『感謝』


 男性の電子音声による応答だが、このAIはルシエノと常にリンクしている。

 今かけた言葉は彼女本人にも伝わっているのだが、シナツはそうと気づかないまま部屋を退出した。

 無人となったオフィスの戸締まり、消灯が自動で行われる。

 その作動音を確かめたシナツは徒歩で帰路についた。

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