彼氏
「ごめん愛理。待った?」
待ち合わせ場所の駅で結紀お姉ちゃんを待っていると、お姉ちゃんは私を見かけるや否や走って私のもとに来てくれた。
「ううん。今来たところだよ」
実際は十五分位前についていたが、そんな野暮なことは言わない。
「そう? 良かった。これでも早めに来たんだけどね」
時刻は約七時十五分。お姉ちゃんは十五分前行動なのかな? 覚えておかないと。
「一本早いのに乗れそうだね」
「そうね。ゆっくり行きましょうか」
「うん!」
私とお姉ちゃんは駅のホームで電車を待つ。
電車を待っている間、昨日聞き忘れたことを聞いてみることにした。
「お姉ちゃん」
「ん、なに?」
「忘れてたんだけど、昨日生徒会室に先輩が来たでしょ?」
「そうね、騒がしくしてごめんなさいね」
そこまで騒がしいと思わなかったから気にしていない。それより、お姉ちゃんとの時間に入って来たことの方がイラッときたが、すぐに去ってくれたから何も言うまい。
「それは大丈夫。その時に話し中だったことが気になったの。昨日聞き忘れちゃって」
「ああ。それはね、愛理は本当にこの学校で良かったのかなと思って。進学校は勉強が大変よ?」
「当たり前じゃん! 勉強は大丈夫。去年までの私とはもう違うんだよ」
お姉ちゃんと全然会えない学校なんてもう嫌だ。それに比べたら勉強なんて……。
「ふふ、そう? ならいいのだけど。それが聞きたかっただけよ」
この話の後、すぐに電車が来たので私とお姉ちゃんは乗り込んだ。
「こ、こんなに混んでるの!?」
「この時間は通勤している人と被るみたいね」
電車に乗ると、私とお姉ちゃんの後ろに並んでいた人達が押しながら乗り込んで来る。
アナウンスで、『大変危険ですので押さないで下さい。繰り返します。無理やり乗ろうと押して入るのは大変危険ですので押さないで下さい』と流れているが、全く効果がないようだ。
「愛理手を貸して」
「何で?」
そう言いながら、ぎゅうぎゅうの電車内でお姉ちゃんに右手を出す。
「こうすれば離れなくて済むでしょ」
お姉ちゃんは私の手をぎゅっと握り、体を近くに寄せ密着した状態となる。
「わっ!」
「ん? どうしたの」
「な、何でもないよ」
私は握られた手を握り返し、体重を少しお姉ちゃん側に寄せた。
「や、やっと着いたわ」
「抜け出すのも一苦労だね」
学校の最寄り駅に着いた私とお姉ちゃんは、もうくたくただった。
同じ電車に乗っていたと思われる生徒達も見えるが、人数が少ない。
「そういえば、いつもの時間の一本前は込むからやめておいた方が良いと聞いたことがあったわね。忘れていたわ」
「次の電車は空いていたの?」
「座れるほどではないけど今よりは断然ましよ。運が良いと座れることもあるわ」
「へー……」
お姉ちゃんと密着して、更に手まで繋げているのだ。疲れるけど毎日こうでも良いかな、などと考えていたのに……。
「どうかした? もしかして人に酔ったとか」
考え事をしていたら心配されてしまった。やっぱりお姉ちゃんは優しい。
「いや、何でもないよ」
私は、病気もあまりせず、体は丈夫なのだ。車酔いとかも生まれてこの方したことがない。
全然大丈夫、元気いっぱいだよ。と動きも入れて示そうとした。
この時、私はミスを犯してしまった。右手を動かしてしまったのだ、無意識に。
「あっ、ごめんね。ずっと繋ぎっぱなしだったわね」
そう言ってお姉ちゃんは手を離してしまう。
「ぁぁ……」
行動を間違えなければ手を繋いで登校出来たかもしれないのに……。
□□□
「チャイムが鳴ったから昼休みなー。午後も全部ホームルームだからな。じゃ解散」
担任の言葉でクラスメイトは散り散りになる。
お弁当組は教室に残って仲良くなったばかりの人と机をくっつけていたり、一人で食べようと準備をしている。他の人は購買か食堂だろう。
私はお弁当組の一人だ。でも教室で食べる気はない。私はお姉ちゃんと食べるのだ。
二年生の教室が並ぶ二階に行く。
一年が一階、二年が二階。三年が三階となっている。職員室と他の授業で使う教室、例えば音楽室や理科室などは別棟にある。生徒会室も別棟だ。
二階に来たのはいいが、私はお姉ちゃんのクラスを知らなかった。
「……どこだろう」
取り敢えず、階段から近いクラスを覗き込む。
「……居ないな」
「君一年生?」
「はい!?」
背後から優しそうな女の人に話しかけられた。このクラスの人だろうか?
「こんな所でどうしたの?」
丁度良い、お姉ちゃんのクラスを聞こう。生徒会長だし知名度はあるはず。
「あ、あの、葉月結紀……生徒会長のクラスを知りませんか?」
「生徒会長に用事かー。確か三組だっけな」
「ありがとうございます!」
私は先輩にお辞儀をして三組に向かう。
三組の教室を廊下から覗く。
「……居ないみたい」
もう一度クラス内を見るが、見つけられない。
「あの」
私はドア近くで一人黙々とお弁当を食べている男の先輩に話しかけた。
「ん?」
「生徒会長がどこにいるか知りませんか?」
「会長は……確か生徒会室に――」
「ありがとうございます!!」
話の途中で私は二年三組を後にした。
生徒会室は思い浮かばなかった。
会長なんだもんね、最初からここに行けば良かったんだ。昼休みもまだ半分以上あるし、もしお姉ちゃんが食べ終わっていたとしても、邪魔じゃなければ生徒会室で食べてもいいかな。
そんなことを考えていたら生徒会室に着いた。
中から声がする。誰かは居るみたいだ。きっとお姉ちゃんも居るよね。
「ふぅ……。よしっ」
深呼吸をして気持ちを切り替える。生徒会室に入るのは何故か緊張する。
トントン
「はーい。どうそー」
男の声がした。
「失礼します」
生徒会室に入ると、昨日見た男の人が居たがお姉ちゃんは居なかった……。
この先輩は昼ご飯を食べながら仕事をしていたのか、テーブルに書類数枚を置いている。
確か……こうやって名前だったかな。名字は出てこない……。
「おっ、えーっと……ゆいりちゃん、だっけ?」
「違います。愛理ですよ、こうや先輩」
「ほ、ほぼ初対面の後輩女子に下の名前を呼ばれた! これはフラグが……ってそれ何か発音が違う!! 荒野じゃなくて光也ね。微妙にイントネーション違うのよ? そして、名字は荒野だ!!」
「……ソウナンデスカ」
イントネーションなんぞ心底どうでもいい。
「なんと言う棒読み! 名前間違ったこと怒ってる? それはごめん。謝るから許してくれ」
「…………」
先輩の名字は荒野だったか。そういえばそんな気もする。
「……俺の事なんてどうでもいいのね?」
というか、名前を入れずに先輩とだけ呼べば良かったのではないだろうか。ここには、荒野先輩しか居ないのだから。
……ん? 先輩は今何と言った? いいのね? 何がだろう。
話は聞こえていたが、違うことを考えていて内容を理解できていない……まぁいいか。
「はい」
「なんとっ!?」
購買で買ったと思われるパンを持ったまま、荒野先輩はソファーに突っ伏してしまった。
「あ、あの、荒野先輩?」
あれ? 私、変なこと言った? 同意を求めてた感じだったから答えたのに。
動かなくなってしまった先輩を起こそうと近づく。
「はっ! そういう事か!!」
「うぁ! いきなり動かないでください。驚くじゃないですか」
私の反応を無視して話し出す先輩。
「荒野と光也をかけ、更に荒野と荒野で、漢字まで使ったボケか!! 分かりにくかったが、凄いぞ愛理ちゃん!」
テーブルにあった書類の余白にシャーペンで、荒野光也と殴り書きをした先輩はそう言ってきた。
「……先輩って今までこういう事言われなかったんですか?」
名前の字を見て率直な意見を言う。
「……沢山あります」
ですよね。
荒野光也。漢字のみで見ると〈こうや〉が二回続いて読める。〈こうやこうや〉と呼ばれることがあるかもしれないという訳だ。
「…………ぷぷっ」
「あっ、今想像したね! 人の名前で笑うとかヒドイ!」
「す、すいません……でも、改めて考えると……お、もしろ……いです……ね、ぷっ」
「分かった! 笑ってもいいから少しずつ喋るのはやめてくれ」
「……あっはっはっは、こうやこうやって……ははははは」
数分が過ぎた。
「……すいません」
「いいって、落ち着いた?」
「はい。先輩のおかげで心はリフレッシュできました」
「そうか、そいつは良かった。俺も笑われたのが無駄にならんで良かったぞ。で、生徒会に何か用か?」
「あっ!! そうです! お姉ちゃん知りませんか?」
先輩とお話をしている場合ではかった。お姉ちゃんはいずこへ。
「お姉ちゃん……会長の事か」
「はい。今、先輩は一人なんですか?」
見るからに先輩だけしか居ないが聞いてみる。生徒会室に入る前に、生徒会室の中から声が聞こえたのが気になったのだ。
「そうだぞ」
やっぱり先輩しか居ないみたいだ。
「でも、生徒会室の前にいる時、話し声が聞こえたのですが」
「それはこれだ」
先輩はおもむろにスマートフォンを取り出す。
「電話でしたか」
なるほど、納得だ。
「いいや、動画を見て一人で突っ込んでただけ」
「…………お姉ちゃんはどこにいますか?」
「綺麗なスルーありがとうございます! 会長なら中庭じゃないかな。今頃、彼氏とイチャついてるんじゃない」
んん?
「……今、何と言いました?」
「中庭に居るんじゃないかと」
「その次です」
「彼氏とイチャコラしているんじゃないかと」
一言多くなっているが気にしない。それよりも大問題なのは彼氏がいる発言だ。聞いていないぞ、そんな話。
「お姉ちゃんに彼氏いるんですか? というか本当にその人は彼氏なんですか?」
「だと思うぞ。最近一緒に帰っているしな。昨日は久しぶりに会った後輩と帰るから一緒に帰れないと言われたらしく、振られてたーとか言ってきやがったし。あー、リア充め」
「ありがとうございます。では失礼します」
「えっ、行っちゃうの? ここでご飯食べてもいいよ」
私のお弁当を見て先輩は言ってきた。
「先輩のお仕事の邪魔になると思いますからやめておきます」
私はそれを断る。
「あっ、ちょっとー」
バタン
先輩の声がしたが、気にせず生徒会室から出る。
中庭にお姉ちゃんは居るんだ……男と一緒に……。
中庭は別棟と生徒のクラスがある本棟の間にある。
中庭を囲むように二つの棟は渡り廊下で二ヶ所、三階には無いので二階も合わせて四ヶ所繋がっており、行き来が出来る様になっている。
だから校内から中庭の様子は見えるのだ。
どこだ、どこに居る。
目を凝らしながら中庭を探す。
「………………居た!」
中庭の端っこにあるベンチ。そこに二人の男女が座っていた。一人はお姉ちゃん、もう一人は本当に男の人だった。
私はすぐにお姉ちゃんの所に向かう。
「こんにちは、おねえちゃん」
「あ……愛理どうしたの?」
お姉ちゃんは驚いている様子だ。なぜ居るの? と思ったのかな。
「お姉ちゃんとご飯食べようと思って探してたんだよ。携帯をスマホにしたときデータ消しちゃって、私の番号とアドレスも変わっちゃったし、お姉ちゃんに番号教えてもらってないから電話も掛けられなかったの」
「そ、そうだったのごめんね。私、スマホは教室に置いてあるから、明日連絡先交換しよ? ね?」
「そっか……分かった。ところで、お姉ちゃんの横にいる先輩は誰? もしかして彼氏?」
「え? あ、そ、そうなのよ。別に隠していた訳じゃないよ。えっと、なんて言うか……! そう、紹介する機会がなかっただけなの」
バレたくなかったと言わんばかりの狼狽えぶりだ。
「どうしたの? そんなに焦って」
「だ、だって恥ずかしいじゃない。後輩の、しかも幼馴染みに紹介するのって」
「そうなの? 私、居たことないから分からないや」
……だって私はお姉ちゃん一筋だもの。
「じゃ、じゃあ紹介するわね。こちら私の彼氏の小春草間君です。付き合ってまだ二ヶ月だけどね」
頬を赤らめながら私に紹介してくれる。
そんな顔するなんて……お姉ちゃんはコイツの事、本当に好きなの?
私は平静を装いながら話しかける。
「小春草間先輩ですか。お姉ちゃんがお世話になっています。私、衣更月愛理と言います」
「あっ……僕は小春草間です……よろしく」
「小春先輩、二ヶ月という事はもうキスはしちゃったんですか?」
「ぶっ!?」
「こ、こら愛理、いきなり何聞くのよ」
二人して顔を赤くした。
その反応だとキスはまだみたいだね。だけど安心はできない。
お姉ちゃんの彼氏をジッと見る。
ルックスは悪くない……かな。でも前髪が目を隠すように下がっていて暗い印象を受ける。身長も座高から見て高そうだが、筋肉が少なそう。ひょろっとしていると言った方がいい。
……お姉ちゃんには釣り合わない、こんな男は。
中肉中背で髪の毛も、もっとサッパリとししていて好青年の印象を私が受けれたらお姉ちゃんと付き合うのを許したかもしれないけど。こんな男では駄目だ。
勿論、私のイメージ通りの人でもお姉ちゃんに嫌な思いや、無理やり迫るなどの事をしたら、私はその人を追い詰めるけどね、精神的に。
という訳で、小春先輩にはお姉ちゃんと別れてもらいましょう。
「私が居てもお邪魔ですよね。ごめんなさい、教室に戻ります」
まずはどうするか考えなくては。
「あっ……ごめんね愛理」
「いいよ。二人でイチャイチャしててください。帰りは……一緒に帰れなそうですね」
本当は嫌だけど……。
「今日は……ごめんね」
お姉ちゃんは小春先輩を一度見てから私に向き直る。
「分かった」
「時々でよければ一緒に帰ろ?」
お姉ちゃんが嬉しい提案をしてくれた。
「うんっ! じゃあまた明日、駅でね」
「うん。ごめんね」
「いいって、ばいばーい」
中庭から校舎に入る。
……前言撤回。この気持ちに嘘はつきたくない。
好青年であろうと、誰であろうとお姉ちゃんと付き合うことは許さない。お姉ちゃんは私のものだっ!