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気象予報士 【第3.5部】  作者: 235
二家のお姫様たち
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サンスパングルの白銀姫 6

「まぁぁ! 美しいお嬢さんだこと!! とてもお似合いだわ」

 来た、と身構える。

 できるだけの笑顔、しかも上品に見えるそれを浮かべ、背筋を伸ばして。左のベリルを見上げた。彼は極上の、完璧すぎる微笑みをまず自分に送り、それから目の前の中年女性に頭を下げる。

「お久しぶりです、トレニア様。お変わりありませんか?」

 屋敷の中央に位置するホール、そこに入って、いきなり興奮気味に話しかけてきた彼女。礼儀を飛ばしてそんな態度をこの家で見せるくらいなので、余程親しい間柄か、サンスパングルに利益をもたらす人間なのだと思う。

「ええ、ええ、私は同じよ。ところで、どちらのお嬢様かしら?」

 今日、このパーティーでそれを聞かれる事は、覚悟していた。それでも、自分から口に出すのは気が引けて。この世界では不可欠とも言える、お決まりの調査を始めようとする彼女に、ベリルは笑みを崩さずこちらを見下ろす。

「ヴァーベインの令嬢、アルジェ姫ですよ。最も、今まで大事に隠されていましたので、事実上、私の独り占めですが」

「あらまぁ、だから見覚えがないのね。こんなに美しい方、忘れる訳がありませんもの」

 彼の口から出たのは、予想通り、部下という言葉ではなかった。パートナーとして連れているのに、そんな事を言う方がおかしいのは分かってはいる。これまた分かりやすいお世辞を口にする彼女に、膝を折った。

「分家ですので、こちらの方では出かけた事がなくて・・・どうぞよろしくお願い致します、トレニア様」

 すらすらと口から出てくる台詞に、嫌悪を覚えながら、まだ令嬢として振舞える自分を悲しく思った。捨てているはずのものに、こうして縋りついている。

「まぁ、そうなの! これからはお会いできるわね、彼と一緒にあちこちお出かけなさいな」

「そうですね、今後は自慢をしに彼女を連れて歩く事にします。トレニア様もよろしくお願いします、サンスパングルの次男は姫付きだって、宣伝して下さい」

 明るい笑顔を浮かべる彼女に、冗談交じりにそう答えるベリル。

 彼の言葉を遮ることはできない。同調しているとみなされなくては、ここにいる意味はないのだ。ベリルに恥をかかせるべきではないのだから。

「そうね、任せて。では、また後でね、主人を置いてきているの」

 最後に笑い声を残して、彼女が去っていく。


 ふ、と肩の力を抜きかけて、まだたった一人にしか対応していない事を思い出した。急いで姿勢を正すと、上から降ってくるのは柔らかな視線。

「いきなりあの人だったのは、ラッキーだったかもよ。あと一時間もしたら、きっと挨拶しなくても、君の存在を認識してくれる人間が増殖すると思う」

「・・・そう、ですか・・・」

 何だかどうでもいいような気にすらなってきた、と言おうと思って踏みとどまる。これは、一夜だけの演技にすぎない。明日になれば、ただの一研究者に戻れるのだから。

 探せ、と。

 上司ではなく、恋人という立場であるはずのベリル。今、この場に相応しい、彼の喜ぶ言葉を探せ、と。どこかでそんな指示が飛ぶ。


「うまく広まれば・・・無駄な反感を買わずに認められますね、サンスパングルの姫だと」


 青い目を大きく見開いて。

 自分を見るその視線から、逃れた。首を動かし、視線を逸らせて。

「・・・何か取ってきて頂けますか? 緊張したので喉が渇きました」

 料理の並んだ一画へ目をやり、ベリルの意識を他へと向ける。

「ああ、うん。・・・何がいい?」

「貴方のお好きなものを」

 笑みを作る。こんなもの、散々やり慣れているはずなのに、違和感しか覚えない。

 背中を見せたベリルを見送り、今度は自然と口元が緩んだ。自分の口から出た言葉が随分と滑稽に思えて。


 孤児の、しかも醜い傷痕を持つ貴族の姫など、聞いた事がない。


 数時間の演技を、立派にやり遂げて。

 彼への恩返しの一端にはなるだろうか。暗い場所から引き上げてくれた、その厚意に対する利潤。サンスパングルとの血縁を望み、結婚をせまる周囲の貴族や有力者の遮断。ベリルはそれを望んでいるはずだ。


 それならば、きっと応えられる。

 今の自分には、その役を演じる為の条件が備わっている。

 楽しめばいい、サンスパングルに選ばれた幸運な人間を、一夜だけ。


 華奢なグラスを手にこちらへ向かうベリルへ、笑顔を。

 返された柔らかい笑みに、心臓が一瞬跳ねたのは無視して、恋人の振りをして彼を出迎えた。


 何故、突然彼女が、パートナーらしく振舞い始めたのか。

 その体に残された傷痕を、無理やり暴いてしまったことなど、少しも気にしていない様子。

 理由を探らずとも、分かってしまった。自分を見て浮かべる笑みは、取り繕った仮面。

 きっと、ここで失敗などすれば、身の置き場がなくなるとでも思っているのだろう。






「アルジェ!」

 これでもう何組目か判らないくらいに、同じような挨拶を繰り返して。

 そろそろどこかに座って落ち着いてもいいだろう、と彼女の名前を口にしようとした。

「ルー!」

 自分のものではない、彼女を呼ぶ声が、後ろから聞こえて。

 振り返る前に、もう一度、特別な呼び名が響き渡る。

「・・・っ!?」

 びくん、と大きく肩を震わせたアルジェのその顔は、みるみるうちに硬くなる。

 ようやく、と思い、精一杯穏やかに聞こえる声を発した。

「大丈夫」


 これから、始まる。

 今から、始まる。


 アルジェを、家族、親戚、付き合いのある人間達に見せびらかす。

 それは、今日のこのパーティーの目的の、ごく一部であって。

 メインイベントは、これだ。






「ルー、ルー・・・!」

 この、声。

 間違えようもない、その、耳をくすぐるような甘い声。

「ああ、シトロン殿。お久しぶりですね」

「・・・緑樹様・・・えーと、春以来でしたか? アルジェ姫は・・・10年くらいぶり?」

 すがるような視線が、体にまとわりついていた。

 そんな事を意に介さず、ベリルと、それから幼馴染みの男が言葉を交わす。くだけたその口調から、彼らは幾度か面識があったのだろう、とどうでもいい事を思った。今の自分には、本当にどうでもいい、そんな事を。

「昔から綺麗だったけど、なんだか一段と美しくなってるな・・・まさかこの場で会えるなんてね。久しぶり」

「・・・シトロンお兄様・・・ご無沙汰しておりました」

 ヴァーベイン本家の跡継ぎ。

 会うたびに、邪険にせずに相手をしてくれたのを覚えている。

 従兄である彼の顔には、時を経ても同じ笑みが浮かんでいた。戸惑ったような、そんな笑顔だったけれど。

「そちらは、アルジェの兄上ですよね」

 腕を預けたベリルの声は、死刑宣告を言い渡す人間のそれに聞こえる。伝わる彼の温もりは、裏切りのように感じた。


 知っていたのだ。兄が、この場に来ることを。

 仕組んだのは、ベリルだ。


「お会いできて光栄です。サンスパングルの次男のベリルと申します」


 彼の堂々とした声。

 兄へと下げられる頭。

 それから、自分を見下ろす微笑みまじりの視線。


「ご存知でしょうが、今アルジェには、私の下で働いてもらっています。公私混同はしないつもりですが、さすがに一年に一度の伝統的な集まりですし。ここで公表した方がいいかと思いまして」

 自分が何に対して震えているのか分からなかった。

 ベリルの、芝居じみたその台詞か。

 兄が、この場に存在していることか。


「・・・おい、キーディス?」

「あ、ああ、お初にお目にかかります、ベリル様。ルー、アルジェとは・・・」

 自分に突き刺さっていた視線が、ようやく逸らされた。それはベリルへと向かい、彼はまともな言葉を吐き出す。躊躇いがちなその表情は、何年も顔を合わせていなかった妹を心配している兄に見える。


「ええ。サンスパングルの姫に、と」


 そう言うだろうと思っていた。こんな茶番を作り出したのだから。


 息をのみこんだ音、その後に。

 キーディスの視線は、また自分の方へと向けられる。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんが、いずれ正式に伺いますので。ご両親にお伝えください」

 伝わってしまう。家へと、ずっと会っていない養父母へも、この現状が。

 見上げたベリルの横顔には、相変わらずの笑み。けれどそれは、嘲笑ともとれるような、ひどく不敵なものに見えた。貶められたのは、キーディスの方。

「っ、・・・緑樹様、アルジェとはもう何年も会っていなくて・・・失礼ですが二人で話をさせて頂いても?」

「ええ、もちろんですよ。どうぞご遠慮なさらず」

 柔らかい声であっさりとそんな事を。

 ある程度、事情を推測しているはずだ。兄を呼んだのはベリルなのだから。それなのに、とても簡単にキーディスに預けられた。どくん、と心臓が大きく跳ねる。

「・・・っ」

 優しい手つきで、離された腕。

 縋るものが、なくなってしまった。まだもうしばらくは続くと思われていた、彼の庇護から解放されてしまった。


「ルー」

 笑みを浮かべたキーディスに、すかさず腕を取られる。

 ぞくりと全身を襲う寒気を何とか抑えて。もう一度ベリルを見た。助けてくれるかもしれない、などと今更都合の良い事を考えながら。


 振り返った目に映ったのは、にこりと笑う顔。

 少し心配そうに自分を見るシトロンの横で、そんな微笑を浮かべていた。



「外に出ようか? 誰にも聞かれない方がいいだろう?」


 ホールの端へと向かうキーディスの力に、抗えない。

 耳に届く、その懐かしいはずの甘い声は。

 ただ、この身の出自を呪いたくなる、そんな気分を与えるだけだった。


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