サンスパングルの白銀姫 5
「あらま、随分と上機嫌だこと」
空が傾きかけた頃、左手に箱を抱えて、男子禁制の部屋の扉をノックする。それを開けたのは、姉のヴィオラン。ラフな服装のままなので、彼女の準備は一番後という事なのだろう。
奥の部屋から賑やかな話し声がする。響くのはコーディアの声だったけれど。
「まぁね。アルジェにこれを着させて。私からっていうのは内緒で」
「一足遅いんじゃないの? 彼女には叔父様から届いているわよ」
にやりと歪んだ笑みを浮かべて、意地悪く姉がそう言った。
「は!? 聞いてないですよ!」
「ふーん。でもね、叔父様、緋天ちゃんにも贈ってるし、可愛い娘達にあげたいんでしょ」
「緋天ちゃんのは知ってますけど・・・叔父さんめ、騙したな」
少し前に、オーキッドが嬉しそうに緋天のドレスについて説明していたが。まさか、その影でアルジェにも同じように作っているとは思わなかった。きっと今頃、ほくそ笑んでいるに違いない。
「ま、これは渡しとくわ。あの子がどっち選んでも文句は言わないようにね」
くす、と笑って、素早く箱を取り上げて。
ばたん、とあっという間に目の前で扉が閉められた。何となく、腑に落ちないのは確かだけれど。姉はきっと、彼女に両方を着させてみる事はしてくれるだろう、と後を任せる。自分の選んだドレスを着てくれるのが一番だが、それを無理強いして機嫌を悪くさせるのは避けたい。
けれど、自信はあった。叔父の贈ったものを凌駕する、自信。
アルジェがにこりと微笑むのを夢想して。
自分の部屋へと戻った。
「緋天ちゃん、大丈夫よ、変じゃないから。アイリス、飾りはそこの使ってね」
「う~」
「かしこまりました、ヴィオラン様」
真珠色のドレスに着替えた緋天の髪を、メイドの一人がカールさせていた。それを気にしてそわそわする緋天を、部屋に戻ってきたヴィオランが優しくなだめる。
心細そうな、唸り声めいた音を出す彼女と、嬉しそうに頷くアイリスと呼ばれたメイド。使命感に燃えている戦士のようにも見えた。
「さて。こっちのお姫様には選択権が出てきたわ。開けてみて」
「え、でも・・・」
「いいから。どっちか好きな方を選んで着てね」
ここを出る時にはなかった大きな箱を、彼女が差し出して。きれいにラッピングされたそれを、言われるままに開ける。銀色のリボンをといて、薄水色の紙をはがして、こげ茶色の箱を。
「あ・・・」
「あら、いいじゃない」
「素敵。きっとアルジェ様にお似合いだわ」
「わーっ、きれいな色! アルジェさんの目の色だね」
「え~、あたしも見たい・・・」
「ほほ、緋天様、動かないで下さいませね?」
「むぅ」
箱に収まっていたのは、光沢のある水色のシルクドレス。右腰から裾に向かって斜めに銀糸で花の刺繍と。膝上まで入れられたスリットが、かなり大人仕様になってはいたが、性的な匂いは感じさせないような上品な作りだった。
口々に感想を述べた、三姉妹と、それから実際に箱を覗き込めない緋天の声。
「きれい・・・」
「気に入ったみたいね。こっちにしちゃう?」
指先に触れる生地。背中の方にも刺繍があるのだろうか、と夢見心地でドレスを反転させる。
そこで、手が止まった。
「・・・いいえ。とても素敵なのですが、これは私には着ることができません」
「え!? なんで!? こっちのがセクシーだよ?」
ベッドの上に座ったコーディアが驚愕の表情を浮かべてそう言う。横でドレスを広げるのを手伝ってくれたヘリオドールも、同じように自分を見ていた。
「・・・・・・っ」
目の前にうっすらと膜が張る。腕から力が抜けて、ドレスを箱の中に戻した。
アクセサリーが入っていると思われる、ベルベットの箱が手の甲に触れた。
「もしかして・・・ベリルからの贈り物、って分かっちゃった?」
小さな沈黙を破って、ヴィオランが呟いて。
シルバーの華奢なサンダル、ドレスと共布のバッグまで。全部揃えられたそれを見て、溜息が落ちた。これをベリルは選んでくれたのだ、自分の為に。
ヴィオランが言い出さなくても、それは何となく分かっていた。第一、パーティーの為に自分に贈り物をする人間など、オーキッド以外には思い当たるのは彼しかいない。
「違うんです。このデザインは、・・・着れないんです」
せっかく楽しい空気だった部屋を、自分のせいで台無しにするのだけは避けたかった。
何とか彼女達を嫌な気分にさせずに、うまく説明したかった。ただ、事実を口にするのだけはどうしてもできなくて、曖昧な言葉で濁す。
「え・・・? だって、アルジェさん、スリムだし、絶対着れるよ?」
「コーディアちゃん、違うわ、そういう意味じゃないわ。ごめんなさい、嫌な事だったら、無理に仰らないで下さいな」
俯いた自分に、ヘリオドールの柔らかい声がかかる。
オーキッドの贈ってくれたドレスには、何の問題もない。彼は知っているからこそ、ちゃんとデザインを考えて、自分が着られるものを贈ってくれたのだ。
「ねぇ、でもさ、こっちは使えるわよ。ほら、叔父様はドレスしかプレゼントしてないじゃない? もしかして、あの子が一式揃えるのを見越していたのかしら」
場をとりなす様な明るい声のヴィオランに促され、ベルベットの箱を開けた。
銀で縁取りのされたピアス。ドレスの刺繍と同じ花を模ったネックレス、アンクレット。全てが同じ水色の石から出来ていて、どれも見事な品だった。こんな細工は、養家で上流階級の娘であった時にも見た事がない。それ程、素晴らしく繊細で。
「・・・完璧でしょ。やる時はやるのよ、ベリルは」
「わぁぁ、すごい、ベリル兄様。本当にアルジェさんの為の一式だよね!」
「さすがですわね」
「見たいよぅ・・・」
「緋天様、首を動かすのはもう少し我慢してくださいね」
「う~・・・」
「ところで・・・ベリル兄様、納得されるかしら?」
「無理」
「ダダ捏ねるでしょうね。うるさいわよ、きっと」
再び沈黙が訪れる。
ヴィオランが言ったように、ベリルは自分のものを、と勧めるに違いない。オーキッドのドレスを身に纏ったのを見ても、素直に頷かないだろう。うぬぼれる訳ではないが、ここまで完璧に揃えたのが彼だから、一分の隙もなく着こなすのを望んでいる気がする。
「・・・サー・クロムには、私からお話します。準備ができたら、お見せしますから」
そうね、と一言ヴィオランが答えたのを合図に、それぞれが自分のドレスに着替え始めた。
それを見て、自分もオーキッドのドレスを手に取る。
詳しい説明を求めることをしない、三姉妹に感謝して。
嫌な顔を見せるベリルを思い浮かべ、来るべき時間に備えた。
呼ばれた。
アルジェから、話がある、と呼ばれた。
そんな風に彼女からコンタクトを取ってきたのは初めてだった。
多分、贈り物をしたのが自分だと気付いて、型通りの礼を言われるのだろう、と予想はできたが、それだけでも嬉しい。
再び訪れた女性陣の集まる部屋。ノックして、扉が開かれて。
「っっ!?」
出迎えたのは、アルジェ本人。
ただし、身につけているのは、自分が選んだものではなく。
「サー・クロム、素敵な贈り物をありがとうございます」
頭を下げた、アルジェを。薄水色のドレスが包んでいる。ふわりと裾へ広がる生地。銀糸の刺繍は見覚えがある。細かく縫い付けられた石がきらきらと光を反射して。
「・・・それ、叔父さんの?」
仕立屋で彼女の為に選んだ刺繍と全く同じだった。どうして叔父はそれを知りえたのだろう。しかも、彼が贈るドレスに同じものを縫いつけるなんて。
「はい。・・・サー・クロムに頂いたドレスは、私には着ることができません」
淡々とした、その口調に少し苛立った。
何故。
叔父のものより、自分が贈ったものの方が、アルジェを惹き立てる。
「何で? サイズだって、ぴったりのはずだ・・・」
「ええ。ですが、私には無理なんです」
目線を床に落とした、彼女の首筋。そこに固定されているのは、特注したネックレス。良く見れば、耳も、その足も。飾り立てるのは、自分が選んだアクセサリーであるのに、ドレスだけが叔父のもの。
「わからない。何が無理なの? 叔父さんのは着れても、私のものは身につけたくないという事?」
混乱する。
静かな口調は、出会った頃の彼女のようだ。
「ねぇ、触られたくないって事かな?」
飛び出したその声が、随分と意地悪げに響いた。
こんな風に責めてはいけない、何を着るかは彼女の自由であるのに。そう思っても、悔しかった。アルジェのあまりにも冷静な声音が、それを煽った。自分を嫌な人間へ変えるように煽る。
「っ、やはり、納得頂けませんか?」
「納得できるわけない。説明してよ、何で駄目なのか」
一歩前に出たら、びくり、と彼女が身を竦ませた。他の皆は奥の部屋でまだ準備中なのだろう。誰もいないせいで、アルジェを腕の中に入れて、自分のものだと過信してしまいそうだった。
もう、無理やりそういう事はしない、と決めているのにも関わらず。
「・・・少々お待ち下さい。着替えて参りますので・・・っ」
くる、と踵を返した彼女が、足早に隣の部屋へと消える。最後に耳に届いた声が、何だか消え入りそうだった。
奥で、複数の話し声。
それも、少々上擦ったような、焦ったような。そんな声音が、姉と、それから二人の妹、三人分響いて。何を言っているのかは良く判らないが、扉の向こうで一騒動起こっているようだった。
「バカ! あんたちょっと、頭使いなさい!!」
ばん、 と勢いよく開いた扉から、姉が憤怒の形相で飛び出してくる。
「え? 何、を・・・」
「いいんです。直接見て頂いたら、説明しなくても済みますから」
またも静かな、冷たい、とさえ感じる声。
奥から出てきたアルジェは、ゆっくりと自分の前まで歩いてきた。動く度に揺れて光る、美しいドレス。すらりと伸びた足がスリットからのぞいて。
完璧だった。
それを着こなした彼女は、美しい。
「一生悔やみなさいよ、ばか」
何故だか急に元気をなくした姉の声が、そんな事を言っても。その目がこちらに向かうアルジェの背中を見ているなんて、全く気付かなかった。
それきり黙って隣の部屋へと姉が消えたのは、自分に謝罪をさせる為だった事も気付かずに。
「きれいだ」
細い腰に腕を伸ばして、最後の一歩を引き寄せる。目を伏せた彼女は何も言わずにそれを受け入れた。
白い肌、手触りのいい、その皮膚。
水色の目を見て。背中に手を這わして。
「っっ!!」
震えていた。触れたそばから、彼女の体に震えが走る。
「なに・・・? こうするのは嫌・・・?」
怯えているようで。夢を見ているような感覚から我に返る。
「どうし、っ!?」
更に彼女を引き寄せたところで、首筋から背中へのラインが目に入った。
大きく開いた背中側。
そこに見えていたのは、痛々しい傷痕。
「っごめん!!」
彼女が何を訴えていたのか、ようやく分かった。
美しい肌に残された傷痕は、このデザインでは丸見えで。
叔父はそれを、知っていたのだ。
「・・・髪が長ければ、隠せたのですが」
あくまでも、平常を装おうとする、その声。
自分にはそれが、悲痛な叫びにすら聞こえる。
傷つけてしまった。思い出したくもないだろうに。その事実を口に出すのさえ、躊躇っていたのだ。直接自分に見せることで、説明を避ける程。
「ごめん・・・知らなかったとは言え、知る手掛りはあったのに・・・」
「いえ、ご理解頂けたならいいんです」
す、と離れようとするアルジェを、もう強引に手元に戻すことはできず。
ただ、その傷のついた背中を見送る事しかできなかった。