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気象予報士 【第3.5部】  作者: 235
空を仰げば
12/65

7

 蒼羽には、緋天。

 緋天には、蒼羽。


 ベリルの言葉が、いつまでたっても頭から抜けていかない。

 そう言ったベリル自身に、蒼羽と同じ類の感情を向ける相手がいるとは思いもしなかった。


 緋天を襲った犯人がシュイだという話を聞いた瞬間。

 ぴたりと符号したのは、過去の記憶とアルジェの顔。シュイの狙いが本当は彼女に向かっているのだと悟って。それに対して自分が何の役にも立たないと、またもや思い知らされる。

 ベリルがついているから、とセンターに向かう自分を引き止めた蒼羽。

 アルジェには、ベリルがついているから、と。


 予報士の代わりも満足に果たせず、それどころか、大事だと思っていたアルジェを支える事もできない。参戦すると不敵な笑みを浮かべて言い放ったベリルは、本気で彼女を欲しているようで。半信半疑だったそれが、確信に変わったのは今日の昼食時。ベリルの言葉ひとつひとつに表情を変えるアルジェを目にしたからだった。


 そもそも、そうやって誰かに振り回される彼女を見たのは初めて。

 告白まがいの何かを男に言われるのは、アルジェならば慣れているはずだった。彼女の容姿はそれだけ男の目を惹きつけるものであったし、愛想のない態度であった本部でも、誘われることが皆無というわけでもなかった。こちらに着任してからは、笑顔を振りまいていたのだから尚更。その手の男をあしらうには充分な経験を積んでいたはず。


 では、何故。

 何故、アルジェの頬が薄赤く染まるのだろう、と。

 ベリルに何かを囁かれて、恥ずかしそうに俯くのだろう、と。

 その原因を考えると、ひとつの結論に辿り着く。彼女が何かしらの特別な感情を、ベリルに対して抱いているのではないか、という結論。


「シン? もういいのか」

「あー、うん」

 皿の上の最後の肉の塊を飲み下し、フォークを手から放す。コップの水に手を伸ばしていると、横からオーキッドの怪訝そうな声が飛んできた。いつもなら、二皿目を頼んでいる頃なのに、その気になれずにいたのを彼は見ていたらしい。

 夕食はオーキッドの家でとるように、と言い置いたベリルは。

 今どこで何をしているのだろうか。

 寝るつもりなどなかったのに、目が覚めたら夕刻だった。一緒にビデオを観ていたはずのアルジェはとっくに家に帰っていて。蒼羽と緋天は外に出かけるところだった。彼らを見送った後、用事があると言うベリルに追い立てられるようにしてこの家に出向いたのだ。


 ベリルが参戦を言い渡したあの日から、毎晩。

 彼がアルジェの為に食事を届けていたのを、本当は知っていた。知っていて、知らない振りをしていた。緋天もアルジェも守れなかった自分には、その権利がないと判っているから何も言えないのだと。そう言い聞かせていた。

 ベリルはきっと、アルジェの家で一緒に夕食をとっている。

 二人は既に、蒼羽と緋天のような関係にあるのだろうか。それを思い、胃のあたりが冷たくなる。


「どうした? 顔色が悪いぞ」

「気分が悪いの? 今日はここで寝なさい」


 心配そうな表情を見せるオーキッド。それに続いて彼の妻がそう言う。

 どちらも、本当の家族のように接してはくれるが。

 彼らに背を向け、食堂の扉に向かった。その暖かさが、自分だけのものだとは到底思えなかった。根底にあるのは、予報士見習いである、という人間への心配ではないだろうか、と。疑いたくはないのに、頭の奥で何かが叫んで。


「シン?」

「・・・ベースに帰る」


 背中にかかったオーキッドの声に、何とか返事をして。

 外に出る。夜気の中に、身を落とす。

 頭が、割れるように痛かった。





「・・・え、緋天ちゃん来てくれるの? あ、ううん、違う違う、すごく有難い。蒼羽だけだと不安だからさぁ、うん、ほんとごめんね。じゃあよろしく」


 聞こえてくるベリルの声が、ぼんやりと遠くから発せられているような気がした。

 全身がだるく、頭痛も治っていない。目を開けて飛び込んできたのは、窓の外の青空で。日差しは暖かそうなのに、寒くてたまらない。毛布をかぶりなおす為の手が重く感じた。

「あ、起きたか・・・調子は・・・悪そうだね」

 部屋の中に立っていたベリルが、先ほどまで耳に当てていた携帯をしまう。近付いて、その手が額に置かれて。避けようとしたのに、どういう訳か実行できなかった。自分の思い通りにならない体を呪いながら、目の前の筋肉のついた腕を睨み付けた。

「何か食べれる? ・・・睨むなよ」

 苦笑するその顔を、今は見たくなかった。

 どうやら熱を出したらしい、弱っている今の自分を見られたくもない。

「あとちょっとしたら、センターに行かなきゃなんないんだけど。蒼羽が帰ってきたら、何か食べろよ」

 ぐらぐらと沸騰しそうな頭。熱いのか寒いのかどちらかひとつにすればいいのに、と思いながら目の下まで毛布を引っ張りあげた。ベリルに背を向け壁際を向き、目を閉じる。

 大仰な溜息を吐き出して、彼はそれきり何も言わずに出て行った。ぱたんと音を立てて閉まった扉、それから小さくなる足音。後頭部に響いたそれさえも、気分の悪さを煽ることしかしなかった。


 昨夜、オーキッドの家を後にして、ベースに辿り着き。

 そのままベッドにもぐりこんでから、普段よりも多く睡眠をとったはず。

 それなのに、眠気が瞼を刺激する。


 熱を発し続ける額に、ひんやりとした柔らかな感触を。

 まどろみの中で認識して。それが随分と、心地良かった。

 何かは判らないが。

 苦しみの中の、たったひとつの。

 救い、とも呼ぶべき存在。


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