北陸某所 三名園跡地にて
(ここはあれから初めてだな。兼六園はもう、見る影も無しか)
怪物や変異生物が闊歩する地獄と化した日本。それはここでも変わらない。
海に程近い金沢城下。三名園の一つに数えられた兼六園もあるこの街もまた荒れ果て、かつての繁栄は失われている。それどころか、兼六園には一際大きな赤色の渦が非現実を象徴するかのように存在し、人間の脅威である怪物を次々と生み出していた。
その様子を見つめる一対の目。以前に訪れた経験があるのか、悔しさ、寂しさ、どちらとも取れる光を宿していた。
(だがそれにしては人の気配が強い。あの規模のゲートが健在なら皆、金沢市から避難していてもおかしくないはずだが……)
兼六園は言うに及ばず、金沢城も香林坊も、その渦がもたらす破壊に呑まれて見る影も無くなってしまっていた。だが、人間の息づかいはそう遠くない場所から感じられる。ぶつぶつと呟く男がいるのは傾いたビルの屋上。香林坊の中にある。明らかに怪物の領域だが彼は構わずに思考を続けた。
(もしかして、自衛隊が無事だったか、それとも銃火器だけでも残っていた? ……いや、それだけではまだ弱いな。あの辺りには学校も多かった。“種”が複数いたのか。それならこの善戦にも納得がいく。あの川は、確か手取川とか言った。水量が妙に増えているが間違いないだろう。赤のゲートは火山。元々水を嫌うモブが多いとは言え、あそこで防衛線が構築出来ているのなら素晴らしい事だ。依頼にあった物品からして間違いなく一人は“種”がいる。……あそこがそうか。聞いている位置とそんなに離れていないし、何よりマーカーが存在している。規模は街の扱いか……)
口元に笑みを浮かべた男が不意に屋上から跳んだ。もちろん、下に向けてだ。
怪物と瓦礫が支配する地獄へと、その姿は消えていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
あの日からもう五年が経った。
忘れもしない悪夢の始まりの日。昨日の様に思い出せるその記憶……。
僕は、教室にいた。
長々と続く副担任の長谷川先生の話。授業を終え、早く部活に向かいたい皆の反感なんて気にもしない彼女の声が不意に止まった。
既に聞く気を失い、僕は横の校庭を眺めていた。言葉を途中で止めた先生が気になって黒板のある教室前方に顔を向けた僕の口から出たのは、本当に間抜けな声だった。
「え?」
どこか憧れていた非日常への憧れ。こんなつまらない世界なんてどうなっても良いと言う無責任な意識。もしもそんな展開が起これば、自分は絶対に目を輝かせて、かつ冷静を振る舞いながらその世界を楽しむものだと思っていた。だと言うのに、実際に有り得ない事が起こった時には動くことも出来ずに間抜けな声を上げただけだった。教室の象徴でもある大きな黒板に、この学校に通って三年目になっても一度も見たことが無い特大の石柱が突き刺さっていた。柱は黒板のほぼ中央に突き刺さり、柱の下には長谷川先生の首から下が“あった”。
手足から力が抜けて、呼吸が少しずつ浅く早くなっていくのを着席したまま知覚する時間がただ過ぎていく。
自分に何を言い聞かせたのかは、もう覚えていない。必死に目を、間違いなく死んでいる先生から左右へとずらして状況を知ろうとした。カチカチと耳障りな音が聞こえた。僕の歯が鳴っているのだとすぐに気づく。だが、それを止める事は出来なかった。
滅茶苦茶だった。
教室中が何かに切り裂かれた様に無数の亀裂を刻まれていた。僕の席から二つほど右側の席辺りで深く、教室が二つに裂かれている。その横には石柱、僕らが両手を広げても数人は必要だと明らかにわかる胴回りの異質な代物。
床には……横たわるクラスメートの死体。一人や二人じゃない。綺麗に横たわってもいない。手が無い、足が無い、頭が無い。ビー玉みたいな目。夥しい血。ペンキをぶちまけたマネキンのアートみたいだと思った。
時が止まったような状況が動いたのはその後すぐだ。一際大きな音が近くで聞こえた。北校舎と南校舎を繋ぐ渡り廊下が落ちた音だったんだけど、当時は正体不明の轟音だ。堰を切ったかのように悲鳴や大声が響き渡った。僕の口からも意味を成さない大声が放たれていた。パニックってこういうものなのかと、頭のどこかで考えていたのを覚えている。ああ、そうだった。僕以外にも生きている人間がいたんだ、って言う安堵もあった。
大声で失った酸素を得ようと大きく息を吸った時、鼻腔に生温い、初めて感じる異臭を感じた。もう今では慣れてしまった血の匂い。だと言うのにあの時教室で嗅いだ大量の人間が死んでむせ返る濃度になったソレは今も鼻から、いや脳裏から消えてくれない。初めてだったからか、それとも室内だったからだろうか。あれ以上の人の死にだって何度も直面したのに、僕は教室で感じた“血の濃さ”を一番鮮烈に覚えている。なんと表現していいのかわからない、とにかく最悪なイメージだ。
それから僕は、自分の机に嘔吐したんだ。多分給食が主成分の吐瀉物を見て、僕はさらに気持ち悪くなって後ろに身を引いた。当然椅子毎体が後ろに移動する。普段なら何の問題も無い(吐いたのは問題あるけど)、でもその行為は自殺行為に等しい行動だった。何故なら僕の後ろには何も無かったから。
落下する前にわずかにある無重力感を感じた。視線が下に向き、校舎をぶち抜いて底も見えない黒い穴の存在を知る。体勢が崩れ、椅子が先行して落ちる闇に僕の身体も後を追い始めた。学校がいきなりテロリストに襲われたら、いきなり大災害に見舞われたら。色々と想定して自分ならこうする自分ならああすると考えていた全てが何の役に立つ事も無く死ぬのかと、余りにも簡単に訪れる死に驚きの表情を浮かべていた僕。だけど僕は助かった。横から伸びた力強い腕で掴まれて。
「バカ野郎! なにしてんだよ!」
「南君……」
「待ってろ、余計に動くなよ!」
僕を掴んでそのまま引き上げてくれたのは、同級生の南君、南明良君だった。僕は落ちて死ぬ時まで隣の席だった彼の生死、いや存在すら頭になかったと言うのに。同じ状況の彼は間抜けな僕を助けてくれた。
感謝、情けなさ、嫉妬……、色々な感情が彼に対して湧くものの、ただ助かった事への安心が全てを上回って、僕は彼の傍で呼吸を落ち着かせた。
「中村、いきなり自殺とか勘弁してくれよ」
「ご、ごめん。後ろがあんなことになってるなんて思わなくて。ありがとう、南君」
「おう、恩に着ろよ。おーい! 無事な奴いるかーーー!?」
南君は心からの僕の礼にも軽く応じる。そして、まともな意味のある言葉を教室に投げかけた。
頭はそこそこ、運動は抜群。そして何かと皆を引っ張る社交的な性格。決して二枚目ではないけれど、高い運動能力と兄貴肌の性格が僕にとって目標となっている存在。どっちが良いかと聞かれたら僕は頭が良いより運動ができる方が良い。それは今でも変わらないな。あの時も、そして今も。彼がいなければ僕ももう生きていないと思える。思えば彼に助けられた時に、彼に抱いていた妬みの混じった否定的な気持ちが、決して敵わないんだという諦めに変わった気もする。
教室の数カ所から手が挙がった。ああ、他にも無事な人がいたんだ。僕は、周りを見ていながらそんな事にも気を配れなかった。ただ自分の気になる箇所を見て自失していただけだ。その他大勢に過ぎない自分を認めたくない気持ちが燻っていた。
「お、いたな! 北川に新保、井上に越野も無事か! っても、俺らを入れて六人かよ……どうなっていやがる。とりあえずそっちの方が安全そうだな。よし、越野の所に集まるか。中村、立てるか?」
「……大丈夫、行けるよ」
僕らの教室で無事だったのは六人だけだった。三十人以上もいてたった六人。
その中に僕も入っていて、そして、僕が特別な感情を持っている三人も入っている。なにか、特別なものを感じた。
『……』
六人で集まってみても誰が話すと言う事も無く、皆沈黙していた。そしてその沈黙を破ったのはやはり彼だった。
「ふうっ! まあ、何だ。黙っていても埒が開かないよな。何が起こったか、わかる奴いる?」
「……こんな時までボケてんの? 明良」
「北川、きっついな。だけど、へこんでもどうしようもねえしな。あ、怪我してる奴は?」
「……越野さんが足が痛くて動かないって」
「流石は新保、気が利く。越野、ちょっとごめんな。だけど動けない越野の所に集合にした俺ってホント凄いよな」
冗談を混ぜながら南君が足が痛いと言う越野さんの足を自然に触る。ああいう事も躊躇なく出来るんだよね、彼。
外傷の無い足を触って動かしてみたりして、反応を伺いながら痛みなどを聞いていく南君。一通り終わったのか足から手を離して彼女の傍を離れて僕の近くに戻ってくる。
「外傷は無い、足首みたいだから捻挫か骨折か、その辺りは流石にわからん。でもまともに動くとなると杖がいるよな。ここがひとまず一息つけてる以上は……」
「彼女を置いてひとまず外に出る?」
僕の何気ない言葉に越野さんの肩が震えた。しまったと思った。置いていく、そんな気で言った訳じゃなかった。言葉が足りない自分を嫌悪した。
「……まあ、中村の言う通りだな」
「明良!」
「南君、それは……」
北川さんと新保さんが苦い顔で僕と、南君を見る。北川さんの目は見るより睨むと言った方が近い。
「落ち着けよ。出るのは俺と……中村だけ。保健室が無事か見てくるよ。マキ先生が無事なら連れてくるか越野を皆で連れていけば良いだろ? ただでさえ歩きにくいのに、足を痛めてる越野に無理させるのはちょっとな。他にやりようがなさそうなら交代で肩を貸して無理してもらう事になると思うけど」
「ええ!?」
「……そういう事か。だったら賛成。でも明良と行くのが中村で良いの? 私ならそんな足手まといにはならないし効率も……」
僕の驚きの声なんて無視して二人の会話は続く。越野さんは何度も小さくごめんって謝っていた。別に彼女が悪い訳じゃ無いのに。僕の配慮の無い言葉の所為で越野さんを傷つけてしまった。情けなかった。
「俺がここ離れちゃったら、運動出来る枠がお前しかいないからなあ。流石に二人とも離れるのは不安だろ。井上は普通枠だし、中村と新保はどっちかって言うとダメ。越野は出来る枠だけど今はな。お前は保険。俺らが戻らない様だったら別の、窓あたりから出てここから逃げてくれ」
「縁起でも無い事言わないでよ。早く戻ってきて」
「了解! じゃ、行くか中村」
「え!? 本当に僕が!? ちょ、ま」
北川さんに言われるまでもなく、僕は運動は出来ない方だ。体育は憂鬱な科目で、柔道と剣道、それにダンスは最悪だとさえ思っている。手を抜けるし痛くも無い球技はそれほど嫌いでもなかった。
「頼りにしてるぞ、中村~」
彼に引っ張られて教室の外に出る僕と南君。なぜ僕なのか、その理由は当然僕にはわからなかった。北川さん、北川典子さんは陸上部のエース、文句なく運動能力は高い。僕よりも当然高い。僕が南君の立場なら当然彼女を連れて行く。そうしない理由は彼自身がさっき話していた。まず自分の身の回りを安全に固める事を考える僕とは別の考え方だと思った。南君の言動の一つ一つが自分と彼の器の違いみたいなものを感じさせて、妬ましい気持ちを感じていた。今思い返せば、笑ってしまうほどの自分の小ささに呆れるばかりだ。
「南君! 僕はあんま役に立たないと思うよ!? 何で僕なの!?」
「まあ、そんな事言うな。なんとなくだよ」
「なんとなく!?」
変わり果てた廊下を進みながら他の教室の中を覗いて生存者の確認をしていく。南君が。
こんな状況で本当に保健室は無事なのか、元の位置にあるのか、僕の頭には否定的な考えばかりが浮かんできていた。
「そ、なんとなく。だってよ、お前教室にいても空気悪くするんじゃねえかと思うし」
「う」
「あと、お前、何か他の奴と反応が違った」
「え」
「なんつーかな、怯え方が違うっていうか。新保に北川、それに井上と越野。あの四人は全員が友達が死んだ事に怯えきってる」
「き、北川さんは結構平気に見えたけど?」
「どこが。いつものあいつなら俺が見るまでもなく越野の容態を確認してたと思うぜ? それが俺が生きてるやつって聞くまで突っ立ってただけ。陸上部のキャプテンがだぞ? 明らかに普通じゃないだろ。今にも泣きそうなのを堪えてるのが丸分かりな顔してたしな」
全然、気づかなかった。それに北川さんが陸上部の主将だって事もこの時知った。
「その点、お前は違った。人の生死じゃなくて状況を見て、自分の置かれている状況に驚いた感じだった。教室から出れば、もっとショックな物を見るかもしれないんだ。それなら少しでも冷静な奴かずれた奴を連れて行った方が上手くいくかもだろ。あれ、ちゃんと理由あるじゃん。俺やっぱ天才か?」
「……すごいね、南君は。僕のことを助けてくれたし、皆の事、よく見ている。本当に凄いよ」
同じ年とは思えない。こんな、意味のわからない状況で、どうやったら彼のように振る舞えるんだろうと思った。
「んなことねえって。俺は、あれだサッカー部でも主将なんて面倒な事やらされてるし、家の仕事もたまに手伝ってるから色々慣れてるのとすれてるだけ」
「家、なにやってるの?」
興味と言うか、多分場繋ぎで言った言葉だと思う。後々彼と話をした時、この一言からの会話が僕と仲良くなる何かを感じた切っ掛けだったと聞いた。人生何が岐路になっているか、本当にわからない。
「ん、建築屋」
「建築屋。家作ったり道路作ったりしてるんだ。って事は社長の息子?」
「道路は土木屋。社長の息子か。まあ、言葉は合ってる。小さい所だからイメージはまるで違うと思うけどな。な、こんだけ死体見てもこんな話が出来る。お前を連れてきて当たりだ」
僕ら以外の生きている人間はその時誰もいなかった。だけど、僕らは、確かに下校時の世間話みたいな話題を交わしていた。確かに、彼の言う通り僕はどこか変なのかもしれないと思った。もちろん、南君も同様に、なんだろうけど。
「南君が普通に話していてくれるからだよ。僕が変なら南君だって」
「俺は、ダメだ」
「え?」
「必死なんだよ。リーダーって言うのは、皆を引っ張ってまとめなくちゃいけない。それでいて成功すれば自分の手柄と喜んで失敗したら何かの所為にして笑い飛ばす。傍から見て、そんな風に自信満々に思われるように振舞わなくちゃいけない」
「まさに南君じゃない」
「違う。俺のは上辺だけだよ。必死でそう振舞ってるだけ。こんな時でも、今までの自分のイメージを崩したくないクソ野郎だ。なのに、いざ振舞ってみてもこんなわけわかんねえ有様にもう愚痴を言いたくなって飛び出してきた。それが俺だよ」
「……」
違う、と思った。僕も、他の四人も彼をそんな風に見ていない。それだけ彼が完璧に今までの彼を演じたからだと言っても、南君はそれを自信にして良い。心の中では色々と彼を慰めながら、僕の口は固く閉じたままだった。
変わりたい、と強く思った。ここ数年で何度も感じた中で一番強く。悩んでいる憧れの存在に何か言葉を掛けたいと思った。
「お前と来たのは、案外その、死体を見ても心の中で処理出来るその精神を分けて欲しかったからかもな」
一変して。青ざめて見える顔で弱々しく笑う南君。それは、違う。僕は、ただこれを現実と受け止められていないだけだ。心のどこかでこれをゲームか何かだと思っていた。それに僕には心を許した親しい友人なんて学校にはいない。誰かと深く接していないからクラスの人間が死んでもマネキンみたいだ、なんて感想が出たんだ。南君には沢山の友人がいる。これまで通ってきた教室で、部の友人も多かった彼は誰動く事もない様子を見てきている。それで尚、僕に弱気を口にする程度で心を保っているんだ。それがどれほどに強い精神力の成せる業なのかと僕は感動していた。
「南君は……」
「ああ、それ。やめようぜ。俺の事は明良でいいよ。俺もお前のこと……ありゃ、お前中村なんだっけ?」
「えええ!? 三年間クラスも同じだったのにひどくない!?」
「悪い悪い、ど忘れだ。うん、ど忘れ」
「ううう、中村洋一だよ」
「だと思った! 洋一、そうだ、洋一だよな。ははは! んじゃ、これからは明良と洋一の仲で行こう。で、今の話は内緒な」
僕らの足が止まる。階段に着いた。
教室は三階、そして保健室は一階。階段まで来れば、もう半分以上の距離は進んでいる事になる。保健室がこれまで通りの場所に、無事であってくれて、だけど。
僕らは足を前に出す。もう少しだ。
その時、視界の右端で何かが動いた。次いで、僕の体に何かがぶつかってきて、その衝撃で身体を吹っ飛ばされた。背中に伝わるコンクリートの硬さ、冷たさ。息のできない苦しさ。
「うわっ!?」
「洋一!?」
南君の声で我に返る。ふふ、あの時南君に明良と洋一の仲だって言われたのに、僕は今でも心の仲で彼を南君と呼んでいる。口に出す時は明良なのに不思議なものだ。
とにかく、僕は自分の身を確認した。背中の痛み以外は大した負傷は無かった。
次に何がぶつかってきたのかを確認した。何か硬い物だとは思っていたが、僕が視線でその対象を探すと、不可思議な物体が動いていた。
犬くらい、そう中型犬程度の大きさ。岩みたいな肌をしていて、全身のイメージはトカゲっぽい生物。頭には凶悪な角がある。体色は赤くて岩みたいに見えたのは外殻のような物だと後で気づいた。
初めて見る生き物。そう、ゲームで散々馴染んだモンスターそのもの。実際に三次元で見たその生物は、まるで現実感が無い。でもモニター越しには感じる事の無かった吐息が存在の生々しさを伝えてくる。
「な、なんだこいつ!」
南君もその生き物を確認した。その感想はあまりにも普通だと思った。
僕らを見るその生き物は明らかな敵意を持ち、威嚇してきた。足がすくむ。あんな大きな生き物から襲いかかられる経験なんて勿論無い。恐怖が足を縛り付けたみたいに体の動きを封じる。
奴は倒せなかった僕じゃなく、声を出した南君に標的を定めて突進していく。
まずい。
僕はとっさにそう考えた。僕には後ろに壁があった。だけど、南君は階段を背にしている。あんな状態で突進を受けたら、あの角を避けたとしても奴ごと階段の下に吹っ飛ばされる。無事である可能性は期待できない。
助けないと。
結論に達するまでは、ほんの一瞬だった。なのに身体が動かない。
間に合う訳がない。
出来る筈も無い。
南明良なら自分で何とかする。
足を縛る恐怖が甘い言葉を頭に響かせた。
切っ掛けは、南君が不意に僕を見た事。さっき初めて見た弱気の目、その顔は僕には縋るように見えた。
変わりたい。
助けたい。彼に生きていて欲しい。
思考がまたも一瞬で、今度は肯定的な考えで埋まる。
あの時、僕は数秒の間にどれだけの事を考えただろう。最後に頭を埋めたのは、今もある僕の誓いの一つ。
南明良が死ぬくらいなら、僕が代わりに死んだ方がマシだ。
他人の死など現実に受け入れもしなかったような惰弱な僕が、こんな考えを持つなんてと我ながら驚いた。
体は嘘みたいに軽く動いた。トカゲと南君の距離よりも、僕と彼らの方が遠い。だと言うのに、一瞬でその距離を詰めた。
イメージしたそのままに体が動いてトカゲの喉を両手で掴み上げて持ち上げた。加速した勢いを殺さないまま、頭部を上り階段の手すりの壁に叩きつけてやった。高揚した僕の喉から何かがこみ上げて口を開けた。だが言葉も叫びも出てこなかった。ただ開けた口から驚く程熱い息が漏れるのを感じる。トカゲは何と壁をブチ抜いてのめりこんだ。驚きの連続。僕にこんな身体能力は無かった。火事場の馬鹿力だとしても有り得ない。
「洋一、お前……」
南君の呆然とした声が聞こえた。
「だ、大丈夫? み、明良君」
「君、いらねえ……って、そうじゃねえよ! 何だ今の。何だその生き物。助かったありがとう、洋一、お前最高!」
支離滅裂な南君の言葉。熱気に満ちた興奮した声。
「なあ、大丈夫なのかよ。あの角、お前避けたのか!?」
角。そう、あの生き物に僕は正面から突っ込まれたみたいだった。なのに、あの角に体を貫かれてもいない。一体どういう事なのか。その時はただただわけがわからなくなっていた。でも必ず理由があると思った。僕には頭くらいしか取り柄が無い。それさえもこの一年で取って付けたような物に過ぎないけど。好きな女の子の気を惹きたい。頭の良い人が好きと言うその言葉を真に受けて、受験生と言う事もあって僕は必死に勉強した。その成果があって成績は上位にいる。でも考える習慣は手に入れている。そうだ、この現実を少しでも理解して、皆と生きる、それが僕の役割なんじゃないかと思い始めた。
「角、なんか外れたみたい。怪我は背中が痛いだけ」
「凄かったぜ! いきなり目の前に来たかと思ったら、アレを、持ち上げて、壁に、ぐしゃってよ!」
確かに。僕が、と言うよりも人がやったとは思えない構図だった。トカゲは頭を砕かれて死んでいる。
「もう、夢中で……」
「こいつ、一体なんなんだ? うおっ!」
「ど、どうしたの!?」
南君の仰け反った姿。ガタイの良い彼がそうそう見せる姿じゃない。サッカー選手ってスマートな印象があるけど、南君はラガーマンみたいな見た目だから。後日その話を彼にしたら僕の印象を笑い飛ばしながら、サッカー選手もプロをよく見れば足は丸太みたいにがっちりしているし、上半身も鍛え上げられていると。競り合いに負けない身体作りは基本だと言われた。もっとも、今のご時勢にサッカーがあるかと言われれば子供の遊び程度にしか残っていないんだけどね。
彼が見て驚いていたのはトカゲの死体だった。
淡く発光したかと思えば、その姿は消えて後に何かが浮いている。死んだ後まで非常識な存在だと思った。
残った物は、肉と角。
肉は、スーパーにトンカツ用とかで置いてある一枚肉からラッピングを取り去った状態でプカプカ宙に浮いていた。
角は、トカゲについていたあの角とよく似ている。比べようにも、もうトカゲがいないから比べようがない。二十センチくらいだろうか。角だけで見るとあまり迫力を感じない。
「もう、わけがわからねえな」
「……ドロップ、アイテム?」
「ん? どろっぷ?」
「あ、いや。意味がわからないね」
この時、僕はドロップアイテムと言うゲーム用語を思い出していた。ゲームなどで敵を倒すともらえる事があるアイテムの事だ。今のトカゲは僕らに倒されて肉と角をドロップしたと言う事になる。だけどこれはゲームの話。現実にありえる訳がない。死体が消えて物が残るだなんて。しかも浮いているし。
「お、取れた。人肌の生肉って結構アレだな」
南君が宙に浮く肉と角を手に取った。無謀と言うか、度胸があると言うか。
とにかく、手にした肉と角は浮き続ける事なく彼の手に収まった。
「それより保健室に急がないと」
「……いや、それは中止。一回教室に戻ろうぜ」
「なんで?」
ここは少しでも探索を進めるべきじゃないだろうか。越野さんの足を何とかしないとまともに動く事も出来ないんだから。
「あんな生き物が校舎内にいるんだ。状況が悪くなった」
「うん。だから早く越野さんの手当を」
「俺たちが保健室に行っている間に襲われるって事もありうる」
「!?」
そうだ。僕は、何を考えていた? 保健室に行って薬なり先生なりを見つけても戻った時に皆が無事である保証が薄まったと言うのに。あの生き物を倒した事で、ただそれだけの事で調子に乗ってしまっていたのか。
「越野には悪いが、保健室へは皆で行こう。もし、危険が深まるようならとにかく校舎からは皆出た方が良いと思う。考えてみれば建物がボロボロだし、ここがいつまでも無事な保証も無い。いいか洋一。越野には新保と井上につけて歩くのをサポートしてもらう。んで俺と北川で三人をフォローする」
「うん」
的確だと思った。
「……だからお前は、済まないが先頭で警戒しながら保健室まで進んで欲しい。今のが偶然かもしれないが、とりあえずお前は実績がある。もし無理そうなら俺が何とかやってみるから。頼めるか?」
僕が、先頭?
あんなのが襲ってきたら戦えって言うのか。無茶な。
でも、なら他の誰が戦う? 僕だけが今、あの謎の生き物を殺した経験を持っている。南君の采配は正しい。
しかも彼は無理なら自分が代わりにやってみるとまで言ってくれている。出来るかどうかさえもわからないのに。
「……やって、みるよ」
そう答えざるを得ない。命を懸けてでも強がろうとする彼の友人でいたいと思ってしまっている僕には。
「助かる。んじゃ、戻るか。あ、この肉と角。しばらく皆には伏せとくぞ。俺のでけえスポーツバッグなら気にされる事もないだろ」
確かに。南君が持って出てきたバッグはでかい。サッカー部は皆こういう感じの持っていた。何であんな大きさが必要なのかわからないけど、今度聞いてみるかと思った。
結果として。
僕らは全員無事に保健室に到着する事が出来た。そこには保健室の主である養護教諭の相原真希先生が部屋ともども無事でいてくれた。あの生き物との遭遇も一度きりで皆で教室を出てからは会う事もなかった。
殆どの薬品が棚から落ちて割れてしまっていたが、越野さんの足に湿布を貼ってテーピングを施す事は十分に可能で、彼女の辛そうな表情が和らいだ時には小さいながらも達成感を感じた。
話し合った結果、拠点は教室では無く保健室にする事にした。新たな生存者であるマキ先生は、やはり事情を何も知らず、それでも保健室からは動かずにいたのだそうだ。そのおかげで越野さんは治療を受けられた。
何とか落ち着いた僕らは校舎からの出口を探す事になった。保健室近くの正面玄関は見事に潰れて瓦礫に埋もれていた。一階は上から崩れたコンクリートが落ちていた所為もあって、外へ出るのが困難な状況だったんだ。最悪状態の良い二階から飛び降りるなどという考えも出る中で、僕は南君に呼ばれて保健室を出た。
「悪いな、少し気になっている事があってお前にも聞いて欲しいんだ」
「いいよ。なに?」
「あのさ、お前があんな力を持っているなら、もしかして壁も壊せるんじゃないか?」
「あ」
壁を壊せれば脱出が容易になる。外に出られれば状況も好転する。試す価値は十分にある。
「やってみるよ」
保健室から少し離れた廊下。割れた窓ガラスの向こうの瓦礫に力いっぱい拳を突き出した。
鈍い音。拳どころか腕全体に広がる痛みと痺れ。あの超人的な身体能力はなんだったのかと思うほどいつも通りの僕の力。
「む、無理っぽいな。凄い音したぞ。大丈夫か?」
「音ほどは痛くないけど、無理みたい」
嘘だ。痛かった。
でもコンクリートを殴った割には痛く無いのも確か。怪我らしい怪我も無い。やはり何かが作用しているのは間違いないんだろうか。
「……あと一つ、どうしても確認したい事があるんだ。それもお前の力についてだけど」
「さっきのあれ、何だったんだろう」
「ちょっと、さっきみたいなのがいないか探すぜ」
「えっ!?」
「お前の力がマグレじゃないか、まずそれを確かめたいんだ」
「また戦うの!? それはちょっと……」
「いきなり本番は怖いんだ。だからお前が本当に戦えるのかみたい。もし戦えるなら……」
「なら? 本番って?」
「俺らにも出来るのかを確認しておきたい」
「ら、って! 井上はともかく北川さんと新保さんにも!? 女の子だよ!?」
「そうだ。こんな状況だからな。試せる事は全部試したい」
「危ないよ、反対だ!」
「だから、まず洋一が出来るかを確認する。次に俺。それで二人共出来るなら他の奴を一人ずつ同行させてフォローしながらテストするんだよ。情報が足りないどころか、俺たち自分の事さえわかってないかもしれないんだ。あの大きさにスピード、それに角や皮膚の硬さ。普通に考えたら洋一が圧倒できる生物じゃなかったと思う」
「……それは、そうだけど」
「お前が色々考えようとしてくれてるのわかる。頼りにもしてる。でも今の段階で持っている情報からじゃ何もわかりっこないぜ? だから、俺の我侭に付き合って欲しい。頼む!」
僕はその言葉に折れた。単純な理由だ。彼に頼られていることが気持ちよかった。そして僕がしようとしている事に気付いていてくれた彼の気持ちも嬉しかった。
たった一度襲われた階段の場所まで二人でこっそりと戻る。この辺りで駄目なら上の階に行こうと話していた。だがその必要はなかった。
いた。
今度はこっちが先に奴らを見つけた。でも相手の数が、三匹いる。しかも見た事無いのが一匹。何だ、あれは。エイが空を飛んでいる。まるで水の中にいるみたいに丸みのある体を波打たせて宙に静止していた。空中でその場に浮き続けるってヘリとかじゃないと出来ない高度な芸当だって聞いたような記憶がある。不思議なエイならそれが出来てもいいとでも言うんだろうか。頭がおかしくなりそうだった。
(どうする? 三匹もいるけど)
(……やる。言い出したの俺だから。数がどうこうなんて言ってられない)
僕の耳打ちに南君は覚悟を決めたような顔をして囁き返してくれた。今日見る南君はこの異常な状況を考慮しても、何か切羽詰った様子を感じる。
下の名前も知らない中村某に過ぎない僕に色々弱音を吐いたり、こんな風に自棄とも思える行動を取ったり。合理的にも思える所作とのギャップが気持ち悪く感じる。
(あのさ、思いつめるの、良くないと思う。あんまり無茶な事、するべきじゃないって)
(……バレてた? ……家が心配なんだ。だから俺、焦ってる。そうだよな。反省した。大体、まずは洋一の力が本物かのテストが先だった。勇み足、っつうんだっけか)
(そうだった、僕が先じゃん。なら、僕が二匹減らして明良のテストをすればいいんだ)
(……すげえ頼もしいお言葉。なに、吹っ切れた?)
(さっきと違って簡単だけど武器持ってる。こんな細い金属パイプでも気分が違うよ。身体も動きそうだし。トカゲ、残すから。行ってくるね)
(おい、俺も行くって!)
(いい。さっきトカゲが不意打ちしたみたいに最後の一匹に思いっきりそのコンクリ付き鉄筋でハンマー食らわしてやればいいって。要は、明良が自分に力があるのかを実感できさえすれば良いんだから。多分、感覚でわかると思う)
身体の軽さは持続して感じていた。運動部にも所属していない僕なのにだ。なら南君にわからない筈はないだろうと確信があった。
明らかに何かが違った。南君を置いて僕は彼らの前に出る。まずは二匹。残る一匹は後退した振りをして南君に試してもらう。
細い金属のパイプを両手で握る。椅子に使われていたソレは無残にも破壊されそこそこの長さで転がっていたのを二人でまっすぐに伸ばしたものだ。先は片方が尖っていたから槍みたいにも使えると思った。
僕を視認した三匹は三者三様に飛びかかってきた。でも僕の方が速い。さっきしたみたいな加速をイメージして前傾姿勢から足に力を入れて床を蹴る。両手に物を持った状態から走るイメージが僕の中には無かったからか違和感を感じたけれど謎生物に比べて圧倒的な速度で彼らの陣地に入る事が出来た。駆けようか止まろうか、トカゲは戸惑っているように見えた。
まずは一匹。トカゲの一匹の首を見据えて尖った金属パイプを突き出す。呆気ない程簡単に初撃で首に突き刺さった。僕は手応えを感じて右方向にパイプを大きく振ってエイへの牽制と、トカゲを投げ飛ばしてパイプを再び使える状態にする作業を終える。トカゲからは断末魔の叫びも無く、ただ放られた先で紫色の体液を吹き出すのが見えた。
次はエイだ。僕の踏み込みでトカゲに見られた躊躇の有無はわからなかったけど、こちらに正面を向けている。エイの弱点なんて知らない。でもコイツの場合は上の面にはトゲみたいな物がびっしり生えているから下からが無難だと思った。これで二匹の生物を殺したのに、殺害に対する忌避感が湧かない。極限状況だからか、などとこの時は思った。今から思えばきっと、“経験”が蓄積されていたからだろう。
体勢を低くしてエイの下に潜り込む。案の定、そこには口といくつかの穴があった。口さえあればいい。そこが強い生物なんてそんなにいるもんか。僕はパイプを再び構えると下からエイの口を貫くように突き出した。またも一撃で成功して体を貫通したパイプ。会心の結果に思わず口元に笑みが浮かんだ。視界の端に、エイが攻撃に出ようとしたのか、先に刺がついた物騒な尾を僕に向けているのが映る。少し慌てたものの、その尾もすぐに力を失ってだらりと垂れ下がった。
叫び声も鳴き声も少ない静かな戦闘が終わった。僕は結構必死だった数秒だけど、結果を傍から見ていたなら圧倒的な蹂躙に見えたかもしれない。
残る一匹の攻撃をわざと受けたり、避けたりしながら南君の隠れている物陰にトカゲを誘導する。
彼の射程に入って僕がトカゲの噛み付きをかわして大きなモーションを取らせた時。その戦いで一番の叫び声がした。南君の気合の叫びだった。
「うおおおおお!!」
振りかぶったコンクリート塊付きの鉄筋をトカゲの背に叩きつける。
これで一撃で決まるようだったり、南君に何か僕も感じたような感覚があれば戦力は二倍になる。僕は固唾を呑んで結果を見守った。
「すげえ、力が……」
両手で引き摺るように運んでいたコンクリハンマー。それを片手で振り回している彼がいた。成功、なのか? でもさっきまでは両手で持っていた物をいきなり片手って。この戦いで何かを得たって事なんだろうか? 情報と戦力は増えたものの、頭では未だ何の推論も組みあがってこなかった。
「もしかして、やれそう?」
「ああ! 覚悟を決めようと大声を出した辺りから体がいきなり軽くなった。攻撃が当たった時に凄え手応えも」
「じゃあ、これでこの変なのに対抗出来る人が増えた訳だ」
「だな。なら次は井上を連れてきて、テストだな。まずは俺らの戦力を把握だ」
「了解」
有言実行。南君は確かに危険な事を言い出したけど、自分が率先してやってみせた。すごい、と思う。僕一人なら、この力に気付く事も無く震えるだけだった。行動する力と意思は、何よりも大切なものなんだと気付かされた。
僕らは保健室に戻って皆に少しだけその生物の事を話した。
当然のように怯えや恐怖が伝わってくる。見たことのない生き物がいて襲いかかって来る、そんな話を聞かされて動揺しない人間なんて多くない。僕と南君は消えてしまう前のその生き物を少し観察した。トカゲの口には鋭い牙が生え揃っていて牙と牙の間に明るい茶色の毛髪が見えた。生きている人間を襲ったのか死肉を食らったのかは別にして、やはりそういう生き物なんだと理解した。光に包まれた奴らは肉を一つとエイの尾が一つ残った。さっきは肉と角を残したトカゲは肉しか落とさなかった。エイは尾だけだ。確率で残す物が違うのだろうか。肉はともかく、エイの尾はトゲが突き出ていて危なそうだったから捨てておいた。僕はなんとなくこの肉の利用法も察していた。南君の事だ、多分後で毒見を兼ねて食べるつもりだろう。にわか超人になった僕と彼なら大丈夫な可能性もあるけど、他の皆はどうなんだろうと思った。
その後、井上、北川さん、新保さん、マキ先生と同じような試みをした。結果は井上と先生を除いた二人に身体能力の向上が見られた。にわか超人は四人になった。
この時点で僕はあるバカバカしい考えを抱いた。
僕、中村洋一。南明良。北川典子。そして新保小町。
その四人は、僕のプレイしていたあるゲームで四人パーティのそれぞれにつけた名前だった。情け無い現実逃避と笑われるかもしれない。でも僕は命名可能なゲームでは身近な人間の名前を付けるのが好きだった。まあ漫画や別のゲームから拝借する事も多々あったけどね。
ヨウイチ、アキラ、ノリコ、コマチ。
この組み合わせは、とあるパソコンゲームで使用していた。ゲームと言っても商業で発売されているような立派なタイトルじゃない。RPGゲームを制作出来る某ツールで制作され、百円で売り出されたフリーゲームみたいなゲームだった。ストーリー性は希薄で、ただ高難易度とやりこみ要素だけに焦点を当てたような、ニッチな需要を見込んだ、いや趣味で作ったゲームと言える代物だった。ドットで表現される世界は古臭いながらゲーム好きの僕には何とか受容でき、キャラメイクで四人のキャラを作ってゲームを開始した。二ヶ月くらい前の事だろうか。その時はバージョンが1.04だったけどつい最近1.05にアップデートされていた。ただ1.05にアップデートされる前に投げ出してしまった。一応アップデートはしたものの、やはり改悪されていた難易度に辟易して触っていなかったのを思い出す。
いやいや馬鹿なと思い直す。あれはただのゲームだ、偶然だと。
あのゲームにトカゲやエイのモンスターは……いた。火山のフィールドに登場する雑魚だ。初期の内に遭遇する敵に赤いトカゲと空飛ぶエイはいた。だけど、ドット絵で描かれたモンスターだ。さっきのと同一とはとても思えない。奴らのドロップアイテムなんて覚えてもいないし。そもそもあのゲームが関わっているなら武器は、装備はどこにある。どこにも無いじゃないか。確かに一つしか作れないセーブデータに残っているステータスなら素手でも初期のモンスターくらいなら相手にならないと思うけど……。
夜。
僕達は保健室で交代で見張りを立てて休む事にした。幸運な事にマキ先生は保健室にお菓子を大量に隠しており、空腹を満たすことが出来た。僕と南君はあまり食べなかった。
僕と南君が最初の見張りを買って出て、皆が休んだ頃合を見計らって南君が二枚の肉を取り出した。ハンドタオルで包まれた肉はあまり美味しそうには見えない。やはりもう少し保存方法を考えるべきだと思った。
「……やっぱり食べるんだね」
「貴重な食料だろ。それに、トカゲを切り裂いて食べれそうな部位を手探りで探すよりも余程いいぜ」
「……確かに一理ある。で、そのライターと木はどこから?」
「マキ先生からライターは拝借。あの先生ヘビースモーカーなのに俺たちがいるからか遠慮して一本も吸ってないよな。燃えそうな木は適当に拾ってた」
「マキ先生ってタバコ吸ったんだ。知らなかった。生徒の前では吸わないなら、どうして明良がそれを知ってるの?」
「……さて、焼くか」
南君は僕の質問を無視すると教室から持ち出したノートを燃やして適当に組んだ木材の切れ端に放り込む。しばらく待つと木に火が燃え移り夜の闇に明かりが灯された。
途中肉を掴んでいた金属パイプが熱くなったり、火の中に肉を落としたりとアクシデントもありながら悪戦苦闘の末に僕らは焼肉を手に入れた。
見た目は、まあ美味しそうに見える。肉だから。ピンク色だった生肉は火を通されて白色に変わっていた。所どころについた焦げ目も十分食欲をそそる。問題は……味と毒の有無。
どちらも素人が見た目でわかるものじゃない。なにせ皮のついてない大きめのチキンステーキだ。判断しようもない。
二人で顔を見合わせて頷く。まだ火は絶やしていない。スプリンクラーも動かない所を見ると電気も完全に死んでいるんだろう。保健室も真っ暗だしな。
手に持ったステーキにかぶりつく。
鶏肉よりもつよい歯ごたえ、少なめの肉汁。肉汁は多分タオルにも大分染み出していただろうから仕方ない。そして濃厚な肉の旨み。
これは……。
「うまいな」
「おいしいね」
「塩とか胡椒があればパンチも効いて普通に贅沢な味わいだぞ」
「だね。意外だ。後は、明日のこの時間位まで体調に異変が無い様だったら先生にも味見してもらおっか」
「そうだな。明日は出口を探してついでに家庭科室も漁ろうぜ。塩が欲しい」
「南君、食欲優先は駄目だって……」
僕らの初日はこうして幕を閉じたのだった。
翌日。
誰ひとり欠ける事無く朝を迎える事が出来た僕らは探索を始める。
越野さんの容態はかなり回復していた。足を庇いながらなら一人でも歩ける。これは大きな前進だった。もちろん彼女にはまだテストなんてやらない。井上に介護をお願いして保健室を北川さんと新保さんに任せると、僕と南君が外を目指して校舎を見回る。
昨日よりも背中の安心度合いが高まった。保健室にもあの生き物を知り対処出来る人間がいる、この事実は大きい。さらに僕らは二人共戦えるんだ。エイとトカゲ相手なら緊張する事も無く相手に出来ると思っている。携帯電話が使えなくなっているのは不便で仕方ないけど、こればかりは文句も言えない。端末が壊れていない以上、圏外になっているのは電波の問題だろう。電波の復旧なんて僕らに出来る訳が無いんだから。端末ごと駄目になっていたら多分皆も諦めがつくんだろうけど。あれもバッテリーが切れたら意味が無い。寿命が知れた代物だ。
「さてと。明るい内に家庭科室行こうぜ」
「南君」
「食べられる物は多い方がいいだろ? 人数はそれなりにいるんだから持ち運べない事もねえし」
「実習予定でもない限り家庭科室に食べ物なんてそんなに無いよ。あっても精々調味料くらいじゃない?」
「調味料上等じゃん。あのトカゲはそのままでも美味かったけど、調味料なしじゃ無理なもんでも醤油とか塩とか砂糖とか味噌とか、味付け次第で食えるもんも増える!」
「かもしれないけど……」
「この超人パワーが残っている内にやれることはやっておかないとな!」
「!? そうだね、なら急ごう。もしこれが時限付きの力なら出口も急いで探さないと」
時限式、考えられない事じゃない。明日起きたらただの人に戻っている可能性だってある。背筋がぞっとした。
この南君の提案は、はっきり言って大当たりだった。タイムリミットがどうこうの方じゃなく、家庭科室に行こうの方。ここに行った事で僕はある確信をもてた。その後で何度か揺らぐんだけど、この異常に対する基本的な考えが確立できたんだ。
四階にある家庭科室。
そこに近づくにつれてトカゲやエイ、それにトカゲと同じ程度の大きさのカニ? のような生き物との遭遇機会が増えた。こいつらはやはりモンスターなんじゃないだろうかと思い始めたその頃。家庭科室に到着した。
引き戸を開けた僕らの目に飛び込んできたのは大きな岩塊。
『は?』
二人の声がハモった。教室の天井、とまではいかないまでもそれに近い大きさで幅も相当だ。僕と南君が両手を広げて並んでもまだ及ばない。
それが、持ち上がって動いた。は? とは正に素直な心情だったと思う。
岩塊が持ち上がって出来た場所には、カニの手足に似たパーツと無機質で大きな目が二つ。
「ヤド、カリ?」
「……デカ過ぎだろうよ」
動きは鈍重だった。けれど重量感のある大きなハサミを振り回す姿は迫力がこれまでとは段違い。威力も多分段違い。
それ以上に僕の心はその時驚きに満ちていてパニックを起こす寸前だった。
その生き物は昨夜思い出していた超難易度のマゾゲームに出てきた火山フィールドのボスに酷似していたから。一層目のボス、僕が何度も全滅した相手だ。
出現する生物の傾向がここまで一緒だと、流石に僕の中の馬鹿げた疑念も現実味を帯びてくる。
いきなりゲームの中に入ったとまでは思わない。第一ここは僕たちの学校で、火山の麓じゃない。
「洋一! 何かあそこからモヤが出てきてる! あんまり近づくな!」
「モヤ? う、うん! わかった!」
ヤドカリが切っ掛けになった推測で頭が一杯になった僕に南君の言葉が掛けられた。彼はコンクリハンマーを二刀流にして振り回してはヤドカリにヒットアンドアウェイを仕掛けている。殻に阻まれながらも数発が奴に決まっている。
もう適応しているのかと感心した。そして今考えることはこいつの撃退だと気持ちを切り替える。
もしも僕の推測が正しいなら二人ならコイツに苦戦する事は無い筈だ。
振りかざされたハサミを僕は避けない。目を突いて引き抜いたパイプで受け止める。多少の重みを感じたけど、ハサミを弾き返す事が出来た。
「洋一、すげえ!」
「多分明良も出来る。一気に畳み掛けよう!」
「マジか! おっけ、やってみる!!」
突いて叩いて。
ヤドカリは防戦一方になり、程なく沈んだ。連携なんて必要無かった。個々でさえ、僕らはこいつを圧倒しているんだから。自分よりも大きな相手に対して足を止めての打ち合いを挑み、そして勝利した。
動かなくなってしばらくしてヤドカリは他のモンスターがそうであったように淡く光を放ち、その後には黒曜石に似た輝きを放つ黒い欠片と大きな貝の剥き身を残した。
バグまでそのままか。こいつ、火陸ヤドカリは何故か貝の剥き身をドロップした。それはバージョン1.05でも変わってないようだ。バグじゃなくて遊び心の方だったのかな。意味不明だ。
もう一つの黒い欠片は素材だ。レア素材。武器を鍛えるのに使う。現状、その武器が無い状況なんだけどね。でも近場にあるような気もする。ここか、家か。とにかく近くに。
となると、あのモヤは……。
僕は近づいていく。準備室の方に。そこは壁が大きく砕かれていた。多分、あの火陸ヤドカリが破壊したんだろう。
モヤを払いながら僕は赤い光を見つける。
「やっぱり……」
その失言は南君には聞かれずに済んだみたいだった。まだ確証が無いのに余計な事は言えない。
空中に漂う赤い光を放つ渦状の何か。多分、ゲート。一定時間の経過でモンスターを吐き出すフィールドゲート。中に入ってモンスターを一掃する事で破壊ができ、それでクリアフラグが立つ。ただし一度入ると帰還アイテムを使うかクリアしないと出てこれない。あのゲームの攻略wikiにも重要FAQとして書かれていた。数多ある全滅箇所の一つだ。
現実にゲームの要素が何かしらの影響を与えている。それも、プレイヤーを容易く全滅させ、死んで学べと言う凶悪な思想で製作されたゲームの影響がだ。
考え込んで何も言わない僕を南君はただ見守ってくれている。
アキラは僕のパーティキャラだった。それが南君にも乗り移ったみたいに力を与えている。
そして身体能力が向上してモンスターを撃退出来た北川さんと新保さんも、それぞれノリコ、コマチの名前でパーティキャラにいた。多分そういう事なんだろう。
もしも新規のプレイヤーとして今の状況になっていたら、僕も南君も多分死んでいる。このヤドカリはバカみたいに防御力が高くて、これまで物理攻撃主体で戦ってきたパーティを全滅させてくれたから。
……本当に、なんという幸運なんだろう。
あんなどマイナーなゲームに、僕が好きな芸能人や漫画、小説のキャラを使わずにクラスの人間の名前をつけてプレイした。
僕の妬みと憧れの対象である、南明良。
僕の欲情の対象である、北川典子。彼女はスタイル抜群で陸上のユニフォームで短距離を走り抜ける姿は魅力的だった。彼女本人は大きくなる胸が自分の打ち込んでいる競技に邪魔だと悩んでいたみたいだけど、モデルみたいな整った身体をしていた。
そして、僕の片思いの相手である憧れの人、新保小町。読書や映画が好きで頭が良い人が好きだと言っていた。艶やかな黒髪と見ているだけで嬉しくなる笑顔。スタイルこそ北川さんに及ばない、でもその女性らしい仕草もあいまって彼女の人気は北川さん以上。僕にとっては高嶺の花と言える存在。少しでも彼女の理想を得たくて勉強に打ち込んでみたりもした。でも僕はそれで彼女の心を射止められる自信なんてまるで無かった。
現実で、僕が強く関心を持っている人たちがゲームのキャラメイク、そんな些細な事で生き残る事が出来たと言うのだろうか。
だとすれば、井上同様、越野さんもまたこんな力は持っていないのではないだろうか。でもあの二人だって、マキ先生だって僕らと一緒に戦えば強くなっていく筈。初期のプレイヤーでも牽引して成長することは可能だと思うから。
「考え事、終わったみたいだな」
「ん、うん。何となくだけどやるべき事がわかったかも」
「やる事?」
「うん。まず外に出る、人を探す、それで武器を探す」
「あんまりこれまでの方針と変わらない気がするな。けど外に出て知り合いの無事を確かめるのは急ぎでやりてえ。当然賛成だな」
僕は自信を持って彼の言葉に頷いた。
ゲームの影響が出ているなら、どこかに武器を鍛える鍛冶屋もある。アイテム屋もある。あのゲームには幾つかの国家もあった。それらも存在しているのかもしれない。
どの程度の影響が出ているかを確かめて、前みたいな生活を取り戻すんだ。
そう、あの日あの時から。
僕らの絶望的な戦いは続いている。
◇◆◇◆◇◆◇◆
早いものだと思う。
僕ももう、二十歳になる。
この街でモンスターと戦い続けた五年。ゲートも幾つも潰した。だがそれ以上にあの時抱いていた希望の殆どが否定された五年だった。
あのゲーム、『イオニア冒険記』に存在したノンプレイヤー要素、武器屋や鍛冶屋の類は見つからなかった。
代わりに僕がゲーム内で使っていた武器は見つかったけど、その武器と僕らの強さでは、この街に居座る最大規模のゲートの討伐に向かうには力不足だった。
他にもプレイヤーだった人間は見つかって戦力はある程度集まったけど、井上や越野さん、それにマキ先生を始めとする力を与えられなかった人は僕らほどに力を身につける事は出来ず、前線に出る事が出来なかった。プレイヤーだった人間一人につき三人のメンバーが力を得る仕様なのか。それでも成長は出来るのだが、やはり速度が遅い。苦労にも見合わない。自衛程度の力を身につけて他の仕事に従事した方が効率が良かった。
井上は今、僕と一緒にここにいて資材の管理や情報整理をしてくれている。越野さんは別の場所で料理人として日々工夫しながら食料の効率の良い使い方を施行していると聞いている。
僕たち四人はこの一帯では最強の存在で、防衛線を維持しながら日々戦いに明け暮れている。最後に四人が揃ったのはこの前の正月だったかな。次点で実力のあるパーティは水に特化して成長させてきたプレイヤーで、彼らは海辺を中心に探索と物資の確保を行っている。だけどプレイヤーの数も大分減った。ゲームと違い何故か蘇生スキルの一切が使えないから減る一方だ。悪い展開と言える。
最近では自衛隊駐屯地から確保した物資も底を尽き始めて弾薬なども足りない。扱いを隊員さんから教わっていても、弾がなくては銃は性能を発揮出来ない。手入れの不備で使えなくなった銃も多い。性能的には優秀な数値を持つだけにこれも痛い。数値とは、メニューから見ることが出来る武器の性能だ。以前試したらメニュー画面を開いて自分の状況がわかった。かなり驚いたな。あれから戦闘が大分楽になった。スキルや魔法を初めて使った時の感動は言葉に出来ない。絶望に対して少なすぎる希望だけど、それでも嬉しかった。
泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて。たまに大笑いして。
誰にだってわかっている敗北に向けて、ゆっくりと時間が過ぎていく日常。
物量が、違いすぎる。ゲートが限られているならまだしも、時間こそかかるようだけどあれは際限なく出来る。少なくともこの五年はそうだ。一人のプレイヤーが死ねばその区画が一気に侵攻されてしまう。数値上負けない強さを持っていても昼も夜も無く戦っていては精神力が尽きる。注意力が散漫になって囲まれて……、プレイヤーとしての力を持っている身でありながら自殺した人間だって少なくない。自分本位で勝手な行為だと思うけど、一方でどこか納得もしてしまう。そのくらい追い詰められた状況だ。
何ヶ月か前に、他の地域から来たと言う人に出会った。その人が言うには京都には人間の大きな街があり、そこには素材も武器も充実しているとの事だった。
僕はかなり割高になる上に嘘かもしれないと思いながら、彼に現状でここでは使い道の無い素材を幾つも渡した。その上で彼に素材の入手を頼んだ。出来れば鍛冶の出来る者も、とお願いした。
賭けだった。だがそれは失敗に終わったようだ。あれから一切の連絡が無い。
京都に大きな人の街があるというのも、嘘なのかもしれないな。彼もまたプレイヤーならそれも信じられると思ったんだけど。プレイヤーだから信用できる、なんて幻想か。
「失礼します! 中村さん! 頼まれた物を持ってきたと言う男が来ていますが!」
「っ!?」
まさか、本当に!?
僕は勝ったと言うのか? この状況に、まだ望みを捨てずにいられると言うのか!
「どうしましょう。二十代後半の男で初めて見る顔です、危険かもしれません!」
「……どこから来たと言っている?」
軍隊ほどの規律は無い。でもここでは僕は最高の立場にある。常に最前線で戦うエースの重責と共にだ。
期待に逸る気持ちを落ち着けて伝令に来た女性に尋ねる。彼女は、確か辻、とか言ったかな。一般の人間だ。僕らをサポートしてくれる、この街を復興したいと願う同志。
「京都、と言っております」
「会う。すぐにここにお連れしてくれ。くれぐれも丁重にな」
「は? あ、はい! すぐにお連れします! 失礼します!」
一瞬僕の答えに驚いて素の表情と声を出す伝令。しかしすぐに言葉を紡いで僕の部屋から退室していく。
本当に、あの彼が戻ってきてくれたのか? だが二十代後半と言っていた。彼はそんな年齢には見えなかった。もっと高齢、四十過ぎだと見ていたが……。
そんな事はどうでもいい。
交易が出来るようになるなら状況もまるで変わってくる。人や物が段違いに揃うようにもなるかもしれない。損など、今は考えていられない。割高だろうと知ったことか。今は金沢を奪回するのが先だ。
「邪魔をする」
「……初めてお会いしますね。僕の名前をご存知のようですが?」
「成瀬真二と言う、宅配を生業にする者だ。君の名前は北条から聞いていた。シルバ鉱石と素材がいくつかと、あと鍛冶屋が望みだともな」
二十代後半。確かに。外見からはその位に見える。
それにしては達観した目をしているとも思った。だが、こんな世界だ。誰がどんな経験を積んでどんな目をしていようと不思議は無い。
南君だって、校舎から逃れて探し始めた、無事を願った家族の一切を失っていた。
彼は父親は元々余命が一年も無かったから、あの世から急かされたんだと今は何事も無かったかのように話す。進路、夢、家族と家業。南君を悩ませてきた様々な要素は、その全てを奪われると言う壮絶な結果を迎えた。平和な日本で、幾つもの高校からサッカー部に誘われていたのにすべて断り、高校にすら行かず職人として経営者として修行を始める覚悟を持っていた南君。本当に、彼は僕なんかのずっとずっと先を歩いている人だ。
考えてみれば、あの校舎から無事に助かった十余名全員が中学校を中途退学している事になるのか。
「君は外してくれ。彼とは二人で話す」
「ですが」
「頼む」
「わかりました」
警戒していた伝令を退去させる。
横目で彼女を追っていた成瀬さんの目が僕に向き直る。
「……要件に入ろうか」
「ええ。と言っても物を貰うだけの筈ですが」
「ああ、料金は受け取り済みらしいな。聞いている。しかし入るのに随分時間がかかった。先に北条が連絡に来ている筈だが?」
「いや、来てはいませんね」
「奴め、のたれ死んだか」
嘆息する成瀬さん。仕事上の付き合いだけなのか悲しむ様子は無い。こんな会話を、特に感傷を持つでも無く交わせる僕も、この新世界に大分毒されている。
差し出された包みを手にとって布をほどく。現れた物を確かめる。鑑定用のスキルを使うまでもなくシルバ鉱石と脳内に表示された。
「確かに」
「ほう、君はやはり“そう”なのか。……! これは驚いた。種で、しかも結構な力を持っている。君の様な人物が踏み留まっているなら金沢の善戦も頷ける」
「貴方も、なのですか。あのゲームの……」
「ああ。ここは情報が遮断されている状況にあると言うのに、よくぞそこまで情報を集めたものだ。君のメンバーはここに?」
「いえ、三人とも別の場所で戦っています。人手不足なので」
「なるほど」
探られた?
鑑定のスキルを人に向ける事が出来るのもわかっている。だが僕は彼を探ろうとしてもそれが出来ない。その数値は????となっていて何も探れない。
ジャミングのスキルなど、聞いた事も無い。あれはオフラインゲームだ、そんなもの必要も無い。何か、まだ僕の知らない事があるのか……。
「成瀬さんは何か対策でも? ステータスが見れません」
「ただ強さが違いすぎるだけだ。で、シルバ鉱石で強化したい装備はどこだ?」
強さが、違いすぎる?
差があると見れないと、そういう事か? だけど僕も終盤までは進めたぞ? それにあれからも大分ステータスは上がっている。レベルだって……。
ひとまず、僕は言われるままに自分の愛槍を彼に見せる。
「槍か。シルバ鉱石で強化するとなると、トランプルだな。うん、やはりな」
「知っているんですか。でもこの槍は渡せません。ここで戦い続けるのに必要ですから。なので鍛冶屋がいればと思ったんですが、京都にも鍛冶屋はいませんか」
「……鍛冶屋以前にNPC自体がごく一部を残して存在していない。武器の強化は死活問題だと言うのにな」
「……今のバージョンがいくつか知りませんが、マゾ仕様に磨きがかかっていますね」
「くくっ! 今のバージョン、か。確かに!!」
皮肉の一つも言いたくなる情報だ。
「一定の段階を越えたプレイヤーには自分で武器の強化が可能になる」
「知っています。僕もできます。でもそれは店で強化限界まで鍛えた武器のその先でしょう」
「ああ。だが、さらに成長すると店でやっている強化も自分で出来るようになる。順番が逆だろうと怒鳴りたくなる所だがな。その武器は今ここで俺が鍛えてやる」
愛槍トランプルを手にした成瀬さんがシルバ鉱石を見て、何かぶつぶつと唱え始めた。
僕の手にある鉱石と彼の手にある槍が輝いて一つに纏まる。これが武器強化……。
「ほらトランプルの上位、ペンネだ」
「あ、ありがとうございます」
「ここまで来たついでだ。他のメンバーも呼べ」
「え?」
「お前たちが無駄に貯めている素材をもらう代わりに武器と防具を強化してやる。一月位なら滞在してやってもいい」
「!!」
「初期素材や中期素材であってもレアだったりすると需要が供給を超えてくるからな。もし大量に溜まっているなら他にも依頼を受けてやってもいい。知っているだろうが、一つの色のフィールドで幾ら素材を集めようと強化は出来ない。それぞれのフィールドで満遍なく揃えないとな。例えばその交換とかな。なに、値段はそれなりに安くしてやる。代わりに、お前が見知ったこの世界の事を俺に教えてくれ」
「な、成瀬さん! そ、そんな事でよろしいんですか!? 僕等が知った事なんてきっともう貴方は……」
「なに、独力で情報を収集、整理して、なおかつ故郷を取り戻す為に踏みとどまる。中々出来ない事だ。良いものをみせてもらった礼もある。気にするな。俺のように全部捨てて腐るような人間には、お前達のような奴が時々無性に羨ましくなる。ただ、それだけだ……」
「すぐに準備します!」
絶望を、これでもかと見せられてきた。
死を嫌と言う程に撒き散らされてきた。
戦っても戦っても緩慢な死への道を歩くだけだとどこかで諦めを感じていた。
誇張でも何でも無く、成瀬真二と名乗った年上の男性に後光さえ見えた。
取り戻せる。この街を。人の生活を。
厚い厚い絶望の雲が陽光に切り裂かれた瞬間。今こそがその時だと、僕は天に感謝した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
北陸地方。
豪雪地帯であり、冬場の雷など間近で巨大な太鼓でも鳴らされているかのような轟雷地帯でもある。季節によっては日照時間も短く、厳しい場所だ。
反面、稲作が盛んで、海の幸も豊かな自然の恵みが多い場所とも言える。
かつて金沢城、兼六園があった場所には今、広々とした公園がある。
城と庭園の復旧も少しずつ開始され始めた。
小京都金沢はその姿をゆっくりと取り戻し始めている。“あの日”からもう十余年が経過していた。
世界が変質し、人が容易く捕食される側に成り果てた日本。
それでも立ち直りつつある日本有数の人間の街となった古都金沢。その復活の旗手ともなった四人の英雄の名は広く知られ皆に慕われている。
だが、四人を始め力を持つ者の心に一人の人物の名が深い感謝の念で刻まれていることは、あまり知られていない。
復興の象徴でもあるゲート跡に整えられた公園は、英雄達が休息に訪れる場所でもあり、今日も彼らと共にこの街で生きる人々を見守っている。
タグにつけたゲーム要素、ここから登場です。
ご意見ご感想おまちしています。