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東海某所 認定外コミュニティにて

 地盤の隆起によって滅茶苦茶に破壊されたアスファルト。道路が、車両の走行どころか人の通行すら拒んでいる。動く車両は勿論存在せず、人の姿も見つからない。

 小枝を折った様子を想起させるような、半ばでへし折れた高層ビル。少し目を動かせば、根元から薙ぎ倒されて横たわっている光景も確かめる事が出来た。人の便利を助ける筈の文明の恩恵が、全く用を成していない。

 さらに奇怪な光景がある。都市部に似つかわしくない、いや日本と言う国にすら合っていない幾つもの異文化を象徴する建物が地面に『刺さって』いた。文字通り、逆さになって刺さっている。

 この壊滅的で奇妙な状況を見れば、人はどんな言葉を思い浮かべるだろう。

 

 冗談。

 

 恐らくはこの言葉に落ち着くのではないか。死の世界、大災害の後、はたまたモニター越しの精巧なコンピュータグラフィック。色々な表現は聞けるかもしれないが、ありえない、冗談だ、現実ではない、誰の心中にもそれらの思いがあることだろう。

 もう『あの日』から五年が経とうとしている。

 この光景の元凶は誰も知らないであろう。しかしその日の事は生き延びた全ての人の心に、その日その瞬間自体が深く刻まれている。

 瞬き一つ。

 ただその一瞬で世界は壊れた。現代が滅んだ。大勢の人が死んだ。法が、常識が意味を失った。

 音も光も衝撃も振動も無かった。その時目を開けていた人間にも理解出来なかったに違いない。突如景色が変わったのだから。

 世界がどうにかなったと疑うよりも自分がどこかに来てしまったと疑った人間も多く存在しただろう。

 だがここは日本。彼らが過ごしてきた平和の国だった。そしてもう、平和の国では無くなった彼らの国だった。

 あちらこちらに見られる深い地割れ、どこを見上げてもまともな電線一つ残っていない電柱。電気はあって当然、そんな言葉はもう存在しない。


 世界は、息をしていない。五年前からずっと。

 





◇◆◇◆◇◆◇◆






 東海地方某所。


 穏やかな気候を持ち海に近いこの地方。最悪な一瞬を、そしてそれからの悪夢の様な新しい日常を生き抜いた周辺の人々は住み易いこの地方に流れ込んだ。日本海側よりも太平洋側、北よりも南、山よりも平地。あくまでもその候補の一つとしてだが、東海地方の平野部沿岸部は人気のある避難先、逃亡先の一つだった。例外はあるものの、冬の冷え込みの激しい地方、行動や生活域を制限されやすい標高の高い場所からは危険を冒してでも移動する方が良いとされている。

 かつて大人口を誇った大都市は見る影もなく廃墟になり、人は数十人数百人程度の小さな単位で毎日を過ごしていた。


「こんな場所まで怪物が出るなんて聞いてない!」


 人々が細々と生活する中規模の村から数キロの地点。薄汚れたパーカーを着た一人の少年が走っていた。必死な表情は全力疾走を続ける彼の危機的な状況を示している。時折後ろの空を見上げながら村への最短距離を駆ける。空を見る彼の目線の先には黒いナニカが飛んでいた。

 丸い球体状の胴体。そこから蝙蝠に似た翼が二枚飛び出ている。よく見ると下部には細い足らしきものがある。頭は無く球状の胴体にはそのまま生物の顔があった。小さくつぶらな目、他のパーツと比較して不釣合いに大きな口はくちばしではなく人間のそれと酷似して見える。生え揃った鋭い牙はこの生物が雑食あるいは肉食である事を示していた。

 少年の叫びは正しい。間違いなく怪物だ。大きさは胴体部分だけで直径一メートル弱くらい、三匹程が彼を追っている。地を走る少年と空を飛ぶ怪物、有利は怪物にある。獲物を弱らせようと襲い掛かりながら彼をわざと走らせているようにも見える状況だ。

 だが例え少年が自分の住む村まで逃げられたとしても、それは同時に村に危険を持ち込む事にしかならない。冷静に思考すれば、彼の行動は間違っていた。もっとも、このまま彼が無事に戻れる可能性は限りなく低いと言えるのだが。


「もう少し、もう少しなんだ。後少し逃げれば、きっと皆が気付いてくれる!」


 少年には村に危険を及ぼす可能性を考慮する余裕が無い。彼にとってみれば一生が終わるかどうかの瀬戸際なのだから、ただただ必死だった。どうしよう、逃げよう。どこに、村に。その程度の考えしか出来ていない。

 今彼が直面しているような景色は、日本のどこかで毎日、何十何百と繰り広げられているものだった。彼の言葉は、怪物が『存在する』事実ではなく、怪物が『こんな場所にいる』事実への驚きを示している。

 最悪の一瞬。何が起こったのかわからない日常の破壊。確かに大変な事態だ。

 だが、それだけならば現代に生きる人々はいずれ復興へと歩を進めた筈だった。年月が経過しても未だに廃墟が廃墟のままである筈が無い。

 その日を境にして、人は新しい脅威とも直面する事になった。

 映画でしか見た事の無い巨大な動物、昆虫、それに実在しない想像上の生物たち。

 公式な発表などは無い。為された可能性は否定できないが、受け取る手段が無ければ同じ事だ。

 だから、化物、怪物と呼ばれてただただ恐れられた。一対一で対面してしまった場合、一般の人間には殆ど助かる手段が無い。特に初期の頃などは、驚き呆然とする人間に対して迷いも無く襲い掛かる怪物たちと言う構図の下、多くの人が犠牲になった。

 それなりに集合し、何とか生活を再建し始めた頃には被害も減りはした。怪物とは言え、通常の攻撃が十分に通用したからだ。孤立し知識はあるが非力でその能力を活かせない状況にあった人も、集団に合流すればその力を発揮して怪物の生態を推理したり対処法を考案したりと活躍し、役割を分担して個人の集合以上の成果を出す人間の群れとしての力が発揮され始めた。例え鋼鉄を作り出す知識や技術、そして設備は無くとも廃墟には現物が転がっている。物資を確保し、武装し、そして人を集め。堅実に集落を発展させていく。今、多くの人々はこの段階にある。

 一つの地域に跋扈する怪物の種類はある程度は決まっている。だから上手く好戦的で凶暴な怪物への対処法さえ確立できれば、集落は存在できる可能性はある。多少の危険は覚悟の上で生活できる場所で生活するしかない。例え怪物が少なくとも、人間の生活にも適さないのなら意味が無いのだから。復興し始めているようにみえて、危うい綱渡りは依然続いていると言える。

 人間が生きる上で必要になる水。この国では水と言う資源が現在でも豊富な事は不幸中の幸いではある。地割れや地形の変化で水の流れが変わってしまい平野部が乾燥地帯に変わったり、湖が干上がった可能性もある。実際にそうなった地域も存在するが、元々の水源の数が豊富だったのか日本では現在も多くの河川が流れ人を助けていた。水辺にも怪物は現れる。それでも人間は水から離れては生きられない。物流どころか水道さえ回復していないのだから尚更だ。水棲の怪物への対処も集落を構成する時の必須条件だった。様々な対処を施し周囲にバリケード紛いの防壁を作り、河の流れをそのまま利用する形で水を確保し、それでようやく形になってきた集落の一つ。そこが少年が帰ろうとしている場所だ。


「帰る、絶対に帰る! ここで死ねるか! 約束があるんだ! 帰るんだ、俺は!」


 決意の叫びと飛行する怪物の急降下は同時だった。足元の障害物に気を取られ怪物への注意が一瞬散漫になった時を狙った攻撃。回避は出来なかった。それでもバランスを大きく崩したのと、襲い掛かってきたのが一匹だった事が彼の命を長らえさせた。首筋に噛み付く筈の牙は肩口に深く刺さり、彼は悲鳴を上げる事が出来た。悲鳴を出せると言う事は死んではいないと言う事だ。

 激痛が左肩から全身を巡る。それでも彼は意識を保つ。この時代に生き抜く人間の強さか、ただ本能的な抵抗かはわからない。

 肩肉を抉ろうと更に強く突き刺さる牙。少年はもう悲鳴を上げない。右手で腰からナイフを引き抜く。所々刃こぼれしていて頼りない武器だ。彼はそれを力任せに黒い怪物に突き立てた。不快な鳴き声と共に怪物は地面に落ちる。だが少年も身体を力なく右側にふらつかせた。重傷だ。肩口の服は引きちぎられた様に破れ、真っ赤に染まっている。いや今も出血は止まらずに服を染めていっている。彼は痛みに表情をしかめながらもナイフを突き刺した怪物を見る。


「は、はは。ざまあみろ……目を潰してやった。ラッキー……」


 よろめきつつ再び走り出す。だがその速度は先ほどまでの比では無い。歩くより辛うじて速い程度だ。様子を見ていた二匹はこれを好機と襲い掛かる。

 もうナイフは無い。最初に攻撃してきた怪物の目に刺さったままだった。抜いて取り戻す余裕は無かった。ここまで逃げる間にそもそも護身用にと持っていたナイフと棒を組み合わせた手作りの槍を失っていた時点で彼は相当に不利だった。その上負傷して唯一持っていたナイフも失った。村までの距離はまだ一キロはゆうにある。

 何度か上がる悲鳴と絶叫。

 珍しくも無い人間の死の瞬間が近付いている。

 不意に、弱まる声に変わらずしていた咀嚼の音が止まった。致命傷を与えた二匹に加えて、目を刺されながらまだ絶命していなかった一匹目も殆ど抵抗しなくなった少年の身体に群がっていたが、三匹ともが食事を中断して飛行し、自らの最も得意なフィールドに戻る。三匹はお互いをちらちらと見ながら周囲を気にして落ち着かない様子を見せている。何かを警戒しているようだ。

 周囲に多量にあるコンクリートの残骸、その一つの端で影が動いた。感覚を共有しているのかと疑う程、三匹は一斉にその物陰に向かう。

 一瞬、何もかもを埋め尽くす強い光が辺りを満たした。全てを、白く染める。

 光はすぐに収まる。カメラのフラッシュにも似たごく短い光。

 コンクリートの影から男が一人出てきた。

 ジーンズに半袖のポロシャツ。こざっぱりした短い黒髪、痩せてもなく太っても無く、やや小柄。どこにでもいそうな男だ。現代ならば特徴の無い普通の人、で済んでしまう。だがこの荒れ果てた現在では彼は異常だった。汚れ一つ無いシャツにほつれも無い綺麗な紺色のジーンズ。どちらも大量生産されている安物に違いないが、こんな状態の良い衣服は珍しい。それに集落から離れて軽装かつ手ぶらで出歩くのはとても有り得ないものだった。


「……キューブ、いやスフィアバットの小か。この辺りは平和なんだな」


 何事かを呟く男。彼を襲った三匹の怪物の姿はどこにも無い。ただ、地面にみすぼらしいナイフが一本落ちているだけだった。


「そう言えば……」


 感情を感じさせない声で続けると、男はナイフを拾って少年がいる場所へと歩いていく。急ぐ様子も無い。顔の若さを見るに二十台だろう。考えを読めない表情の乏しい様子、一人の人間が死に瀕しているかもしれない事への焦りや心配は全く見受けられない。顔立ちは日本人に見えるが命に対する根本的な考え方は日本人としては相当に冷めていることを感じさせる。


「大丈夫か」


「……あんた、は?」


 血を吐きながら少年は食いちぎられて所々欠損した体を横たえて顔を男に向ける。医療に詳しくない人間の目で見ても手遅れとわかる状態だ。息はむしろ静かで血を吐く時だけ荒くなっている。


「通りすがりだ。何かして欲しい事はあるか」


「通り……ぶっ、ごほっ、す、済まない。あっちにもう一キロくらい、かな、進むと、俺のいた、村がある」


「ああ、あっちだな」


 男は少年が腕を上げる事も出来ず這わせるように右手で方向を指し示すのを黙って見ている。確認だけすると、少年は弱弱しく頷く。呼吸はどんどん浅く弱くなっていく。少年の目には焦りが見えた。

 それは自らの生命を意味ある死で閉じようとする理性の足掻きでもあった。対する聞き手の男の冷静さとの温度差が悲しくも滑稽に映る。


「そこにいって、あつしが渦を見つけたと、伝えてくれ。方向は、村から、俺がいる、ほうこ、先……」


「……わかった」


「……ああ、助かる。そう、だ、看取って、くれる、人の名、前、教えてくれるか」


「変わった奴だな。俺の名前は……、もう意識も無いか。治療よりも伝言を選ぶとは、本当に変わった奴だ」


 男は目を閉じた少年に背を向ける。結局、彼は少年に対して膝を突いて励ます事さえしなかった。ただ、少年の右手が未だに指し続けている方向に歩きだした。


 一人になった少年は、彼の知覚でしばらくした後、痛みを感じなくなっていく体の異変に気付く。一度は閉じた瞳を再び開けた。


 視界一杯に広がった青空がかげり始めていた。


「死に際は目が見えなくなるって思ってた。綺麗だぁ……。ああ、さっきの男、も、綺麗な服着てたなあ。俺、もう一回くらい、あんな服着て美味いもん……」


 言葉の途中で瞳から意思の光が抜け落ちる。ただ大きく開いた目に空を映し、一人の少年が短い生涯を終えた。


 




◇◆◇◆◇◆◇◆






「止まれ!」


 簡素なやぐらから掛けられた言葉に男は従う。木を突き立てて構築された簡素な壁が彼の眼前に広がっている。何処からか拾い集めてきたと思われる瓦礫が木の壁の根元に敷き詰められている。何の意味があるのか、そんな視線が男から壁に注がれた。

 先ほど少年から遺言を預かった男はその言葉に従ってこの集落に向かい、そして到着していた。相変わらずの軽装のままで。荷物も手にナイフを遊ばせているだけで他にはそれとわかる武器一つ持っていない。

 集落、そう表して問題無い様子だ。中の様子はともかく、外から見れば田舎の子供が里山に作るような秘密基地を大規模にしただけにも見える。


「まず武器を捨てろ、それからここに来た目的を言え!」


「これは武器では、いや一応武器か。……敵対するつもりは無い。これはそちらに済むアツシと言う少年の物だ。俺は彼から伝言を預かってここに来た。彼の言葉を伝えたい」


 ナイフを高々と持ち上げた事で見張りに緊張が走ったのを察したのか男はもう片方の手も上げ、敵意が無い事を示す。


「……伝言? 確かにここに敦って奴は住んでいたが。伝言とは何だ!」

 

 始めは遺言を伝えて去る気でいた男だったが、集落の規模を見て何か思うところがあるのか思案するように顔を伏せた。


(一応、村レベルのていは整っているようだ。なら少し話をする価値はあるか?)


 自問しながら男は言葉を続けた。


「君ではなくここの代表者と話がしたい。彼から預かった伝言は遺言だ。内容も重要なものなので確実に伝えたい。信用できないならば会う場所は中でなくてもここのままでも構わない」


「!?」


「君のいるそこに代表者に立ってもらって会話をするのでも構わないと言っている。都合が悪いようなら明日また出直そう。どうだ?」


 男に敦と名乗った少年の死を彼が遺言と言う言葉で伝えると、見張りは驚きを隠す事無く狼狽を露にした。男はそれに構う事無く会話を続け、自身の望みを彼に伝えた。


「……少し待て」


「わかった」


 櫓から男に向けて終始弓を構えていた見張りがその攻撃態勢を解いてその場を後にする。すぐに代わりの人間が現れて、男へと弓を向け直したが、彼にそれを気にした様子は無い。平然とした様子で事の成り行きを見守っている。

 辺りに夜のとばりが下りれば壁の外側は完全に人の領域では無くなる。その危険は昼の比では無い。夜行性の生物の方が危険性も高くなるのだ。

 男は何も考えていないわけでは無かった。彼は外から見える範囲で集落の様子を観察していた。


(川を集落の中に通したのか。外壁部分に沿って川には杭が打たれている。成る程、あれで多少モブの侵入を防ぐ気か。それに杭が壊されたら異常を察知する事も出来る。水汲みが外壁内部で出来るなら確かに安全性は高まるから、大胆だが利点もあるやり方かもな。壁の高さは、スフィアバットが出てくるようなレベルの場所ならあれで十分だろう。飛行性のモブの縄張りには集落は築かないだろうから、あれはここまでは来ないのだろうしな。外壁の広さから想像して人口は……百人いるかいないか。廃墟の活用をしているならそれ以上でも以下でもおかしくはないが。ポイント指定は……出来ないな。まだ村と『認識』されていない場所か。トヨタは出来たんだがな)


 男の思考には所々不可解な言葉が混じっている。もしかしたらその異常さの所以ゆえんとなる部分なのかもしれない。空は徐々に赤くなり始め、夜の到来を示唆している。夜は人の時間ではない。しかし、外で返事を待つ男の様子に慌てた様子は無く、静かに考えに耽っているようだった。


「お前が、敦の遺言を持ってきたとか言っている奴か?」


 男は新たに聞く声に反応して顔を上げる。


(若いな)


 最初に男が考えたのは薄暗いながらも分かる声の主の若さだった。同年代か、少し上位であろうと男は想像する。その年齢は、今の世で集落をまとめる人間として若い部類に入る為、彼は素直に若いと考えた。


「ああ、このナイフだ。わかる人間がいれば確認して欲しい」


「……わかった。人をやるからそのナイフを渡して欲しい」


「もちろんだ。彼の物ならこれはそちらの集落の所有物でもあるだろう。お返しする」


 今度は待つ事無く門が開く。明らかな警戒を目に湛えた若い男が小走りに駆け寄ってくる。男は接近を確認すると、ナイフの刃を手でつまみ、柄を相手に向け返却の意思を表す。眉間に皺を寄せたきつい表情のまま、男に近付いた集落の青年はナイフを受け取り戻っていく。何事も無く返却は終わった。再び両手を上げて待つ集落への来訪者。


「……確かに。これは敦の使っていたナイフだと確認した。だが申し訳ない。こちらはまだお前を信用出来ない。このまま遺言とやらを聞いてお帰り願うか、それとも拘束させてもらった上で中で話をしてもらうか。選んでもらえるか」


 どちらも碌な選択ではない。怪物の跋扈する夜の闇に放り出されるか、知人のいない集落に拘束された状態で入れられるかを選べと言うのだから。だがどこまで警戒しても十分ではないこの世の中ではそれも無理の無い事かもしれない。

 余所者が優遇されるコミュニティなどこのご時勢にありはしないのだから。


(随分と、緩い。まあ、楽ならそれで良い)


 男からすれば、彼らに迫られた選択はむしろ緩い様に聞こえたらしい。理不尽とも聞こえる二択がだ。


「わかった。好きに拘束してくれて構わない。中に入れてくれ。ついでに、外壁沿いに捨てておいてもらっても構わないから一晩休ませてもらえると有難い」


「では拘束させてもらう。話はそれから聞こう。案内に従ってくれ。もしも抵抗する場合は命も安全も保証できない」


「勿論、従おう」


 門から今度は三人の人間が出てきた。

 言葉通り、何一つ抵抗する事無く縛られ、男は集落の中に入っていく。彼は周りを観察する。男の目は中の住民を見ている様で、だがそれだけを見ている訳では無かった。


(部分的にだが火を焚いている。燃料は十分に確保出来ていると言う事か。それにこの辺りには火に集まる奴は分布していない、その恩恵もあるか。昨日今日出来上がった場所でも無さそうだ。住人にも生活への慣れが見える。しかし能力は酷いな、彼らは本当に何も知らないまま、ただ毎日を暮らしているだけか。この有様では……)


「……なあ、敦は、死んだのかよ」


「ん。ああ、死んだ」


 小声で横から聞こえた声に男は答えてやる。哀れみも悲しみも感じさせない淡々とした声で。


「どこでだ、この辺であいつがドジ踏むなんて考えられねえ」


「ここから向こうに一キロ程行った瓦礫の散在する場所だ。スフィアバットの小三匹に群がられて死んだ」


「すふぃあ? しょう? なに?」


「……丸くて蝙蝠みたいな羽で空を飛んでいる黒いやつだ。見たことが無いか?」


「!? あのクソ野郎かよ! あんな街に近い場所にまで出るようになるなんて!」


(街、か。ここがそう映ると言う事は、この辺りには良くてここと同程度の集落しか無いのか。まあここへは草原の一層目に一番近かったから来ただけ。あの敦と言う子供のお陰で詳しい場所の見当もついた。後はゴミ漁りの手間を省ければ嬉しいんだがな)


 連れられながら男は状況を整理する。彼は明らかに他の人間とは違う考え、知識を持って行動しているようだ。

 やがて、案内兼見張りの三人の足が止まる。


「ほお、これだけ外観が無事なコンビニが残っているとは運が良い。ここが君たちの代表の家と言う訳か」


「……そうだ、入りな」


 ネオンは当然消えているし、中も薄暗くランプの光が幾つかあるだけの場所。だが、雨風をある程度防ぐ事が出来る貴重な場所でもある。作るまでも無く屋根があるのだから、集落の象徴として存在しても不思議は無い。集会所としても機能できるし、中の棚は全て取り払われていて、それなりの広さを感じさせた。

 そこには櫓で男に対応した集落の代表者がいた。傍らには女性が二人、そして入り口には拘束した男を連れてきた三人の見張りが立っている。


「悪いが食料は貴重でな、水ぐらいなら出せるが、飲むか?」


 代表は連れられてきた男が拘束されている事を確かめると、話を始めた。

 彼らはこの変質した世界でも川の水を簡易的な濾過だけを用いて飲料として扱っていた。危険な行為でもあったが、元々水の恩恵が豊かな日本だからこその僥倖とも言える。変わらぬ水の恵みを人々に与えているのだから。


「いや、結構だ。食事をたかりに来たんじゃない。ここに居る人間に、彼の遺言を聞かせれば良いのか?」


 水を安い物として扱う事に微かに目を細めた男は、だが誰に悟られるでもなくその表情の変化を消して返答した。


「そうだな、お前を連れてきた三人も、それからここにいる女二人も敦を見知っている。聞く権利はある」


「わかった。敦と言うそちらの仲間はあちらに一キロ程行った瓦礫の散在する場所で空を飛ぶ黒くて丸い怪物三匹に襲われて命を落とした。今日の昼下がりの事だ」


『っ!!』


「俺は彼の死に際に偶然居合わせることになってここの場所と、伝言を頼まれた。内容はこうだ。この先に『渦』を見つけた。この先とはここから見て彼の死んだ場所のある方向だ」


『!?』


「死体を引きずって来る訳にもいかないから彼の持っていたナイフを拝借した。以上だ」


 驚く六人に配慮を示す事は無く、男は状況をただ静かに語った。


「……。『渦』と敦は言い残したんだな」


 代表が最初に口を開く。その表情は硬く強張っている。渦、と言うその言葉に明らかに動揺している。


「そうだ。ところで、渦とは何のことだ? もしかして怪物が出てくる場所の事か?」


「知っているなら聞くな。その通りだ」


 煩わしそうに男の確認を肯定する代表の男。


(やはり。草原の入り口ゲートの事だったか。なら明日にでも向かって用事を済ませられるな)


 女二人は恐怖に引きつった顔をしているし、三人の見張りも落ち着かない様子だ。代表も暗い表情を隠せずにいる。その場にいて拘束されて自由を奪われている男だけが、落ち着いた心持ちでいる。実におかしな事だった。


「深刻そうだな」


「っ! 当然だろう! 近くに『渦』が出来たらこの集落はもうお終いだ! ようやく皆で力を合わせてここまでやってきたのに! いいか、『渦』が出来るとな! 加速度的に怪物共が増えて近くに人なんて住めなくなるんだよ!」


「ふむ」


「なにが、ふむ、よ! 私はここに来る前に大きな街にもいたけど、そこだって『渦』が出来て一ヶ月もたなかったんだから! もうヤダ! こんなのヤダ!」


 代表の言葉に相槌を打った男が気に障ったのか、女の一人がヒステリー気味に叫び出す。

 男が入り口ゲートと呼び、他の人間は『渦』と呼ぶモノ。それは発生した場所の周辺に濃い霧を生み、自身は人の身長程度の空中に様々な色に淡く輝いて渦巻く渦状のモノを指す。それは人里に発生する事はあまり無いが、いざ出現すると無限に怪物を吐き出し続ける手に負えない代物だった。無限にと言っても、一日に出てくるのは数匹から多くても百程度。溢れんばかりに出てくる訳では無い。もっとも、一日に百匹も怪物が出てくる渦の場合、人間の生存などほぼ確実に不可能であると言えるが。

 渦の大きさで怪物の強さや出てくる量が違うだとか、その色合いによって出てくる怪物の特徴が分類できるだとか、様々な意見が出ているが未だにその答えは出ていない。まだまだ検証が必要だった。

 今男が訪れているような規模の集落の場合、渦の出現は死刑宣告か退去命令に等しい。退去命令と受け取っても、行くあてがあれば退去で済むが、無ければ死刑宣告に近い。それに集落として機能する場所を築き、人間らしい生活への一歩を踏み出した人々にとって、その場所は特別な意味を持つ。簡単に諦められるものでもない。


「泣くなよ、泣いてもどうしようもねえじゃん。俺らが何とか皆を守るから」


「死ぬ順番が変わるだけよ。敦も死んじゃったじゃない! やっぱり、あの日にもう、全部、駄目になっちゃったんだって……」


 黙っていたもう一人の女も一頻り喚いて泣き出した女に呼応して嗚咽を漏らしながら言葉を紡ぐ。確かに、泣くなと言った見張り役の青年の言葉には説得力が無い。ただ励ましたいが為に言った言葉なのだから。


「その渦、潰してきてやろうか。どうだ?」


「……はあ?」


「だから、俺がその渦を潰してやろうと言っている。勿論、報酬次第だがな」


『……』


 唐突に理解に困る言葉を吐いた見知らぬ男に、全員の目が向けられる。思わず代表の口から漏れた間抜けな疑問の言葉を誰が責められようか。誰もが男にその言葉の真意を確認すべく目で促す。


「そう黙られてしまっても困るな。渦は潰せる。知らなかったのか。この辺りでもトヨタ辺りでは知られていたから既に知っているのかと思ったが」


「つぶ、せる?」


 己に言い聞かせるように言葉を繰り返す代表。そして六人の口がそれぞれに呟くようにその言葉を口にする。トヨタと言う地名には反応していない。それほど、渦を潰すと言い放った男の台詞は衝撃的だった。


「ああ」


「どうやって?」


「中に入って怪物を一掃する。その上で内側から門そのものに十分な衝撃を与えれば良い。それだけだ」


「中に、入るぅ!?」


「そうだ、あれは入り口だ。放っておけば次々に怪物が出てくるが、中に入ってその時に存在する怪物を全部始末すれば破壊も可能になる」


「……怪物を全部って」


「まあ、最近出来たと言うなら怪物共がいても数は知れている。多分敦少年を襲ったのもそこから出てきた怪物だろう。まだそれ程に危険じゃない」


「……無理だ。俺達はそんなに積極的に怪物を倒したりしていない。奴らの数が少ない場所を選んで何とかここに集落を、村を作ったんだ。とてもこっちから怪物を殺しになんて」


「何を言っている。行くのは俺だけだ。不安なら入り口まで付いてくるのは勝手だが、終わらせるまでの安全は保証しない。交渉に応じるか?」


「……報酬、だったか。何が望みだ。食料か? 女か? それともここへの居住か?」


 代表は半信半疑ながら男の望みを聞こうとする。もしも万が一『渦』が消えてくれるのならそれに越した事は無い。男の提示する報酬次第では乗っても良いと思っていた。

 だが、男は食料、女、居住権のどれにも首を横に振り、否定を返した。

 続けて報酬に出来そうな物を提示しようと口を開かんとする代表を目で制して男は自ら口を開く。


「俺は金が欲しい」


「……金、だと?」


「そうだ」


「金とは、その、あれか? 硬貨とか紙幣とかの金か?」


「ああ、出来れば紙幣が良いな」


 インフラがずたずたになり、復旧の見込みは無い。家屋や店舗の多くが破壊され、道路は人を拒む程の荒れ模様。わけのわからない謎の建築物の残骸やら怪物なども存在し、明日とも知れぬ生活を多くの人々が送る日々。

 硬貨ならまだ金属としての価値は無い事も無い。だが、紙幣などもう焚き火に使う新聞紙以下の価値しか無い。誰もお金で物を売ってくれないのだ。当たり前だった。

 この集落でも、欲しい物があるのなら基本的には物々交換だ。だからその無用の長物でしか無い紙幣を欲しがる人間など、代表も、他の者も見たことが無かった。お金の意味を確かめるのは至極自然な流れと言えた。


「あんな物をどうする?」


「どうすると言われてもな、使うさ。紙幣をどうするか聞かれたなら、そうとしか答えようが無いが」


「使う、だと? っ! そういえばお前、さっき豊田とか言っていたな。もしかして、豊田では今も紙幣が使えるのか!?」


「ああ。別に豊田だけじゃない。俺が知っているだけでも金を使える場所は幾つもある」


「そんなっ! だったら私達」


「ええ。こんな生活しなくても済むんじゃあ」


 女二人の表情が明るくなる。


「その話、嘘じゃないんだな!」


 代表の目もこれ以上ないくらいに大きく開かれて男の両肩を掴んで顔を覗き込んでいる。鬼気迫るとはこのような顔を言うのだと、例に示したい程の顔をして。


「嘘など吐く意味も無い。それで? どうするんだ? 俺としては紙幣を有るだけもらえるなら、物のついでに渦を潰してやっても良いぞ」


「有るだけ? 全部寄越せと言うのか?」


「ああ、どの道ここで持っていてもただのゴミなんだろう? なら俺がもらっても全く問題は無いと思うが」


「豊田では今も金が使えると、お前は今そう言ったばかりじゃないか!」


「だから何だ?」


「これまではタダのゴミだった。それは認める。新聞紙の方が良く燃えるしな。だが、金で物を買えるとなったら話は別だ。俺達にも金が必要だ」


 代表の言葉に他の五人も頷く。


「……よくわからんな。豊田に行って金を使うから渡せないと言いたいのか」


「全ては渡せないと言ったんだ。あんたが必要なだけ持っていくのは構わない。だが俺達にも残しておいて欲しいと言っている」


「……金はあって困る物じゃないし、必要なだけ持っていくなら同じ事だと思うがなあ。その口ぶりだとここには紙幣が余程あると見える。まあそこまで言うのなら、そうだな。一千万くらいもらえればそれで良い」


「一千万! それで良いんだな! 確かに聞いたぞ! 皆も聞いたな!?」


 五人が間髪入れずに代表の言葉に首肯する。言質を取ったと言う意味だろうか。


「おっと、何だ?」


 男が不意に身体が引っ張られる感覚に驚く。見れば縛られた縄から伸びる一端を代表が持っていた。


「来い。報酬を先払いする。その後拘束も解こう。翌朝、早速渦に向かってもらうぞ。この三人を協力者としてつける。見届け人も兼ねてな」


 建物を出て暫く歩かされた男は地下に下っていく道に気付く。同行したのは前にいて男を引っ張る代表と後ろから付いてくる見張り役の三人。女二人はコンビニの建物から出てこなかった。

 集落の住人に地下を作る技術があるとは男には思えなかった。だから彼はこれを偶然にこのようになった場所なのだと推測した。

 事実その通りだ。五人が到着したのは地面に埋まった何かの建築物。奇跡的に入り口が口を開けている。


(信、用、金庫。信用金庫か。成る程、こんな場所が状態も良く埋まっているなら紙幣は沢山ありそうだ。一千万渡しても困らない程度には。俺の事が完全には信用出来なくても支払う報酬としては大した事は無い、と言う事か。紙幣が大量にある状態の信用金庫が埋まっているとは、珍しいものだ)


 男の考えは的を射ていた。ただでさえ使い道が無く、紙としての価値しか見出せなかった大量の紙幣。そんなものが実はまだ使う事が出来て、尚且つ恐ろしい脅威である渦を潰す報酬になってくれる。燃やすくらいしか使っていない連中にとっては、こんなに有り難い事は無いだろう。


「一千万だ」


 代表が十個の札束を持って来て男に見せる。


「寝床に案内したら拘束を解いてやる。それから確認してくれれば良い。誓って本物だし、誤魔化しなぞしないがな」


「ああ、ありがとう」


「お前達はこいつを……そう言えば、まだ名前も聞いていなかったな。お前、名前は?」


「……成瀬真二なるせしんじ


「成瀬か。俺は石井だ、よろしくな。じゃあ、すまんが成瀬を寝床に案内してやってくれ」


『わかりました』


 屋根のある一室に通され、拘束を解かれる。数枚のダンボール紙を渡され戸を閉められた。三つの気配の内一つが部屋の入り口に留まっている事に真二は気付く。


(見張り、か。まあ当然か。金の方はと……うん、確かにある。にしても信用金庫が埋まっているとは。宝の持ち腐れとはあの事だな。こんな場所では使い道も無いだろうに。大体、豊田では紙幣が使えると確かに言ったが、そこまでどうやって行くつもりなのか。自力で移動が出来るならそもそもこんな場所にいないだろうに。あの敦とか言うのも変わっていたが、どうやら他の連中もどこか抜けているようだな)


 小さく溜息を漏らす真二。


 一千万の金をどこにしまったのか、もう見当たらなかった。闇に乗じて動き出す、などと言う事も無く。

 真二は硬い床にダンボールを敷き、独特の匂いに包まれて眠りについた。






◇◆◇◆◇◆◇◆






 翌日。


 気味が悪いくらいに静かな道のりを四人の男が歩いていた。

 三人は後方にある集落から出てきた青年。ヘルメットに厚手のジャケット、薪割りに使うような手斧を二人が持ち、残る一人は鉄パイプの先にそこそこ刃渡りのあるナイフを固定した槍を手にしていた。

 先頭を歩く男、成瀬真二は昨日と同じ格好のまま。手には道すがら拾った石ころを持っている。手慰みに上に放り投げたりしながら、危険な外に出て歩いている事への緊張など微塵も感じさせない。

 いや、昨日と少し違う部分がある。ジーンズのベルトに小さな袋が括られている。そこには彼が拾った手頃な石が幾つも入っていた。


「もう少し警戒してくれ! もうここはいつ襲われてもおかしくない場所なんだろう!?」


「先に見えるのは敦の死体がある場所の筈だ。まだ怪物がいるかもしれない!」


「……ああ、わかった」


(まったく、モブと遭遇などしないと言うのに。俺がいるのだからここらの雑魚なんて出てくる訳が無い。それにしても。仲間が昨日死んで、もうじきにその場所に着くと言うのに。本当に、人の命は軽くなった)


 仲間の遺骸を回収する事よりも怪物の支配域に入った事を心配している三人組を見て真二はふとそんな事を考えた。ここまでの彼の言動から見ると少し違和感を覚えるものだ。ただ少しの間に過ぎなかったが、その目はどこか遠くを見ているかのように亡羊とした様子だった。

 しかしこれは、今の常識と言う言葉に当てはめるのなら、真二が無駄に感傷的であって、三人組の懸念はもっともなものと言える反応だ。

 何らかの影響で真二は怪物との遭遇をまるで心配していないようで、その分だけ彼は様々な事を思案していた。先頭を進む彼の様子は三人からはあまり読み取れなかったが。

 

「どうする? 彼の遺骨だけでも回収していくか?」


「死者に墓を作ってやる余裕などありませんよ。昨夜あいつの死はもう悲しみました。だからもうその必要はありません」


「そうか。なら先を急ごう」


(一日で肉を食われているだろう事は知っているか。しかし骨がどうして残るのかまでは考えていない。つくづく、幸運な連中だ)


 真二の目が憐れむような、慈しむような、不思議な色をたたえた。

 

「ええ。渦の近くには間違いなく怪物もいるでしょうから気を引き締めないと」


(こいつは他二人に比べると冷静だ。まあ戦闘の能力は五十歩百歩だが。獲物も一人だけ槍を選んでいるし一応考えて戦おうとしているのかもな)


「ああ、そうしてくれ」


「ところで、先ほどから石を拾っていますが、もしかして投石用ですか? あまり効果があるとも思えませんが」


「意外と使える。気になるなら、まあ見ていると良い。参考になるかどうかは別にしてな」


「気になる物言いですね。では僕も石を拾いますよ。予備の分として」


「助かる」


 そんな会話をしながらいよいよその場所に辿り着く。日は中天、片道で徒歩三時間近い。男の足で急いだとはいえ警戒しながらの道のりでこの時間、確かに集落にとって脅威となりうる場所に渦はあった。


「くそっ、あの霧。本当に『渦』がありやがる!」


「おい、成瀬。どうやるつもりなんだよ。うあ、怪物が出てきやがった!」


「お手並拝見ですね」


「わかった。お前らはここにいて動くな。すぐに終わる」


 真二は気配を殺すどころか堂々と霧のかかるエリアに向かって歩いていく。当然、その付近にいた怪物がその気配に気付いて襲い掛かっていく。だが、真二が右手を僅かに動かしただけで霧に映った異形の影は動きを止めて伏していく。それが投石の結果だと言う事に気付けたのは三人の内、一人だけだった。

 緑色に輝いて渦巻く『渦』から直立歩行する犬の怪物が真二に飛び掛ってきた。しかし身体に触れる事も叶わず、頭部を吹き飛ばされて息絶えた。

 真二の姿が『渦』と重なり、そして消えた。


「あいつ、本当に入っていきやがった」


「怪物の巣窟、なんだよな?」


「投石だけで、本当に怪物を皆殺しにするなんて……一体あの人は」


 言われた通りにその場を動く事無く三人はただただ緑色の渦を凝視していた。驚く程に静かだ。ここが遠く離れた集落を脅かす怪物の生まれる場所とは思えないほどに。遠目に見つめる『渦』はどこか幻想的な印象さえ彼らに与えていた。

 深呼吸の如く深く静かな呼吸を繰り返す三人。額を緊張の汗が濡らす。

 真二にはすぐに終わると言われたが、彼らの体感時間ではもう半日は経過したのではないかと思う程の長さを感じていた。

 例え幻想的な光景に映ろうと、この場所は本来人間がいる場所では無いとの思いが三人の胸にあるからだろう。怪物に対して撃退こそすれ、討伐と言う行為をする段階にない彼らには当然の思考だ。

 ようやく、場に変化が現れた。

 緑色の『渦』が明滅し始めたのだ。それは時間にして真二が渦に入ってから十分弱。まさに彼の言ったすぐ、の言葉に違わない短い時間だった。次いで何かが渦が飛び出して来た。三人は思わず息を呑んだ。先ほど何気なく中に入って行った真二その人である事を霧に映るシルエットが手を振ったことで確認する三人。安堵の溜息が漏れる。

 シルエットは徐々に三人に近付いてくるが、同時にもう一つの変化があった。立ち込めていた霧までもが『渦』と同色の緑色に光り始めた。そして一際強く発光したかと思うと、跡形も無く消え去った。

 もう、『渦』も霧も無い。怪物の影さえ見えない。三人の目には真二の姿だけが動くものとして映っている。


「悪いな、少し遅くなった」


『……』


「どうだ。ゲ、『渦』が消えるのを見た感想は?」


『……』


「特に思う事は無し、か。まあ大した事でも無い。では、戻るぞ。代表の石井さんに成功報告してもらう」


『……』


「おい、行くぞ?」


 歩き出す真二。その背を見て三人組は自身の処理しきれない奇妙な高揚を伴う感情を大声で表現した。ただ吼えて、真二の背に追いつき抱きついた。真二にとって迷惑でしかないその行動は、集落に戻る少し前まで続いたのだった。

 興奮冷めやらぬ三人は櫓の見張りに帰還を伝えて開門を促すと、開いた門に真二を押し込み、また引きずるように代表の待つコンビニ跡に急がせた。勢いのままに三人から代表に『渦』の消滅が報告され、後に真二自身からもその消滅を確約する言葉と共に仕事の終了を報告される。石井はその成果におおいに驚き、喜んだ。信頼している三人から間違いないと報告されたのだ。脅威は去ったと安堵する事が出来た。


「ではこれで失礼する。達者でな」


「い、いや待って欲しい! せめて今夜一晩だけでも泊まっていってくれ、報酬とは別に感謝を示したい。夕食も心ばかりの物だが用意させている」


「……気持ちは有り難いが、貴重な食料をそんな風に使ってくれなくて良い。紙幣を分けてもらって一晩休めた。それで十分だ」


 真二の言葉は謙虚に見えて、その実表情は迷惑そうな顔をしている。隠そうともしていない。

 石井の申し出がありがた迷惑だと、露骨に表していた。


「頼む! あんたには、いや成瀬さんには失礼な態度を取ってしまった。この村の恩人だと言うのにだ! こんな世の中でも、義理は忘れたくない。もてなしを受けてくれ!」


 頭を深く下げる石井。真二は頭を掻いて見せた。


「……わかった。明日、ここを発たせてもらおう。それで良いか」


「勿論だ! おい、夜まで成瀬さんに不自由が無い様に。わかってるな?」


『はい』


 石井の言葉に高い声が複数重なったかと思うと、ぞろぞろと女性が現れた。下はランドセルが似合いそうな少女から、上は四十近いであろう落ち着いた女性まで。


「いや、別に昨夜の部屋で不自由は」


『こちらへどうぞ!』


 真二は女性の波に押し流されるように連れられて行った。






◇◆◇◆◇◆◇◆






「本当に渦は消えたんだな!?」


「間違いありません。確かにこの目で見ました」


「俺もです」


「俺も」


 男四人が残るコンビニ跡。石井が真二に同行した三人に念押しの確認をしていた。


「信じ難いが、まさか本当にそんな事が出来るとは……ならばこれからは俺達も積極的に攻勢に」


「無理です。あの男は明らかに特別です」


「何故そう言い切れる。見たところ度胸はあるがお前達とさほど変わらないように見えるが」


「見た目だけです。事実あいつは道端に転がっていた石をぶつけただけで怪物を皆殺しにしていました。あんな真似は我々には到底出来ません」


「それに、途中でも一度も怪物に襲われませんでした。あいつは何か変です」


「確かに普通じゃなかった。あいつに出来ても多分俺らには出来ねえと思います」


 石井が次に『渦』が出現した時の対策を考えて口に出した途端、三人から反対と否定、そして真二への畏怖が漏れ出した。


「……そうか。となれば、余計に成瀬を手放す訳にはいかんよな。あいつが居続けてくれればここはもっと大きくなれる、違うか?」


「引き止めるのは賛成です。正直、彼が居てくれるならこれ程心強い事も無い」


 残る二人も力強く頷いて真二の引きとめに賛成する。絶望的な毎日の中で、真二の見せた圧倒的な力はこの上なく魅力的に思えたのだろう。


「彼とて若い男だ。あれだけの女がいれば一人位は気に入る女もいるだろう。それに食料もそれなりに豊富にある。つなぎ止めている間に何としても説得せねばな」


 石井の言葉は落ち着いていた。だがその表情は目的を定め、決意に満ちたものへと変わっていた。






◇◆◇◆◇◆◇◆






 その夜更け。闇に動く者がいた。

 成瀬真二だ。

 この夜、彼にあてがわれた部屋は昨夜と大きく異なる豪華な一室。柔らかな寝心地の良いベッド、毛布に掛け布団まで揃った結構な寝台だ。その寝室に十名を越える女性が裸身を晒して呻いていた。今この時も艶かしく影が蠢いている。

 だがそこに肝心の彼は居ない。石井の命令によって真二を篭絡しようとした女性たちは、ターゲットが最早部屋にいないと言うのに夢見心地で快楽の淵にいる。異常な光景だ。

 真二は既に村の外へ出ていた。寝ずの番をしていた門番も、櫓に立っていた見張りもその事に未だ気付いていない。


(下らんな。石井さん、約束は破らん。俺は日付が変わるまでは部屋にいた。押しかけてきたご婦人方には淫夢で誤魔化させてもらったが。あんなものにも使い道があるとは思わなかった。まあ、もう二度とここに来る事も無いだろう。精々達者でな)


 真二の姿は闇に紛れて誰に悟られる事も無く移動していった。

 だが、この時の彼の言葉は覆される。

 一年ほどが経ったある日の事だ。偶然が重なった成瀬真二は再び東海地方、それもこの集落の傍を訪れる機会を得た。

 別段寄る必要も無かったが、気紛れに彼は集落の様子を見ようとこの場所を訪れた。

 そこにあったのはただの廃墟。木で出来た壁は壊され、中にあった住居も破壊されていた。

 人骨が幾つも散乱し、生きる者の気配は何一つ感じられない。


「駄目だったのか」


 真二は呟く。風に掻き消される位の小声で。ただ、悔恨は伺えない。ただどこかの施設見学でもしているかのように周囲を見て回る。

 杭を立て、水棲の怪物の侵入に備えていた場所付近に来て真二は足を止めた。


「これ、ブルークラブか。海岸のゲートがどこぞに出来てこいつらが入ってきちゃったのか。なるほど、全滅だな」


 足元に転がる甲殻の一部を拾い上げて状況を想像する真二。彼にはここで何が起きてどうなったのか、大体の事は掴めたようだった。やはり、この時代を生きる普通の人間と彼はどこかが決定的に違う。


「人間を餌にして増えたまでは良かったが、食い尽くした後は共食いで数を減らしたか。肉は美味い蟹なんだが、こうして人間が餌食になっているのを実際に見ると……まあ気にしていたらキリが無いか」


 カニバリズムとは無縁の真二だったが、食用になる怪物を食す事の意味を少し考え、途中で思考の継続を止めた。食べられる物は食べる。それが生きていく上での大前提だ。食料の確保が難しいのなら、その本質まで無理に考えて手に入る食料を受け付けなくする必要も無い。それは害しかない考えだと切り捨てる。現代でも、例えば鯛の養殖に鯛を粉末にした物を利用する事もあったのだ。それとて、色々と考え込んでしまえば中には受け付けられなくなる線の細い人間も居たかもしれない。知らなければ何を迷う事も無く平然と食べた筈なのにだ。だから真二は敢えて深く考えない事にした。


(さて、先を急ぐか。次の中継まではまだ少し距離がある。今日中に到着出来れば、わざわざブルークラブなぞ探さなくても美味い物が幾らでも食える)


 これ以上得る物は無いと判断した真二は、一年前までは人々が必死に生活を営んでいた廃墟を後にする。一瞬探そうと考えた人よりも一回り大きな青い蟹を探すのは止めたようだ。

 規模が大きくなる前に人間のコミュニティが滅ぶ。別段珍しい事でも無い。世界は、それが当たり前になったのだから。この怪物と共存するしかなくなった世界では、弱い者が生き残るには強くなるか、強運に恵まれるか、知識を得るかしかない。だが運にのみ頼ればいずれは滅ぶ。この廃墟がそうであるように。そして知識を利用するには最低限の力と運が必要になる。結局、力を十分に備える事が一番なのだ。そうすれば知識を得る機会が増え、力と知識を備えれば余程の不運に見舞われない限り生きていく事が出来る。

 ではどうやって力を身に着けるのか。

 それこそが、この荒廃した世界で多くの人間が抱える最大の問題だった。

 

 一人旅をする、そんな自殺行為でしかない筈の無茶な芸当を可能にしている成瀬真二という青年。彼にはその方法の幾つかが見えているのかもしれなかった。


 最早記憶の中に原型を思い出す事さえ難しい、変わり果てた日本。それでもまだ、人はこの地に生きている。

 


 まずはお読み頂きましてありがとうございます。あずと申します。

 申し訳ありません、この小説は完全に不定期連載です。よって次回は未定になっております。

 他に書いている話がありまして、そちらを優先して進行しております。ご容赦下さいませ。

 

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