第八話 手紙を書く
グレンヘルド騎士学校の敷地内には校舎以外にも大小様々な建物があり、教会や劇場に道場や牧場などがある。その建物の規模は国内や西域諸国と比較しても平均的か小さなものだが、そういった事情を知らない信三郎にとっては純粋に大きく見えた。
騎士学校にある図書館はシンプルな内装だった。本棚には分厚い本が隙間なく収まっている。一番上の部分は西域人にも届かず踏み台を必要とした。その高い本棚の列が並び、それが二階にもある。広い図書館であるが西域諸国のものと比べても小さい方に分類される。
「ドレモコレモ、全部タダデ読メルノデスカ」
信三郎は目に入る本棚の列を見渡した。高まる気持ちのままに動きたかったが、生憎の左足の怪我で身動きは不便であったし、館内は静かな場所である。空気を読み、早る気持ちを我慢して自重している。
「汚さず返還期限を守れば、あとは問題はない」
と、ミカドは言った。
「ドンナ本ガ有ルノカ見テミマショウ」
そう言って、信三郎は松葉杖をつきながら本棚の列に入って行った。
丁度、歴史書の本棚の列であった。左右上下を見渡して、適当に一冊の本を手に取り、中を広げて内容を読む。
「シンは本を読むのが好きか?」
ミカドの問いかけに信三郎は振り向いて頷く。
「ハイ。僕ガ偉クナッタノモ本ヲ読ンデタカラデス」
村の社に住み込んでいた時、蔵に積まれていた本を読みあさり知識と語学を学んだ事を話した。
「そうか。俺も本を読むのが好きだ」
「ミカドさんモ?」
「あぁ。こんな小さな本の中には大きな世界が詰まっている。俺は父上が世界を見て書いた世界記を小さな頃から読んでいた」
「僕ハ軍記物語ヲ読ンデマシタ…」
信三郎は喋りながら松葉杖を本棚にかけて、片腕に本を乗せていく。
「軍記物語ノ中ニ書カレテアル謀略ヤ戦略ハ今デモ通用スル所ガアリマスカラ…」
と、上の段にある本を取ろうと背伸びをするがギリギリの所で届かない。見かねたミカドが代わりに本を取って渡した。
「ほら」
「アリガトウゴザイマス」
受け取った本を片腕の本の山に重ねる。この時点で信三郎の頭の高さを本の山が超えていた。
「そんなに読むのか?」
「沢山読マナイト西域文明ヲ理解デキマセンカラネ」
信三郎は笑顔で応えた。西域諸国に派遣された留学生たちの任務は西域文明の吸収である。吸収した知識を国家発展のために役立てねばならない。そのため、一を知るために十を知る努力をしなくてはならない。信三郎は軍人であるために軍事学を学ばねばならないが、騎士学校の授業で習うだけでなく原理や経緯を紐解くために歴史を学ぶ必要があると考えていた。
*****
図書館をでた後、信三郎とミカドは学生寮に向かっていた。外は暗くなり始めている。
「シン。こんなに本を抱えてるが大丈夫なのか?」
ミカドが尋ねた。信三郎は五十冊程の本を借りる事にした。貸し出しの受付につめていた女子学生も驚いていた。そして今、信三郎は五十冊の本を風呂敷にくるんで首に掛けて運んでいる。
「重タイウチニ入リマセン。怪我人ヲ抱エル方ガ一番重タイデスヨ」
と、信三郎は軽い気持ちで返した。本は運べるように一括りに固定すれば楽に持ち運べるが、怪我人は容態によって慎重に運ばねばならないし、バランスを崩す時もあるので重たい上に気を使い面倒である。
「なぁ、シン」
「何デス?」
「何か話してくれないか。君のいた東域の国の事について」
「ソウデスネ…」
信三郎は少し考え込んでから言った。
「夷竜洲国ニハ緑ノ山々ヤ川ガアルダケデ、他ニハ何アリマセン」
「何もない?」
以外な応えにミカドが聞き返した。
「ハイ。西域諸国ノヨウニ国ヲ興ス産業ヤ工業力ハ無ク、人ガ作ッタ都ヤ町ハ戦争デ焼カレテシマイマシタ」
「戦争は、そんなに酷かったのか?」
「エェ、南北朝ノ争イガ四百年間モ国中デ戦イガ繰リ広ゲマシタ」
「四百年って、凄く長い戦いだったんだな」
「戦イデ手柄ヲ立テタ者ハ農民デモ出世デキル様ニナリマシタ。ダカラ僕モ兵隊ニナッタノデス」
軍帽を深く被り、鍔の影が信三郎の目の下まで覆っている。その影の中から見せる彼の唯一の目が十代とは思えない人生観を教えてる様に見えた。
「戦争か。俺たちは英雄物語のように聞かされてきたが、本物の戦争は想像を絶するものなのか」
「僕ガ慕ッテイタ上官ヤ同ジ時ニ兵隊ニナッタ同期、僕ヲ慕ッテイタ部下ハ戦争デ死ニ、僕ダケガ生キ残ッテキマシタ」
先ほどまで笑顔を見せていた信三郎の表情が暗くなっていくのをミカドは察した。
「嫌な事を思い出させてしまったな。悪い」
「ソンナ事ハアリマセン」
と、信三郎は笑みを見せて返す。
「嫌ナ事ハ慣レテマス。ソレニ、一介ノ農民ダッタ僕ガ戦争デ手柄ヲ立テテコラレタカラ偉クナレテ、西域ニ来レタンデスカラ」
*****
会話を続けている内に男子学生寮に着いた。幾つか建ち並ぶ学生寮の中で、ミカドが一件の学生寮に案内した。
「ここが俺たちの寮だ。シンの部屋の場所は聞いているから案内する」
そう言って慣れた風に寮に入り、信三郎も後に続いて入って行く。
寮の管理人のいる窓口にミカドが声をかけた。中から老婆がひょっこりと顔を覗かせた。
「27号室のミカド・フェレルアです。留学生の部屋の鍵を…」
と、ミカドの説明で管理人の老婆が部屋の鍵を渡す。通路を歩き、階段を上り二階につく。
「ここが、シンの部屋だな」
そう言って、ミカドはドアノブに鍵をさして錠を解いてドアを開けた。
中は一人暮らしするのに充分な広さのある部屋だった。バスルームが備わっており、窓からは騎士学校に広がる森や山々が見えた。
隅には公使館から送られてきた荷物の入った箱が置かれている。
「ココヲ僕一人デ独リ占メデスカ」
信三郎は本が入った風呂敷を下ろし、帽子を傍の机に置いて部屋を見渡した。
「本来は二人部屋なんだが、留学生の君には特別な計らいで一人部屋になっているようだな」
「特別ナ計ライダナンテ、僕ハ死ニ損ナイノ一兵士ニ過ギナインデスガネ」
と、苦笑いをしながら身分を謙虚する信三郎は公使館から送られてきた箱を開ける。
最初の箱には衣服が入っていた。今着衣している紺色の軍服に対処的に真っ白な夏服も入っている。次の箱には古びた本が入っていた。夷竜洲国から持ってきた兵学や兵法の本であった。最後の箱には飲み物の入った徳利が幾つも入っていた。
信三郎は、その一つを取り上げて容器の蓋を抜いて中の香りを嗅いだ。
「シン、それは何だ?」
ミカドが尋ねた。徳利の容器自体、西域では見かけない物だった。
「オ酒デスヨ」
「酒?」
「軍隊ニ入ッテカラ飲ンデイテ、僕ノ手放セナイ相棒デス。国ヲ出テ十日ハ飲ンデマセンデシタ」
古参兵から酒を飲まされた事から始まり、冬場の戦場では身体を暖めるために重宝した。
「シン、君の年は幾つなんだ?」
ミカドが尋ねた。体格と言動が、とても同年代とかけ離れている。分かってはいるが、ついつい聞いてしまう。
「16歳デス」
そして、意外に1歳年上であった。考えれば昨日、夷竜洲国公使館員の松戸がそのような事を言っていたのを思い出した。
「ミカドさんモ飲ミマスカ?」
信三郎は、箱の中から湯飲み茶碗を取り出して、埃を吹き払い徳利の酒を注いだ。茶碗にトクトクと酒の溜まる自然の音は酒好きにはたまらない。しかし、限られた量を節約するため、茶碗一杯には入れず、その半分を入れた。
「酒はまだ飲めないんだ」
「ソウデシタネ」
信三郎は茶碗の酒を一口舐めた。
「あと他にわからない事はあるか?」
「特ニ無イデスネ」
「そうか、じゃあ俺は戻るとするよ」
「アッ、ミカドさん」
部屋を出ようとするミカドを信三郎が呼び止めた。
「今日ハ何カト、アリガトウゴザイマシタ」
「気にする事はないさ。俺は君の案内役を任されているんだから」
「ソレデモ、僕ニ出来ル事ガアレバ言ッテクダサイ」
「そうだな。また、君の国の事を教えてもらおうかな」
と、そう言ってミカドは部屋を出て行った。
この後、信三郎は荷物の整理を始めた。荷物の量が少ない事もあり直ぐに片付いた。
「さてと後は何しょか」
茶碗に入れた酒を飲み干し、ベッドに寝転んで考えた。食事の時間にはまだ余裕がある。
ふと、ミカドとの会話を思い出した。夷竜洲国の事について知りたいと。
「家に手紙でも書こがね」
と、ベッドから起き上がり、紙と筆を取り出して机に座った。
「宛先はどこにしょか…。社でいいろ」
家の住所が不確定である以上、地元で有名にして世話になった社に宛てる事のした。
「さて、何て書こうか。とりあえず、『母上様、お元気ですか』…」