第五話 学生生活
西域人の多くは東域の国々について詳しく知らなければ夷竜洲国が四百年間内戦を繰り広げた事実を知らない。
そして、東域人を見たという西域人も多くない。軍帽を脇に挟み、東域人特有の真っ黒な髪を見せてクラスの学生たちに挨拶を述べて深々と下げた頭を上げる北兵衛信三郎を見て、グレンヘルド騎士学校の学生たちは初めて東域人を見る事になる。抱く感想は様々だろう。
「北兵衛、君は一番奥の空いている席を使いなさい」
ヘンリは指を指して席を示すのだが彼女には見えても信三郎の背丈では見る事は難しかった。片足を怪我した状態で軽く背伸びをして伺うも学生たちが壁となっていて場所が確認できない。それでも、大体の場所の位置は把握できていた。ワカリマシタと片言の返事を返して松葉杖をついて自分の席に向かう。
学生たちの席と席の間の通路を進む度に、比較的に静かな教室内に松葉杖のつく音が目立つ。
「………」
信三郎は、自分をジロジロと見る周りからの視線を感じた。仕方のない事である。聞くところによると、グレンヘルド騎士学校が留学生を受け入れたのは今回が初めてであって自分と周りの騎士学校の学生とは何もかもが違うのだ。
小さな背丈、質素な服装など外見だけでも西域に劣ってしまう。貧乏弱小国から来た只の留学生かそれ以下の印象なのだろう。
信三郎の席は黒板から一番奥の外れで横には他に席はない。公使館でもそうだったが西域人の体格に合わせて作られた机の椅子は東域人には大きいのだ。椅子に座っても両足は床に届かない。
まるで夷竜洲国が世界的地位が低い現実を表すかの様であった。
*****
信三郎がリヴォルドアにやってくる間にグレンヘルド騎士学校では本格的な学習が始まっていた。そのため初めて受ける騎士学校での軍事学の学習は大変なものだった。
ヘンリに代わってやって来た科目担当の教師は坦々と黒板に文を書き学生たちに説明をするが、その全てが西域の言葉と文字である。まだ知らない言葉も多々あり、ノートに文字を書き写す事で精一杯であった。しかも前の席に座る学生の背中が壁となり黒板一部が見えないのだ。信三郎は椅子に正座して膝を少し上げる姿勢をとらねば黒板全体を見ることはできない。
勉強は授業が終了してからも続けた。ノートに書き写しても学習内容を理解をできなければ意味がない。ノート一ページで済む内容を様々な追記などを書き加えて三、四ページも費やして書き続けた。
初めて来た異国の地の学校でただ一人、友がいなければ娯楽も知らない。今、信三郎にとって勉強をする事が周りの事を忘れられる娯楽であった。
また、西域の言葉をまだ上手に話せないため周りとのコミュニケーションも必要以外は控えようとした。そう考えていたのだが、これは良い形で裏切られる事になる。
「ちょっと、いいか」
「?」
教本に面を向かって勉強をしていると一人の男子学生に声をかけられた。彼の髪の色は薄い黒色で西域人には珍しい。その愛想の良い笑顔には裏がなく信頼できそうだと信三郎は思った。
「俺はミカド・フェレルア。よろしく」
「北兵衛信三郎デス」
彼の名前を知り、信三郎の脳裏に松戸の言葉が蘇った。ミカドと言う名の学生に会っておけ。確かに会っておくべき人だと実感した。
「西域に来てみてどうだ?」
「驚クバカリデス。オトギ話ノ世界ニ、ヤッテ来タ気分デス」
「俺は君の案内役を任されているんだ。後で騎士学校を案内するよ」
「ソウデスカ。ヨロシクオ願イシマス」
*****
時間を少しだけ戻す。校内に鐘が鳴り渡り授業の終了の合図を告げる。
「ミカド・フェレルア!」
と、軍事学の担当教師と入れ替わる形でヘンリが現れた。
「はいっ」
「ちょっと話しがある」
「はい?」
ミカドは呼ばれるがままにヘンリについて行き学生が行き交う廊下に出た。
「何でしょうか、ヘンリ先生?」
「留学生の事だ」
「あぁ、学校長から案内役を任されていますから後で騎士学校の案内をやろうと思ってましたが」
「いや、そうではない」
「え?」
ヘンリの真剣な表情に少なからず不安が見えた。騎士団時代に数百騎の騎士を束ねた実力者だけに彼女程の人が不安を見せてしまう事にミカドはただ事ではないと思った。
「彼、北兵衛から血と火薬の匂いがした」
「………!」
「彼は祖国の内戦を戦ってきたと聞いていたが、生半可な戦いをしてきてはないようだな」
ヘンリが信三郎を教室まで案内した時、彼から僅かに戦場の匂いがした。戦場の匂いとは洗い落とす事によって消える汚れの様なもので無く、二度と消える事の無い戦いを知る兵士の証である。彼女の父親もかつては戦場を駆け名をはせた騎士であった。その父親からも戦場の匂いがしたと言う。
「………」
「ミカド」
「はいっ」
ヘンリの一声でミカドは我に返った。
「それで君は、北兵衛に生徒たちから絡まれないようにしてほしい」
これが本題らしい。多くの西域人は容姿や文化の違いなどから東域人を蔑んでいる。それはリヴォルドア騎士団国やグレンヘルド騎士学校も例外でない。
東域人との混血児であるミカドも少なくない苦労をした。おそらく信三郎に絡んでくる連中は必ず現れるだろう。もしそうなれば戦いを知る玄人と戦いを知らない素人がどんな喧嘩をするだろうか。下手をすれば国際問題に発展しかねない。
「分かりました」
「頼むぞ」
そう言ってヘンリは歩いて行った。
「おいっ、ミカド」
今度はリルスがやってきた。先程の一件などなかったかのような顔をしている。
「どうした?」
「ヘンリ先生と何話してたんだ」
「別に、留学生に学校案内しとけって言われたんだよ」
「なぁ、アイツって何者だと思う?」
「アイツって留学生の事か?何者かってどういう事だ?」
留学生が教室に入って来た時、彼の小さな背丈のためミカドの席からではその顔だちはわからなかった。また、彼が東域の国の軍人であることはまだ知り渡って無いらしい。
「アイツの顔の見ても只者じゃない事ぐらいわかるぜ」
「…じゃあ、これから挨拶でもするか?」
と、ミカドが言うとリルスは少し態度を変えた。
「いや悪い、俺ちょっと先輩の所に行かないといけないんだ」
「そうか」
「悪いな。また後で」
そう言ってリルスも廊下を行き交う学生たちの中に消えて行った。
後に残ったミカドは大きく一呼吸してから自分の教室の中を覗いて見た。
次の授業までの時間にまだ余裕がある。室内では学生たちが賑やかにしていた。その中で、教室の一番奥の席に一人だけ身を丸くして勉強に励んでいる者がいた。彼が東域の留学生だ。
遠い国の異国人を相手にどのように接すればよいか分からず、誰もが距離を置いているようだ。ミカドを除いて。
通りの良い通路を選びながら奥に進んで行く。広い教室でもなく、人混みというわけでない。奥へは直ぐに着いてしまった。
目の前には東域の留学生がいる。彼は騎士学校発行の騎士道学戦術教本を真剣に読んでいて人の気配に気付いていないようだった。
「ちょっと、いいか?」
とにかくも、ミカドは留学生に声をかけてみた。すると、留学生は反応して顔を向ける。
「?」
彼は気の抜けたような左目でミカドの顔を見た。
なるほど、ヘンリやリルスが言うように留学生は生半可な只者でない印象を与える。
特に十代後半の少年の顔には相応しく無い右目の黒い眼帯と両頬の傷跡である。縫合と傷の枝分かれ部分の跡が痛々しく見えてしまう。
「俺はミカド・フェレルア。よろしく」
とりあえず自己紹介をすると、彼も笑みを浮かべて挨拶を返してきた。
「北兵衛信三郎デス」
ミカドは、信三郎と上手く付き合って行けそうだと直感した。