第一話 留学命令
『母上様、お元気ですか。この手紙が届いてる頃、私は夷竜洲国から西の遠い国であるリヴォルドアの国に慣れ親しんでる事しょう。私は生まれて初めて外国を目の当たりにして驚く事ばかりです。建物や人がやたらと高く、果ては子供の背丈も私と同等かそれ以上なのです。私はまるでおとぎ話の世界に迷い込んでしまったかのような気分が絶えません。何年かかるかわかりませんが、私が偉くなって帰ってくるまで皆元気でいてください。では、また』
日が緑の山々を照らし、鳥がさえずる山中の境内、社へ上がる石段に腰を下ろした社主が手紙を読んでいる。その横には頭に布を巻く老けた女性と二人の少女が社主の読む手紙の内容を聞いていた。
「あの大悪童だった信三郎が、一丁前に『母上様』などと書きよったからに」
と、手紙を読み終えた社主は、顎に伸びる長い白髭を片手でいじりながら苦笑した。
「ほんね、言う事の聞かなかった悪い子が今では御国の為に外国に行って勉強をしに行ってくるなんて。涙が出てきゃります」
手紙の内容を聞くなり、老けた女性は目から零れる涙を手拭で受け止めながら泣いた。
すると、二人の少女が尋ねて来た。
「かがさぁ、兄さはどうしとるん?」
「心配ない。お前達の兄さんはなぁ、夷竜洲よりも遠い国で偉くなるために猛勉強に励んでおるんじゃわ」
社主が二人の少女の母親に代わって、一番上の兄が何をしてるかを話してくれた。
夷竜洲国の多くの国民が文字の読み書きが出来ないのが現状である。
*****
この世界は、大まかに『東域』と『西域』と呼ばれる大きな二つの州に分けられる。
夷竜洲国は東域にある島国で、代々『竜帝』と呼ばれる君主が国の権威を司ってきた。
遥か昔、夷竜と呼ばれる悪しき竜が住み東域の国々を荒らしていった。これを東域の太古の王国が討伐軍を送り島の夷竜たちを討伐した。そして討伐軍を指揮した大将が島に残り、生き残った竜たちを統治する事になる。これが初代竜帝にして島の竜の名前が夷竜洲国の国名に由来する。
近年、世界が西域諸国を中心に技術革新が起こり世界各地に進出して勢力を広げて行く中、夷竜洲国は四百年間に渡る内戦の時代にあった。
四百年の昔、夷竜洲国と竜帝の千数百年の歴史の中で次代の竜帝の座をめぐり竜帝の一族が争い各諸勢力を巻き込み南朝と北朝に分かれて夷竜洲国の覇権を賭けて戦った『南北大乱』と呼ばれる内戦となる。
南北朝の攻防は武力による戦いは国内各地で繰り広げられ、南北の朝廷内部では謀略と裏切りが繰り返された。謀略が武力に勝る時があり、武力が謀略に勝る時がある。味方が敵となり、敵が味方となる。大局の見出せぬ闘争が百年以上も繰り広げられ勢力図が常に変わり続けた。
その間、南北の政治を司る朝廷は内政に重点を置き、海外との交易は地方に一任する程度の限定的な外交にとどまり、夷竜洲国の外交姿勢は四百年間も鎖国状態であった。
だが、海外での西域諸国の世界進出が夷竜洲国の歴史的な転換に多大な影響を及ぼす事となる。
その発端は夷竜洲国北朝から始まった。
時に、北朝は南朝の攻勢の前に敗退を重ねて国運は風前の灯火であった。北朝の朝廷内では、北朝が領有する大陸一端の未開拓地への北朝竜帝の行幸が検討されていた。
世界進出を進める西域諸国が北朝と接触したのは、その矢先であった。
西域は文明、技術、工業力など数多くの分野で東域を遥かに凌ぐ発展を遂げており、その軍事力の象徴たる兵器は夷竜洲国の両朝の軍が使用する武器を上回る優位性と高い殺傷力を持つ。
亡国寸前であった北朝軍は多くの西域製の兵器と軍編成を導入した事によって南朝との戦いの形成が変わり、夷竜洲国各地で反撃を行い激しい攻防を繰り広げていき、およそ二年で南朝を夷竜洲国の東端の『西大島』まで追い込み北朝が夷竜洲国の実権を得るに至る。
しかし、武力による争いは一旦の幕を引いても南北朝の対立は解消されたわけでは無い。北朝軍は十分な渡海を行うだけの海軍力がなく、南朝軍も反撃を行うだけの戦力がなく両朝及び軍は海を挟んでの膠着状態に陥ってただけだ。
夷竜洲国の実権を掌握した北朝の朝廷は、国内の九割を統治した事を受けて『統一政府』を樹立し、北朝による国の統治権を国内外に宣言した。
以後、西大島以外の北朝領域を『夷竜洲国北朝』と呼び、西大島を支配する南朝を『夷竜洲国南朝』と呼ぶ。
*****
南北大乱から半年が経った。
統一政府は今後の国家建設と南北統一の二大政策の方針を固めた。 圧倒的な技術力と国力を持って世界進出を進める西域諸国に対抗するため、夷竜洲国の古くからの制度や慣例を一新して西域の近代文化の導入が中心の政策である。
例えば、軍事一つとっても夷竜洲国では戦時に農民を臨時召集させて武器を持たせ、武家出身者の一部のみが馬に乗って指揮や戦闘を行う。対して西域諸国の軍隊は、平時から国民を兵役に就かせ適性によって歩兵、砲兵、騎兵などの兵科に平等に配属させている。また、火器の使用から製造にかけても一定の知識と学門、技術が必要となる。
西域諸国への留学制度は近代化政策の一環として実施された。政治、軍事、科学など様々な分野へと夷竜洲国から人材を西域諸国に派遣して近代知識を学ばせる。夷竜洲国へ帰国した暁には、統一政府が用意した主要官庁の要職の座が待っている事だろう。
まさに、西域諸国への留学は出世への登龍門と言えた。
北朝の夷竜洲国陸軍に属する北兵衛信三郎銃兵―歩兵に相当する―少尉は、北朝領の農家の三男坊で立身出世を求めて十四歳にして北朝軍に入り一兵卒として南北の戦いに身を投じた。
幾多の戦傷を負いつつ、南朝軍と北朝軍との幾多の激戦を戦い抜き軍功を重ね、夷竜洲国北朝の正式な国軍創設に伴い今までの功績が認められ、十六歳にして数少ない陸軍の青年将校として出世した。
南北大乱の後も、統一政府に離反して武力闘争を起こした地方勢力や北朝領内の南朝の残党などの賊軍討伐に明け暮れていた。
とある日の事、空は厚い雲に覆われて幾日が経つ。地面は雪の積もる白銀の景色だった。
「信三郎、んなは西域まで留学に行ってみねが?」
病室の床に横たわる信三郎の見舞いにやって来た彼の上官が早々に言い出した。信三郎は先日、地方の反乱討伐に出征して作戦行動中に敵兵が放った弓矢が腹部に突き刺さり負傷兵と共に医療所に担ぎ込まれて今に至る。
「留学!?」
耳を疑り、上官が言った事を自然と聞き返した。
西域へ留学する人材は相当な学力と地位が求められる。信三郎はそこそこの学力はある方だと自負していたが、地位が高いとは思わなかった。陸軍の銃兵少尉の階級は小さくは無いが高くもない。そもそも、農家出身の自分が高貴な家の出の者と肩を並べて留学など出来るとは思ってもみなかったのだ。
出世の登竜門である西域への留学したい願望は持っていたが無理な相談だと諦めていた。
「どうした、留学はいやか?」
「あ、いや。そりゃぁ願ってもない話しですども。そっても、おらのような百姓出の若造少尉がいきなり外国へ留学しろ言わったすかに、まさかタヌキにでも化かされてるんじゃねえがと」
「なにやれ。そいじゃあ、この命令書が木の葉に化けてるか、てめえの隻眼で見極めてみなせや」
と、軍服の懐から一枚の紙を取り出し、それを信三郎に手渡した。
紙には黒墨で書かれた細長く細かく並んだ文字と赤い朱印が押されただけの質素な命令書だ。
「えぇと、兵馬省人事所…」
兵馬省とは、西域の国体を模範した夷竜洲国北朝の軍隊の軍政を担う国家機関の一つである。
信三郎は始めの文だけを読み、後は目で追って文章を黙読した。彼は新兵としての初陣の折り、顔面を負傷して右目を失い眼帯で覆われている。他にも両頬に深く長い切り傷を負い、傷とその縫合後が今でもくっきりと両頬に残っていた。
「やいや、おったまげたうぇ。ま、間違いない。こ、こらぁ本物の西域への留学が書かれた命令書だわね」
事実が確信していくにつれ目が丸くなり、紙を持つ信三郎の腕が小刻みに震えだしてきた。
軍隊へ入り三年目になる。南朝軍との戦いを生き抜き功績を重ね、一兵卒の下級兵士から下級だが将校へと出世したが、まだまだ出世欲が衰える事が無く、更なる出世への登竜門が現れたことへの将来の期待と栄誉の感情が湧き出て来たのである。
「だすけ言ったろ」
「鎮守府将軍がね。おらを西域への留学をさせるようにしたんは?」
夷竜洲国北朝陸軍は『鎮守府』という名称を部隊の最大単位として使用し、北朝支配地の各地に配置されている。そして、鎮守府の長は鎮守府将軍と呼ばれる。
今、信三郎の見舞いに訪れている上官も鎮守府将軍の一人だ。
南北大乱の激戦の最中に、彼の配下に信三郎が入ってきた。それ以後、同郷の好もあることから戦いの中で面識を持ち合い、気まぐれな会話が弾んで将と兵の立場から作戦の甲乙の話し合い息が合い、信三郎の助言と知恵に救われる事があり、戦いの苦楽を共にしてきた間柄である。
信三郎は軍の高級将校との面識は少なくもあったが、自分の低い身分からでも留学を推し進めてくれる人物は目の前の鎮守府将軍ぐらいだろう。
「んなは頭を持ってる方だよ。留学する高い家の出のしょらよりは。それに、統一政府は士農工商の身分を無くす方針を打ち出し取るが、まだまだ高い家の出のしょらが優遇され続けてある。そいじゃ、おらだい百姓出はおもっしょねぇ。だすかに俺はんなを留学できるように手っ取り早く陛下に頭下げて来た訳だ」
「竜帝様にお願いしたんですがね!?」
「あぁ、陛下もお前の為ならと二つ返事だったぞ」
信三郎は腹部の傷から痛みが来るのを感じて、傷口をさすった。まさかの事、夷竜洲国で一番偉い竜帝が自分の為に留学の許可を下したのだ。
特例中の特例と言っても過言ではない。だが、そもそも信三郎と現在の夷竜洲国北朝の竜帝とは南北大乱中に面識を持ち合っていた。その経緯があって竜帝は信三郎を信頼していた。その結果が西域への留学の特例措置であった。
「ほんね、鎮守府将軍様や竜帝様には感謝せんばねえですわ」
「そいでだ、んなの行ってもらう西域の国はだな」
と、懐から折りたたまれた紙をもう一枚取り出し、病床の上に広げた。紙には大陸図が描かれており、端には『西域州之地図』と書かれてあった。
「こらぁ、西域の地図だがね?」
「そうだ。で、この『リヴォルドア』という国に行ってもらう」
鎮守府将軍が地図に指を指して示す所を見ると、『リヴォルドア』とは横にのびた西域大陸の中央の北にポツンと突き出る小さな半島全域を領有する国だった。その半島の根元部分に国境を示す線が引かれてあって、周りの国と比較しても小さな国だと伺えた。
「ちっちゃな国だうぇおい」
「だども周りの国と同じぐらい文化と技術は持ってある」
「おらの他に一緒に行く面子は?」
「軍の方からはんなだけだ。後は他の省から何人か来るだろうがそこは分からん」
「軍からは、おら一人?」
「向こうに公使館があるすけに、問題はない」
「そって、出発は?」
「向こうの軍学校の入学に合わすすかに、二月後だな」
「なら、腹は治るな。わかりました鎮守府将軍」
と、信三郎は改まって軍人らしい表情をした。
「北兵衛信三郎銃兵少尉、西域リヴォルドアへの留学の旨を承りました」
「うん。詳しい沙汰は後日伝える。それまでしっかり療養しやれ」
そう言って、上官の鎮守府将軍は病室を出て行った。部屋の戸を閉めて出て行くのを確認した信三郎は再び病床に横になり、天井を見つめながら自分の向かう国の名を呟いた。
「リヴォルドア、か」