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Side義人
「まさか、ここに来るとは……な」
ちゃんとした用事があって訪れたんだから大丈夫と自分に言い聞かせる。正門の隣に守衛さんがいる部屋があるので、俺は要件を伝えることにする。そうすると、あっけないほどに立ち入りを許可されてちいが大変だとこぼす坂道が見えた。坂道がある学校はS高だけではないのだが、足を進める毎に負荷がかかっていることが分かる。
確かに、今日のあいつの体調ではこの坂道は上りきることは出来なかっただろうと今は思う。広瀬先輩だって、あいつのことをこき使っているように周囲には見えているかもしれないけれども、実際はあいつを手元に置いて見守っているというのが正しいのだろう。そんな状態のあいつに理絵が簡単に手を出すことは出来ないだろう。でも三学期の事があった今では何らかの行動を起こすだろうと俺は思う。
「でも、あのおんなのことだしなあ……。まずは迎えに行ってやらないとな」
坂を上りきると君塚の町が一望できる。丘の上の学校なのだが、気分的には山の上の学校と表現したい。校舎に入っていないでも東京湾を臨めるのだから、後者には行ったらもっと遠くまで見えるに違いない。
とにかく職員室に入って迎えに来たことを告げないと。他校生である俺を見る視線はかなり目障りなものではあるけれども、気にする素振りを見せないで俺は校舎に足を踏み入れた。
正門の時もそうだったが、職員室でもあっさりとしたものだった。さすがに校舎の中までは入れないという事でなぜか俺は食堂でちいの担任からコーヒーでおもてなしを受けている。
「すみません。いきなり押しかけて」
「今回は保護者から聞いているから、君が気にすることはないよ。自販機のコーヒーで申し訳ないが、これを飲みながら佐倉が来るのを待ってくれないか。本人がいる場所が僕でも立ち入る訳にはいかないものだから」
ふうん。部外者を入れたくないという訳ではないのか。そうなるとあいつは生徒会室にでもいるのだろう。
「構いませんよ。いつもであれば駅前の本屋で待ち合わせて帰ったりしていますから」
「かなり本人と親しいんだね」
「そうでしょうか?中学までは同じ学校で親し、生まれてから一緒に過ごした時間が一番長い相手でしょうね。中学に入るまでは同じ町内に住んでいましたし」
ある意味では仲の悪い兄妹よりは仲がいいかもしれない。
「そうですか。学校では控えめですが、それはいつもの事ですか?」
あいつの学校生活に関して担任から聞かれる。
「中学の頃と変わりませんね。むしろ……目立つことを極度に嫌がりますよ」
「成程。それは彼女の生い立ちと関係が?」
「ゼロではないです。基本的にウサギみたいな奴です」
「ウサギ?」
「自分の居心地のいい巣穴から出ることもなく、危険を察したらすぐに身の安全を確保するような」
「そうなると、広瀬といるのは問題なのでは?」
「本当なら嫌でしょう。でもあの人の事に関しては既に諦めているのでしょう。言うだけきっと無駄だと思いますよ。今までの経験から悟っていると思いますよ」
「今までもそうだったってことかな」
「そういうことです。あの人はあいつを振り回しますが、トラブルメーカーではありません」
……というか、広瀬先輩のこの学校での立ち位置は一体どうなっているんだ?
「もうすぐここに佐倉が来るだろうから、ちゃんと家に届けてもらえるかい」
「はい、分かりました。コーヒーごちそうさまでした」
「僕は打合せがあるから、悪いけどこれで失礼するよ」
そう言うと担任の先生は去っていった。なんかつかみどころのないフワフワした感じの人だった」
「ただいま……朝はありがとう。それとごめんなさい」
「今日はそこまで。さあ、帰ろうか」
「うん。あのね、物理……聞いてもいい?」
「いいよ。保健室にいた時の分か?」
「そうなの。かなり進んだような気がしたから」
歩き始めたあいつはいつもと変わらないペースで歩いている。そこからもう大丈夫と分かって俺はホッとする。
さっきは大変だった坂を今度は下る。この坂……上りよりも下りの方が辛いぞ。こんな坂を毎日歩いていたら、ちょっとした体力位はつくだろう。運動部でこの坂をかけ上がったら相当足腰が鍛えられるだろうな。
「それにしても、この坂はきついな」
「……やっぱり……そう思う?」
「ああ。だって、毎日これを歩くんだろう?」
「今日の朝は歩いていないよ」
「細かい話は置いておいて。なあ、食堂から立派な野球場が見えたんだが」
「あれはね……姉妹校の二軍専用よ」
ちいの学校には運動部のほとんどが強豪校という姉妹校がある。逆にこいつのいる学校はどちらかといえば学力が優先だ。そんな中でテニス部とか強いけれどもテニスコートを見ることはなかった。
「それじゃあ野球部とかテニス部は?」
「それはね、中等部の校舎の下にあるのよ。この坂のように急な坂を上り下りしないとないの」
「はあ……。何をするにしても坂から逃げられないのか。大変だな」
「ま……ね。それに本当にないでしょ?アレ」
「屋上にもなさそうだな」
「そりゃそうよ。屋上は原則立ち入り禁止だもの」
S高は屋上の立ち入り禁止なの医あ。その話から互いの学校の設備とか授業とか、昼休みの放送とか……そんな他愛のないものを話した。
あいつの体調不調がきっかけで俺が知らなかった、高校生をしているあいつを知ることが出来て俺は嬉しかった。
その後、あいつの家の前で待っていた母さんが、あいつの夕食を用意していた。
「倫子ちゃん、暫くはおばちゃんが夕食を用意するから義人と一緒に夕ご飯を食べなさい」
「どうして?よっちゃんは家で食べたほうがいいんじゃないの?」
「一人でご飯だから億劫になってあまり食べないんじゃないの?だったら、義人とここで食べたら一人じゃないでしょ。逆に倫子ちゃんが家に来たら帰りが危ないわ」
確かに中学に入学するタイミングで両親は新しく家を建てた。前の家は道路の拡張工事で立ち退かなくてはならなかったからだ。
今までは歩いて五分だった距離が今では自転車で十分はかかってしまう。更に街灯がほとんどないのでちいを一人で帰すのはどうかと俺でも思う。
「そうかな?」
「俺は母さんの意見に賛成。しばらく、俺も一緒に飯を食うぞ。それとも俺と一緒に飯は嫌か?」
あいつが俺たちに心配をかけまいとしているのだろうと俺は思う。
「嫌じゃないけど……私、生徒会の日もあるし」
「そんな日は学校から俺の家に電話すればいいだろ?何時頃に家に着くか分かればいいよな?」
「そうね。前もって分かっていたら暖かいご飯をよういしてあげられるもの。義人、その後に倫子ちゃんと宿題を一緒にやって、終わったら頃に母さんと一緒に車で帰る?」
母さんは、最近自動車を運転している。自転車をこいつの家に置かせてもらえば問題はないが、朝はどうするつもりなんだ?
「宿題をやるのはいいかもな。でもさ、朝はどうするのさ?」
「朝ごはんの支度はあんたが家を出る時点で終わっているのだから、お父さんに任せればいいだけ。朝だって道は混んでいないから大丈夫よ」
ちいは断ろうとしているけれども、俺たちはそんなことを無視してどんどん決めていく。
「えっ?でも……そんなことまでして貰ったら」
「この位はさせて。おばさんはね、あなたがあんなことになっていたなんて知らなかったんだもの。もちろん悪いのはあの人たちだけど。今のあの人たちに倫子ちゃんを頼むことはできないわ。台所を見たって……ちょっと変よ」
確かに台所に冷蔵庫が二台あるのはかなりおかしいかもしれない。
「私もあの人にはそんな期待なんてしていないよ」
「それと、今回の件は弁護士さんから本家に連絡があると思うわよ。一緒に暮らす選択をしたのに、まるっきり倫子ちゃんのお世話をしていないんだもの」
「あの人……今までのようにお金が使えないからあまりこの家にいないようにしている気がします。一気に負担が増えたでしょう?」
「今までがおかしいのよ。お金だけしか関心がないって言っているようなものじゃない」
「割り切って高校を卒業するまでは同居するからいいよ」
「何かあったらすぐにいうのよ」
「はい、おばちゃん……お腹すいた」
「そうね、ご飯にしましょう。義人も手伝って」
その後、三人で夕食を食べた。食べ終わったときにあいつが誰かと食べると美味しいと呟いたことが俺の心に残るのだった。




