9
「じゃあ、今日は高専のはとこ君が迎えに来るのですね」
「ええ。仕方ない事でしょう。来るまでの佐倉はどうしますか?」
「今日は英語の補習はやらないと聞いているので広瀬にでも預けますか」
「愛美もいるので、その方がいいでしょう」
私がうとうとしていると宮野先生とえりか先生の声が聞こえる。なるほど。英語の補習は今日はなくて私のお迎え係はよっちゃんで学校まで来てくれるということ……らしい。あーあ、更によっちゃんに迷惑をかけちゃうな。それを本人に言うとまた怒られちゃうしな。
「先生……。こういう時は素直にありがとうと言った方が可愛いのかな」
「おっ、起きたのか。佐倉。佐倉にとってそれは難しいってことか。かなり顔色が良くなってはきたけど、まだベッドから出るのは禁止だな」
「でも、これ以上は寝ているのは辛いです。夜に眠れなくなります」
私はゆっくりと体を起こす。ベッドからは出られないけど起きていることはいいようだ。
「そうね。もうすぐお昼休みになるから今日はここで先生とランチしない?昼休みには今日のノートが届くみたいだしね」
「えっ、私そんなに寝ていたんですか」
「そうよ。勉強も大切だけど、ちゃんと睡眠を取りなさいね」
「はい。ってことは、私が寝ている間に誰か来たんですか?」
「ええ。佐藤さんと愛美が様子を見に来たわ。二人ともお昼はここで食べるって言ってたから。ノートは特別にコピーを取ってあげるわ」
「いいんですか?」
「その位は大したことじゃない。安心しなさい」
時計を見るともう三時間目が半分以上終わっている。そんなに寝ていないと思っていたのはどうやら私の見当違いだったみたいだ。
「先生、制服に着替えたいなあ」
「もう少ししたら着替えていいけど、急に体を動かすのは禁止よ」
「はーい。それならカバンの中のノート取ってもらってもいいかな」
「何をするの?」
「勉強するの。まだ着替えられないのなら勉強したい」
「まあ。勉強は嫌いじゃないのね」
「ほう。今時珍しいな。でも無理はしないでくれよ。先生は午後も授業がないから何かあったら職員室に来なさい」
宮野先生は私とえりか先生に告げてから保健室を後にした。
「先生、借りたジャージ洗ってからでいい?」
「そんなことをしなくてもいいわよ。学校には洗濯機があるからここで洗うわ。愛美達の他にもたくさんの子が様子を見に来たわよ」
「えっ。そうなんですか」
「斎藤さんから聞いたけど、加瀬君と同じ中学なんだって?」
「はい」
「彼女から聞いたわよ。中学でも倒れていたって。それって、これが原因なのかしら?」
先生は私のお腹のあたりをちょんと指差す。それが何を意味しているのかは私が一番よく分かっている。
「輸血を必要だったらしいのですが、輸血せずに手術をしたそうです。元から貧血がちだったのが更に悪化したみたいで」
「そう。周りの理解はあったのかしら?」
「ありませんでした。保健の先生と体育の先生位でしょうか」
「それは大変だったわね。それより喉が渇かない?先生と一緒にお茶してくれないかしら」
「いいんですか?」
「今日は特別。ゆっくりと動いていいから手伝って頂戴ね」
私とえりか先生は、お茶の準備をしてからゆっくりとお茶を楽しんだ。
「ちいちゃん、大丈夫?」
「大人しくしていたら多分大丈夫」
昼休みになってすぐにみちとまなちゃんが保健室に来てくれた。
「ちいちゃんって、貧血もちなの?」
「うん」
「だったら程々にね。皆凄くびっくりして大変だったんだから」
「本当にごめんね」
「まずはお昼にしようよ」
私たちはランチタイムに入ることにした。でもちょっとだけ……気になることがある。
「みちは皆といなくてもいいの?」
「私はクラス代表ね。じゃんけんで勝ち取ったんだもの」
「まなちゃん……図書委員のお仕事は?」
「別に一日位いなくてもいいのよ。そんなことは気にしないの」
「ねえ、それよりも。どうして英語の補習が今日はないの?」
私はふと気になったことを聞いてみることにした。本来だったらあるはずの英語の補習がないとさっき宮野先生から聞いていたから。
「それはね。補習課題のプリントの提出がちいちゃんと綾瀬君以外はできていないから……だって」
確かに補習課題の量は多いと思う。けれどもやれないという量でもなかったはずだ。
「それでね、ちいちゃんの英語の次の課題は後で綾瀬君が渡してくれると思うの」
「そうなんだ。二人は補習対象じゃないものね」
「そんなに課題プリントって難しいの?」
「三月のクラス分けテストより易しいと思うけれども」
プリントの問題は基本問題というよりはちょっと難しいけれども、決して難しいというものではない。私がそんなことを思っていると英語の松井先生が入ってきた。
「佐倉。今日の提出分は満点だ。今日の課題は二日後の提出でいいぞ。プリントは綾瀬に渡していあるから後で貰っておけよ」
「はい、分かりました」
先生から課題プリントを返してもらう。確かに大きな花丸がついている。久し振りに見て思わず笑みがこぼれてしまう。
「先生、このプリントって私たちは出来ないの?」
「私、英語苦手だからプリント貰ってやりたいな」
「構わないだろう。個人的にはお前達よりも今井にやらせたいところだが」
こないだ見た英語のノートから推察するに今井君はきっと大変だろう。今井君……どうするんだろう?
「いいんじゃない?昭仁にはいい薬になるわよ」
「私はノーコメント」
ノリノリなみちに対して、まなちゃんはだんまり。松井先生はニヤリと笑っている。
「分かった。今井だけだと残酷だろうから同じレベルの人間にやらせよう。なあ、俺は……生徒想いのいい先生だろう?」
「すごく分かりにくいと思いますよ」
「先生、程々にしておいたほうがいいよ」
「構わん。二人ともプリントが欲しいのなら今やるから取りに来い」
「それじゃ私が行くよ。二人分でいいんでしょ?」
「みち、私も行くよ」
「まなはここにいて。先生の悪だくみに私も参加させてよ」
「お主も悪よのう」
「お代官様もお人が悪い」
時代劇の悪代官と商人のやり取りを再現しながら松井先生とみちは保健室を出て行った。
「みちも……先生まで」
まなちゃんがちょっと呆れている。廊下から二人の高笑いが聞こえている。
「ノリノリだね。二人とも」
「うん。私たちは何も知らないってことにしよう。その方が今井君たちのためだわ」
これから彼らに何が起こるのかは……なんとなく分かるだけに同情したくもなった。
「みちの事だから、私達には今回の悪だくみの種明かしはすぐにしてくれないだろうし」
「まなちゃん、こういう事ってよくあるの?」
「たまにね。大抵は今井君に巻き込まれるみちの反撃の手段だからね。見ている方はおもしろいんだけど」
「それってトムとジェリーみたいな?」
「そうそう、そんな感じ。すぐに慣れるわよ」
「そうね、今井はみちを道連れにしすぎているからいい薬になるんじゃないかしら」
えりか先生までまなちゃんの意見に賛同している。今井君……相当日頃の行いが良くないってことなのかな。同情したらいけない気がしてきた……気がする。
「今回生贄になるメンバーも私達からしたら納得のメンバーだと思うのよね。さあ、先に食べていいと思うから食べましょ」
まなちゃんに促されて、私たちはお弁当を食べ始める。やがて松井先生の校内放送で今井君をはじめとする数人が呼び出されていた。私は心の中でそっと手を合わせるのだった。




