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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

『燃える病室の双子。姉は出口を探し、妹は「今日が最高の誕生日だね」と歌った』

作者: 月見酒
掲載日:2026/02/17

誕生日は、命を祝う日だそうです。

けれど、私たちにとっては「終わり」を祝う日でした。

熱い、熱い、最高のプレゼントの話をしましょう。


 十回目の誕生日は、鉄錆と消毒液、そして焦げたプラスチックの匂いで幕を開けた。

 深夜二時。窓のない隔離病棟の四畳半は、昼間よりもずっと重苦しい静寂に満ちているはずだった。けれど今、その静寂は、隣のベッドから漏れる「パチパチ」という、爆ぜるような不快な音に侵食されている。

「黒羽……っ、ねえ、黒羽! 起きて、煙よ! 誰か、誰か来てください!」

 お姉ちゃん――白羽が、枯れ木のように細り果てた腕を振り回して叫んでいる。

 つい数時間前まで、自撮り用のリングライトを浴びて「私、負けないから。みんなの応援が力になるの」とスマホの画面に向かって微笑んでいた、あの完璧なお姫様の面影はどこにもない。

 汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔。剥き出しの生存本能。

 私は、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。

 視界の端で、薄汚れた遮光カーテンが、赤い舌を出して天井を舐めている。

 ああ、綺麗だ。そう思った。

「お姉ちゃん、うるさいよ。せっかくの、私たちの時間なのに」

「何を言ってるの、死んじゃうわよ! 早く、ナースコールを……っ、ゲホッ、ゲホッ!」

 お姉ちゃんが必死に伸ばした指先は、ナースコールのボタンに届く前に、熱風に煽られて床に落ちた。私はそれを、他人事のようにぼんやりと眺める。

 これまでのお姉ちゃんは、いつだって「誰か」に愛されていた。

 病床で健気に生きる「消費されるアイドル」。お見舞いに来る着飾った大人たち。

 けれど今、この煙に巻かれた密室には、私とお姉ちゃんしかいない。お姉ちゃんを助けるための、便利な「誰か」は、もうどこにも来ない。

 寂しい、なんて、もう言わない。

 だって、こんなに熱くて、こんなに明るい夜は、人生で初めてだから。

 私たちの人生は、いつだって「白羽」という太陽を中心に回っていた。

 同じ顔、同じ声、同じ病を持って生まれたはずなのに。

 お姉ちゃんは、自分の「不憫さ」を売る才能があった。

 真っ白なレースの寝間着を着て、少しだけ潤んだ瞳でカメラを見つめる。それだけで、世界中から「可愛い」「守ってあげたい」という無責任な愛が、電子の波となって押し寄せる。

 対する私は、その舞台裏で蠢く「影」でしかなかった。

 白羽の配信が始まる一時間前。私の仕事は、彼女を「商品」に仕上げることだ。

 高熱で震える自分の指先に力を込め、白羽の顔を濡れタオルで丁寧に拭く。皮脂を落とし、粉をはたき、血色の悪い唇に薄く紅を差す。

 彼女が画面の中で「今日は少し体調が悪いけれど、みんなの顔が見たくて」と健気な嘘を吐くとき、私は画面に映らないベッドの足元にうずくまり、彼女の呼吸に合わせて点滴の速度を調整していた。

 

「黒羽、この果物、もういらない。甘すぎて気持ち悪いわ」

 白羽が、フォロワーから贈られた最高級のシャインマスカットを投げ出す。

 私はそれを、冷えた台所に運び、一人で口にする。お姉ちゃんが一度噛んで、吐き出した後のような、無惨な形の果実。

 それでも、私にとってはそれが唯一の栄養だった。

 お姉ちゃんの残り香。お姉ちゃんの拒絶の味。

 

「黒羽はいいわよね。外見を気にしなくていいんだから。私は……みんなの期待に応えなきゃいけないから、休む暇もないの。本当に、苦しいわ」

 お姉ちゃんは、よくそう言って私にため息を吐きかけた。

 その言葉に含まれる、純粋な加害性に彼女は気づかない。

 私が彼女の点滴を替え、彼女の吐瀉物を片付け、彼女の代わりに「汚れ役」を引き受けているからこそ、彼女の清潔な悲劇が成立しているという事実に、彼女は一度も目を向けなかった。

 お見舞いに来たお母さんも、「白羽ちゃんを支えてあげてね」とだけ言って、私の頭を撫でることはなかった。私の手は、白羽のシーツを洗いすぎたせいで、いつも洗剤の匂いがして、赤くひび割れていた。

「お姉ちゃん、暑い?」

「……え?」

 激しく咳き込みながら、床を這っていた白羽が動きを止めた。

 私はゆっくりと体を起こす。

 病状の重い私にとって、この動作一つですら肺が焼けるような激痛を伴う。けれど、胸の奥から湧き上がる「好き」という感情が、その痛みさえも甘くコーティングしてくれた。

「お姉ちゃんがいつも言ってたじゃない。『みんなの熱気がすごい』って。今、最高に熱いよ。画面の向こうの誰かじゃなくて、本物の、命が燃える熱さだよ」

 オレンジ色の光が、白羽の顔を醜く照らし出す。

 彼女は、私の瞳の中に宿る「何か」を見て、悲鳴を上げた。

「黒羽、あなた、まさか……あなたがこれを?」

「……寂しかったんだよ、ずっと」

 私は、自分の胸元に置かれていた、白羽のスマホを手に取った。

 まだ生きていた。画面には、何千、何万という視聴者のコメントが、濁流のように流れ続けている。

『白羽ちゃん、大丈夫!?』

『火事? 誰か助けて!』

『嘘でしょ、死なないで!』

 無機質な文字列。顔も見えない、触れることもできない「愛」。

 私はそのスマホを、燃え盛るシーツの中に、ゴミのように投げ捨てた。

「みんな、お姉ちゃんが死ぬところを見たいんだって。でも、ダメだよ。これは私へのプレゼントなんだから」

 一歩、また一歩と、炎の壁が私たちの距離を狭めてくる。

 お姉ちゃんは、もう叫ぶ気力も失ったのか、ただ震えながら私を見上げていた。

 不憫だ。

 誰からも助けてもらえず、自慢のフォロワーにも見捨てられ、たった一人、嫌いだったはずの妹と心中するしかないお姉ちゃん。

 その絶望しきった瞳が、今まで見たどんな彼女よりも「可愛い」と思った。


 病室の空気が、生き物のように膨れ上がった。

 窓ガラスが熱に耐えかねて、悲鳴のような音を立てて粉々に砕け散る。その隙間から、夜の冷気ではなく、猛り狂うような熱風が吹き込んできた。

「いやぁ……っ、あつい、あついよぉ……!」

 床に転がった白羽が、短い手足をもがき、小さな生き物のように震えている。

 ついさっきまで、ピンク色のフリルに囲まれて「みんなの、お姫様だよ」とスマホに向かって幼い声を振りまいていた姿は、もうどこにもない。

 煤で汚れた白い頬。涙でふやけた赤い目。

 白羽は、さっき私が投げ捨てた端末に、這いつくばったまま手を伸ばした。

 ひび割れた液晶の中で、誰かの『逃げて!』という無責任な文字がチカチカと点滅している。白羽はそれを、まるでお母さんの手を求めるように、必死に指先でなぞった。

「だれか、だれか助けて……! わたし、いい子にするから! まだ、しにたくない……っ!」

 その細い声が、私の胸を不快に、けれど心地よく突き刺す。

 いい子にするから。

 ああ、お姉ちゃんはやっぱり、最後まで「誰か」に愛されようとしているんだ。

「おねえちゃん。その顔、すごくいいよ。画面の中のときより、ずっと可愛い」

 私はベッドから滑り落ちるようにして、床に降りた。

 喉を通る空気は沸騰しているみたいで、吸い込むたびに肺がじりじりと焼ける。けれど、その痛みを感じるたびに、お姉ちゃんとの距離が縮まっていく気がした。

「はなして! こないで、くろはなんて、だいきらい!」

 伸ばした私の手を、白羽は汚い虫を払うみたいに跳ね除けた。

 その反動で、お姉ちゃんの小さな体が、燃えるカーテンのすぐ横まで転がっていく。

 

「……痛い? でも、おねえちゃん。ずっとずっと、私の方が痛かったんだよ」

 私は、お姉ちゃんの足首を力一杯掴んだ。

 白羽が短い悲鳴を上げる。

 お姉ちゃんが配信のために「食欲がないの」と残した、お砂糖たっぷりのイチゴ。それを冷たい台所で一人で食べていたとき。

 お姉ちゃんの綺麗な寝間着を、真っ赤な手でゴシゴシ洗っていたとき。

 そのたびに、私の心には小さな穴が空いて、そこから冷たい風が吹いていたんだよ。

「くろは、はなして! いたいよ、いたい!」

「おねえちゃん、今の顔、最高だよ。みんなに見せてあげたいね」

 扉の隙間から、真っ赤な炎の舌が躍り込んできた。

 バキバキと音を立てて、私たちの唯一の出口が、崩れ落ちた天井の瓦礫で完全に塞がれる。

 

「あああ……っ、いやぁ! あけて、だれか、あけてぇ……!」

 白羽の泣き声が、パチパチと爆ぜる火の音に掻き消されていく。

 彼女は、自分がもう二度と「お姫様」に戻れないことを、その小さな体で悟ったようだった。

 

 出口を塞いだ炎は、まるで私たちのために用意された、真っ赤なカーテンだ。

 大人も、フォロワーも、お母さんもいない。

 この煙たい四畳半の牢獄は、今、世界で一番贅沢な「おままごとの箱」へと変わる。

 私は、ガタガタと震えながら蹲る白羽の元へ、ゆっくりと這い寄った。

 熱風に煽られて、彼女の柔らかな髪が、私の指にまとわりつく。

「おねえちゃん、大丈夫だよ。もう、どこにも行かなくていいんだよ」

 崩れ落ちる棚。降り注ぐ火の粉。

 白羽の瞳から、わがままな光が消えていく。

 彼女の中にあった「消費されるお人形」が死に、ただの、救いようのない、不憫な女の子だけがそこに残された。

     *

 天井の隅が大きな音を立てて崩れ落ち、そこから真っ赤な火の粉が雪のように降り注いだ。

 お姉ちゃん――白羽は、もう立ち上がる力さえ残っていないのか、煤けた床の上で小さく丸まっている。

「……ぁ、あ、……ぅ」

 お姉ちゃんの小さな喉が、ヒューヒューと笛のような音を鳴らしている。

 ついさっきまで私を突き飛ばし、「大嫌い」と叫んでいた勇気は、熱い煙に全部持っていかれてしまったみたいだ。

 

 床にうずくまるお姉ちゃんの姿は、雨に濡れた子猫みたいに頼りない。

 真っ白なレースの寝間着は煤で汚れ、裾の方は熱で茶色く縮れている。お人形みたいに綺麗だった顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

 

 大人はみんな、白羽のことだけを「天使」って呼んで、頭を撫でた。

 私はその横で、お姉ちゃんが脱ぎ散らかした汚い靴を揃えるだけの「影」だった。

 でも、見て。天使の羽なんて、火に炙られれば、こんなに簡単に焦げて落ちちゃうんだ。

「おねえちゃん、こっちにおいで。こわくないよ」

 私は、自分のベッドの下から、大事に隠していたものを取り出した。

 それは、お姉ちゃんが「もう古くて可愛くない」ってゴミ箱に捨てた、片目の取れたうさぎのぬいぐるみ。

「ほら、これ。 ずっと、返してあげたかったの」

 私は膝をついて、お姉ちゃんの小さな背中に触れた。

 ひっ、と短い悲鳴を上げて白羽が跳ねる。でも、逃げる場所なんて、もうどこにもない。

 私は、拒絶する彼女を、逃がさないように力いっぱい抱き寄せた。

 

 熱い。

 お姉ちゃんの小さな体が、炎の熱よりもずっと、私の肌を強く刺す。

 

「……いや、いやぁ……くろは、……いたい、いたいよぉ……」

 白羽が、私の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。

 その声は、私を「背景」みたいに扱っていた女王様のものじゃなくて、ただの、心細くてたまらない十歳の女の子の声だった。

 

 お姉ちゃんが、私を頼っている。

 お姉ちゃんが、私がいなきゃ、息をすることさえできなくなっている。

 

 ゾクゾクとするような、冷たい熱が背筋を駆け抜けた。

 これまで、お姉ちゃんを愛していた何万ものフォロワーは、今の彼女を助けてはくれない。

 彼女を抱きしめてあげられるのは、この世でたった一人。

 ずっとお姉ちゃんの影に隠れて、汚れたものを全部片付けていた、私だけなんだ。

「痛いね。 でも、大丈夫だよ。私が、お姉ちゃんの痛いのも、怖いのも、全部もらってあげる」

 私は白羽の耳元で、内緒話をするみたいに優しく囁いた。

 

 メキメキと音がして、壁の飾りが焼け落ちた。

 床に散らばったお姉ちゃんの「宝物」たちが、次々と火の中に消えていく。

 

 みんな、なくなっていく。みんな、いらなくなる。

 最後に残るのは、このお揃いの汚れた病衣を着た、無力な私たち二人だけ。

 

「おねえちゃん、見て。綺麗だよ。 私たち、生まれてきたときも、きっとこんなに熱くて、真っ赤な世界にいたんだよ」

 私は、お姉ちゃんの震える小さな指を一本ずつ絡め取り、恋人みたいに指を組んだ。

 

 白羽はもう、抵抗する気力も残っていないのか、私の腕の中で震えながら縮こまっている。

 その絶望しきった、不憫な横顔。

 自分を愛してくれる「大きな世界」が消えて、大嫌いだったはずの「私」に縋り付くしかない。その姿が、今まで見てきたどんな白羽よりも「可愛い」と思った。

「大好きだよ、おねえちゃん。ずっと、ずっと、こうしていたかったの」

 降り注ぐ火の粉が、私たちの髪に止まって、小さくチリリと音を立てた。

 お姉ちゃんの甘い石鹸の匂いが、肉の焼けるような、嫌な匂いに変わっていく。

 その変化の一秒一秒が、愛おしくて、たまらなかった。


 ついに、炎が私たちのベッドの脚を噛み砕き始めた。

 視界のすべてが真っ赤に塗り潰され、吸い込む空気は肺の形に沿って熱した鉛を流し込まれたような感覚を強いてくる。

「……あ、あ、っ……」

 お姉ちゃんの小さな喉が、もう悲鳴を上げることさえ拒絶している。

 私の胸に顔を埋める彼女の体は、限界を超えた熱に浮かされ、まるでお湯に浸したみたいにぐったりとしていた。

 ふと、お姉ちゃんの腕に、火の粉が大きく着弾した。

 ジ、という生々しい音。

 真っ白で、世界中から「綺麗だね」と褒めそやされていた彼女の肌が、一瞬で赤黒く膨れ上がり、醜く裂ける。

「……ひ、ぃ、……あああ!」

 白羽の体が、魚みたいに跳ねた。

 

 その激痛の波の中で、私の脳裏に、いくつもの「あの日」が溢れ出した。

 

 まだ病気が重くなる前。公園で二人で遊んでいたとき。

 お揃いのリボンを付けていたはずなのに、お母さんは白羽の歪んだリボンだけを直して、「白羽は本当にお姫様みたいね」と笑った。私のリボンは、解けて地面に落ちていたのに。

 

 初めて入院した夜。

 隣のベッドで泣く白羽の元へ、看護師さんたちが飛んでいった。私は一人、暗い部屋で、自分の心臓が刻む音だけを数えていた。誰も、私の名前を呼んでくれなかった。

 

 お姉ちゃんの七歳の誕生日。

 ケーキの上の苺は、全部白羽のお皿に乗せられた。「黒羽は、白羽の残りでも喜ぶわよね」という親戚の声。

 

 それから、それから――。

 

 記憶の中の私は、いつも白羽の「影」だった。

 白羽が輝くための、ただの背景。

 けれど今、この燃え盛る死の淵で、初めて私が主役になった。

 

 お姉ちゃんを独占しているのは、私だ。

 お姉ちゃんの最期の声を聴いているのは、私だ。

 お姉ちゃんの綺麗な肌が、私の目の前で、私と同じように汚れていく。

 

 ああ。なんて、なんて幸せなんだろう。

 

「痛いね、おねえちゃん。でもね、これが『生きてる』ってことなんだよ」

 私の掌の中でも、彼女の肌がじりじりと焼ける振動が伝わってくる。

 熱い。痛い。

 でも、嬉しい。

 だって、今の白羽の「痛み」を知っているのは、世界中で私だけだから。

「ねえ、おねえちゃん。今日は、私たちの誕生日だよ」

 私は、震えが止まらない彼女の耳を、壊れ物を扱うように甘く噛んだ。

 もう、お姉ちゃんの瞳には私の姿さえ映っていないのかもしれない。焦点の合わない大きな瞳が、ただ虚空を彷徨っている。

 その、光を失った瞳。

 自分ではもう何も選べず、ただ私という支配者に身を委ねるしかない、無力な肉の塊。

「うた、うたってあげるね」

 私は、煤で掠れた声で、ゆっくりと歌い始めた。

「ハッピーバースデー、トゥーユー……」

 火柱が上がる。天井が崩れる。

 お姉ちゃんの髪に火が燃え移り、その甘い毛先がパチパチと縮れていく。

 美しかったお姫様の冠が、炎の王冠へと変わっていく。

「ハッピーバースデー、トゥーユー……」

 私は彼女の熱い唇に、自分の唇を重ねた。

 それはキスなんて綺麗なものじゃない。熱と煙を分かち合い、死という結末を無理やり共有するための、契約の儀式。

 お姉ちゃんの手が、弱々しく私の背中を掻いた。

 助けてほしいのか。殺してほしいのか。

 どちらでもいい。

 あなたが私に触れている。あなたが私を感じている。

 それだけで、私の十年間は報われてしまう。

「ハッピーバースデー、ディア……おねえちゃん」

 熱い。意識が遠のく。

 視界の隅で、お姉ちゃんの白い肌がどんどん焼けて、ただの「赤い不憫な塊」になっていく。

 あんなに大事にしていた「可愛い自分」が、こんなに無惨に壊れていく。

 でもね、おねえちゃん。

 壊れちゃったおねえちゃんは、今、世界で一番、私だけのものだよ。

「ハッピーバースデー……トゥー、ゆぅ……」

 歌い終わると同時に、私たちは真っ赤な闇の中に、溶けるように崩れ落ちた。


 鎮火した病棟は、しん、と静まり返っていた。

 かつて命の喧騒があった場所は、今や黒く焦げたコンクリートと、鼻を突く異臭が漂うむくろに変わり果てている。

 瓦礫の山を掻き分けた救助隊員は、その場所で動きを止めた。

 

 四畳半の病室。その中央、完全に炭化したベッドの残骸の上に、一つの「塊」があった。

 二人の少女が、まるでもともと一つの生き物であったかのように、固く、固く抱き合って重なっていたのだ。

 一人の少女は、もう一人の少女を背後から包み込むように抱きしめ、その腕は炭化してもなお、解けることを拒むように食い込んでいた。


 三日後。

 世界は、この凄惨な心中劇を「悲劇」として熱狂的に消費し始めた。

 ネット上には、白羽が最期まで配信を続けていた(ことになっていた)端末の、壊れかけのデータがアップロードされた。

 画面は真っ暗で、ただ炎の轟音と、ひび割れた声で歌われる『ハッピーバースデー』だけが記録されていた。

『最期まで妹を抱きしめて歌っていたなんて』

『白羽ちゃんは、本当に天使だったんだね』

『可哀想。でも、なんて美しくて、尊い死なんだろう』

 人々は、自分たちの想像の中で「理想の白羽」を作り上げ、その死を美談として塗り固めていく。白羽を消費していた大人たちは、今度は彼女の「死」という果実を、涙を流しながら貪り食っている。

 けれど、その「聖域」が保たれたのは、わずか一週間だった。

 焼け跡から回収された、あのみすぼらしい「うさぎのぬいぐるみ」。

 遺品整理の過程で、その綿の中から、一端が熱で歪んだ一枚のメモリーカードが見つかった。

 そこに記録されていたのは、白羽が「自分専用の記録」として保存していた、配信外の動画群だった。

『……ねえ、まだ生きてるの? 黒羽。あんたのその汚い顔、カメラに映らないようにしてって言ったでしょ』

『今日のマスカット、フォロワーの誰だか知らないおじさんが送ってきたやつ。適当に美味しいって言っておけば、また次が届くわ。チョロいもんよね』

『早く死んじゃえばいいのに。黒羽が死んだら、私もっと「悲劇のヒロイン」として売れると思わない?』

 画面の中で、天使の微笑みを消した十歳の少女が、実の妹をゴミのように扱い、自分を愛する人々を嘲笑っていた。

 その映像が流出した瞬間、世界は一変した。

 

「騙された」という怒りが、野火のように広がった。

 つい昨日まで「聖女」と崇めていた人々は、手のひらを返して「稀代の嘘つき」「死んで当然の悪魔」と彼女を罵倒した。

 白羽のSNSは罵詈雑言で埋め尽くされ、病院の前には供えられた花束の代わりに、彼女を糾弾する貼り紙が散乱した。

 

 誰も気づかない。

 その「怒り」こそが、黒羽の計算通りであることを。

 

 美しく綺麗なまま、誰かの記憶の中で消費され続けるお姉ちゃんなんて、いらない。

 世界中の人から石を投げられ、呪われ、蔑まれる。

 そうなって初めて、お姉ちゃんは、誰の手も届かない「地獄の底」で、私だけのものになれる。

 映像の最後には、真っ暗な画面の中で、黒羽の囁きだけが残されていた。

 それはカードを隠す直前、火が回る寸前の、震えるほど幸せそうな声。

『……ねえ、おねえちゃん。うれしいね。これで、もう誰も、おねえちゃんを愛さないよ』

 灰色の世界。

 もう、白羽に「いいね」を押す人はいない。

 お姉ちゃんのわがままを聞く大人もいない。

 お姉ちゃんの綺麗な肌を撮るカメラも、もう、どこにもない。

 

 あるのは、一つの骨壷の中に混ざり合った、区別のつかない灰だけ。

 

 お姉ちゃんを愛した世界を、お姉ちゃんごと焼き尽くして。

 最後に、私とお姉ちゃんだけが、誰にも邪魔されない「一つ」の形になった。

 

 これ以上に「可愛い」結末なんて、どこにもないよね。

 ――隔離病棟火災、生存者なし。

 焼け跡からは、死後もなお離れようとしなかった双子の、ひどく不憫で、ひどく幸福そうな「祈り」の形だけが遺されていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

誕生日は、自分たちがこの世界に「二人きり」で産み落とされたことを確認する日。

だから黒羽にとって、この結末は決して悲劇ではなく、十年間待ち望んだ「最高のパーティー」だったのかもしれません。

誰からも愛される白羽と、誰からも見られない黒羽。

十歳という幼い双子にとって、「世界」はあまりに広すぎて、残酷な場所でした。

黒羽が最後にメモリーカードを遺したのは、お姉ちゃんを貶めるためではなく、自分たちを閉じ込める「箱庭」の鍵を閉めるための、最後の手続きだったのだと思います。

灰の中でひとつに溶け、彼女たちが遺した「祈りの形」は、皆様の目にはどう映ったでしょうか。

白羽が愛した虚像と、黒羽が愛した実像。

どちらがより「幸福」であったのか、私にはまだ、答えが出せそうにありません。

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