第五話 会社になった瞬間から、空気が変わった
社長になったからって、
人間が急に変われるわけじゃない。
……分かってる。
分かってるけど、
変わらなきゃいけないのも事実だ。
昨日までみたいに、
曖昧に笑って、
空気で誤魔化してたら――
たぶん、真っ先に潰される。
だから少しだけ、無理をすることにした。
言葉を強く。
態度を固く。
結果どうなったかって?
……頭が回らなくなった。
最悪だ。
目を覚ました瞬間、
まず思ったのはそれだった。
「……頭、重」
隣を見ると、リーゼがいる。
腕を組んだまま寝ている。
寝相が完全に戦闘態勢だ。
(こいつの根っからの戦闘意識だけ尊敬してあげたい)
そっと距離を取る。
ミリアはすでに起きていて、
地面に何かを書いていた。
数字。
線。
……嫌な予感しかしない。
「おはよう」
「おはようございます」
言った直後、
自分の声が思ったより固くて、内心でうわっとなる。
(いや、今の言い方なんだ)
ミリアが顔を上げる。
「緊張してる?」
「……してますね」
「分かりやすいわ」
ガルドが無言で木の器を差し出してきた。
「飲め」
「何ですか」
「昨日の代償」
「そんな言い方ある?」
一口飲む。
「……スゴクマズイデス」
「効く」
「それが一番信用ならないですよ」
各々準備を終え外に出た瞬間、
嫌な予感は現実になった。
監督がいる。
しかも、やたら姿勢がいい。
(あー……なんか張り切ってるわ)
「ISEKAIカンパニー」
この世界では会社の事カンパニーって呼んでくるんだよな。
緊張で胃がきゅっと縮む。
なんでだろう。
名前を呼ばれただけなのに、
責任まで一緒に来る感じがする。
「……はい」
「来い」
短い。
余計な説明なし。
通りすぎた後、リーゼが小さく鼻を鳴らす。
「早いな」
「会社は、出来た瞬間から使われるものよ」
ミリアの声が淡々としている。
(呑気でいいよなこいつら)
連れて行かれたのは、
危険区域の入口だった。
今までこんな命の危険がある現調はあるのであろうか。てかそもそも現調なのかどうかも怪しいけど。
ただ見た瞬間、分かる。
昨日より、確実に条件が悪い。
壁は薄い。
支柱は少ない。
空気が、重い。
「……ここ、前より嫌な感じしません?」
「するな」
リーゼが即答した。
「音が違う」
「どんな?」
「崩れる前の音」
「それ、
もうアウトじゃない?」
ガルドが壁を叩く。
「……持たん」
「どれくらい?」
「運が悪ければ、今」
笑えない。
ミリアが地面を見ながら言う。
「地図、更新されてないわね」
「よし、ここの担当しているあいつぶっとばしましょう」
「そんな度胸あるならまず生きて帰る事よね」
まぁ確かにそうなんだけどさ。
ちょっとは上から言ってみたいじゃん。
あの現場監督使えねぇわとかってさ。
「ここを任せる」
ニコニコと不自然に笑う監督が言った。
……あ、来た。
「判断は任せる」
空気が、止まる。
自由。
責任。
一番嫌な組み合わせだ。
(待て待て待て)
俺は一瞬、何も言えなかった。
視線が集まる。
……あれ?
俺、
いつの間に真ん中に立ってる?
昨日まで、
ただの“よく喋る奴隷”だったはずだ。
なのに今、
全員が俺を見てる。
(冗談だろ……)
リーゼが前に出る。
「奥は危ない」
ミリアが続く。
「撤退基準、
今のままだと曖昧」
ガルドは、
俺を見ることもなく壁を叩いている。
「……ここ、
好きに掘ると死ぬ」
誰も、
俺の指示を待っていない。
勝手に動いてる。
なのに――
全部、同じ方向を向いている。
(……ああ)
胸の奥で、
嫌な納得が落ちた。
これ、
もう“寄せ集め”じゃない。
逃げ場、
無くなってる。
「……ちょっと待って」
自分の声が、
思ったより低くて驚いた。
リーゼが振り返る。
「何だ」
「前、見るだけでいい」
「命令か?」
「……事故防止」
一瞬、間があって。
「死にたくなきゃ、聞いて」
言ってから、内心で頭を抱えた。
(言い方、最悪だな俺)
リーゼは舌打ちして前に出る。
「後で文句言う」
「受け付けます」
ミリアは、
もう地面に線を引いている。
「ここが撤退線」
「早いな」
「考える時間、
さっき終わった」
ガルドが低く言う。
「……支柱、
一本足す」
「今から?」
「今から」
俺は息を吐いた。
――最悪だ。
でも。
逃げなかった。
それだけで、
今日は及第点だと思うことにした。
俺は監督を見る。
「奥は、
今日はやりません」
「理由は?」
「生きて帰りたいんで」
短く言った。
言い訳はしない。
監督は、
じっと俺を見ていた。
値踏みする目。
……胃が痛い。
「……いいだろう」
そう言われた瞬間、
肩の力が抜けた。
「今日は任せる」
「ありがとうございます」
リーゼが小さく言う。
「通ったな」
「通りましたね……」
(俺の胃、
いつまで持つかな)
作業は、
“やらないこと”を決めるところから始まった。
危険な場所には入らない。
取れるところだけ取る。
効率は落ちる。
でも。
「……事故、ゼロだな」
監督の声が聞こえた。
ミリアが小さく息を吐く。
「最低限は守れたわね」
ガルドが頷く。
「……悪くない」
リーゼが腕を組む。
「次は、
もう少しマシに指示しろ」
「努力します……」
自虐が、自然に漏れた。
でも――
誰も笑わなかった。
それが、
一番重い。
監督が去ったあとも、
現場の空気は妙に張りつめたままだった。
理由は分かっている。
俺たちが、
判断した側に回ったからだ。
「……視線、増えてない?」
小声で言うと、ミリアが頷いた。
「増えてるわね。
しかも、好意的じゃない」
「だよなぁ……」
リーゼが、ちらりと周囲を見る。
「他の班だ」
鉱山の入り口付近。
何人かが、作業の手を止めてこちらを見ていた。
あからさまじゃない。
でも、隠す気もない。
(あー……)
胃の奥が、嫌な音を立てる。
これ、
「頑張ってる奴が嫌われるやつ」だ。
しかも最悪なのは、
俺が頑張りたくてやってるわけじゃないところ。
それも奴隷から一般の身分になり、ましてや会社を立 ち上げだとなると…まぁいい顔するやつはここにはいないな。
生きたいだけなんだが。
「気にするな」
リーゼが低く言う。
「慣れる」
「それ、
慣れちゃダメなやつじゃない?」
「慣れないと死ぬ」
「そっちは慣れたくないな……」
作業を再開する。
といっても、
やることは地味だ。
危険そうな区画は避ける。
取れる場所だけ、丁寧に。
派手さはない。
成果も、目に見えて大きくはならない。
……でも。
「おい」
声をかけてきたのは、
隣の班の男だった。
体格がよく、
古い傷が多い。
見覚えがある。
(あー……前に一回、
口論しかけた人だ)
「何でしょう」
なるべく普通に答える。
「さっきの判断」
「はい」
「勝手に決めすぎだ」
来た。
ミリアが一歩前に出かけたが、
俺は小さく手で制した。
「どの辺がですか?」
「奥を捨てた件だ」
「捨てたわけじゃないです」
「同じだ」
男は吐き捨てるように言った。
「俺たちは、
あそこを掘る予定だった」
(予定、ね……)
口を開きかけて、
一瞬、迷う。
ここで正論を言えば、
たぶん火に油だ。
でも、黙っても終わらない。
「……すみません」
自分でも驚くくらい、
素直に言葉が出た。
男が眉をひそめる。
「何だ」
「予定を潰したのは事実です」
「だったら――」
「でも」
続けた。
「今日は、
誰も死なせたくなかった」
一瞬、
男の言葉が止まる。
「……きれいごとだ」
「そうですね」
否定しない。
「でも、
死なれるよりマシだと思ってます」
沈黙。
周囲の視線が、
さらに集まるのが分かった。
(あー……
これ、
余計目立ってるな)
「……お前」
男が言う。
「偉くなったな」
「なってません」
即答した。
「なってたら、
こんな場所いません」
リーゼが、
鼻で笑った。
「確かに」
ミリアが、
淡々と追撃する。
「権限も給料もないわ」
「ただの責任者だ」
「それ一番割に合わないやつ!」
思わず声が出た。
周囲が、
ほんの少しだけざわつく。
男は、舌打ちして離れていった。
「……面倒だな」
リーゼが言う。
「ですね……」
自虐が、自然に漏れる。
「会社って、
友達増えないんだな」
「敵が増える方が早いわね」
ミリアの声が冷静すぎて、
逆に救われた。
しばらくして、
別の視線に気付いた。
今度は、
上からだ。
管理棟の方。
誰かが、
こちらを見ている。
(……あ)
昨日、
俺たちを呼び出した商人だ。
目が合った、気がする。
いや、
確実に合った。
そして――
微妙に、笑った。
(最悪だ)
胃が、
きりっと痛む。
「見られてるわね」
ミリアが言う。
「だな……」
リーゼが、
前を向いたまま言う。
「嫌な視線だ」
ガルドが低く呟く。
「……値踏みだ」
俺は、
小さく息を吐いた。
(なぁ……)
(会社作っただけだぞ?)
(なんで、
こんな注目されてんだよ)
前編で感じた違和感が、
ここで、はっきり形になる。
守れる範囲は増えた。
でも同時に――
逃げ場が減った。
それを自覚した瞬間。
「レン」
ミリアが、
いつもより低い声で言った。
「次、
何か来るわ」
「……だよな」
遠くで、
監督が誰かと話している。
視線が、
一度こちらに向いた。
俺は、
無意識に背筋を伸ばしていた。
変わろうとしてる。
まだ全然、
うまくはいってないけど。
それでも。
このままじゃ、
終わらない。
そんな予感だけが、
はっきりと胸に残る。
嫌な予感って、
当たる時はやたら丁寧に当たる。
中途半端じゃない。
逃げ場を一つずつ潰してくる。
その日も、まさにそんな感じだった。
「ISEKAI Co., Ltd.」
名前を呼ばれた瞬間、
反射的に背筋が伸びた。
条件反射だ。
自分でも笑えない。
呼んだのは監督じゃない。
管理棟の前。
あの商人が立っていた。
相変わらず、
派手でも威圧的でもない。
なのに、
視線だけがやけに鋭い。
「少し時間をもらえるかな」
断れる空気じゃない。
「……はい」
返事をした自分の声が、
思ったより落ち着いていて、
逆に怖くなった。
部屋に入ると、
紙と記録が机に並んでいた。
俺たちの名前。
作業量。
判断履歴。
……全部。
(やっぱり見られてたな)
「君たちの動きは、
とても分かりやすい」
商人が言う。
「判断が早い。
無駄が少ない。
事故が出ない」
褒めてるはずなのに、
胃が痛い。
「それで」
続けて、
さらっと言った。
「仕事を一つ、
任せたい」
来た。
「……どんな内容ですか」
「簡単だよ」
商人は、
机の上の紙を一枚差し出した。
「他の班が掘り進めて、
止まっている区画がある」
地図を見る。
……嫌な位置だ。
狭い。
深い。
しかも、補強が甘い。
「君たちなら、
“事故なく”処理できる」
言葉の端が、
引っかかった。
「……事故なく、ですか」
「そう」
「つまり」
ミリアが、
静かに口を挟む。
「失敗したら、
“私たちの責任”になる」
「理解が早いね」
商人は笑った。
リーゼが、
腕を組む。
「他の班が止めた場所だろ」
「止めたというより、
“判断できなかった”」
「で、
それを俺たちに?」
「そう」
ガルドが低く言う。
「……都合がいい」
「とても」
商人は否定しなかった。
部屋を出たあと、
誰もすぐに喋らなかった。
空気が、重い。
「……どうする?」
最初に口を開いたのは、
ミリアだった。
俺は即答できなかった。
逃げたい。
正直に言えば。
でも、
断ったらどうなる?
(たぶん、
次は“もっと危ない班”が行く)
(事故が起きる)
(……それを、
見て見ぬふりできるか?)
リーゼが言う。
「やるなら、
条件を出せ」
「条件?」
「補強。
人員。
撤退権」
ガルドが頷く。
「……道具も」
ミリアが、
俺を見る。
「レン」
「……うん」
全員の視線が集まる。
まただ。
また、
真ん中に立ってる。
(勘弁してくれよ)
(俺、
判断するの向いてないって)
でも。
ここで逃げたら、
会社を作った意味が消える。
「……やる」
声が、
思ったよりはっきり出た。
「ただし」
一拍置く。
「条件、全部出します」
リーゼが、
口の端を上げた。
「いい顔だ」
「全然嬉しくない」
「嘘つけ」
ミリアが、
小さく息を吐いた。
「じゃあ、
交渉ね」
再び商人の前に立つ。
「条件があります」
俺は言った。
「補強材の追加」
「いい」
「撤退判断は、
こちらに一任」
「構わない」
「人員の追加」
「……そこは要相談だ」
一瞬、
胸の奥がざわつく。
でも、
ここで引かない。
「人が足りないなら、
やりません」
言ってから、
内心で思った。
(あ、今の
ちょっと強気すぎたな)
商人は、
少しだけ考えてから頷いた。
「分かった」
「ありがとうございます」
交渉は成立した。
成立した、
はずだ。
なのに――
胸の奥の重さは、消えない。
現場に戻る途中。
「……なぁ」
リーゼが言う。
「怖いか」
「めちゃくちゃ」
「正直でいい」
ガルドが言う。
「……判断、
間違ってない」
ミリアが続ける。
「少なくとも、
私たちは納得してる」
俺は、
少しだけ笑った。
「ありがとう」
自虐が、
自然に浮かぶ。
「社長って、
胃薬必須なんだな」
「これからもっとだ」
「やめて」
笑い声が、
小さく漏れた。
でも。
その奥に、
確かな緊張が残っている。
会社になった。
判断する側になった。
それは――
守れる範囲が増えた代わりに、
怒る権利も背負ったということだ。
まだ、
本気では怒っていない。
けど。
その一線が、
どこにあるかだけは、
もう分かってしまった。
そして多分――
そう遠くない。




