冥の街で息をする
窓も閉まっているのに風が吹き抜ける。
流れる空気が生きているかのように纏っていく。
降り注ぐ光の粒。
花畑のような陽だまりと優しい香りに包まれて、
振り返ったあいつの瞳も淡く金色に光っているー。
*
*
*
ゼルディウス「………。」
低くて、ところどころ石壁がむき出しになった薄暗い天井。湿気、蜘蛛の巣。
ゼルディウス「…夢かよ。」
誰に向けるでもなく、勝手に声が漏れた。
端切れみたいなブランケットを蹴飛ばして、のっそりと起き上がる。…嫌な夢だ。身体が怠い。
木箱を積み上げただけのベッドもどきの上で、
柄にもなく、しばらく頭を抱えてしまった。
…それもこれも、先日リィナの〝修行〟とやらに足を運んだせいだ。
〝神〟に選ばれ、〝神〟をその身に宿すだかの為に
田舎から出てきたあいつは、日々王都中心の
大聖堂で祈りを捧げているらしいが。
ゼルディウス「…寄ってきてんのは虫ばっかじゃねぇかよ…。」
やたらと近い神官。
付き纏う騎士。どいつも目障りだ。
乱雑に脱ぎ捨てたブーツを探し、綿がはみ出た
1人掛けソファに無造作に脱ぎ捨てた、いつもの
コートを羽織る。
もう随分前に賭け品として獲た革のコートは
なかなか良い物だったらしく、時間が経てば経つほど
柔らかく、色味に味が出てきた唯一のお気に入りだ。
鏡の割れたささやかなユニットバス。
ーランプの油が切れてやがる。面倒臭ぇ。
手探りで蛇口を捻って、顔を洗い、簡単に身支度を済ませる。
ギシギシと床を軋ませながら
壁に立てかけてある太刀の帯をベルトに巻いた。
ただの戸板のような玄関扉を出て、
歯並びの悪い石階段を登る。
半日ぶりに地上へと上がると、陽はすでにさんさんと
明るさを放っていた。
…眩しさで目が細まる。時間は分からないが…
少し寝過ぎたか…? そんなことを欠伸をしながら考えた。
そろそろ清々しい初夏を迎えようとしているが、
今日もスラムの街は濁った空気で溢れかえっている。ー俺には慣れた光景だ。
外階段が連なる建物は、建物同様、古臭いじいさんが
少しの日用品と軽食を扱う「雑貨食堂」を営んでいる。
三段程の焦げた煉瓦色の階段を上り、
曲線の両扉を片手で開く。
店主の代わりに両扉が軋んで迎えてくれるのも、
いつもの日常だ。
くすんだグレージュの壁。
入り交じる煤と焦げた油と、
…なんだか分からないハーブの香り。
常に油の足らない吊りランプからオレンジ色の
灯りが落ち、家具の陰影を濃くする。
「ーおぅ、ゼルか。おまえまだ居ったんか。」
割れた丸メガネで市報紙を注視していたじいさんが
顔を上げる。
ーそんなに見にくいならランプに油足せっつんだよ。
ゼルディウス「寝てた。昨日の酒が抜けてねぇのかな。…俺にもそれくれ。」
店主の傍でもくもくと湯気を上げる苦煎を指差す。
「金は?」
ゼルディウス「そんなんで金取んのかよ。こないだ
酔っ払い叩き出してやったろ。それでトントンだ。」
「チッ…。しゃあねぇなぁ…。」
渋々とすり切れた木皿を手探りで取り出して、
雑に苦煎を注いで寄越す。
多くの一般民が嗜むような焙煎豆ではなく、
黒く焙がれた“苦い根”から煎じる代用品は
ただただ苦く、何の深みも無い。
それはまるでこの〝ナディル街〟そのもののようだが、
俺には親しみのある味というか…
もう故郷の味のようなものだ。
渋みで眠気を飛ばしていると
お喋り好きのじじぃが人の余韻もお構い無しに
話しかけてくる。
「今日も賭場か?
たまにゃー 真っ当に働けよ?」
ゼルディウス「………。」
「おまえさん、我流とはいえ剣筋にゃあ光るモンが
あんのによぉ。まぁーったく自堕落な生活しおって。」
…………。
どうして年寄りはこうも
お喋りとお節介が好きかね。
耳まで渋くなってきそうだぜ…。
確かにどこから聞き付けてくるんだか、
時折傭兵のような仕事話が迷い込んでくる。
ーあいつに初めて会ったのも、このスラム街の
案内兼警護役だったか…。
傭兵のような見守り役は金払いはいいが決まり事も多い。
まだ年端もいかない頃から、スラムに捨てられ、
地べたを這いずりながらも手にした自由の身だ。
今更そういう規制に縛られるのは煩わしい。
「スラム育ち」と聞けば
顔をしかめる奴が多いが、着の身着のまま、
今日も食って寝れたらそれでいい。
ーそうだ。ずっとそうして「気まま」に
生きる事こその「俺」だったのに。
最近は…どこか物足りなく感じることがある……。
「ール、ゼル! 聞いとるのか!?
賭け事なんざ、本来娯楽でやるから楽しめるんじゃ! おまえさんみたいな若いもんが常日頃から
出入りしとるのがどれだけ不健全か!」
ゼルディウス「ウルセーな…。今日は行かねぇよ。」
…何考えてたか分からなくなっちまった。
じじぃの小言が多い日は思考まで侵食してきて困る。
その上年寄りは人の顔色を伺うってことをしねぇ。
「賭場に行かない」と、ただそれだけの表面上の
言葉だけを嬉しそうに、少し意外そうに受け取る。
「…なんじゃ、行かんのか。」
てめぇで説教垂れといて
何だよ、それは。
ゼルディウス「ーもう行くわ。」
短く吐き捨てて、丸い不安定なスチール椅子を蹴った。
後ろでじじぃが呼んでたが、振り返ることは無かった。
太陽は頭上にあるのに、
その光は届かないーそれが
ナディル街を表す言葉だ。
じじぃの店を出て、道なりをアテも無く歩く。
用水路のような腐った匂いに、
怒号やらガキの騒ぎ声やらが一緒くたに流れてくる。
まるで無法地帯のようだが、別段神サマに
見放されている訳でもないそうで。
ーまぁ、この地域を統べる「神」が〝冥〟という
死や影を司る〝ナディル〟神だからか、陰気臭くなりがちだが。
混沌としたアンダークレストで
今日も人々はご苦労にも祈りを捧げている。
世の中にゃ祈術だ奇跡だと溢れてる。
「神」が居るか居ないかと問われれば、それは
「居る」のだろう。
ただ「平等」では無いだけ。
親がクソでも金回りの良い奴はいる。
女に縁が無くとも、仕事に恵まれてる奴もいる。
そうやって足りないものや
恵まれているものに「神」の存在を加味するほど、
俺は寛容にはなれねぇ。
コートに突っ込んだ手がやけに汗ばむ。ーそろそろ
革のコートは暑いだろうかーそんなことを
考えていたら、ふと、自分の足元に
影が落ちているのに気付いた。
…俺はいつの間にナディル門(南門) を抜けた……。
……しかもこの道……。
ゼルディウス「……らしくねぇぜ……。」
舌打ちと共に頭を搔いた。
穏やかな陽光が頭皮を温め、
ヒビの入ったアンダークレストの石畳の道は、
柔らかい地面へと姿を変えていた。
深緑の香る小道は紛れもなく〝大聖堂〟へと誘っている。
今日は本当にらしくない。
ー昨日そんなに酒を煽ったろうか。
踵を返そうと顔を上げた時だった。
見覚えのある後ろ姿が見えた。
淡い桜色の、長くウェーブがかった髪。
純白のローブ。
レースが施された膝丈のフレアスカート。
何故か、あの時ー大聖堂で「神」を宿した姿を
目にした時のように鼓動が跳ねた。
あいつだけは見間違わない、
根拠も無くー ただそう思った。
人様に不整脈を起こさせてる原因は、呑気にも
明後日の方に目線を向けながら気持ち良さそうに
歩いてやがる。
煩く主張する鼓動を静めようと、足音を忍ばせ近付く。
背後から風に遊ばれ、ふわふわ揺れる髪や、
仄かに香る聖堂の香も… どれもこれも無防備すぎて
――生意気だ。
…腹が立ったので、その頭上めがけて
チョップをかましてやった。
「きゃっ」というネズミみたいな声を上げたかと思えば、
俺の姿を認めた大きい瞳が、ふくれっ面で見上げてきた。
リィナ「〜何するんですか、ゼル〜…。」
いつものリィナの温度だ。
それを確認出来ただけで、ざわつく鼓動が
解れるようだった。
陽の温もりが、心にまで届く。
ゼルディウス「余所見してっと畦道に落ちるぞ。」
俺は相変わらず、ぶっきらぼうにしか答えられない。
しかし、リィナはそんなこと気にならない様子で、
すぐにふわりと顔色を綻ばせる。
ーまた心臓が不整に脈打った。
リィナ「この辺のお花、夏のものに変わってきたな〜と思って。ーふふ、本当。遠くを見るより、
地に足つけてなきゃいけないですよね、今は。」
最後の方は自身の修行を重ねたのだろう。
〝頑張ります〟と繋げた言葉の端で、こいつなりの
責任感が見えた気がした。
気負うなんて柄じゃねぇ。
多少の理不尽があろうが、気の向くまま、
自由があればそれでいい。
だがリィナは「神」が息づく、
この「不平等な世界」を「平等」たらしめようとしている。
都の末端に潜み住むような、
俺みたいな人間の未来を信じている。
ー滑稽で、無謀だと言葉にするのは簡単だが、
どこまでもお人好しで、
どこまでも純粋な、
リィナの世界ならー
少しは見てやってもいいかと思う。
大聖堂の屋根が近付いてきた。
短い散歩の終わりにーなるべく優しく、頭を撫でた。
聖堂の香よりも、柔らかいリィナ自身の香りが
先に鼻先に届いたのが、少しだけ嬉しかった。
ゼルディウス「…程々にな。」
頭を撫でる手が優しかったのが珍しかったのか、
リィナは目を丸めたが、またすぐにふっ、と
表情は緩んだ。そして。
リィナ「ありがとう、ゼル。」
柔らかい微笑み。
…仕方ねぇから、帰りも迎えに来てやるとするか。
私自身ゼルディウスを掴みきれてないところがあるので、
ゼルディウスの価値観やスタンスなどをまとめるためにもゼル視点のものを書いてみました。
「無理すんな」ではなく、「程々に」としか
言えないのがゼルかなぁと思ったり。
「Z.Z」と英語表記で端的に表せられるようにしたのがゼルの名付けポイントw




