戦乙女(ワルキューレ)の名を呼ぶ前に
リィナの初修行編…的なもの…
キャラや情景の雰囲気が掴めれば良きまる…
王都アストリア中央に聳える大聖堂は、
今日も静謐に保たれている。
水面のように静かな空気の中
中央の祈りの円陣でリィナは膝をつき、
両手を合わせ、目を瞑る。
「ー深く息を。……そう。もっと自然に。」
白銀の神官服を揺らしながら
リィナを指導するのは、王都アストリアの
高等神官、ルクシウス・ハルヴェインその人だ。
王都に在所を置きながらも、
神にその身を捧げた彼は、現状最も
〝神の声に近い〟とされ、億年に一度の厄災
ー天の黙示ーの
接近にいち早く気付き、伝承にのっとり
唯一の救済者ー戦乙女ーを
この数十年間で探し求めた。
そんな高尚なる方に祈術を見て頂けるだけでも
恐れ多いのに、リィナの背には
次期「戦乙女」としての使命も
掛かっている。
天の黙示ーアストレア・フォールーは
もういつ起きてもおかしくない。
この世に生として在る者として、
また、多くの生きとし生ける者の
希望となれるよう、リィナは懸命に祈る。
ルクシウス「……緊張せずに。祈術は
“澄ませる”ことが第一です。」
リィナ「は、はい……、ハルヴェイン様…。」
ルクシウスは微笑し、彼女の少し後ろに立つ。
ルクシウス「肩が少し強張っています。
……もう少し楽に。」
触れてはいない。
だが、思っていた以上に近かった距離に、
ルクシウスの柔らかくもーお腹の底へと
響いてくるような声色が、ローブを伝って
リィナの肩をびくん、と震わせた。
リィナは深呼吸し直し、
さらに感覚を研ぎ澄ませようと集中する。
高く掲げられた聖紋のステンドグラスから
太陽の光が淡く届く。
ーそんな神聖にも近い光景を、円陣の外側の
白柱の陰でノクシスは静かに見守っていた。
護衛として、完全な位置取り。理想の距離。
なのにどこか、胸がざわつく。
(ーー近い。)
原因は何となく分かっていた。
ルクシウスとリィナが教導としての、
〝適切〟な距離感である事も。
だが、思考と心は時に反比例する。
それこそが人が人であるという所以なのかも
しれないが、今のノクシスにはそんなことを
考える余裕はない。
手を添えなくても、気配が触れそうなほど近い
リィナとルクシウス。
ー否、リィナと〝自分以外の男〟
(ー何を、思い上がっている… 俺は。)
聖堂騎士として、護衛として、
“リィナの成長を妨げる”感情など論外だ。
そう戒めながらも額に汗が湧くのを感じていた。
その時。
ギィィィー………。
大聖堂の重い扉が軋みを上げた。
ノクシスは素早く腰を落とし、剣に手を回した。
逆光で姿がよく見えない。
ノクシス「何者だ! そこで止まれ!」
ルクシウス・リィナ「「ー!?」」
突然のノクシスの荒らげた声に
二人も、何者かが「修行中」の大聖堂へと
入ってきたことに気付いた。
ノクシスの制止に返事もなく、代わりにコツコツ、と革靴の音が聖堂内へと近付いたかと思えば、
ゆっくりと不機嫌な顔が照らされた。
リィナ「ゼル!」
その名を呼んだのはリィナだった。
ゼルディウス「…おー。」
薄暗い聖堂内に目を細めながら、
それでもゼルディウスは、声だけを頼りに
真っ直ぐ歩を進めた。
大聖堂など普段は寄りつきもしない
ゼルディウスの姿に、リィナは驚いて目を
見開いた。
立ち上がろうとしたが、
その前にゼルディウスの方が早く、
いつの間にか目の前に立っていた。
ゼルディウス「ーなんだよ、その間抜けな顔。」
ゼルディウスは膝立ちのリィナと
目線を合わせながら、小さく笑い声を上げた。
リィナ「まぬっ…。…びっくりしてるのです…!
…どうしてここに?」
ゼルディウスは意地悪そうに顔を緩め、
肩をすくめる。
ーが、瞳にはどこか慈しみの色が見える。
ゼルディウス「ー別に。暇だったから…、
まー たまには? おまえの修行ぶりでも
見てやるかな、と思ってー。」
言い終わるや否、瞬きの間に距離を詰めた
ノクシスがリィナとルクシウスを背に
庇うように立ちはだかった。
ゼルディウス「ーあ?」
ゼルディウスに不機嫌の色が戻る。
ノクシス「貴様…! 扉の立ち入り禁止の文字が
見えなかったのか! 今はリィナ様の祈りの時間だぞ!!」
大聖堂ー神の膝元ではいたずらに剣は抜けない。
だが、リィナの大切な祈りの時間を邪魔した
怒りは鬼気迫るものがあった。
生真面目なノクシスにこういう融通は効かない。
リィナは慌てて割って入った。
リィナ「ノクシスさん! 落ち着いてっ…!
大丈夫ですからっ…。」
しかしゼルディウスは悪びれることも、
ノクシスの気迫に臆することもなく、
平然とノクシスを見据えた。
ゼルディウス「ウルセーな。テメーに
指図される覚えはねぇよ。」
ゼルディウス「それより。」
ゼルディウスはノクシスの背に庇われ、
リィナの真横に立つルクシウスに視線を移した。
ゼルディウス「おいコラ。そこのオッサン。」
リィナ・ノクシス「「!?」」
ルクシウス「ー私のことでしょうか?」
名指しされたルクシウスが穏やかに
微笑みを浮かべる。
ゼルディウス「他に誰が居んだよ。
テメー… 何若い女にベタベタしてんだよ。
堂々と職権乱用してんじゃねぇよ。」
リィナ「ゼル!?」
ノクシス「きっ、貴様何ということをっ……!」
無骨で無信仰なゼルディウスだが、
世間知らずな訳ではない。
リィナが〝修行中〟とあるなら、今その傍らに
立つのは高位な神官であることくらい察せられる。
そんなことは聖堂の戸を開いた時から
一目瞭然だったのだが、初対面ながらに
「おっさん」呼ばわりされたルクシウスの
流暢な笑みを尚も睨み続けた。
(ー気に食わねぇ…。)
リィナが普段どんな修行をしているのかー
暇つぶしに来てみれば、三十も後半に
差し掛かろうかという男に「立場」を利用して
距離を詰められている。
リィナは元々、他者との距離感に疎い。
そこを易々と詰められたかと思うと
腹の底から苛立ってくる。
ゼルディウスとて〝戦乙女〟
として選ばれたリィナの立ち位置や
人々が期待を寄せるのも分かる…つもりだ。
ーお人好しなリィナがその期待に
応えようとしていることも。だけれど。
ゼルディウス「ー指導ってのはそんなに
近づかねぇとできねぇのかよ。」
ノクシス「口を慎め、ゼルディウス。
ハルヴェイン様とおまえでは、本来なら
言葉を交わすことさえ許されないのだぞ。」
間髪入れずにノクシスが諌めたが、
ゼルディウスは小姑の小言を面倒臭がるように、
小指で耳をほじるように押えた。
関係あるかよ。腹立つもんは腹立つ。
〝戦乙女〟とやらである前に
リィナはリィナだ。
ーそう簡単に適当な男が近付いていいほど、
安くねぇんだよ。
そんな不機嫌な牽制を含んだゼルディウスの
視線をルクシウスは避けることなく、
ゆったりと―瞼を閉じたまま、口を開いた。
ルクシウス「構いませんよ、ノクシス。
君がゼルディウスでしたか。君の話はかねがね、
リィナより。」
リィナ「ハルヴェイン様!」
ゼルディウス「あ?」
突然秘密をバラされたかのように、リィナは
慌ててルクシウスを制した。
赤く小さくなるリィナと目が合う。
(ーこんにゃろ。どんな噂してやがる…。)
どうせロクでも無い言われようをしているのだろうが、今リィナの頬をつねるのは後にしておいてやる。
ゼルディウスはルクシウスへと視線を戻した。
ー相変わらず瞼が閉じたままだ。
ルクシウス「失礼、私は盲目でね。
人は見た目ではなく、気配で識るのです。
ーなるほど、ゼルディウス…、君の光は随分と
嶮しい…。…そして複雑なようだ。」
ゼルディウス「はァ!? 何ほざいてやがる、
話をすり替えんな。」
ノクシス「いい加減にしろ!
おまえは今、ハルヴェイン様のお手を
煩わせるどころか、〝戦乙女〟
としてのリィナ様のお時間すら割いているのだぞ!」
ルクシウスの襟に掴みかかりそうな勢いの
ゼルディウスを、ノクシスが片手で御する。
ゼルディウス「うるせぇ! 大体てめぇが
付いていながらにこのザマは何なんだよ。
普段からリィナリィナって付き纏うくらいなら
虫除けくらいなれよ!」
ノクシス「むっ… むむむ虫!?
貴様……っ! 王都の正統な高位神官であられる
ハルヴェイン様に向かって……!
言うに事欠いて虫だとッ!」
リィナ「ふ、2人ともっ…!
ここ大聖堂なんですよ!?」
顔を合わせれば何かと衝突が絶えない
ゼルディウスとノクシス。
普段ならばーまぁいつものことだとー多少
割り切れるリィナも場所が場所だけに慌てた。
そんな、いつも静寂で保たれている聖堂が
賑やかになっていく様子をルクシウスは
一歩引きながら微笑みを深めた。
ルクシウス「ふふ…、此度の貴方様の遣いは
随分と愛に満ちているのですね…、オーディン様…。」
袖の長い神官服を口元に当てながら、
そっと神々へ話しかけるのである。
***
ルクシウス「では、もう一度。落ち着いて
祈りましょう、リィナ。」
ひとしきり暴れたゼルディウスは
ルクシウスが必要以上にリィナに近付かない様、
見張りも兼ねてールクシウスの温情の下、
特別に見学が許された。
円陣の外の、白柱の傍ら。
礼節正しく控えるノクシスとは真逆に、
背を柱に預け腕組みさえしている。
時折欠伸をしては、ノクシスに小突かれているが、
取り敢えずのところは大人しくしている。
聖堂内が再び静寂に包まれる。
空気がツンと冷え、静寂が逆に煩くすら感じる。
そんな張り詰めた聖堂の中を唯一ルクシウスの
声だけがたおやかに流れ澄み、それを合図に
リィナは両手を組み、瞳を伏せた。
呼吸は深く、けれども静かに。
神に呼び掛け、そして耳を澄ます。
リィナは無心で祈った。
ふっ、と薄い光が指先に灯ったかと思うと、
大聖堂の空気がまるでリィナの呼吸に
合わせるかのように震え出した。
円陣が次第に眩く光り出し、
天からは粒の光がゆっくりとリィナに
降り注いでくる。
ゼルディウスもノクシスも、思わず息を呑んだ。
雪のように優しく降り注ぐ光がリィナを
包んでいく。
その暖かさにゆっくりと開いたリィナの瞳は
淡い金色へと変わっていた。
ルクシウス「ー見事です、リィナ。黄色は「土」や
「幸福」を象徴します。王都における、
地の神々があなたを歓迎したようですね。」
ルクシウスは跪いたリィナに手を差し伸べ、
立たせながらリィナに纏う光を識た。
先程まで距離感がどうのだの、
無礼な態度を取っていたゼルディウスでさえ、
その光景には抗えなかった。
ゆっくりと振り返った、金色の瞳のリィナ。
その姿に、呼吸を忘れるほど見惚れてしまったことを、ゼルディウス自身が一番理解していた。
リィナ「…ゼル、ノクシスさん…。」
柔らかい笑みと共に、リィナが二人の名を呼ぶ。
ノクシスは我に返り、手を胸に頭を垂れ、
膝まづいた。
ーリィナ様の祈りに神々がお応えになった…。
なんという気高さ…… 美しさ……。
今、はっきりと分かる…。俺はこの身を、
この方に捧げるために生を受けたのだ。
ノクシスが深く感涙する真横で、未だ自分が
目の当たりにしているものが信じられないと
言うように、ゼルディウスは声を絞り出した。
ゼルディウス「…リィナ…、なのかよ…?」
カミサマが応える… ってのはこんなにも…
こう… 身の毛がよだつものなのかよ……。
心が、魂が震えている。
が、恐れも悲しみもない。
ーただ少し不安なだけだ。
それは余りにも…、自分の知るリィナでは
ないような気がしたからだ。
〝戦乙女になる〟ということは、
リィナが遠くへ行ってしまうことなのではないかと、ゼルディウスはぽつんと思った。
リィナはゼルディウスの問に、いつものように、
にこっと目を細めながら、胸元で小さく
拳を握りしめた。
リィナ「えへへっ…、できました!」
そして光を帯びたまま、誇らしく微笑んだ。
ーそれはまだまだ〝戦乙女〟
としての小さな一歩。
だが確実な一歩だと、ルクシウスは杖を手に、
静かにその場を去っていった。
三人の影が、聖堂の長い陽光の中で重なり、
ゆっくりと、また広がっていく。
三者三様、それぞれの想いのようにー。




