三章 踏み越えた線
最初の爆発は、村の外れだった。
地面が跳ね、腹の奥に鈍い衝撃が残る。だが、それ以上に重かったのは、その直後に訪れた沈黙だった。森の鳥が一斉に飛び立ち、霧が不自然に裂ける。
晋作は、瞬時に悟った。
――これは攻撃ではない。
確かめている。
ここに「人」がいるか。
ここに「意志」があるか。
「……始まったな」
独り言のように呟く。だがその声には、諦めも驚きもなかった。功山寺で、同じ静けさを知っている。嵐が来る前の、あの奇妙に澄み渡った空気の匂いだ。敵は獲物を仕留める前に、まずその格を測ろうとしている。
村に残った者たちは、皆、伏せたまま動けずにいた。恐怖より先に、理解が来てしまったのだ。逃げ切れなかったという事実が、じわじわと身体を縛っていく。
二発目の爆発。
今度は距離が近い。畑の土が宙を舞い、作物が無残に裂ける。
「兄貴……」
誰かが呼んだが、晋作は振り返らなかった。
振り返った瞬間、村は「守られる側」になる。
それだけは、させてはならない。
「聞け」
低い声だった。だが、不思議とよく通った。
「これは戦いじゃない。試しだ」
沈黙。
「向こうは、ここを潰すかどうかを考えている。その判断材料が、俺たちだ」
言葉が、ゆっくりと染み込んでいく。
「今、伏せたままでいれば、今日は生き延びるかもしれん。だが明日はない」
年配の男が、絞り出すように言った。
「……戦えば、村は終わる」
晋作は即答しなかった。
代わりに、はっきりと言った。
「戦わなくても、終わる時はある。だが――」
一拍。
「何もせずに終わった村は、誰にも覚えられない」
その言葉が、空気を変えた。
怒りでも勇気でもない。
否定されたくないという、原始的な感情が、静かに立ち上がる。かつて、長州の端っこで「狂人」と呼ばれた自分たちが、なぜ世界を相手に回せたか。それは、踏みつけられて黙っていることに耐えられぬ、人間の底意地があったからだ。今、目の前の泥にまみれた若者たちの瞳の奥に、同じ火が灯るのを晋作は見逃さなかった。
三発目。
森の縁で、明確な索敵音。無線。足音。
「決めろ」
晋作は言った。
「隠れるか、散るか、それとも――」
一瞬、言葉を切る。
「ここが“踏み越える場所”だと、教えるか」
若い男が歯を食いしばった。
「……教えたら、戻れない」
晋作は頷いた。
「戻れない」
その肯定が、何より重かった。
彼は一人、森の縁へ歩み出た。
あえて、姿を見せる位置へ。
誰かが息を呑む。
――見られる。
――狙われる。
――それでも、引かない。
晋作の背中は、まるで京の四条河原で一人、数多の刺客を前にしても泰然としていたあの夜のように、不気味なほど隙がなかった。死を恐れぬ者の放つ静かな圧力が、森の奥に潜む近代的な訓練を受けた兵士たちの指先を、わずかに狂わせる。
晋作は、銃を構えなかった。
代わりに、地面へ一発だけ撃ち込む。
人ではない。
だが、明確な距離と方向を示す一撃。
直後、別方向で二発。
さらに、罠の位置で乾いた爆音。
包囲網が、わずかに乱れる。
その瞬間、敵は理解した。
ここは「偶然残った村」ではない。
判断する頭を持った場所だと。
次の瞬間、銃弾が飛んだ。
躊躇のない、殺意のある一発。
晋作の足元の土が弾ける。
伏せながら、彼は確信した。
――ああ、踏んだな。
踏み絵を。
向こうが差し出し、こちらが拒めなかった線を。
「……これでいい」
呟きは、誰にも聞こえない。
向こう側にいる数字を愛する指揮官よ。
お前が描いた無欠の地図の上に、今、俺という消えない異物が立ち上がった。
もう、村はただ守られる対象ではない。
もう、自分は「通りすがりの生き残り」ではない。
功山寺で感じた、あの感覚。
引き返せる道が、音もなく消える瞬間。
朝日が、森の向こうから差し込む。
銃声と硝煙を、等しく照らしながら。
村はまだ燃えていない。
だが、確かに――
歴史の中に足を踏み入れた。




