二章 境界の中で
再び、空が吠えた。
今度は近い。熱が、皮膚を刺す。
村が、壊れていく。炎が走り、家が燃え、屋根が落ちる音が重なる。晋作は、瓦礫の影で銃を握り直した。AKの冷たい感触が、掌に馴染む。引き金の重さも、反動も、もう身体が知っている。
隣に伏せていた若い男が、悲鳴を押し殺し、震える手で銃床を握りしめている。昨日まで畑を耕していた男だ。
「兄貴……」
「……来たか」
晋作は囁いた。
「撃つな、まだだ。見つかっても、合図があるまで絶対に引くな」
砲火の合間に、奇妙な静寂が訪れる。
舞い上がった土煙と火災の煙が、朝の光を遮り、森の縁を灰色に塗り潰していた。視界は最悪だ。だが、この「不透明な闇」こそが、今の彼らには唯一の味方となる。
「戦争ってのはな」
晋作は、独り言のように言った。
「始まった瞬間より、始まる直前の沈黙が一番、人を壊す。……だが、折れるな。ここからは、守るための時間ではない」
敵は慎重だった。無線の微かな雑音。遠くで規則正しく刻まれる足運び。村に踏み込む前に、森を削り、逃げ道を断つ。圧倒的な火力で心を砕き、抵抗の意志を奪う。米軍の、あるいはその訓練を受けた者のやり方だ。
――だが、俺の裏をかくには、まだ生温い。
晋作の脳裏には、京都の夜、誰が敵か味方かも分からぬ霧の中を駆け抜けた記憶が重なっていた。時代も場所も違う。だが、人の心理の隙、連携の綻びを突くやり方に、変わりはない。
「俺は、動く」
晋作は銃を取り上げ、若者の肩を軽く叩いた。
「お前はここで石になれ。奴らが“使うと思っている場所”を、俺が外してくる」
若者の震える肩から、晋作の手を通じて確かな熱が伝わる。それは、かつて奇兵隊の初陣で、同じように震えていた農民兵たちの肩を叩いたあの夜の感触と同じだった。
「死ぬのを怖がるな。死ぬことよりも、何もなさずに消えることを怖がれ。お前の沈黙が、今の俺には千人の軍勢より心強い。」
晋作は低く姿勢を落とし、音を殺して森の内側へ滑り込んだ。トゥアンの記憶が、自然に身体を導く。踏んではいけない葉、折っていい枝、逆に目立つ場所。そこに、晋作自身がかつて培った「人の裏をかく感覚」が、見事に融合していく。
――次に音が鳴る時は、本物だ。
湿った泥を這い、焼け焦げた根の間を抜ける。晋作の感覚は、周囲のジャングルと同化し始めていた。かつて萩の野山獄で、壁一枚隔てた先の気配を読み取ったあの極限の集中力が、今、異国の戦場で開花する。
敵の動きが、音と気配の線となって頭の中に描かれる。連携の継ぎ目、注意が逸れる一瞬の空白……。彼は、その致命的な隙間に、鋭利な楔を打ち込むように滑り込んだ。
晋作は銃を構え直し、霧の向こうに潜む「異質な直線」――敵の銃口を見据えた。




