表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奇兵の魂、南天を衝く  作者: りょう
第二部
13/13

七章 踏み絵

2部6章を描き直しました。

恐れいりますが、そちらを読んで頂いた後に、2部7章をご覧いただけたら幸いです。

夜明けは、予告なく訪れた。


空が白むより先に、森の匂いが変わった。湿った土と腐葉の匂いに、わずかだが異物が混じる。金属。油。人の数が増えたときの、あの匂いだ。


晋作は足を止め、耳を澄ませた。


鳥は鳴かない。だが、風はある。葉の擦れる音に紛れて、規則的ではない、しかし確実な気配が近づいてくる。


来たな。


合図はなかった。名も呼ばれない。ただ、森の奥から一人の男が現れた。昨日の三人とは違う。背は低く、痩せている。だが、目だけが異様に鋭い。銃は持っていない。代わりに、胸元の内側に何か硬いものがあるのが分かる。


「ついて来い」


短い言葉だった。命令でも、依頼でもない。ただの事実の提示。


晋作は頷き、何も言わずに後に続いた。


歩く距離は短い。だが、道は選ばれていた。踏み固められていない斜面、沢を一度横切り、意図的に足跡を残す場所と、消す場所を使い分ける。案内役の動きは洗練されていた。


試されている。


それを悟った瞬間、晋作はわざと一度、足を滑らせた。派手ではないが、無様な転び方だ。男は一瞬だけ振り返り、その反応を確認する。


「大丈夫か」


「年だ」


晋作は短く答え、立ち上がる。銃は地面に落としていない。無意識にそう動けている自分を、内心で笑った。


やがて、開けた場所に出た。


そこには、十数人の男たちがいた。服装はまちまちだが、全員が同じ空気を纏っている。引き金に指をかけない距離感。だが、全員が全員を見ている。


中央に、簡素な机が置かれていた。


その上に、二つのものがある。


一つは、紙の束。もう一つは、銃。


紙は、手書きだった。村の名、山の名、数字、矢印。作戦図だ。見覚えのある地形が、いくつも含まれている。村もある。あの村も。


「説明しろ」


低い声がした。背の高い男だ。昨日と同じ人物だった。


晋作は紙に目を落とし、ゆっくりと視線を走らせる。


「……これは、餌だ」


即答だった。


数人の男が、わずかに動く。


「村を前に出し、敵を引きつけ、別方向で叩く。合理的だが、長くはもたない」


「なぜ」


「村は、黙って燃えると思われている」


晋作は紙の一角を指で叩いた。


「だが、人がいる場所は、必ず歪む。逃げる者、怒る者、耐えきれない者が出る。そこから綻びる」


「代案は」


晋作は紙を裏返した。白い面だ。


「ここに、何も書かない」


沈黙。


「村を使うな。空白にしろ。敵にとって意味のない場所にする」


「敵が来たら?」


「来させるな」


「どうやって」


晋作は、銃に視線を移した。


「撃たないことだ」


ざわめきが起きる。明確な不満だ。


「撃たなければ、制圧される」


「撃てば、消される」


晋作は静かに言った。


「この戦争で一番危険なのは、空を怒らせることじゃ」


背の高い男が、しばらく考え込む。


「……それが、君の答えか」


「いいや」


晋作は銃を手に取った。重さを確かめるように、一度だけ構え、すぐに机の上へ戻す。


「これは、踏み絵だ」


「踏み絵?」


「撃てと言われたら撃つか。撃つなと言われたら撃たないか」


視線が集まる。


「どちらも正解になり得る。だが、どちらを選ぶかで、その先の地獄が変わる」


「君は、どちらを選ぶ」


晋作は一瞬、功山寺の夜を思い出した。あのときも、正解はなかった。ただ、引き返せない選択があっただけだ。


「撃たない」


即答だった。


「ただし」


一拍、置く。


「撃たせる」


空気が凍る。


「人ではない。時間と場所を撃たせる。敵に、誤射させる。空を空振りさせる。熱源、音、無線。奴らが頼る目を欺く。」


背の高い男が、ゆっくりと息を吐いた。


「……君は、本当に厄介だ」


「昔から、そう言われとる」


沈黙の末、男は紙を畳んだ。


「踏み絵は終わりだ」


晋作は、その言葉の意味を即座に理解した。


選ばれたのではない。

引き返せなくなっただけだ。


森の奥で、低く、遠い音が響いた。プロペラではない。砲でもない。まだ、準備の音だ。


晋作は空を見上げた。


踏んだのは、紙か、銃か。

それとも、自分自身か。


答えは、まだ出ない。


だが、次に来るのが「血」であることだけは、はっきりしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ