五章 接触
村が静まり返ったのは、戦闘が終わったからではなかった。
「終わったことにされた」──その気配が、空気に混じっていた。
焼け落ちた家の残骸はそのまま残っている。
血の跡も、踏み荒らされた畑も、何一つ片づけられてはいない。
だが、追撃は来なかった。
偵察も、威嚇射撃も、上空の影すらない。
それが、かえって不自然だった。
晋作は村の外れ、森へ続く細道に立っていた。
足元の土は、昨夜の混乱を忘れたように静かだ。
人の足跡は雨で崩れているが、意図的に消された痕が混じっている。
――いるな。
確信に近い感覚だった。
誰かが、この村を見ている。
それは、かつて京の潜伏先で感じた、新選組の執拗な視線とは違っていた。殺気ではない。もっと乾いた、冷徹な観察。顕微鏡で這い回る虫を覗き込むような、圧倒的な距離感を持った眼差しだ。
「兄貴」
背後から声がした。
振り返ると、見張りに出していた少年が立っている。顔が強張っていた。
「変なものが、ありました」
案内されたのは、村から少し離れた沢の手前だった。
そこに、それは置かれていた。
木箱。
新しい。濡れていない。
周囲の荒れ方と、あまりに釣り合わない。
晋作はしゃがみ込み、慎重に蓋を外した。
中には、医療用の包帯、止血剤、乾燥食料。
どれも、この辺りでは手に入らない品質だった。
軍の正式補給品でもない。だが、民生品とも違う。
「……罠ですか?」
少年が囁く。
「違う」
晋作は即答した。
罠なら、もっと分かりやすく置く。
これは「見つけられる前提」で、しかも「回収されない前提」で置かれている。
つまり――
渡した、という意思表示だ。
箱の底に、一枚の紙があった。
文字はない。代わりに、簡単な地図が描かれている。
村。
周囲の森。
そして、赤い点が三つ。
晋作はその配置を一目見て、息を止めた。
それは偶然では出せない精度だった。
「ここ……」
少年が指を差す。
「昨日、敵が回り込もうとした場所だ」
「そうだ」
赤点は、すべて「避けるべき地点」だった。
地雷原。狙撃地点。あるいは、航空支援の基準点。
誰かが、敵の手の内を知っている。
そして、その情報を――選んで渡してきた。
晋作は紙を折り、懐にしまった。
「これ、使っていいんですか」
「使う」
迷いはなかった。
「だが、覚えておけ」
少年を見る。
「これは善意じゃない。貸しだ」
少年は意味を測りかねた顔をした。
「貸し、ですか」
「そうだ。返せと言われる日が来る」
そのとき、森の奥で小さな音がした。
枝が折れる音でも、獣の気配でもない。
“合図”。
だが、姿は現れない。
晋作は立ち上がり、わざと周囲を見回した。
気づいていないふりをする必要はない。
向こうは、もうこちらを評価している。
「……見ているなら、聞いておけ」
低く、しかし通る声で言う。
「俺は、従わない」
森は沈黙したままだ。
「だが、無視もしない」
風が、ほんのわずかに流れを変えた。
それで十分だった。
返事はない。
だが、拒絶でもない。
晋作は理解した。
これは交渉ではない。勧誘でもない。
観測だ。
利用できるか。
危険か。
制御可能か。
その判定が、今、始まった。
箱を担ぎ、村へ戻る途中、ふと思う。
功山寺の夜、彼は仲間を集め、声を上げた。
だが今回は違う。
声を上げる前に、
すでに「値踏み」されている。
「……時代が違えば、やり方も違うか」
呟きは、森に吸われた。
村に戻ると、人々が集まり始めていた。
希望ではない。だが、絶望でもない。
その中間に、確かな「流れ」が生まれている。
晋作は知っていた。
接触とは、出会うことではない。
逃げられなくなることだ。
そして、その一歩は――
もう、踏み越えてしまっている。




