四章 代償
火は、思ったよりも遅れて来た。
銃声が遠ざかり、森の奥で何かが決着したような静けさが訪れたあと、村には奇妙な空白が残った。誰も動かず、誰も声を出さない。ただ、煙の匂いだけが、風に乗って戻ってくる。
家屋の一角が、静かに崩れていた。
爆撃ではない。狙いすました破壊だ。
「全部は壊さない」という意思が、かえって残酷だった。
晋作は、瓦礫の間を歩いた。
足元に転がるのは、昨日まで生活だったものだ。鍋、布、乾いた米袋。血はない。それが、かえって現実味を失わせる。
「……生きてるな」
誰に向けた言葉でもない。
確認だ。
かつて京の街が焼けた時、あるいは下関に異国の弾丸が降り注いだ時、足元にあったのはもっと生々しい「死」の残骸だった。だが、この村に漂う無機質な沈黙は、それよりも深く晋作の心を削る。まるで、精密な機械によって不要な部品を間引かれたあとのような、血の通わぬ虚無感。
村に残った男たちは、数を数えていた。死者はいない。負傷者が二人。軽くはないが、致命的でもない。
それでも、誰一人、安堵していなかった。
「……引いた、のか?」
若い男が呟く。
晋作は首を振った。
「引いたんじゃない。印を付けた」
彼は、森の方を見た。
敵は深追いをしなかった。
それは勝てなかったからではない。
“ここは後で潰せる”
そう判断しただけだ。
長が、焼け落ちた家の前で立ち尽くしていた。
「……守れた、のか?」
晋作は、少し考えてから答えた。
「壊され方を、選ばされた」
その言葉に、長は何も返さなかった。
昼近くになり、南へ逃がした者たちが戻ってきた。
泣く者はいない。怒る者もいない。
ただ、村を見て、理解する。
――戻る場所はある。
――戻れる時間はない。
子どもが、焦げた柱を指差した。
「これ、もう使えない?」
母親は、少し間を置いてから言った。
「……新しいのを、考えよう」
その「考える」という言葉が、妙に重かった。
晋作は、井戸の縁に腰を下ろした。
水面に映る自分の顔が、わずかに違って見える。傷はない。だが、線が一本、引かれているような感覚があった。
撃った弾は、少なかった。
殺していない。
それでも、越えたものは戻らない。
「これで、狙われるな」
独り言のように言うと、背後で声がした。
「前からだろ」
振り返ると、あの若い男がいた。
顔は疲れているが、目は逃げていない。
「今日の代償は、これだけだ」
晋作は言った。
「だが、次は違う」
「……それでも?」
「それでも、だ」
答えに、理由はなかった。
理由が要る段階は、もう過ぎている。
かつて、志なかばで病に倒れ、後のことを託さざるを得なかった無念。だが、今の自分には、泥にまみれ、異国に追われ、それでも自らの足で立ち続けることができるこの身体がある。
「おもしろきこともなき世を……」
口の中で呟きかけた下の句を、彼はそっと飲み込んだ。誰かが作った面白さを享受するのではない。この地獄のような静寂の中から、自らの手で面白さを掴み取る。それが、この時代に引きずり戻された男の、唯一の抗い方だった。
夕方、村の外れで、小さな墓標が立てられた。
死者のためではない。
昨日までの生活のためだ。
誰も祈らなかった。
ただ、黙って土を被せる。
日が沈む。
村はまだ、地図には載っていない。
だが、誰かの判断表には、確実に記された。
――消すべき場所。
――あるいは、利用すべき場所。
晋作は、その両方を受け入れる覚悟があることを、自分でも驚くほど静かに理解していた。
夜。
森の向こうで、再び音がする。
今度は、銃ではない。
エンジンの遠鳴りだ。
「……来るな」
誰かが言った。
晋作は、否定しなかった。
来る。
それが、代償だ。
村が、世界に見つかったことの。




