南宋末期の英雄:孟珙⑦
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「忠義の剣、理を貫く」
1234年、春。金朝が滅び、南宋の朝廷には歓喜の声が満ちていた。
宰相・鄭清之は、北宋の旧都「三京」──開封、洛陽、商丘──の奪還を強く主張し、軍を動かそうとしていた。
だが、孟珙はその動きに危機感を抱いていた。
「準備も整わぬまま、北伐を強行するなど……愚策だ。」
忠順軍の副将・王堅が眉をひそめる。
「将軍、朝廷は勝利に酔っております。鄭清之や趙葵、趙範兄弟は功名を焦っている。」
孟珙は静かに剣を握りしめた。
「我らは戦場を知っている。モンゴル(もうごる)軍は沈黙しているが、牙を研いでいる。今、動けば南宋は喉元を突かれる。」
その夜、孟珙は朝廷に召され、宋理宗の前で進言した。
「陛下、金は滅びましたが、モンゴルは健在です。今は民を休ませ、国を整える時。北伐は時を待つべきです。」
鄭清之が立ち上がり、声を荒げた。 「孟将軍、あなたは臆しているのか?三京を奪えば、宋の威信は天に届く!」
孟珙は目を閉じ、祖父・孟林の言葉を思い出した。 「汝、忠を継げ。」
そして、静かに言った。
「忠とは、ただ剣を振るうことではない。国を守る理を貫くことだ。」
だが、孟珙の言葉は退けられ、北伐は強行された。
数週間後──猛暑の中、準備不足の軍は洛陽目前でモンゴル軍の反撃を受け、大敗を喫した。兵は疲弊し、多くの命が失われた。
その報を受けた孟珙は、拳を握りしめた。
「やはり……この結果を、誰が背負うのだ。」
王堅が静かに言った。
「愚かな戦略であり、勝てぬ戦いでした。兵士たちの命があまりにも惜しい……」
孟珙は剣を見つめた。
「モンゴルもただでは済まさぬだろう。恐らく尻拭いをするのは我が軍だ……」
その後、モンゴル軍は南宋が条約を破ったと見なし、大規模な南侵を開始した。
孟珙は北方で15,000人の兵を募り、鎮北軍を創設した。寒風の中、民兵たちは剣を握り、訓練に励んだ。
ある日、若き兵が孟珙に問うた。 「将軍、なぜ我らは戦うのですか?三京は遠く、民は疲れています。」
孟珙はその肩に手を置き、語った。 「我らが守るのは、地ではない。民の命と、未来だ。剣はそのためにある。」
兵士たちは剣を掲げ、叫んだ。 「忠義の剣、宋を守る!」
孟珙は空を見上げ、静かに誓った。 「この剣が折れるまで、我は退かぬ。宋の魂、ここに在り。」
こうして、孟珙は再び戦場へと歩みを進めた。忠義の剣は、理を貫き、国を守る柱となった。
〇
端平二年、南宋の盾
風は冷たかった。吹くたびに、着慣れた鎧の隙間から肌を刺すような寒さが忍び寄ってくる。
「総帥、北方の警戒をさらに厳重にすべきかと」
静まり返った陣幕の中に、副将の声が響く。
「わかっている。クウン・ブカ(忽温不花)の軍は、我らが想像する以上に素早く動く」
孟珙は、地図に目を落としたまま静かに答えた。
つい先日、朝廷の宰相である鄭清之が強行した「端平入洛」は、彼が危惧した通り、大失敗に終わった。南宋は多くの兵を失い、さらにモンゴル軍に宣戦布告する口実を与えてしまった。
「なぜ、我らの忠告を聞き入れなかったのか……」
孟珙は、唇を噛み締め(かみしめ)た。あの大敗の裏で、南宋の防衛線を守るために、どれだけの兵士たちが命を落としたか。その無念を晴らすためにも、彼はここで負けるわけにはいかなかった。
「総帥、敵軍が動きました!」
その時、一人の兵士が血相を変えて(けっそうをかえて)飛び込んできた。
「やはり来たか。敵の将は誰だ?」
「クウン・ブカ(忽温不花)、それにチャガン(察罕)の軍勢と見られます!」
「ふっ……。奴らが来たなら望むところだ。全軍に告げろ! これより荊襄防衛線、死守の戦いに挑む!」
孟珙の号令に、兵士たちの顔に緊張感が走った。そして、彼は馬に飛び乗ると、陣営を駆け抜けた。
「兵士たちよ! 聞け!」
孟珙の声が、荒野に響き渡る。
「我らが背後には、故郷がある! 家族がいる! 愛する人たちがいる! 端平入洛の無念を晴らすため、我々は一歩たりとも引くことはできぬ!」
兵士たちは、孟珙の言葉に耳を澄ませた。
「敵将クウン・ブカ(忽温不花)は、強敵だ。だが、我らには忠義と勇気がある! 奴らがどれだけ強くても、この国を、この土地を、この民を守り抜くのだ! 誰一人、臆することはない!」
彼の言葉は、凍てつく(いてつく)風さえも熱くする力があった。兵士たちの瞳は、燃え盛る炎のように輝いていた。
「総帥、我らはお供します!」
「たとえ命を賭しても、この戦、必ず勝ちましょう!」
兵士たちの叫びが、大地を揺らした。
その日、棗陽軍と光化軍の防衛拠点は、モンゴル軍の猛攻にさらされた。矢が降り注ぎ、刀と槍がぶつかり合う音が響き渡る。モンゴル軍は圧倒的な数と力で、南宋軍を追い詰めていった。
「くそっ、このままでは持ちこたえられん!」
副将の王堅が叫んだ。彼の周りでは、次々と兵士が倒れていく。
「退くな! 決して退いてはならぬ!」
孟珙は、刀を振りかざし、最前線で戦っていた。彼の全身は血と泥にまみれ、顔には無数の傷があったが、その瞳には決して消えることのない光が宿っていた。
「孟珙よ! 貴様の頑強さには敬服するが、ここまでだ! 降伏せよ!」
敵将クウン・ブカ(忽温不花)が、嘲笑を浮かべながら叫んだ。彼の言葉に、孟珙は怒りの炎を燃え上がらせた。
「降伏など、ありえぬ! この身が朽ち果てようとも、南宋の忠義は永遠に不滅だ!」
孟珙は、叫びながら敵陣に突っ込んでいった。彼の背後には、彼の言葉に奮い立った兵士たちが続いていく。
その戦いの中で、南宋の将軍、何太尉が敵軍に捕らえられるという悲劇もあった。しかし、孟珙とその兵士たちは決して諦めなかった。
「総帥、この地が我らの墓場となっても構いません! 我らは最後まで戦います!」
「そうだ! 忠義の魂は、決して死なぬ!」
兵士たちの声が、孟珙の耳に届く。彼は、彼らの言葉に静かに頷いた。そして、再び刀を振りかざし、最後の力を振り絞って戦った。
その日の戦いは、モンゴル軍の勝利に終わった。しかし、彼らは大きな代償を払った。南宋の兵士たちの魂が、モンゴル軍の心に深い傷を残したからだ。
「総帥、無念です…」
戦後、負傷した兵士たちが涙ながらに語った。
「無念ではない。我らは、南宋の盾として戦い抜いたのだ。胸を張るのだ」
孟珙は、静かに語りかけた。
「我らは敗れた。だが、この敗北は、決して無駄ではない。いつか、必ずこの借りを返す日が来る。その日まで、我らは、屈しない!」
彼の言葉に、兵士たちは再び立ち上がった。彼らの瞳は、燃え盛る炎のように輝いていた。その炎は、南宋の未来を照らす希望の光となったのだ。
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1235年、南宋はかつてない危機に直面していた。金朝の滅亡後、モンゴル軍は南へと進軍を開始。江漢平野に黒雲のような軍勢が押し寄せていた。
その防衛の要に立つのが、忠順軍を率いる名将・孟珙である。
「将軍、敵は江陵に迫っております!数万の騎馬軍が川を渡ろうとしています!」
報告を受けた孟珙は、静かに地図を見つめた。彼の目は鋭く、しかしその奥には深い覚悟が宿っていた。
「江陵は、宋の心臓だ。ここを奪われれば、民の希望は潰える。守り抜くぞ」
その言葉に、兵士たちは背筋を伸ばした。若き副将・王堅が一歩前に出る。
「将軍、私に先陣を任せてください。あの川を越えさせはしません!」
孟珙は王堅の肩に手を置き、静かに言った。
「王堅、お前は岳飛の魂を継ぐ者。だが、命を捨てるな。守るべきは民だ。剣はそのために振るうものだ」
王堅は深くうなずき、兵を率いて川岸へと向かった。
その夜、孟珙は兵たちの前に立ち、語りかけた。
「我が祖父・孟林は言った。『この子は国を支える柱となる』と。その言葉を、今こそ証明する時だ。我らが守るのは、ただの土地ではない。民の命、未来の希望だ!」
兵士たちは拳を握りしめ、声を上げた。
「宋の魂、ここに在り!」
戦は始まった。モンゴル軍は怒涛のように押し寄せ、江陵の城壁を揺らした。だが、孟珙は巧みな陣形で敵を翻弄し、連戦連勝を重ねた。
「江陵大捷だ!孟将軍が勝った!」
民衆は歓喜し、兵士たちは涙した。
しかし、戦は終わらない。窩闊台率いる本軍が襄樊を包囲。孟珙は再び剣を握り、死地へと向かった。
「将軍、敵は四方を囲んでおります。脱出は不可能かと…」
参謀が言うと、孟珙は微笑んだ。
「不可能を可能にするのが、将の務めだ。奇策をもって突破する。命を預けてくれ」
その夜、孟珙は兵を分散させ、火を放ち、敵の目を欺いた。混乱の中、彼は先頭に立ち、包囲を突破した。
「我らは生きて帰った!宋はまだ終わらぬ!」
その姿に、兵士たちは涙した。民衆は彼を「南宋の希望」と讃えた。
戦後、孟珙は王堅と並んで城壁に立ち、夕陽を見つめながら語った。
「王堅、この国はまだ若い。だが、志ある者がいれば、未来はある」
王堅は静かに答えた。
「将軍の背を見て、私は信じました。宋は、必ず守れると」
孟珙は空を見上げ、祖父の言葉を思い出す。
「国を支える柱となれ」
その言葉は、今まさに現実となっていた。孟珙は剣を収め、胸に誓う。
「宋の魂、ここに在り。我が命尽きるまで、守り抜く」
そして、彼は再び戦場へと歩み出す。民のために、国のために。その背に、宋の希望が宿っていた。




