南宋末期の英雄:孟珙⑪
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1244年(淳祐4年)、孟珙は新たな任地・江陵府へと向かっていた。漢東郡開国公という重い称号を授かり、民政と軍務の両方を担うことになった彼の胸には、戦場で培った信念と、祖父・孟林から受け継いだ「忠」の志が燃えていた。
江陵の街道に差しかかると、孟珙は思わず馬を止めた。道の両脇には、民衆が並び、手に持った箒で道を清めていた。老若男女が一斉に頭を下げ、涙を浮かべていた。
「将軍……ようこそ江陵へ。あなたが来ると聞き、我ら自ら道を整えました」
そう語ったのは、白髪の老兵だった。彼の背は曲がり、手にはかつての戦で使った剣の柄が握られていた。
「わしは、かつて岳飛将軍の軍におりました。孟林殿の名もよく存じております。あなたは、その血を継ぐ者……」
孟珙は馬を降り、老兵の前に膝をついた。
「その剣は、戦の記憶を刻んでいるのですね。私は、民のために剣を振るいます。戦うだけが将ではない。守ることこそ、真の武です」
老兵は震える手で剣を差し出した。
「この剣を、あなたに託します。江陵を、どうか……どうか守ってください」
孟珙は剣を受け取り、静かに頭を下げた。
「この剣に誓おう。江陵の民を、必ず守る。兵も、民も、共に生きる政を築く」
その言葉に、民衆の間から歓声が上がった。
その夜、孟珙は江陵府の庁舎で兵士と民の代表を集め、語りかけた。
「我は、戦場で多くの命を見てきた。勝利の裏には、涙がある。だからこそ、今ここで誓う。江陵では、命を守る政を行う。兵士には休息を、民には安寧を」
王堅が一歩前に出て、声を上げた。
「将軍、我ら兵も、民の盾となる覚悟です。あなたの志に、命を懸けて応えます!」
孟珙は王堅の肩に手を置き、力強く言った。
「王堅、俺はお前を『宋の宝』と呼んだ。今度は、江陵の地にて『宋の希望』となれ」
「はい、将軍!この剣に、民の願いを刻みます!」
数日後、江陵の街には変化が訪れた。荒れた道は整えられ、病に苦しむ者には薬が届けられ、兵士には新たな訓練と休息が与えられた。民は笑顔を取り戻し、兵は誇りを胸に歩いた。
ある夕暮れ、孟珙は城壁に立ち、夕陽を見つめながら王堅に語った。
「この地に来て、私は戦よりも深いものを知った。民の笑顔こそが、真の勝利だ」
王堅は静かに頷いた。
「将軍……その言葉、私も胸に刻みます。いつか、私が将となる日が来たら、この志を継ぎます」
孟珙は微笑み、空を見上げた。
「果てなき戦いの末に…戦なき世は可能なのだろうか…」
こうして、江陵には新たな風が吹き始めた。孟珙の統治は、民と兵の心をひとつにし、希望の光となって広がっていった。そしてその光は、やがて南宋全土を照らす柱となるのであった。
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1246年(淳祐6年)、江陵の空は、朝霧に包まれていた。孟珙は静かに甲冑を脱ぎ、長き戦いの記憶を胸にしまった。
「将軍、もう少しだけ、共に戦ってはいただけませんか……」
王堅が声を震わせて言った。彼の目には涙が浮かび、拳は強く握られていた。
孟珙はゆっくりと振り返り、王堅の肩に手を置いた。
「王堅……お前はもう、立派な将だ。私がいなくとも、民を守れる。それに、私の役目は終わった。これからは、お前たちの時代だ」
「でも……将軍がいなければ、我らは道を見失ってしまう!」
「見失うな。お前の剣には、忠義の魂が宿っている。それは、岳飛将軍から祖父・孟林、父・孟宗政を経て、私に託されたものだ。そして今、それをお前に託す」
孟珙は、祖父から授かった剣を王堅に与えた過去を思い出した。
「あの剣は、宋の魂だ。民のために振るえ。国のために立て」
王堅は剣を受け取り、膝をついた。
「将軍……いや、忠襄公。この命、国のために使い尽くします」
その言葉に、周囲の兵たちが静かに頭を下げた。道の両脇には、かつて共に戦った者たちが並び、涙を流していた。
孟珙は甲冑を脱ぎ終えると、白い布をまとい、ゆっくりと歩き出した。朝霧の中、彼の姿は次第に霞んでいく。
「将軍……!」
王堅が叫んだ。
孟珙は立ち止まり、振り返ることなく、ただ一言だけを残した。
「国を託す」
その声は、霧の中に吸い込まれるように消えていった。
──その後、孟珙は病に伏し、静かに命を閉じた。享年五十二。彼の最期を看取った王堅は、涙ながらに語った。
「将軍は、最後まで国を思っていた。その志、我らが継ぐ」
江陵の民は自発的に喪に服し、街には「忠襄公を偲ぶ」旗が掲げられた。子どもたちは孟珙の話を聞き、剣を握る夢を語った。
そして、王堅はその志を胸に、釣魚城でモンゴルの大軍を迎え撃ち、歴史に名を刻むこととなる。
孟珙の魂は、剣と共に受け継がれ、南宋の空を守り続けた。
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1246年(淳祐6年)、江陵の空は静かに曇っていた。孟珙は、病床に伏し、かつての戦友たちが彼の周囲を囲んでいた。王堅、杜杲らが沈痛な面持ちで見守る中、孟珙の呼吸は浅く、しかしその眼差しは最後まで鋭かった。
「王堅……」孟珙はかすれた声で呼びかけた。
「はい、将軍……いや、忠襄公……」王堅は膝をつき、手を握った。
「お前は……よくやった。モンゴルの侵攻を食い止め。モンケ・ハーンの野望を食い止めてくれている。宋の未来は……お前に託せる」
「将軍……私は、あなたの教えがあったからこそ、ここまで来られたのです。あなたがいなければ、私はただの兵でした」
孟珙はわずかに笑みを浮かべた。
「私も……祖父・孟林や父・孟宗政から教えを受けた。忠義とは、命を懸けて守るものだ。お前も……その志を継いでくれ」
王堅は涙をこらえながら、力強く頷いた。
「はい。私は、忠襄公の魂を胸に、宋を守り抜きます」
その言葉に、杜杲が静かに口を開いた。
「孟珙……お前が築いた防衛線が、今も南宋を支えている。我らは、お前の志を忘れぬ」
孟珙は目を閉じ、しばらく沈黙した。そして、最後の力を振り絞るように言葉を紡いだ。
「友よ……国を……頼む」
その瞬間、部屋の空気が止まったように感じられた。孟珙の手から力が抜け、静かに息を引き取った。
王堅はその手を握ったまま、声を震わせて叫んだ。
「将軍!あなたの志は、私たちが継ぎます!宋は、必ず守ります!」
外では、江陵の民が自発的に喪に服し、街には白い布が掲げられた。子どもたちは「忠襄公」と呼ばれる孟珙の名を口にし、涙を流す者もいた。
その夜、王堅は城壁に立ち、空を見上げた。
「将軍……あなたが見た星空の下で、私は誓います。宋の盾となり、民を守り抜くと」
そして、彼は剣を掲げた。
「忠襄の魂、我が胸にあり!」
こうして、孟珙は静かにその生涯を閉じた。だがその志は、王堅をはじめとする多くの者に受け継がれ、南宋の希望として生き続けた。民は彼を「忠襄公」と讃え、その名は永遠に語り継がれることとなった。




