8、雑草で腹を満たす
ニルスの為にブランケットを作ろう!
そう思い立った私は、毎朝食事を届けに来る馬車の荷台に積まれている麻製の袋から、糸を数本拝借するようになった。
本当はあの袋を一つまるごと盗みたいところだが、ピンにバレたら袋の叩きにされるだろうし、下手すれば袋も没収されかねない。
なので地道にコツコツとブランケットづくりに励んでいる。
編み物や裁縫の類いはまるでわからないし道具もないので適当に結んでなんとか作っているが、見た目はかなり不細工。でも寒さがのしのげれば合格だ。
そうやって編み物に精を出すこと数日。ようやくハンカチサイズのブランケットっぽいものができた。
この三倍くらいの大きさが目標なのでまだまだ麻の糸盗みは終わらない。
今日も就寝前にブランケットを作っていると、部屋のドアが勢いよく開け放たれた。
反射的に私は編んでいたブランケットをテーブルの下に投げて隠す。
「どっちだ!」
ドアを開けたピンは眉を吊り上げ、鼻から蒸気を噴出している。
この顔は何か気に障ることがあったときにする顔だ。
といってもこの男は驚くほど短気なので常にこの顔をしている。
しかし今回はいつもより形相が歪んでいるので相当お怒りのようだ。
「俺のクッキーを盗んだのはどっちだ!」
そう追及されるや私の心臓が縮んだ。
盗んだのは私だ。
ニルスへの捧げものとして隙を見てはピンの部屋からクッキーやパン、果物などをこっそり盗んでいた。
なるべく小さい物を選んでいたので敏感でない限り大丈夫だと思っていたが…バレてしまった。
「おい答えろ!お前らのどっちかだろ!どっちだ!」
犯人である私も、無実のジョナサンも、顔を青くさせながら首を左右に振る。名乗り上げたらボコボコにされる。
ピンは苛立たし気に目を細めると、地面を揺らすような歩調で部屋に入りジョナサンの胸ぐらを掴んだ。
「お前だろー!」
「ちっ、違います!」
ピンが丸太のような太い腕を振り上げ、ジョナサンの顔面めがけて振り下ろそうとしたのを見れば、私は咄嗟に叫んでいた。
「私です!」
引きこもりニート時代は姉が買ったプリンをこっそり食べ、それを兄のせいにし、喧嘩が始まっても「けけけけ…」と笑ってゲームをしていた私だが、自分のせいでジョナサンが殴られるのを見てられるほど心は腐っていなかったようだ。
「お前か4444番!」
それからは物凄く速かった。
激怒したピンに左目を殴られ吹っ飛んだ私は、頭を壁にぶつけ意識を失った。
遠のく意識の中で最後に見た光景は、清々しい表情を浮かべたピンだった。
事あるごとに首輪の爆破スイッチを押すぞと脅してきたり、自分の気分で叩いたり蹴ったりしてくるあの男に、いつか仕返してやりたい。
一年中下痢に悩まされる薬とか盛ってやりたい…。
そんなことを考えながら、私は意識を手放した。
再び意識を戻されたのは。毎朝恒例のピンの鍋叩きによるものだった。
カンカンと鳴り響く耳障りな音と、後頭部に覚えた鈍痛と、目の開けにくさと痛みで、起きてから暫くはなにがなんだかわからなかった。
「いい加減に起きろ!」
ピンに腕を引っ張られ無理矢理ベッドから引きずり降ろされると、ようやく昨晩の記憶が蘇る。
するとすぐに防衛本能が反応し私は飛び起きた。
お陰でピンの蹴りを回避することができた。
その後朝ごはんが支給された。
ピンに渡されたお盆の上に林檎がないことに気づいて顔をあげると、ピンは意地悪く笑い「俺のクッキーを盗んだ罰だ。一ヶ月は林檎なしにする」とひどいことを言ってきた。
ジョナサンのお盆にも林檎がないので、連帯責任ということらしい。
ピンが部屋を出た後、朝食を黙って食べているとジョナサンの物言いたげな視線に気づく。
「何?」
「いや…。目に痣ができてるね」
「えっ!うそ!」
「青黒いの…」
左目を触ってみると鈍痛を覚え、腫れているのもわかった。
ピンめ…、手加減なしで殴ったな…!
「あのさ4444番。……クッキー盗んだの、本当?」
「うん…」
認めるとジョナサンは視線を落とし、お盆を見つめ始めた。
私のせいでりんごが食べられなくなってしまい、恨めしく思っているのかもしれない…。
きちんと謝るべきだと思い口を開いたが。
「僕もさ、盗んだんだ」
「……え?」
私の口は半開きのままで固まった。
「ピンの部屋にあったチョコチップクッキー。大きさと柔らかそうなのが、アメリカのクッキーっぽくて…、つい…」
「大きいの…取ったの?」
「うん。これくらいの」
ジョナサンは両方の親指と人差し指で円を作る。
って、でかいっ!!流石アメリカサイズ!ってそんなことはどうでもいい!
「3392番も盗んでたの!?」
「うん、昨日…」
「昨日!?」
私は昨日は取っていない。
ということは、ピンにバレたのはジョナサンによる盗みで、私のはバレていなかったのでは。
お、お前こにゃくそーという気持ちが湧いて出てきたが、キリッと睨むとジョナサンが捨てられた子犬のような顔をするので喉まで上がった文句は口にできなかった。
いつもいろいろとお世話になっているから、今回は許してやろう。
その後もジョナサンはチラチラチラと私に視線を送ってきた。明らかに何かもっと言いたそうにしてるのに、「何?」と訊くと「いや、別に…」としか答えないので、私は無視を決めてパンを食べた。
「セナ!どうした、その目は」
地下牢にてニルスの食事を手渡すと、心配そうな色を浮かべた琥珀色の瞳を向けられた。
もうそれだけで青あざなんかどうでも良くなったし、むしろ青あざがあって良かったと思ってしまった。
「大丈夫ですよ。ちょっとピンに殴られただけで」
「殴られたのか!…なぜ?」
「それはー、えっと…」
「セナ。時々私に渡してくれる甘味は、ピンから盗んでいたんじゃないのか?」
正確に当てられ驚いたのが顔色に表れてしまうと、ニルスは目を僅かに細める。
「それが見つかり、殴られたのだな」
「………はい」
素直に認めると、ニルスは小さくため息を吐き出した。
「もうそんなことはするな」
「でもっ」
「私の為に危険を冒す必要はない」
「いえ!そんなことをする価値があなたにはありますから!」
鉄格子の間に顔を埋める勢いで反論すると、ニルスは目を瞠った。
そのままジッと見つめてくるので、まさか引くほどおかしな顔をしてたのではと焦り顔を下に向ける。
「セナは…、異世界人ではないのか?」
「え?異世界人ですよ?魔術師に急に召喚されたんです…」
「…そうか」
ニルスはどこか意外そうに呟いた。私、現地人っぽさでも出ているのだろうか。
「それは、すまなかったな」
「えっ!ニルスが謝る事ではないですよ。悪いのはこんなくっだらない最低な奴隷制度を作った王様ですよ!雷に打たれて死ねばいいのにって思います」
王の顔は知らないが、イメージ像の王を思うだけで怒りが湧く。感情のまま口にしてしまうと、ニルスは数秒瞠目し、その次には笑い出した。
「ハハハハ、はっきりとそんな事を言う者は初めてだ」
えー、何その素敵な笑い方!
い、癒やされるんだが!
朝の目覚まし音にしたいんだが!?
ピンの鍋叩きじゃなくてニルスの爽やかな笑い声だったら舞を踊るようにして起き上がれる気がする。
頬が自然と緩んでしまうと、笑い止んだニルスは「だが」と真面目な表情を浮かべた。
「誰が聞いてるとも知れぬ。これからは声には決して出すな」
「は、はい」
威厳のようなものも感じて姿勢を正すと、ニルスは柔らかく微笑んでくれた。
その笑顔を脳に刻み、エネルギーに変換しつつ奴隷の仕事を進めていると、お腹が鳴った。
しなれた林檎でもあるとないとでは雲泥の差である。
ニルスに差し上げることができないのもまた辛い…。
「はあ…」
ちりとりに溜まった埃を捨てに牢獄の外に出ると、大きなため息が出た。
そのままそよ風に揺れる雑草を眺めていると、久しぶりに唐揚げやフライドチキン、ドーナツなどの揚げ物が頭に浮かんでくる。
そしてまた鳴る腹の虫。
今なら雑草も噛める気がする。
白い小花が咲いた植物をむしり取ると、私はそれを徐に口に入れた。ミシミシミシとヤギのようにそれを噛んでいると、ほんの僅かに甘みを感じた。
………いける。
そうして私は林檎の代わりに、白い小花が咲いた名も知れぬ雑草を腹の足しにするようになった。