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7、互いの名

 


 グランベール国の王都の端っこにある西の牢獄にて、奴隷としての日々を過ごすこと約二ヶ月。

 カレンダーもなければ日数のカウントもしていないが、奴隷初日にばっさり切られた髪があの頃より二センチほど長くなっているので、ひと月一センチと考えて、あれから二ヶ月が経ったと計算している。


 蒸し暑さがなくなり、窓から流れ込む冷えた空気にブルッと身を震わせながら朝食を食べていると、「もうじき冬が来るな…」とジョナサンが溜息交じりに呟いた。


「こないだまで夏みたいだったのにね」

「うん…。グランベール国って夏の後は短い秋があって、すぐに冬になるんだよね」

「そうなんだ。私寒いの苦手だな…」

「ちなみに防寒着はもらえないよ」

「えっ!この服だけで過ごすの!?3392番なんてTシャツに短パンだよ?」

「うん。でも大丈夫。限界突破って叫べば乗り越えられるから」


 朗らかに言ったジョナサンに、乗り切れるわけねーだろと言ってしまいたいのをなんとか腹に押し戻す。

 ジョナサンは限界突破という言葉を座右の銘にしているようだが、私の持論では限界は突破してはいけないものだ。


 なんとも言えずパンを齧るとジョナサンが急にしげしげと私を見てきた。


「何?」

「なんか4444番、痩せたよね?」

「そ、そうかな?」


 そう返しつつ、昨晩の事を思い出す。

 奴隷仕事を終え部屋に戻ろうとした私をピンに呼び止められた際に、「おい4444番!無駄な肉が落ちてきてるじゃねーか!いいぞ!その調子でもっと働け!」と喝を飛ばされたな。

 鏡がないので自分の顔などは確認できないが、指の丸みがなくなってきているのは自覚している。


「でも当たり前か。こんな食事とあの運動量だもん。痩せない方がおかしい。僕も結構痩せたもんな」


 アメリカにいた頃は週に三回ジムに通っては筋肉を育てていたというジョナサンだが、その名残は跡形もない。

「タンパク質が圧倒的に足りない…」とよく嘆いていて、建物内に時々見つけるゴキブリみたいな虫を捕まえて食べようとすることもあった。

 その度に私は必死に止めているのだが、「大丈夫だよ!まずいけど死にはしないから!」と言うので、もう何度も食べているんだと思う。

 私もいつも空腹だが、流石にゴキブリみたいな虫で腹を満たそうとは思わない。


「このままずっとここにいたら、私も3392番みたいに細くなるかもね」

「絶対なるね」


 二人で笑いあったが、同時に悲しくもあった。

 過酷な奴隷生活に少しずつ慣れ、生きる糧も見つけたけれど、やせ細るまでこんな所にいたいわけじゃない。

 元の暮らしや家族が恋しい。自由が恋しい。

 逃げ出したいけど、逃げ方もわからなくて、どこへ行けばいいかもわからない。


「仕事、行こうか」

「うん…」


 なんだか感傷的になったまま私は朝ごはんを食べ終え、そして部屋を出て仕事に移った。



 今日も私の推し、生きる糧であるあの美しき囚人を愉しませて差し上げたいが、なんだかエンターテイナーを演じる気にはなれそうにない。

 今日はちょっとお休みにして、代わりに彼の牢屋の掃き掃除を念入りにしよう。

 だいたいあのお方も歌を心待ちにしているわけでもないだろうし。


 他の囚人達の前は適当に掃き、美しき囚人の前は念入りに掃きつつ、自然を装いながらチラリチラリと彼を盗み見る。

 いつも掃除する時、彼は地べたに座って瞑想してるか筋トレをしているのだが、今日は備え付けの小さい木製の椅子に腰を降ろしぼんやりと床を見ているようだ。

 何もしていないのに妙に貫禄があるし、例え蟻を眺めていたとしても、あの佇まいは宇宙の真理的な哲学を熟読しているようにさえ見える。


 話しかけてみたいけど我慢だ。

 もっと話して仲良くなれたら幸せ過ぎるが、推しのパーソナルスペースに気軽に入って万が一嫌われてしまったら、私はこの奴隷人生を生きていけない。 


「今日は歌わないのか?」

「へ…」


 唐突に聞こえた良い声の方へ顔を向けると、美しき囚人の琥珀色の瞳が私を見ていた。

 話しかけられたんだとようやくわかると、顔に一気に熱が昇るの感じた。


「いつも朗らかな君が今日は珍しく大人しい。風邪でも引いたか」

「えっ、いえっ!元気です!」

「そうか」

「はい!」


 今笑ってくれた気がする。

 口許を覆う髭のせいでわかりにくいが、目元は柔らかく下がったと思う。


「そろそろ君が来て歌を披露する頃合いだと思って待っていたのだが、今日はしないのか」


 私のエンターテインメントを待っていてくれてたとは、う、嬉しすぎる。

 エンターテイナー魂に火がついた私は、それなら今日は三曲くらい披露しようと「…しましょうか?」と控えめながら訊いてみた。


 しかし彼はやや考え込む様子を見せた後、「いや」と言うではないか。

 なんだ、実は迷惑だったのか。

 確かに私の歌唱力はいまいちだし、声が反響する石壁の部屋の中で長々と聞かされていたら気が滅入る気がする。

 きっと彼は遠回しに『もう歌はやめてくれ』と伝えたかったのかもしれない。


 ちょっとショックではあるが、推しと会話できているから内容がなんだとしても幸せだ。

 今日はついてるなぁとニヤついてしまうと、彼は唐突に立ち上がり、鉄格子の前まで歩いてきた。


「そばに」


 そう言われるや、私は自分でも驚くほど敏速に動き、彼の前にすっ飛んだ。


 鉄格子を挟んですぐそこにいる彼が私をジッと見ている。

 これまでにも食事や水の配給時や牢屋内の掃除等で目が合うことは何度かあったが、こんな、まるで私に興味を抱いているような眼差しを向けられたことはない。

 故に私の心臓は荒い動きに変わる。


「名は?」

「名?」

「君の名だ」

「私は、4444番です」


 左手の甲に刻まれた数字を見せると、唖然とした表情を浮かべていた彼はすぐに頭を左右に振った。

 その動作でまぬけな私はようやく気付く。

 彼が聞いたのは私の本名だ。

 毎日ジョナサンとピンに数字で呼ばれているせいで奴隷番号が真っ先に出てしまっていた。


「えと、谷原瀬奈です」

「タニハーラセェナ?」

「あの、えぇっと。瀬奈です」

「セナか」

「はい」


 久しぶりに自分の名前を聞いた。

 最後に私の名前を呼んだのは、確かバス停で新潟行きのバスを待っていた私に「瀬奈、あんた顔洗ったの?」と少し呆れたような口調で訊いてきた母だったっけ。

 母を恋しいと思う気持ちと、生きる糧に名前を呼んでもらった感動で泣きそうになったけど、グッと押し込んだ。


「そうか。セナ」


 まるで覚えるように再び名を口にされ、私の腰が痺れた気がする。

 この人、声まで良すぎる。


「あの…。あなたの名前はなんですか?」

「私はラファニルスだ」

「ラファニルス?」

「親しい者はニルスと呼ぶ。セナもニルスと呼んでくれ」


 名前を知ることができただけでも天にも昇るような気分なのに、親しい者が呼ぶ愛称まで教えてくれるなんて。


「わ、私もその親しい者達に加わっていいのですか」


 思わず訊いてしまうと、彼は「もちろんだ」と微笑をくれた。

 はわわわわ…。

 なんですかこれ。最高のご褒美をもらった気分だ。


「じゃあ、あの、ニルス」

「ああ、懐かしいな…」


 彼が浮かべた笑顔はどこか切なげだった。

 私よりももっともっと長い間名前を呼ばれなかったんだと悟ってしまうと、胸が痛くなった。


「これから私がいっぱい呼びますから」


 励ましたい気持ちに押されてよく考えずに言ってしまうと、彼の笑顔から切なさが消えたように思えた。


 私なんかと親しくなっても嬉しい事はないだろうけど、少しでも退屈な時間を潰せる相手になれるなら、どんなことでもして差し上げたいと改めて思った。

 だってニルスは生きる希望をくれた人だ。

 なにか罪を犯した悪人かもしれないけど、私からしてみれば私の心を救ってくれたエンジェルだ。

 こんな過酷な状況も彼を見るだけで乗り越えることができている。

 もっとたくさん恩返ししなくちゃ。


 それにしても、ニルスを近くでまじまじと見る事ができるなんて最高かよ。

 どこをどの角度で見てもかっこいい。

 こんなボロボロの服を着ててもかっこいいんだから、それなりの服を着たら世の全ての女を骨抜きにしてしまうんじゃないだろうか。


 そんなことを思っていると、今朝ジョナサンと話していたことを思い出した。

 私達奴隷に防寒着が支給されないのなら、きっとここにいる囚人もそうなのだろう。

 それはまずい。

 ニルスが風邪を引いたりなんかしたら大変。


 よーし、私が絶対なんとかしてみせる!


 決意を胸に秘めつつ、私はニルスに別れを告げ、名残惜しさと戦いながら掃き掃除の続きを始めた。








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