6、地下牢のエンターテイナー
「4444番、機嫌いいね。なんか良いことあった?」
夜空に星が瞬く頃。
建物の一階にある奴隷の管理人ピンから夜ご飯を配給され、二階の部屋でモシャモシャ食べていると、3392番ことジョナサンが訊いてきた。
自分だけの秘め事にしておくつもりだったが、本当のところは誰かに話したいのと、もっと情報が欲しい気持ちもあり、地下牢のあの美しい囚人についてジョナサンに訊いてみることにした。
「3392番は、地下牢にいる銀髪の男性のこと知ってる?」
「地下牢の銀髪の男…?あ。うんうんあの人ね。やけに品がある人でしょ?」
「そうそう!多分その人」
「あの人いいよね。丁寧だし、文句も言わないし」
「よく話すの?」
「ううん、ちゃんと会話したことはないよ。あの人なんか髪も銀色だし、佇まいとかも神々しいものがあって話しかけづらいんだよね。話しかけられたこともないし」
艶を失いパサついた銀の髪や髭や汚れた服を着ているのに、あの囚人からは確かに気高い雰囲気を感じる。
私なんかが話しかけるのは恐れ多い、と自然と思わせてしまうような、そんなオーラをあの人は持っている。
他の囚人とは何か違うのだ。
「特に知ってることはないけど、僕がここに来た時にはもうあそこにいたよ。どんな罪を犯したかわからないけど、何か悪い事したんだろうね」
「悪い事…」
「ところであの人がどうしたの?」
「いや。うーん。なんか、かっこいいなって。それだけなんだけど」
恋愛とは無関係に生きてきた乙女は、異性をかっこいいと言うだけで顔が赤くなってしまう。
なんてウブなんだと自分に呆れてしまうが、こういった生理現象は自分ではどうすることもできない。
ジョナサンは一口分のパンを口に入れようとしたまま、動きを止めて私を見つめてきた。
「4444番は同性に興味があるの?」
「…え?」
その問いかけを理解するのに暫く時間を要した。
そうして思い出す。
そうだったそうだった。私、周りには男として認識されてるんだった。
本当は私女なの~、と今ここでカミングアウトしてみようかと思ったが、すぐに考えを改める。
私を女と知ったとしてもジョナサンが何か変な気を起こすとは思わないが、念には念を、だ。
弟みたいな扱いを受けている方が今は安全だと思う。
それにいやいやいや男しか見えないよと爆笑されたり驚愕されたら地味に辛い。
「…興味っていうか、人として?かっこいいな、みたいな」
「ふーん。なるほどね」
「うん」
適当に頷いてしなれたリンゴを齧ると、硬いパンの最後の一口を飲み込んだジョナサンが腕を天井に伸ばした。
「あぁ~。今日は限界突破な事件が三回も発生したから疲れたよ。僕はもう先に寝るね」
「うん。おやすみ」
「おやすみ、4444番」
二段ベッドの上段に上がり布団にもぐりこむと、一分もしないうちに鼾が聞こえてきた。
いつもの三倍くらいうるさいから、すっごく疲れていたんだと思う。
私ももう寝ようと思い、歯ブラシの代わりに自分の舌を巧みに動かしなんちゃって口内洗浄をするとベッドに横になった。
窓から見える月を眺めながら頭につい思い浮かべてしまうのは、やっぱりあの美しき囚人だった。
明日になったらまたあの人に会えると思うと、頬が緩んでしまう。
明日を待ちわびる気持ちなんて、いつぶりだろう。
六年の引きこもりニート時代は、明日がはやく来てほしいなんて思ったこと一度もない。
私に向けて微笑みかけてくれたあの表情を思い出して、心地の良いときめきを感じながら目を閉じるのだった。
それからというもの、私が奴隷生活をする上であの美しき囚人は何よりも優先する対象になった。
水を配る時はコップがひたひたの限界になるまで注ぎ、食事配給の際は一番大きいパンを選りすぐって渡した。
朝にピンから配給されるリンゴを半分に切ってこっそりパンの中に隠して渡すこともあったし、ピンが部屋に居ない時を見計らって食べ物を盗み、それを彼の牢へ忍ばせることも度々するようになった。
最初こそ『なぜこんなことをする?』とでも言いたげな胡乱な目を美しき囚人に向けられていたが、懲りずに何度も続けているうちに慣れてくれたのか、二週間が過ぎる頃には食べ物を渡す度に軽く頭を下げてくれるようになった。
しかもだ。私の心臓を殺しかねない美しい笑顔を添えてくれるのだ。
言葉は何もなかったが、ただひたすらに嬉しかった。
その笑顔を見るために私は行動しているようなものなのだ。
例えピンにバレてボコボコに殴られることになったとしても、そんな恐れで私は止まらない。
彼の隣の牢屋の囚人が、「おい、そいつにばっか時間かけ過ぎなんだよ、はやくこっちにも水配れよ!」と文句を言ってくるから彼と接触できる時間は短いが、その瞬間が何よりも貴重だった。
これはまるで、推しとのファンミーティング。
限られた時間の中で自分をアピールし、どれほど尊く思っているか表現する、そんな貴重な時間だ。
彼に会えると思うと奴隷生活も辛くない。
むしろ、彼の世話ができるお役目をくれて感謝したい気分になれる。
前は唐揚げを頭に浮かばせてそれを食べる妄想や民謡を口ずさむことで精神を保っていたが、今は違う。あの美しき囚人が私の生きる糧になっている。
今朝は珍しくピンに起こされる前に目を覚ました私は、鍋を叩く音が聞こえるまで布団の中で思考を巡らせていた。
前は暇さえあれば食べ物のことを考えていたけれど、今じゃ地下牢の美しき囚人が私の頭を独占している。
どうやって彼を笑顔にさせようか、楽しませようか。そんなことばかりだ。
そのうち鍋を叩く音がしたが、その頃には私の考えはまとまっていた。
彼の反応が楽しみで朝ごはんを食べながらニヤけてしまう。
「4444番?どうしたの?いい夢でも見た?」
「ううん、違うの。今日やってみようと思ってることがあって」
ジョナサンは怪訝な顔をして「何するつもりなの?」と訊いてくるので、私はベッドの中で考えたことを説明した。
「…いいと思うけど、ピンにバレて殴られても知らないよ?…4444番ってなんか変わってるよね」
確かに変わっていると思う。
自分でも何を話してんだかとは思ったが、美しき囚人のいろんな表情、いろんな反応が見たい欲望が強すぎて、もはや私を止めるものは何もないのだ。
地下牢の囚人への水と食事配給をいつもの二倍は適当に(だが美しき囚人には丁寧に)終わらせた私は、箒で床を掃くフリをしながら彼の牢屋を目指した。
美しき囚人は先ほど配った水で体を拭いているところだった。
以前私がこっそり入れた新しい布巾を使ってくれているので嬉しすぎる。
彼が体を拭く間、私は牢屋の前を砂一粒も残さないように掃き掃除に励んだ。
そうして体を拭き終えたのを確認すると、私は彼の牢屋の前で歌い始めた。
「ヤッ、ドッコイショードッコイショ、ドッコイショードッコイショ、ソーランソラーン、ソーランソーラン」
ソーラン節はもう何度か彼の前で歌っているので聞き慣れていると思うけど、今回は目を丸くさせて私を見ている。
それもそのはずだ。
歌いながら振り付けも披露しているからだ。
娯楽が一つもないつまらない牢獄生活に少しでも何か新鮮なものを、と考えた結果がこれである。
彼からしたら気の狂った小太りが何か変な動きをしている風に見えるかもしれないが、それでもいい。
これは私にとっては精一杯の愛情表現。
少しでも楽しんでもらえたら本望。
前後左右の牢屋の囚人達にも角度的にどうしても見られてしまい「何やってんだ小僧!ちんちくりんな動きして!おもしれぇおもしれぇ!」と笑われてしまうのは誤算だったが、美しき彼が愉しそうにしてくれているので娯楽のお裾分けもしてやってもいいってもんだ。
それから私はピンに見られないよう注意しつつ、ソーラン節や流行っていたアイドルの歌などを振り付けと共に彼に披露するようになっていた。