第8話【守れなかったもの】
『やったぁあ!』 『か、帰れる……。帰れるんだ』 『やっと終わった』 『ギース……』
研修生たちは緊張から解き放たれ、ようやく安堵の時を迎えていた。だが、まだ先ほどの光景が信じられない研修生も多かった。
『何が起こったんです?』 『一瞬で……』
「ガービィさん、ライゼさんはどんな技でモンスターを?」
ギースをはじめ、研修生たちは困惑していた。あの絶望的な力のモンスターたちが、一瞬で消し飛んだ。それを理解するには、彼らの経験も語彙も、まだ足りなかった。
「ライゼさんのあれはな、技じゃない」
「どういう事です? あのパワーはどう考えても──」
あれほどの破壊力を、一体どうやって……? ギースは混乱し、言葉を探しあぐねていた。
そんな彼に、ガービィは肩の力を抜いたように、あっさりと答える。
「歩いたんだ」
「……は?」 『──??』
耳を疑う返答に、場が静まり返る。歩いた? それだけ? 意味がわからない。
「ライゼさんは能力を発動し、ただ歩いて敵を通りすぎた。ライゼさんがやったのはそれだけだ」
「い、いやいやいや! おかしいですよ! だってあのパワーは──」
「そう、おかしいんだ。あの人」
「……」 『……』
納得のいく説明ではない。だが、あのパワーを前にすれば、納得するしかなかった。
考えるのはやめよう。ギースがそう思った、その時──
静まり返ったホールに、ライゼの靴音が『カツッ、カツッ』と響き渡った。ガービィはギースの肩を軽く叩き、静かに言う。
「ほら、ライゼさんに言うことがあるだろ」
「ら、ライゼさん……! すいませんでした!!」
ライゼは立ち止まり、一瞬だけ怒りの表情を浮かべた。しかしすぐに悲しげな目になり、重たい沈黙の後、静かに答えた。
「──俺はいいんだ。それより、なぜ突っ込んでしまったんだ?」
「それは……自分の力を認めてもらおうと、誇示しようとしてしまいました」
先ほどの光景を前に、自らの未熟さを痛感していた。ギースは真摯に自分の非を認めていた。
「ギースの目標は何だ?」
「N.A.S.H.に……どうしてもN.A.S.H.になりたいんです。一人でも多くの人を、この手で!」
「“救うこと”……だろ? 認めてもらうのは、その先にある結果だ。誰かの命を救うからこそ、人はN.A.S.H.と認めてくれる」
ライゼの静かな言葉が、ギースの胸に深く突き刺さる。
「まだ若い。認めてもらいたいのはわかる。だが、そんな見栄で他人を危険に晒すような幼さは、今すぐ捨てるんだ」
「はい……気をつけます。あの場面、ライゼさんならどう対処したのか……伺っても?」
「ギースは研修生で一番強いんだろう?なら、自分のことばかりじゃなく、人のために考えて動いていれば、負傷者は出なかったはずだ。
それこそが──人から本当に認められる“強さ”なんじゃないか?」
「……せ、責任は全て僕が!」
「それはギースが決めることじゃない。責任の重さや在り方は、周囲が決めることだ。大人になる準備をするんだ。よく考えてほしい」
「──っ!!」
ギースは言葉もなく、ただ頷いた。ライゼはそれ以上は言わず、ギースの肩を軽く叩き、そのまま背を向けて歩き去った。
通路に響く靴音を、ギースはまっすぐに見送った。
──
ホールで増殖しきったモンスターが街へ出るのは珍しくない。
ギースは孤児だった。
両親を守れなかった自分への怒りからか。あるいは、その無力な記憶を忘れたかったのか。
孤児院での砂遊び。その手は、必死に砂を盛り続けていた。まるでその下に、あの日のトラウマを埋めているかのように。
そんな彼の目に飛び込んできたのは、テレビやネットに映るN.A.S.H.たち。映画の中で戦う正義の味方。
英雄として人々を守る姿に、彼はのめり込んでいった。
人々を守るという信念に、嘘はなかった。自分の才能に気づいたとき、進む道は自然と決まっていた。
N.A.S.H.育成で一、二を争うとされる学園に入学し、成績もトップ。
学園で一位? 皆が認めてくれた
そのたびに、幼き日の傷は埋もれていった気がした。
早くNo.1になって、もっと多くの人を救いたい──
その志の裏で、守るべき人々を見下していたことに、彼は気づいていなかった。
何のために、誰のために強くなりたいのか。
ライゼの言葉で、ようやくその問いと向き合った。
あの日、守れなかったのは父と母。
そして──
幼い自分自身。
ギースはその場に膝をつき、堰を切ったように涙を流した。
傷つけた同級生に、何度も謝るその唇は、小刻みに震えている。
その日、ギースは自信を砕かれ、打ちのめされ、けれど心は晴れていた。
ようやく幼き日の自分を砂から救い、目指すべき場所も見つけたからだ。
──
ガービィは泣き続けるギースの肩にそっと手を置いた。
「先生、笑わないでください」
「──なんだ?」
「僕は……あの人みたいになりたい」
「……それは、いい目標だな」
それと、いつか先生みたいに。
そう言いかけて、ギースは照れくさそうに言葉を飲み込んだ。
「先に行くぞ。あの人の隣は、まだ俺だ」
ずっと「先生」と呼んでくれなかったギースが、初めてそう言ってくれた。ガービィは嬉しさを隠すように歩き出したが、内心では顔が緩みっぱなしだった。
それでも、どこか誇らしげに背筋を伸ばしながら。
──その背は、確かに“先生”だった。




